「……今更きくのも変ですが、本当にオリビエ殿のことは良かったのですか?」
 ルーアン中心街が近くなった頃、思い出したようにユリアが問い掛けてきた。
「戻ったら根掘り葉掘り問い詰められそうだが、まあいいだろう。今ごろ王城の給仕でも口説いていることだろうよ」
「ふふふ、オリビエ殿ならやりそうですね。もっとも、かの人の性格はもう王城では知れ渡っているので、まともに取り合う給仕はいないかと。噂では、生誕祭の晩餐会で」
「皆まで言うな。あの日、ギルドに依頼までして奴を捕まえて説教したのに、何の功も奏さなかったのだ。腹立たしいというかなんと言うか」
 頭を掻きながら溜め息をつく。酒場からは豪快な笑い声が聞こえてくる。手近なところに入れば海運業で鍛えられた男丈夫が揃っていた。露出度が高い女性給仕が彼らの間を泳ぐ。なんとなくそれを見ていると、隣のユリアが目に見えて不機嫌になったので肩をすくめた。
「貴女も普通の女性と同じなのだな」
「えっ、あっ、その」
 慌てる様子に笑う。
「一事が万事、軍務についているときのような様子だとどうしようかと思ったのだが、その心配はしなくていいか」
「……」
 困り果てながら空いたテーブルに向かう。適当に食事を頼んでテーブルに肘をついた。掌で顔を覆う。
「今日は、なんだか意地悪な気がします」
「いろんな貴女を見てみたいだけだ」
「……」
 また困り、何もいえなくなる。そこへ次々と料理が運ばれてきた。
「こんなに頼んでいないぞ?」
「あちらさんからのおごりだよ」
 給仕が指す方向に、並み居る男たちのなかでもとりわけ大柄な人物がいる。その向こうに赤毛。
「ジン殿と……アガット君か?」
「いょお、お二人さん。そいつは俺たちからのおごりだ、ジャンジャン行ってくれ」
 ジンが愛想良く手をあげていた。アガットもそれに続いて、飲んでいた酒のグラスを軽く持ち上げる。
「ありがたく頂くか。俺は腹が減った」
 言いながら魚のソテーに手をだす。何も言わないがその表情が味をあらわしている。
「リベールの食事は美味い。軍の糧食ですら、帝国の食堂並の美味さだ」
「そんなに違うのですか。帝国へは個人的に出かけたことはないので知らなかった。というか、帝国へ行ったのはあれが初めてなのです」
「初めてで生死の境を彷徨わせることになったか。ますます貴女にとっての帝国は、イメージが悪くなりそうだな……」
「そんなことはないですよ」
 にこにこと笑って食事をするミュラーを眺める。
「そうか?」
「ええ」
「……今度は個人的にくるといい。帝国にもいい場所はたくさんある。案内しよう」
「そうですね。では、いずれまた」
 ユリアも食事に手をつけた。シャキシャキとしたサラダの歯ごたえが気持ちいい。暫し食事に専念した後、給仕を呼んで今度はジンとアガットに酒を頼んだ。
 しばらくそちらのテーブルでやり取りしていたが、結局ユリアたちのいるテーブルに遊撃士二人がやってきた。
「気ぃなんか使わなくて構わんのに」
「なに、どんどんやってくれ」
 片目を閉じながらミュラーが勧める。そうか? といいつつも嬉しそうなジン。
「しかし珍しい。アガット君ならラヴェンナの出だからわかるが、ジン殿がこちらに来ているとは。もうすでに帰ったとばかり思っていた」
「ちーっとばっかヤボ用でな。偶々ギルドでアガットと鉢合わせしたから飲もうかと」
「ジンの旦那は相変わらず強えぇ。真っ当に付き合ってたら落ちちまう」
 アガットの横槍に心外そうなジン。そう会話する間もカップになみなみと注がれた酒は消えていく。そういうところがまともに付き合えない理由だ、と指摘すると豪快に笑い出す。
「ここにシェラザードがいたら朝まで説教コースになりそうだ。居なくて良かった」
 赤毛の遊撃士は少し舌を出し、自分のグラスを空にした。
「あんたらは? 少佐さん、オリビエ捨てたのか?」
「捨てられるならとっくに捨てている。俺は観光だ」
「私が休暇で、案内をしている。まあ、役に立たないガイドだ」
「そんなことはない」
 やり取りをする二人をジンとアガットはやれやれ、といった様相で見守る。やがて自分たちのやりとりを見守られていることに気がつき、慌てて黙り込んだ。ミュラーは酒をあおる。
「ぶっ」
「わっはっはっは! あんたらわかりやすいなぁ!」
 ジンの指摘を聞き流しユリアも酒を飲む。
「それはそうと、ジン殿。いつもありがとう。この間はばたついていてきちんと礼もいえなかった」
「いいってことよ。役にたってるかい?」
「もちろんだ。この国ももう少しあの手合いの本を入れてくれればいいのだが……」
「まあまあ、俺は全然気にしていないから、あんたも気にするな」
 飲め飲め、とばかりに残り少ないグラスに酒が容赦なく注がれる。困ったな、と思いつつ断ることもできず、夜は更けていくのだった。


 意識を取り戻した。喧騒はない。潮風がわたっていく。開いた大窓が目に入った。
「……?」
 確か自分は酒場で食事をしていたのではなかったか。何かに巻き込まれたか。それにしては全く覚えが無いとはどういうことだ。
 疑問符が頭を飛び交う。軋み音を聞き、ようやく自分は寝台に横になっていたのだと気がつく。上半身を起こせば掛けられていた布が衣擦れの音を立てて滑り落ちる。きちんと着ていたはずの服が緩められていた。
「……」
 卓上灯だけが部屋の中の光源。生活感がない部屋。テーブルを挟んだ向こう側のソファーに誰かがいる。
「!」
 布を握り締め警戒しながら寝台を降りた。近づけは、ここしばらく見慣れている人間。眠っているのだろうか。
「……ミュラー殿……」
 小さ目のソファーに体を預け、これ以上のベッドはないとばかりに目を閉じている。
「起きたか」
 最初に軋み音がしたときから気が付いていたが、どういう行動をするのか見てみたかった。
「ええと……あの……」
 聞きたいことは山ほど。言葉はでてこない。そんなユリアを見ながら起き上がる。
「要するに、酔いつぶれたわけだ」
「ああ……やはり」
「酒はそれほど強くないんだな」
「それなりに、それなりな方ですが、貴方も含めてお三方は強い。今日は疲れているので特に気をつけなければと思いつつ、あの場の空気に飲まれました……」
「おとなしく寝てくれる性質でよかった。脱ぎ癖でもあったら外では飲めんからな」
「……すいません……」
 水差しから水をくんでユリアに渡す。眉根を寄せつつ受け取った。
 黙り込む二人。開けてある窓から、時々どこかの酒場の声が聞こえてくる。
「ジン殿が」
「えっ!」
 動揺して水をこぼす。しゃがんで水を拭いているのを見ながら続けた。
「ジン殿が、貴女の意外な弱点を見つけた、とうれしそうにしていたぞ。これから気をつけるんだな」
「はあ……ジン殿とアガット君に知られたなら、シェラザード殿の耳にも入るでしょうね……」
 前々から一緒に飲もうとは誘われていた。だが、飲んだら最後、どうなるかわかったものではない。それがあるからなんとかかわしていたが。
 盛大に溜め息。
「善処します……」
「オリビエが、以前アイナ殿に渡り合う為に作った酔い止めの薬があると言っていたな。今度聞いておこうか?」
「お願いします……お酒より、お茶のほうが好きだ……」
「そんなに悲壮な顔をするな。なにも獲って食われるわけではなかろう」
「いや、聞いたところによればそれに匹敵するものがあるのだとか」
「恐るべしだな、シェラザード君は」
「もっとも、オリビエ殿の情報なんですけどね……」
 付け加えられた一言に脱力する。
「冗談をいう口は、どの口だ」
 あまり続くと無理やり塞ぐぞ。口元に笑いをたたえる。その様子にユリアは少し肩の力が抜けたのを感じた。今だ握り締めていた布を脇に置く。
「それにしても申し訳ない。荷物まで運ばせてしまって」
「ジン殿が軽々と運んでくれたさ。貴女は俺が運んだが」
「す、すいません……」
 顔が熱くなる。それほど近くにいたのに全く気がつかず、ただ惰眠をむさぼっていたとは。うなだれ、ふと目に入った自分の肌に赤面する。服を緩めたのはやはり彼なのかと思うも、顔も見られない。
「シャワールームはあちらのようだ。浴びてくればどうだ? 今日は疲れただろう」
「あ……」
「なにか?」
 手を自分の胸の前で握ったり開いたりしている。その様子を見て何を言いたいのかなんとなくわかった。自然、不機嫌になる。
「心外だ。俺は眠っている人に手を出すほど卑怯ではないぞ」
「いやそうではない!」
 声が高くなる。自分の声に驚き目を丸くしたが、すぐにミュラーを見た。
「ただ……服を緩めてくれたのは、やはり貴方なのかと……」
「ジン殿かアガット君の方がよかったか?」
 勢い良く頭を横に振る。振りすぎてクラクラしてきたがまだ振りつづける。
「もういい、わかったわかった」
 動く頭を押さえ、額に自分の額を押し付けた。
「部屋まで案内してもらったホテルの女性だ。少し安心したか?」
「あ……そうでしたか……」
 ほっとしたような物足りないような。
「安心したならシャワーでも浴びてくるといい。すっきりするだろう」
 頭を離して笑いかけた。


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