「どうされましたか?」
「明日はどうするのかと思ってな」
「ああ……特に何もきめていないのですが。とりあえず早めに隧道へ入ってしまおうとは思っています」
「なかなかアバウトな旅だ」
「決めるときはきちんと決めますよ。ただ、自分の好きなペースでいける時は、本当にいい加減ですね」
 手を広げる様子がティータにも劣らないほど子どもっぽいと感じたのは気のせいだろうか。
「こんな人間で申し訳ない」
「いや、そんなことは思っていない。いろんな貴女を知ることができてうれしいくらいだ」
 今度は頬を染めた。
「ご冗談を」
「さすがにここで冗談を言えるほどお調子者ではないぞ」
 ユリアの隣に座る。何も言わずに女が肩に頭を預けてきた。それ以上は何をするでもなく、ただ雨が屋根を打ち付ける音を聞くだけだ。
 どれくらいそうしていただろうか。戸が遠慮がちに叩かれた。
「どうした?」
 ティータに向かって声をかけるユリアに悪戯がしてみたくなった。そっと耳に口を近づける。直に息遣いを感じてユリアが驚く。
「あのあの、もうすぐご飯できます!」
「そうか。今行く」
 慌てるも返事をしなければティータが中に入ってくる。務めて平時の声を出しながら耳から首筋に降りてきた唇をおいはらおうとするが、いつのまにか抱きとめられて思うように動かない。
「ミュラーさんにもそう伝えてもらえますか?お鍋が噴きそうなんで!」
「わかった!」
 ようやく戸の前の気配が消え、ユリアは大きく息を吐いた。同時に拘束が外される。
「ミュラー殿……なんですか……まったく」
 真っ赤になって抗議をするが涼しい顔だ。
「何、夕べ散々貴女に誘惑されたからな。お返しだ」
 にやりと笑うその様子に、結局何もいえなくなるのだった。

  食後にコーヒーを淹れてもらいのんびりと楽しむ。
「あのスープはこのあたりの味付けではないな」
「すごい。わかるんですか」
 ティータが感嘆の声をあげた。
「一応、人並みには料理を心得ているのと、昔は良くあちこちに飛ばされた。ツァイスには二年ほどいたか」
「ほう。ずっと親衛隊に属していたわけではないんだな」
「殿下の意向で親衛隊への所属はほぼ決まっていたのですが、まあいろいろありまして、士官学校を出てから結局あちこちに。大体一年ずつ各地方分隊に所属しました。ツァイスだけは長かったので、その間に舞いも。カルバートに近いのが幸いでした」
 懐かしい、といった様子でカップを握るユリア。
「けれど、ようやく親衛隊に入ったと思えば、何年もしないうちに殿下が今度は学園に入学することになり、出会って十年とはいえあまりお傍にお仕えしてはいないのですよ。そろそろジークの方が殿下といる時間のほうが長くなるのではないかと」
 傍らのティータがコーヒーにミルクと砂糖を入れる様子を眺めながらミュラーに説明した。
「で、ティータ君。あの味はボース地方独特の味だったと思うが……どうだ?」
「大正解! ラヴェンナの村長さんに教えてもらったんです」
「……アガット君のため、かな?」
 途端に少女が真っ赤になって俯く。指を胸の前でくるくる回してどう返せばいいのか考えている。
「彼は、ある時期を境に印象が変わったな」
「?」
 赤い顔のままティータが顔を上げる。
「初めて会った時は破滅的な雰囲気だったが、例の空中庭園にいるころにはその雰囲気は雲散していたようだ。彼は彼なりの修羅を超えたのだろう」
「俺は、庭園でアガット君にはいろいろ世話になった。何せ良く逃げ出す馬鹿がいたものでな。彼とジン殿には感謝してもし足りん」
「あのあの、ユリア大尉さんたちから見て、アガットさん、どんな感じなんですか?」
「どんな感じ、といわれてもな。君ほど彼のことは知らぬから、なんとも言えんが」
「ただ、強くなるだろう、とは感じた。武術のことではなく、心の方で」
 思い出しながらミュラーが続けた。
「いい表情だったよ、彼は」
 ユリアも同意した。
「そうですか……」
 まるで自分のことのように少女が微笑んだ。
「さて、俺は部屋に戻らせてもらう。夕べほとんど眠っていないから、早めに休みたい」
「あ、はい、おやすみなさい」
「おやすみなさい、ミュラー殿」
 部屋に男が消えるのを見計らってティータがユリアに囁く。
「えとえと。聞いてみたかったんですが」
「なんだ?」
「いつからなんですか?」
「……」
「この間クローゼお姉ちゃんから聞かされてほんとにビックリしたんですよ。みんな、問い詰めなきゃ、ってすごい勢いだったんです」
「……全く……」
 頭を掻きティータを見た。ということは、素直に儀に応じていればその後は遊撃士たちの尋問が始まったのかとげんなりする。ふと、好奇心に輝く瞳がまっすぐこちらをみていた。
「いつと言われても……」
「ユリア大尉さんみたいな人をロウラクするなんて、どういう魅力があるんだってオリビエさん言ってました。……ロウラク、ってなんですか?」
「いや、今は知らなくていい……」
 まったくあの御仁は、ティータの前で何を言い出すのだ。乾いた笑いしか出てこない。
「ねえねえ大尉さん。いつなんですか?」
「……答えるまで」
「眠らせません!」
 言い切ったティータに苦笑した。
「では一宿一飯の恩もあるしな。けれど、きっと面白くないと思うぞ?」
「そんなのわかんないですよ」
「本当に、君も言うようになったな。……ま、期待はずれだと思うが、いつかははっきりわからん」
「え?」
「月並みだが、気が付いたらというのが一番正しい。しばらく恋愛ごとなぞ縁がなかったから、これが恋心かどうかすらもわからなかったよ」
 口元に笑いをたたえつつティータに説明をはじめた。一通り話を聞いてティータが何事かを考えている。
「……? ティータ君?」
「すごーい! 大好きな人、ちゃんと守ったんですね!」
「ちょっと、声が高い……」
「すごいすごーい! わたしもそんな風に守ってあげたい!」
「だからティータ君……」
 何かがティータの気に入ったのだろう。夜だがおおはしゃぎする少女。困ったな、とミュラーのいる部屋の戸を眺める。
「やっぱり格好いいです、ユリア大尉さん」
「そうかな」
「うん!」
「お褒めに預かり、光栄だ。小さな技術者殿」
 少女に礼をいい頭をなでた。されるがままのティータがふと疑問を口にする。
「初恋って、いつだったんですか?」
「これはまた手厳しい。まだ暴露せねばならんか」
 真剣な表情で頷くティータに少し考える。
「そうだな。後から考えて、あれは恋だったのかもしれない、というのには覚えがあるよ」
「いつ?」
「士官学校時代だ。入ったばかりで、戦役の直前くらいだろう」
 模擬訓練の教官。厳しかったが、練武場を離れればそんなことはなく、気さくで楽しい人物だった。飄々としてつかみ所がなく何を考えているのかよくわからないところがあるが、人の何倍も先のことを見通し考えられる人物。
「へえ……兵隊さんに、そんな人いたんですね。堅苦しくて怖い人ばっかりだって思ってました。……実は大尉さんもミュラーさんも最初ちょっと怖かったです」
「軍人が腰が低くても気持ち悪いだろうから、君の感覚は間違っていないよ。そして、その人はまだいる。というか、君も知っている」
「え? 誰だろ……兵隊さんに、そんなに知り合いいないし」
 頭を抱えてうなる。
「ダメです。降参です」
「君ほどの人間がわからないとは。准将殿だ」
「准将……って……エステルお姉ちゃんのお父さん?」
「私の剣の師匠でもある」
「えええっ!」
「だから声が大きいと……」
「だってだって」
「憧れだ、憧れ。当然、その当時には奥さんがいたし、エステル君だって生まれていたよ。……もう少し声を落としてくれないか? ……気恥ずかしい」
 そっと付け加えられた言葉にティータは立ち上がる。
「じゃ、上行きましょ! まだまだ聞きたいです、ユリア大尉さんのお話!」
「なんとまあ……」
 と、ユリアの腕を引っ張り二階へ連れて行く。ティータの部屋で質問攻めに答えていると船をこぎ始めた。寝台に寝かしつけていると寝言だ。
「ん……お姉ちゃん……一緒に……」
「エステル君の夢でもみているか?」
 不意に、クローゼが昔お姉ちゃんと呼んでくれていたことを思い出す。
「この子にも、人をひきつける力があるな。殿下や、エステル君がもっているものと同じだ。……本当なら、そういう人間が隊を率いるべきなのだろうが……自分も修行しなければ」
「……ユリアおねえちゃん……一緒に、寝よ?」
「ティータ君? 寝ぼけているな」
「いっしょ……」
 薄く目を開けてユリアを眺めている。落ちてきそうな瞼と戦って、袖口を掴む手に力を込めた。
「ああ。わかったよ」
 大人顔負けの技術で中央工房勤めをするもやはり父母が恋しいのだろう。ラッセルが工房に詰め、彼女がここで独り眠ることも多いに違いない。
「それにしても、お姉ちゃん、か……懐かしい」
「あっ……ごめん……なさい、たいい、さん……」
「気にするな。隣にいるから、安心して眠れ」
「うん……」
 呟き、そのまま寝息を立て始めた。柔らかい笑みすらたたえてティータは眠っていた。起こさないように導力灯を消し、ティータの横にそっと横になるのだった。

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