「リベール王国親衛隊中隊長、ユリア・シュバルツ! 参る!」
 凛とした声が聞こえ、直後に反乱分子が前のめりに倒れる。その後ろには剣を振り下ろしたユリアが立っていた。
「ユリア殿!?」
 思わぬ人間の登場に、ミュラーは目を見開く。
「自分も戦います。ミュラー・ヴァンタール少佐、どうか、貴殿の兵の末席に自分も加えてください」
「いや、それは……」
「貴殿は以前、わが国の危機に力を貸してくれました。今度は自分の番です。共に、戦わせてください」
「……」
 本来ならすぐに脱出させなければいけない、賓客である。だがユリアが頑固なのは、輝く環の事件でよく知っていた。断ってもこの様子では必ずついてくるだろう。それに。
 再び、共に戦いたい。
 男の中に、ふいにそんな欲求が生まれた。
「……心から感謝する。はぐれるな!」
「イエス、サー!」

 ことの起こりは数日前。クローゼに呼び出されたユリアは思わず目を丸くした。
「……使者、ですか?」
「はい。帝国への技術指導の件で」
「しかし、自分は一介の軍人です。他に適任者がいらっしゃるでしょう?」
「他の文官の方々は、未だ国内の混乱収集で大変な時期です。どうしてもそちらへ人員を裂くことができなくて……。それに、ラッセル博士から、ユリアさんが持ち込んだ話と聞きました。その縁もあって……大変申し訳ないのですが、お願いできないでしょうか?」
「で、殿下! 顔をおあげください!」
 いきなり君主に頭を下げられ慌てるユリア。もとより君主の命令は絶対だ。よっぽど理不尽なものでない限り、断ることはできない。ただ、あまりに意外な内容だったので驚きが先に立った。
「かしこまりました殿下、謹んで勅命承ります」
「ありがとうございます。では、出発なのですが、明日朝10時半、帝国行きの便をチャーターしています。書面に関しては、明日直接渡しますので、出発前に私のところへきてください」
「かしこまりました」
 やはりまだ納得できない、といった表情だが敬礼し、準備の為その場を辞した。後に残されたクローゼは少し息を吐く。
「まったく。本当にユリアさんは頑固で……恥ずかしがりなんですね。こうでもしないと、絶対自分からは会いに行こうとしないんですから」
 無骨な帝国軍少佐を思い出す。帰国前にせめて基礎だけでも、と王城の空中庭園で剣舞の練習を行っていた様子をみたことがある。本来なら訓練場で行うはずだが、ユリアがクローゼの護衛から離れられないのと、ミュラーがオリビエと共に帰国する日が迫っているということがあり、妥協した結果が空中庭園だった。
「あんな様子を見せられたら、エステルさんでも気がつきますよ」
 ユリアのあまりの初々しさ。思い出し微笑む。それに、人づてに、剣舞の本を送っているとも聞いた。帝国にはその手の本がほとんどないとのことだが、嫌いな相手にはできない。会いたいだろうのに。帝国は一応だが友好国で、すぐに会いにいけるはずなのにいかない。おそらく理由がなければいけないのだろう。
「さて、と。後一通、お手紙をしたためなければ」
 と、執務室へ戻っていった。

「やあやあ、よくきたねユリア君。歓迎するよ」
 帝都の空港でいきなりオリビエに迎えられあっけに取られた。確かに誰か迎えにくるだろうが、彼がくるとは思わなかった。
「キミは国賓だ。そんな方に、下っ端なんかやれないよ」
 考えていることがわかったのか、オリビエはそんなことを言う。
「あっ……いや、ありがとうございます」
「書簡自身は皇城に戻ってからもらうとするよ」
「かしこまりました」
 言いながら、視線をさっとあたりに走らせる。オリビエがいるなら、と少し期待した自分に気が付き、慌てて頭を振った。その様子を、オリビエは不思議そうに眺めていた。
 謁見は滞りなく終了し、ユリアは王城が心配なので即日戻ろうとしたのだが、歓迎をするのでしばらく滞在しろと熱心に勧められてしまった。クローゼに聞いてみないとわからないといったものの、オリビエはクローゼも少しぐらいなら大目に見てくれると言ってとりあわない。結局強引に押し切られた形でユリアはしばらく滞在をすることになってしまった。
「あのお姫様がそんなことで怒るはずがないよ、ユリア君。ゆるりと滞在してくれたまえ」
 にこにこと笑いながら妙に押しが強いのがこの男である。来賓用の部屋に通され、給仕が下がったところで一人になり、盛大に溜め息を一つ。
「……ううむ」
 剣を手に取り、握り締める。彼女が断ったので護衛はいない。もともとすぐ帰るつもりもあったからだ。オリビエに他意はないだろうが、一人になると不安を感じる。一応友好国とはいえ、そう簡単に割り切れるものでもない。
「ユリア・シュバルツ様、よろしいでしょうか?」
 思い悩んでいるところ、戸の外から声がかかった。何事かとみると、給仕が立っている。
「何でしょうか?」
「殿下から、今晩の晩餐会へ出席していただけないかとのご伝言です」
「晩餐会? いや、自分はそんな礼服など持ってきていないのですが」
「その辺りに関しては取り計らうよう指示がでています。ご出席いただいてよろしいでしょうか?」
「……」
 少し迷ったが、断ったことが国際関係の悪化に繋がりかねない。気はすすまないものの受けることにした。給仕もあきらかにほっとした表情をしている。
「では、また準備に伺いますので、それまでごゆるりとしてください」
「わかりました。ありがとう」
 ゆっくりはできないだろうな、と思いながら戸を閉めた。

 で、慣れない礼服をまとって晩餐会会場にユリアはいた。体にぴたりとつくそのドレスは品のある白。輝く白ではなく、そっとそこにある白とでも言えばいいだろうか。決して目立つわけではないが、地味なわけでもない。また、百日戦役の時代からずっと軍役についているユリアなので当然体に細かいが古傷がある。それを隠す為にと渡されたショールも白。いくつかのなかから選ぶことになったが、基本は総て白であり、ふと、誰かの趣味ではないかと考えた。
「オリビエ殿、か? しかしかの御仁ならもう少し露出度が高いものを選びそうだが」
 晩餐会の主人に目を向ける。周りには美姫が集まっている。彼女たちは胸元を大きく開けた、もう少し派手な色合いの礼服をまとっている。それが彼の趣味とは限らないが、こういう席で主人に取り入ろうとする者達は、その主人の好みを調べ上げるものだ。グランセル城では舞踏会が定期的に行われるが、その際に警備をしていて気が付いたのだった。
 特に何をするでもなく、他に知り合いがいるわけでもない。妙な熱気が室内に篭っており、給仕からカクテルグラスを受け取るとそのままテラスへでた。慣れないヒールと足元にまとわりつく布にひっくり返りそうになったが、なんとか平静を保ち外にでる。
「……」
 グラスを眺め、その向こうの夜の明かりを眺める。ふと、先ほど紹介にあった女性を思い出していた。
 リカルダ・ホーウェンシュタウエン。ヴァンダール家とならぶ名門の令嬢だそうだ。近くの貴婦人たちの噂によると、ヴァンダール家の息子と許婚であり、近々正式に婚姻を行うのだとか。その準備で忙しくなると呟いていたのが印象に残る。豪奢な布地をふんだんにつかったドレス。まだ20歳に満たないらしく、社交界デビューをしたばかりとのこと。美しく、若く、身分も高く。ユリアが会場を出たのは、それ以上彼女を見ていられなくなったからというのもある。みなければいいのだが、視線がどうしても追ってしまう。
「筋違いの感情だな、これは」
 名家とは知っていた。許婚がいるかもしれないな、とも思っていた。それを確認したくないから、エレボニアまで出かけるようなことはしたくなかった。
 ふと涙が伝う。きたくなかった。君主の命に逆らえない自分の身を呪う。エレボニアに来てから一度もミュラーには会っていないが、会わなくても結果が見えているような気がする。
「……エステル君と変わらないな、これでは」
 恋を自覚し、恋を探して、見事その絆で取り戻した遊撃士の少女を思い出す。翻って、自分には絆などないことに思い至り頭を振った。
「いや……彼女以下か」
 口に出してしまい、より辛さにさいなまれる。手すりにうつぶせるように寄りかかり、そっと涙をこぼした。ちょうどその時テラスに出てきた人間がいるのだが、ユリアは全く気が付かなかった。だから、声をかけられたときには素っ頓狂な顔で、流れる涙も拭かずそちらを見上げた。
「……オリビエ殿」
「とっとっと。つまらないのかな、と思って様子を見に来たのだが、泣くほどつまらなかったのかい……?」
「いえ、これはなんでもありません」
 慌ててハンカチを探すが、どこかに落としたのか見当たらない。すると、脇からハンカチが差し出された。顔を拭くことに気をとられて差し出した人物のことに気が回らない。どうせオリビエだろうと思っていたのだが。
「なんでもない、というほど軽い涙でもなさそうだが……本当に大丈夫か?」
 短い黒髪に緑の瞳が、心配そうにユリアを見ている。見慣れていた軍装ではなく、社交界の正装姿。瞬間、息が止まる。頭がかっと熱くなった。
「……ミュラー殿まで……」
 辛うじて声を絞り出し、先ほどのハンカチの出所に思い至る。
「あっ、もしかしてこれ」
「しばらく持っているといい。まだ、止まりそうになさそうだ」
 言われてボロボロと泣いている自分を自覚した。
「す、すいません。みっともないところを……」
「いやいや、ユリア君のそんな可憐な姿をみることができるだなんて。呼び出してよかった。なぁ、ミュラー」
「馬鹿者」
 眉間に皺を寄せる姿は、王都でみたその姿と変わらない。そこに、声がかかった。
「殿下、こちらに居られましたか」
「おや、何事だい?」
「ランカスター男爵様がお見えです」
「わかった。今すぐいくよ」
 給仕に応える。
「ミュラー、すまないがしばらくユリア君の相手をしてくれないか。ボクは少し義務を果たしてくるよ」
「俺が近くにいないからって、無礼はするなよ」
「イヤン、そんな人に見える?」
「それ以外の何者でもない」
 きっぱりと言い放った友に少し切なそうな視線を向けるが、給仕が泣きそうな顔をしたので、わかったわかったとばかりに手をあげながら会場へ戻っていった。
「相変わらず、ですね。あの方は」
 ようやく涙が止まってきたユリアは、オリビエの背中を見ながら呟く。
「ああ。相変わらずだ。年中振り回される……」
 言いながら不安そうな視線を会場へ向けている。
「私のことは構わないので、オリビエ殿のお傍にどうぞ」
「構わない。奴も子どもではないだろう」
「……許婚の方が、お怒りになりますよ?」
 血を吐くような思いで言葉を紡いだ。一瞬目を丸くするミュラーだが、すぐに仏頂面へ戻った。
「リカルダ殿は兄の許婚だ。ようやく兄も家を継ぐ決心をしたらしくな。一気に婚姻まで持っていって、当主の自覚を持たせようというところだろう」
「お兄様、ですか」
「当主は向かない、俺が向いていると散々言っていたんだが。器はあの人にあると思っているから、落ち着くところに落ち着いたというところだ」
「……」
 聞きながら、先ほど荒れた自分の感情が凪いでいくのを感じた。
「それはそうとユリア殿」
「はい、なんでしょうか?」
「本……いつも感謝している。感謝の手紙を送ろうと思っているのだが、どうも便箋を前にすると何も言葉がうかばなくてな」
 手紙を書くのは苦手だ、と少し照れくさそうに言う姿が愛しい。
「それをオリビエに見咎められて、散々説教を喰らったよ。俺があいつに説教されるとは思わなかった」
「それは災難でしたね」
「全くだ。だが、奴がいうことももっともだ。罪滅ぼしというわけでもないが……貴女の望むことをしようと思う。まあ、あまり無茶な願いは無理だが……」
 険しい表情が柔らかくなっている。いつもは眉間に皺を寄せていることが多いが、彼はこういう表情もできる人だったと思い出した。
「ならば……」
 暫し月を見ながら考える。
「そうですね、しばらく、ここに、いてもらえますか?」
「それでいいのか? 別に構わないが」
「今だけ、今だけでいいです。……何をしても、驚かないでください」
 言葉に固さが含まれた。怪訝に思っただろう。しばらくは何もせず、じっと月をみた。ミュラーも黙って見上げている。
 どれくらいそうしていただろうか。意を決してユリアはミュラーの手を取り、組んだ。僅かに体が震えているのがわかる。それを感じたのだろう。
「……寒いのならば中に入るか?」
 そういう意味の震えではない。だから、頭を横にふった。止めていた髪飾りが落ちるがどうでもいい。
「……今だけで、構わないですから」
「……」
 今だけでいい? そんなはずはない。自分に嘘を吐きながら月を眺める。また泣いてしまいそうだ。
 口に出していえるなら苦労はしない。言えないからこそ、回りくどく頭を預ける羽目になってしまった。自分の性格が恨めしい。
 閉じられたままの会場のへの扉から、僅かに音楽と喧騒が聞こえる程度で、あとは静かな夜だった。強い月の光が石畳を白亜に染め上げる。ふと視線をおとすと、一瞬自分の白のドレスと、白亜に染まった石畳が混じり、自分はなにものなのかが分からなくなる。いっそこのまま時が止まればいいと思うが、ミュラーが動いた。後ろ髪引かれる思いで彼から離れる。
「あっ、すいません……もう、かまいませんから……ありがとうございます」
「……いや」
 離れたユリアの腕を掴み、自分の腕の中へ捕らえた。
「俺に、体を預ければいい。その方が、月も見やすいだろう」
「……あ……」
 口から飛び出してしまうのではないかと思うぐらいに心臓が暴れる。されるがままに自分の背中をミュラーに預けることになる。おそるおそる、といった様相で回された手は軽くユリアの前で組まれた。
 どういうことなのだろう。まさか。もしかしたら。
 淡い期待がユリアを満たす。
「ミュラー殿」
 意を決して声をかけた。返事はないが、体が固くなったような気がする。
「お慕い、申し上げております」
「……」
 返事はない。考えているのが気配でわかった。自分の思い違いだろうか。自分は月の狂気に惑わされたのだろうか。と。
「それは……先ほどの、約束どおり、今だけ、なのですか?」
 振り向くが表情が見えない。ただ、ひどく哀しかった。今だけ、と言われたことも、急に言葉遣いが変わったことも。
「いいえ、いいえ。……違います……ずっと」
 すべて言い切ることができなかった。急に力を込められ、女は男に抱きすくめられていた。すっかりぬるくなってしまったカクテルが入ったグラスが間に挟まり、奇妙な痛みを伝えてくる。割れるのではないかと思うくらい力強く抱きしめられた。
「ミュラー殿……苦しい、です」
「……」
 ユリアの訴えに応えず、ただただ力任せに抱きつづける男。何も言わず、表情も見えず。ユリアも、どういう意図で彼が自分を抱いているのかが今ひとつ理解できなかったものの、たまらなく幸せであるのは事実である。だから、給仕が晩餐会終了の合図を出すまで、彫像の如く動かなかった。

nächst


戻る