まだ明けきらない朝、寝台からユリアは降りる。自分が眠るはずだった部屋へ入り剣を手にとった。
「雨は、止んでいるか」
 外の様子を確かめ玄関を出る。剣を鞘のまま構えた。
「ひゅうっ!」
 架空の敵を想定し虚空を薙ぐ。しばらくそうやって剣を振っていたが、玄関の方から声が聞こえた。
「相手はいらないか?」
「……おはようございます」
「おはよう」
 ミュラーが肩を回しながら立っていた。
「そう……ですね。達人にお相手願える良き機会だ」
「ご謙遜を。貴女も十分達人だ」
「まだ体はきちんと動いてくれないのですよ。……三合だけ、頼めますか」
「それだけでいいのか?」
「今はなんとか止んでいるようですが、いつ降ってもおかしくない。それに、ティータ君が目覚めた時、そばにいなければ不安に思うでしょう」
「結局、一緒に寝たか」
「彼女にせがまれて断れる人はそうそういませんよ」
「否定はしない」
 剣を抜き、ユリアと相対する。ユリアも鞘を取る。
「では、お願いします」
「俺は寝起きで動きが鈍い。お手柔らかにな」
「善処します」
 互いの視線が絡み合い、空気が変わる。
 たったの三合。が、それで決着がつくときもある。現在の自分とミュラーの技量の差は十分承知しており、ギリギリで渡り合えるのが三合と見て取っていた。
 男の黒剣が瞬きをするよりも早く目の前までたどり着いていた。身を沈めそれをかわし、後ろへ回り込もうとする。けれどそれが許されることはなく、切っ先は女の目の前から離れない。小石を踏み僅かにバランスが崩れ、仕方なく自分の剣で男を受け止めた。これで一合。
 疾い。
 どこが寝起きなのだと思えど、それが絶対的な技量の差なのだろうと思う。受け流しながら足払いを仕掛け、剣を持っていない片手で体重を支えて剣の下から離脱。このままではミュラーの得意な間合に捉えられてしまう。
 それなりに距離を離して改めて構える。足の調子を確かめる。悪くはない。相手に向かって駆け出す。それに応じ、ミュラーも構えて駆けた。男の間合に入る直前に身を沈め、一瞬戸惑ったその肩に手を置き体を持ち上げる。次いで背中を踏み宙に舞う。落ちる威力でもって剣を振り下ろしたところ、相手が受け流す。これで二合。
 三度、間合を計りながら互いに構える。と、気の流れが変わった。上手く言葉にはできないが、自分の感覚が麻痺しているようだ。
「!」
 なす術もなく引き寄せられる。このままでは格好の獲物だ。自らの腕を切り、その痛みで自分の五感を取り戻した。が、そのときには目の前に男が迫っており、まさに振り下ろされようとしているところだ。今だはっきりとは戻らない感覚で必死に剣を振り上げ、それを受け止めた。
「……」
「……」
 一呼吸置いて離れる。男の背中にできた自分の足跡を見て慌てて払う。
「すいません、汚してしまって」
「構わない。だが、軽業でも食べていけるのでは?」
「まさか。もう一度やれと言われても無理ですよ。……やはり私ごときでは足元にも及ばないようだ。さすがです」
「ただの手合わせで俺を本気にさせたのは貴女が初めてだ。本気にならなければこちらが落ちる」
「嘘でもそう仰っていただけるとは、うれしいものです」
「嘘など言うか」
 少し口を尖らせる。
「もっと貴女は自信をもっていいのだ。何故そう卑下する?」
「いろいろ……負い目があるんですよ」
 哀しそうな笑みを浮かべる。
「そんなことより、あれは一体なんだったのでしょうか? 突然体が上手く動かなくなったのですが」
「合気遠当ての応用だ。遠当てはその気になれば巨体の男であろうと気絶させることができる。が、さすがに訓練をつんでいる貴女を気絶させるのは難しいだろうから、瞬間催眠に切り替えた。……遠当てを使わせるような相手もまず滅多にいない」
「遠当てですか……噂には。遊撃士の……クルツ殿やジン殿も扱えると聞いた覚えがあります」
「まさか、これも習ってみようと?」
「いけませんか?」
 不思議そうな顔でミュラーを見る。
「いや……と、降ってきたな」
「ですね。では戻りましょう。いい手合わせを、ありがとうございます」
「こちらこそ」
 家に入り、剣を置いてユリアは二階へあがる。ティータはまだ眠っており、時折何事かを呟いている。知らず頬が緩むのだった。

「おはよーございます! グスタフ整備長!」
 中央工房の一階でしかめっ面をして同僚と何事かを話している男にティータは声をかけた。
「おう、ティータ坊か。おはようさん。で……珍しい、大尉がなんでこんなとこに」
「休暇だ。その、大尉はやめてくれんか」
「そうか、すまねぇな。ところでウォルフガングのバカヤロウは元気か?」
「ああ。彼のおかげでまたアルセイユは空を自由に舞えている」
「ケッ。出世しやがってよ。時々は顔を出せと、喧嘩仲間が愚痴ってたとでも言ってくれねぇか?」
「心得た」
 話しているところへティータの驚きの声が飛び込んできた。
「何事だ?」
「ああ、エア=レッテンの水門が動かなくなっちまってな。あそこもいい加減古いから、そろそろメンテに行ってやらなきゃならねぇとは思ってたんだ。が、先にガタが来ちまいそうだ」
 とりあえず応急処置でも行わなければいけないが、工房の人間は急ぎの用事を抱えている。どうしたものかと思案していたところだった。
「わたしが?」
「あそこの機構は古い。だから比較的単純だ。応急でいい。頼めないか?」
「はーい、わかりました」
 工房員は少女に工具を渡す。一同と離れて立っているミュラーにユリアは視線を送る。頷いたのを見、ティータへ声をかけた。
「ティータ君。私も同行しよう」
「いいんですか?……でも」
「どうせ行き先は同じなのだ。それにこの後すぐに発つつもりだから、途中で会うだろう。それぐらいなら最初から一緒に行こう」
 片目を閉じてミュラーを指し、そっとオーケーのサインをだす。その意味がわかったティータは深深と礼をした。
「あ、じゃあちょっとだけ待っててください。導力砲取ってきます!」
 飛び出してそれほど間を空けずに導力砲を抱えて戻ってきた。
「ティータ坊、あそこは古いから気ぃつけろよ。あと途中の地下水脈、水量上がってるだろうからな」
「わかった、整備長さん! いってきまーす!」
 手を振り地下へ。ティータを待つ間にミュラーは先に隧道へ入っていた。しばらく歩いて、掲げられていた標識の前で落ち合う。
「すいません、お待たせして」
「ごめんなさい。邪魔する気なんかないんですけど……」
「構わない。いってみれば、元々俺がユリア殿の休暇の邪魔をしているようなものだ」
「そんなことは」
 笑いかけ、何かをいおうとしたユリアを制す。
「俺はここは初めてなのだが、案外に明るいものなのだな」
「そりゃあもう。わたしが精魂込めてメンテナンスしてるんです、ここの照明」
 工房の一番新米が隧道の照明メンテナンス係になるのだと説明をうける。
「明日か明後日くらいにまた今月の見回りだったんですが、ついでなので見て回ろうと思ってますけど……いいですか?」
「構わないよ。道行く人の安全を守る為だ。存分にやってくれ」
「ありがとうございます。……あれ?」
 ユリアの腕を見る。服が汚れているようだ。
「ユリア大尉さん。腕のところ……汚れてますよ」
「ん?」
 いわれて明かりの下で見れば確かに汚れている。
「血が出てきたようだ。応急処置はしたのだが」
「血? 怪我したんですか? うちに何かヘンな物あったっけ……」
 よくよく考えれば妙なものは数多くある。ティータは渋面になった。
「いや、これは自業自得だ。朝の練武の時にちょっと」
「朝? でも、わたしが起きた時、横にいてくれてたのに」
「君がまだまどろんでいる隙に。雨が降ってきたのもあるので、早めに切り上げたが」
「そうだったんですか。あ、それ大丈夫ですか? 包帯もってますよ」
「大丈夫だ。これでも軍人の端くれ、応急セットは持参している」
 と、袖をまくり、歩きながら器用に消毒をして包帯を換える。魔獣も少しは出たが、先を歩くミュラーが露払いをしてくれていた。
「……大尉さん、柔らかいんですね、体。夜中にちょっとだけ目を覚ましたんですけど、もともと小さいベッドなのに落ちないでわたしと一緒に寝てくれてたもん」
「そ、そうか?」
「エステルお姉ちゃんと一緒に寝たことあるんですけど、お姉ちゃん、よくベッドから落ちてました」
 くすくすと笑いながら、床の上で寝ぼけているエステルを思い出す。ほほえましいその様子を想像しユリアも笑う。
「それにしても、夕べはほんとにごめんなさい。いつもの癖でおねえちゃん、なんて呼んじゃって」
「夕べも言ったよ。気にしていないと。私をお姉ちゃんと呼ぶ人間は今ではもういないから、新鮮だった」
「クローゼお姉ちゃん、ですか?」
 頷き、相変わらず寡黙に前を歩く男の背中をみる。と、振り返ったので内心驚く。
「ティータ君、あの照明、ちらついているようだ」
「本当だ! ちょっと直します!」
 走り出し、ちらつく照明の下でなにやら作業をはじめた。その様子を少しはなれて見守る。
「器用なものだ。私にはさっぱりわからない」
「安心してくれ。俺にもわからん。それにしてもユリアお姉ちゃん、か。オリビエが聞いたらうらやましがるだろうよ」
 時々明るくなるその場所で、当然のように隣に立つ男。手当てをした腕をとる。
「思ったより深く切ったか。すまないことをした」
「これぐらい日常ですよ。自業自得ですし。あのときの傷とは違ってすぐに消えます」
「……カシウス・ブライトならこんな無駄な怪我などさせぬよう、相手をしただろうか」
「ミュラー殿?」
「俺は、あの人ほど先を見通せるわけでもなし、何もかもに通じているわけでもない」
「まさか。夕べのティータ君との会話を聞かれてしまってましたか」
「あれだけ騒げば聞こえるぞ」
「やはり……気にはしたんですが」
 薄暗くて判別がつきにくいが照れ隠しにお互い顔を顰めているようだ。
「というか、もう何年も前の話です。もちろん今でも尊敬している方ですが、それと貴方への感情は全く違いますよ」
「そうか?」
「ええ」
 頷いたユリアの頬を包む。周りには作業をするティータのみ。一応気配を探ってから、そっと口付けた。こんなところで、と視線で文句をいおうとするがあきらめた。ふと、彼をこんな風に駆り立てたのは自分の責任だと思い至ったからだ。
「終わり! ごめんなさい、待たせてしまって」
 振り向いたティータは、なにやら妙な空気が流れている二人の様子を見て首をかしげるのだった。




Ende

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 あなたと旅を〜、ってなわけでツァイス篇。好奇心旺盛なティータんが可愛いわ。慣れた人にはすごく懐きそうなので、そのイメージで突っ走ったら物怖じせずユリアさんに尋問はじめちゃいました(笑)。律儀に答えるユリアさんもユリアさんだな。アレだ、少佐聞き耳立ててないよな(爆)。
 たまには達人っぽいところも書いてみたいわけでがんばったつもり。背を蹴って跳ぶユリアさんはきっとアデールのイメージが被ってる(註:アデール-愛読してる漫画の主人公)。ひとんちの軒先で命の取り合いしないでくださいお二人さん。

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