普段はそれほど人気のない道なのだが、今日は珍しく騒がしい。
「畜生、テメェの動き、軍隊崩れだな!?」
 折れた歯を拾い集めながら男が叫んだ。自棄になって飛び掛ってきた仲間の顔面に拳を入れる。
「失敬な。現役だ」
 どこの国にもこういう手合いはいる。主街道からはずれればリベールとは言えどこんなものか。ミュラーは僅かに意外に思いながらまた飛び掛る男に蹴りを叩き込む。
「て、テメェがそうでも女の方は!」
 幅広のナイフを構えて様子を見ていたユリアに後ろから忍び寄る。その気配に気がつかない女ではない。ふわりと避け、次いで手首をたたき上げる。ナイフが宙に舞う。
「……リンデンバウム工廠製か。いいものを使っている」
 男の手にナイフが落ちる前にユリアがそれを取り眺めた。
「!」
「わかっているな? 私が貴様に一突きし、ひねればそこで貴様は終わりだ。声もなく逝くだろう」
 無表情に告げる。賊はその場にへたり込んでしまった。
「な、なんなんだよテメェら! チキショウ、帯剣なんて威嚇でしかないヤツばっかりだと思ってたのに!」
「自分の物差しで他人を計るな。……どうする?」
「そうですね……。とりあえず縛っておきましょう。そのうち、仲間がどうにかするでしょう」
「捕まえなくていいのか?」
「そうしたいのは山々ですが。うちの牢も無限ではない」
 肩をすくめながら応えた。こんな小物を入れておけるほどリベールの牢は多くない。
「それにしても、街道から外れてすぐにこれとは……。ここは確か普通の生活道のはずだが、相当荒れているようだ……」
 うめく男達数人を見やって溜め息をつく。
「ツァイス駐屯所に報告だけでもして、もう少し気にかけるようにした方がいいのか……」
 呟きながら手帳に書き付けている。
「まあ、おいおい考えるか」
 ユリアが手帳をしまう頃、ミュラーは道の邪魔にならないところに男達を固めて縛り終わった。
「貴女の意外な姿を見た」
「え?」
「それだ」
 ユリアがもったままのナイフを取る。
「あのような脅しもできるか」
「……常に剣を身近に置けるとは限らないので、女性兵には小さな武器をつかった護身術を身につける義務があります。人に使用したことはほとんどないですが」
 歩き出しながら続ける。
「それにしても貴方が驚かれるほどですか」
「驚いたというか、意外、だ。底がしれない」
「その言葉はそっくりお返しいたしますよ」
 一拍置いて笑った。
 セントハイムを抜けツァイス地方へ入っていた。リッター街道ではなくもう少し南を行く道を踏む。手続きをする兵に散々やめておいたほうがいいと言われ、護衛をとまで言われたがなんとか断った。
 そして、街道を外れて物の数分もしないうちに妙な輩に囲まれたのだ。
「あの程度では肩鳴らしにもならない」
「確かに」
 少し憤慨した口調で呟く女に苦笑した。

「あーっ!!」
 あと少しで夕方になる、そんな時間にツァイス市に入った。宿をとらなければ、とホテルへ向かおうとしたところ、驚きの声が聞こえてきた。しまった、顔を知った人間がいたか、とあたりを見回すも、全く回りの空気は変わらない。
「?」
 怪訝に思って見回しているとミュラーが指差した。
「……ああ」
 中央工房の作業着を身に付けた少女。自然に表情が緩む。
「ティータ君か」
「こんにちわーっ!!」
 道の端から全速力でかけてくる少女に手を振る。二人の元へたどり着いたティータは息を整える為深呼吸をした。
「どうしたんですか? お二人で……デートですか?」
「ぷっ。君も言うようになったな。私は休暇だ」
 ティータに視線を合わせるため少しかがんだ。ティータはミュラーとユリアのことを知る数少ない人間だ。そして、その関係はしかるべき時でなければ言えないということも。
「俺は……まあ、想像してくれ」
「ええと……あはは」
 呟くミュラーにどう反応していいのか分からないティータ。
「休暇、ってことは、どこかへ行く途中ですか?」
「エア=レッテンまで」
「……今からだと真夜中になっちゃいますね」
「だから今日はツァイスに投宿だ。部屋はまだ取っていないが」
「あっ、ごめんなさい、呼び止めちゃって! ユリア大……さんたちみつけたら、なんだかうれしくなっちゃって……わたし、知ってる人見つけると声かけたくなっちゃうんです」
 階級もつけて呼ぼうとしたティータに、ユリアは口に指を当てて言わないようジェスチャーを送る。
「でも、今、あちこちからオーブメントの買い付けとか言って、商人さんが溢れかえっているんです。もしかしたら宿、取れないかも……」
「この季節にか?シーズンは外しているはずだが……とりあえずホテルに行ってみる事にするよ」
 ホテルへ向かい、フロントで話を聞く。その様子を離れてミュラーとティータが見ている。何か言い合っているようだ。
「君は、中央工房に?」
「えっ、あっ、はい。まだ見習いです」
 突然ミュラーに話し掛けられて少し驚く。ティータには寡黙というイメージが強い。オリビエと何度か掛け合いをしている姿は見たがあまり接点はなかった。
「アルセイユ内での様子をみれば、見習とは決して思えないが」
「そんなことないです。アルセイユの機関に触れたときなんか、もう何がなんだかわかんないくらいうれしくて。他の人たちの邪魔ばっかりでした」
 舌をだして頭を掻いた。
「俺は十分素質ありだと思うよ」
 そっと笑い、少女の頭を軽くなでた。一瞬頓狂な表情をしたが大きな手がここちよい。
「……アガットさんの手みたい」
 いつかの夜に頭をなでてくれたことを思い出した。ミュラーは眉を上げ手を下ろす。
「ティータ君、君の言ったとおりだった。部屋はいっぱいだそうだ」
「やっぱり」
 困ったと呟きながらユリアが戻ってきた。ティータも不安になる。
「そうだ! うちに泊まってください!」
「何?」
「お父さんとお母さんはまた新しい地域に赴任して行ったし、おじいちゃん、今度は工房に缶詰だし。わたししかいないんです。部屋は空いてますよ」
「いや、我々は野宿でもかまわん」
「ダメです。最近商人さんがいっぱいいる、って言ったじゃないですか。その人たちを狙う野盗、すっごく多くなってるんです。兵隊さんたちにも巡回してもらってるんですけど、それでも手がいっぱいで」
「……」
「……」
 大人二人は顔を見合わせる。まだ報告には行っていないが、行かなくて良かったと思った。
「とてもじゃないけど、野宿なんかダメです。そりゃ、お二人がすっごく強いのは知ってますけど」
 口を尖らせながら言い募る少女に気おされ気味な二人。そこへ雨が降りかかる。
「なんとまあ」
「ほら! とりあえず雨宿りだけでもうちでしてください! こっちです!」
 ついてこないと怒ります。そんな背中を見せながらティータは家路についた。肩をすくめつつ後を追う。少し町の中心から外れたところにその家はあった。
「いけない! 窓開けっ放しだった!」
 ドタドタと二階に上がる。上階で駆け回る音が聞こえ、そのままの勢いでタオルを抱えて階段を滑り降りてきた。
「どうぞ。使ってください」
「すまないな。ありがとう」
 ユリアが受け取りミュラーに手渡す。雨脚は強く屋根を打ち付けている。窓から外をみれば、つい先ほどの彼らと同じように往来の人間は走っていた。
「こちらは……研究室か?」
 ミュラーが開いていた戸の奥を見やった。
「さすがラッセル宅だ。自宅に研究室があるとは」
「見苦しくてごめんなさい。どうしてもここは片付けが後回しになっちゃうんです。おじいちゃんもわたしも気をつけてはいるんですけど」
「気にしない。しかし……本当にいいのか? 俺を勝手に家にいれたりなどして。ユリア殿ならともかく」
「それこそ気にしないでくださいよー。あ、こっちがお父さんとお母さんの部屋なんです。で、そこがおじいちゃんの部屋。掃除はしてますから、好きなところ使ってくださいね」
 満面の笑み。つられてユリアが微笑んでいた。
「そう……だな。では、使わせてもらおうか。雨も少々では止みそうにない」
「はい!何か苦手な食べ物、ありますか? 適当に有り合わせでごめんなさいなんですけど」
「私は特にない。ミュラー殿は?」
「俺も特には」
「じゃ、もう少ししたら作りますね」
「手伝おう」
「大丈夫です!」
 胸をはる様子がまだアンバランスな雰囲気。ユリアは目線をティータの位置まで下ろし、笑いながら頭をなでた。人懐っこい猫のように満足そうな少女。
「あ、呼ぶまでお好きにしててください。……王都から、歩いてきたんですよね?」
 頷くと、しっかり休んでくれと言い残して台所へ消えた。
「さて。どちらを使わせてもらいます?」
 しゃがんだまま、顔だけ上げてミュラーを伺う。
「どちらでも構わんのだが、決めないと貴女が休めないだろうな。なら、博士の部屋を借りるとしよう」
「では私はこちらの部屋で。それではまた後で」
 玄関に置いてあった荷物を手に両親の部屋へ。自分の部屋に勝る本の数。技術者の家とはこういうものかと感心する。一冊手にとるが、門外漢も甚だしい為全く内容がわからない。
 一方のラッセルの部屋は意外なほどすっきりしていた。何かが書き付けられた紙の束が端に置かれている程度で、ミュラーが想像していたような怪しげな道具や機械の一部などはなかった。
「意外だ。……本当にあの博士の部屋なのか」
 本気の設計などは反対側の研究室や工房で行っているのだろうか。小さな椅子に腰をおろしながらリベールの頭脳の部屋は意外に質素だと、妙な感想を持った。
「…………明日はどうするのだろう」
 ツァイスまで行き当たりばったりにやってきたといっても過言ではない。おそらく明日もそのような感じなのだろうが、少しくらいは決めておいたほうがいいのではないかと思う。部屋を出、ユリアのいる部屋へ。
「入っても構わんか?」
「どうぞ」
 ちょうど本を手に目を白黒させていた。あきらめたとばかりにテーブルへ本を置き男に目を向けた。


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