受け取った書簡をみると、技術指導の件とは別に一通手紙が入っていることに気が付いた。
「おやおや、封蝋はきちんとされていたようだけど……」
 手にとり、裏をかえすとクローゼの署名があった。
「?」
 怪訝な顔をしてオリビエは封を切る。
『オリビエさんへ

 本来ならこのように記すのはいけないことなのでしょうけれど、やはりこちらの方がしっくりくるので、オリビエさんと記すことをお許しください』
 どうやらクローゼは、オリビエをどう呼ぶか迷っているようだ。
「別に構わないのに」
 生真面目な隣国の次期女王を思い出す。
『早速ですが、かねてから打診があったように、こちらの使者はユリアさんに決定いたしまして、この書面もユリアさんからわたったかと思います。後は大変恐縮ですが、そちらの方でよろしくお願いいたします。頑固で素直じゃないところがあるのでご迷惑かと思いますが、どうかよろしくお願いいたします。後、一週間くらいなら滞在しても構わないので、ユリアさんが聞いてきた場合はそのようにお伝えください』
「ほら、ユリア君。思ったとおりだ」
 クローゼに聞かなければ、と言っていたユリアを思い出す。
「さて、ある意味国を建て直すより厄介な問題だな。どうしたものか」
 部屋の中を歩き、ふと思い出した。宮廷晩餐会が今晩行われることを。にんまりと笑うと、嬉々として部屋を飛び出していった。

「おーいミュラー、ちょっといいかい?」
「何事だ」
 練武場で部下の手合わせの立会いをするミュラーにスキップしながら寄っていくオリビエ。心底嫌な顔をして、それ以上寄るなとばかりに手をあげるミュラー。部下たちは、少し休めると一息ついた。
 大体、今日は模擬試合日ではないはずだ。だが、ミュラーが突然練武場に現れ、言うなりに模擬試合が行われることになった。
「キミの好きな色。なんだい?」
「…………」
 唐突なことを唐突に言い出す男ではあったが、今日は群を抜いて唐突だと感じた。内容はそうでもないが、どうにも気味が悪い。
「……白だが」
「ようっし了解。ボクがんばっちゃうもんねー」
 来た時と同じようにスキップしながら練武場から去っていく。
「一体何事だ……」
 何故か悪寒を感じるのだった。
 一方オリビエは侍従長に命じて城内からありったけの白いドレスを集めさせていた。執務室はさながら白い海だ。
「うーん、迷うなぁ。ねぇフライハイト侍従長、彼女にはどんなものが似合うかなぁ」
「そうですね。すらりとした方ですから、あまり広がらないドレスがよろしいのではないでしょうか。体のラインを生かす方向で」
 部屋まで案内をしたユリアのことを思い出しながらフライハイトは言葉をつなぐ。
「宝石や刺繍などで着飾ったものよりは、シンプルな形の方がお似合いになるかと思います」
「ふむふむ、さすが侍従長、頼りになるね。じゃあそれにミュラーの好みを付け加えてくれたまえ」
「ヴァンダール少佐殿ですか」
 年配の侍従長は少し考え、無造作に選んでいく。
「あの方はあまり肌を露にするものはお好みにならないようですし、こういったところでしょう」
「ふんふん。しかしミュラーもおかたいことで」
「それがあの方の良いところかと。殿下も見習って欲しいものです」
「おやおや、ボクはボクの良いところがあるのでは?」
「ええ。けれど、少々目に余る時がございますからね」
 ぴしゃりといわれ、まいったなぁと頭を掻くオリビエ。
「それにしても、一体どういうことですか?」
「うん」
「うん、ではわかりません」
「いやあ、わが友にも春がくるかもしれない、ということだよ。あ、このことは内密に。なにせ相手が相手だからね」
「まあ。それでは以前お話をされていた方というのが」
「ユリア君だ。しかしミュラーも罪な男だ。あんなに不安そうな女性の顔はみたことがない」
 空港で出会ったときも、謁見中も。どこか不安そうな表情をしていた。それを笑顔に変えたいが、自分では無理だということは承知している。
「少佐殿のほうは?」
「自覚してないけれどあれは脈有りだね。だから今日はボクのそばにいないんだ」
 いわれて、確かに普段であればつかず離れずでそばにいるはずの人間がいないことに気づく。聞けば、リベールからの使者がユリアとわかった途端、用事があると言ってどこかへ行ってしまったのだとか。
「あらあら……」
 フライハイトはミュラーの意外な一面を見たと笑う。
「では殿下、このドレスをシュバルツ様の部屋へ運ぶよう指示しておきます」
「頼んだよ」

 渋面でミュラーは立っていた。晩餐会などに参加する気は全くなかったのだが、オリビエが「参加をしないと生涯付きまとう」と言い出したので仕方なく出席することになった。それも、普段の軍装ならともかく、何がどうあっても礼服で来いと散々わめかれたので、こうして慣れない礼服をきてここにいる。
「……」
 ちょうどホールの反対側に立つ女性に目が行く。白い清楚なドレス姿のユリアだ。所在なさげにあちこちを見回していたが、やがてテラスへ出て行ってしまった。
 そこへオリビエがやってくる。
「なんだいミュラー。不機嫌そうな顔をして。キミの好みの女性は見つかったかな。キミは少々愛想がないが、なかなかいい線をいっていると思うのだよ。もう少し愛想よくすれば」
「それが言いたくて俺をこんなところに呼びつけたのか?」
「いやいや」
 帯剣していれば突きつけられただろう。そんな気配がするがいつものことなのであまり気にならなかった。
「ところで、今日のゲストはどこへ行ったのだろう?」
「ゲスト?」
「ユリア君さ。彼女にもせっかくだから参加をしてもらうことになったのだ」
 いいつつきょろきょろと辺りを見回す。
「……テラスだ。先ほど出て行った」
「ほう。今晩はいい月夜だ。ではボクたちも月光浴と洒落込もうではないか」
「まて、俺は」
「いいからいいから」
 背中を押され、仕方なくテラスの戸を開ける。手すり際に白い姿。心なしか震えているような。
「……おや」
「……」
 近づくと、声もなく涙を流しているのがわかった。そっとオリビエが声をかけると、驚いたとばかりに彼を見ている。ハンカチを探しているが見つからないようなので、ミュラーはそっと自分のハンカチを差し出した。それをとると慌てて拭いているが、どうもすぐに収まりそうにない涙だ。
「なんでもない、というほど軽い涙でもなさそうだが……本当に大丈夫か?」
 なぜこの人は泣くのだろう。理由はわからないが、胸のどこかが痛んだ。
「……ミュラー殿まで……」
 ようやく彼のことに気がついたとばかりに顔を向ける。目は赤く、まだ涙は流れつづけている。
「す、すいません。みっともないところを……」
「いやいや、ユリア君のそんな可憐な姿をみることができるだなんて。呼び出してよかった。なぁ、ミュラー」
「馬鹿者」
 このお調子者は一体何を言い出すのだ。こんなところで一人泣くなど、よっぽどのことがあるだろうに。
 渋面で叱るが当然のように聞いていないようだ。オリビエはその後すぐにホールへ戻っていったが、自分は戻る気になれなかった。あまり喧騒は好きではない。それに、謝らなければならないことがある。
「私のことは構わないので、オリビエ殿のお傍にどうぞ」
「構わない。奴も子どもではないだろう」
「……許婚の方が、お怒りになりますよ?」
 許婚?意外な単語が出てきたことに驚き、ホールの女性たちがなにか話していたのを伝え聞きしたのだろうと検討をつける。急に心が落ち着かなくなった。
「リカルダ殿は、兄の許婚だ」
 言いながら、自分には誰もいないということを暗に込めていることに気が付いた。何故こんな言い方をするのだろう。慌てて話題を変え、本来伝えたかったことを言う。
「本……いつも感謝している」
 ユリアからエレボニア皇城宛に届く剣舞の本。ミュラーの住所を知らない為だろう。本と、近況をつづった簡単な手紙しかないが、その簡単さが好ましかった。いつかは礼の手紙を出そうとも、便箋を前にすると何も思い浮かばない。城内の誰かに頼めば代筆もしてもらえようが、どうしてもそれはしたくなかった。ただただ、自分の無骨さを呪うばかりだ。
 ある日、オリビエが、あまり間をおかずにミュラー宛の郵便がきていることを尋ねてきた。ユリアからのものだと答えると、返事を出したのかと聞いてくる。なかなか出せていないと仕方なく答えると、オリビエの怒る事怒る事。普段ほとんど本心を表さない人間だが、一旦切れるととんでもないことになるのだ。結局その日は見張られつつ夜半まで手紙の文面を考える羽目になったが、それでも何もかけなかったのだ。
「それは災難でしたね」
 いつもと立場が逆ですね、そういう風に目が笑っている。
「全くだ。だが、奴がいうことももっともだ。罪滅ぼしというわけでもないが……貴女の望むことをしようと思う。まあ、あまり無茶な願いは無理だが……」
 自分でも意外な台詞に驚くが、少しでも喜んでもらえるならと思う。
「そうですね、しばらく、ここに、いてもらえますか?」
「それでいいのか?別に構わないが」
「今だけ、今だけでいいです。……何をしても、驚かないでください」
 そう言ったあともしばらく何もするわけでもなく、二人並んで月を見ていた。やがてユリアが思い出したようにミュラーの手を取り、組む。少しばかり動揺するが、ほんの僅かに震えている女をみるとそれも散る。
「……寒いのならば中に入るか?」
 そういう意味の震えではないことはわかっていたが、とりあえず聞いてみる。案の定、頭が横に振られた。つけていた鳥の羽根の髪飾りが落ちるが、ユリアは拾おうとしない。ミュラーの腕に頭を預け、ぼんやりと月を見ている。
「……」
 ユリアの体温が伝わる。ふと、腕だけではなく、もっと全身で彼女の熱を感じたいと思っていることに気が付く。頭を振り、うかんだビジョンを振り払う。体が動き、初めて気がついたというようにユリアが離れた。
 寂しい。
 それまで暖かかった腕は、夜風にさらされより寒さを感じる。だから、何かをいうユリアを無視し、半ば無意識に抱き寄せていた。お互いの顔が見えるのは気恥ずかしいので、ユリアに背中を預けてもらうようにする。
 ユリアは驚いている。彼自身も驚いている。そうと悟られないように顔を上げ、月をにらみつける。
「ミュラー殿」
 ユリアの声が聞こえた。自分の行動を非難するのだろうか。恋人でもない男に抱き寄せられるというのは、女性にとってかなり辛いだろう。だがどうしようもなかった。
「お慕い、申し上げております」
 続いたユリアの言葉が一瞬理解できなかった。先ほどから、今だけ、と繰り返してきたユリアだ。その言葉も、今だけなのではないか。
「それは……先ほどの、約束どおり、今だけ、なのですか?」
 だから、聞いてみたくなった。知らず、言葉が固くなる。いつも軍務についている時の緊張感。
 はっと顔をこちらに向けた気配がした。だが、怖くてユリアの顔を直視できない、情けない自分がいる。
「いいえ、いいえ。……違います……ずっと」
 そこまで聞いて、体が勝手に動いた。何も言うことは出来ない。言う言葉を見つけられない。そういう時は、とりあえず行動にでる。だからユリアを強く抱きしめ、何か言うのも耳に入らず、結局晩餐会が終わるまでそのままだった。

 何か改めて言われるようなこともなく晩餐会会場を後にし、ユリアは部屋まで戻ってきていた。時間がたつに連れ、あれは一体なんだったんだろうと考えるが、抱きしめられた熱は体に残っているし、グラスでおさえられて痕になっているので、やはり事実だったのだろうと思う。
「……ううむ」
 ドレスを脱ぎ、夜着に着替えて寝台に横になるが、どうにも落ち着かない。自分が今いる場所と、先ほどあったことと、自分の行動で頭が熱くなりすぎている。テーブルの上に置かれていた水差しからグラスに水を注ぎ、そっと窓を開けた。
 ほてった体に気持ちの良い風。しばらく風を感じていると、下のほうからぼそぼそと声が聞こえてきた。
(……夕刻……厨房……)
「……厨房?」
 もう聞こえない。本当に声だったのか。今日みたいな日はまだ城内はざわついているし、たまたま庭でコックが独り言を呟いたのかもしれない。ただ、今のユリアは見張りにたっているときのようにしっかりした判断能力を持っていない。会場で何杯かカクテルを飲んだし、テラスでの出来事が印象強く、意識の大半はそちらに向かっている。気のせいだろうと思うが。
「……」
 オリビエと宰相の間は非常に良くない。なにやら嫌な予感がする。ここのところ特にその間の緊張感は高まっているという。実際に見て、兵や給仕たちも基本的にどちらかの派閥に属しているようだ。城の中で真っ二つに分かれ、どちらの派閥に属そうとも居心地は悪いだろう。
「剣を取ることはいとわないが」
 あくまで他国の問題だ。どちらに味方をすればいいのだろう。むしろ、さっさと帰国してしまえばよいが、先ほどのミュラーの不可解な行動の意図を聞くまでは、と思ってしまう。
「やれやれ、どうしたことだろうな」
 手に持っていたグラスを傾け、水をあおった。

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