<Emerald>

 

「いいかディア。今の兄貴に、絶対に近付くんじゃないぞ?」
「…うん」
 璃樹は居候の巫女にしっかりと言い聞かせた。ディアも神妙に頷く。
「…下手に手を出したら殺されかねないからな」
「…そんなに?…」
「ああ。ああなった兄貴は、猛獣より性質が悪い」
 固く閉ざされた扉にちらりと視線をやりながら、ついさっきできたたんこぶに手をやる。
「大丈夫?」
「まあ。慣れてるから」
 納期が近いがデザインが上手く決まらない。仕事とプライベートを完全に分けているはずの翠が家に仕事を持ち帰ってくるときは、大抵荒れている。
 時折扉の向こうでひどい物音がするのは、翠が煮詰まっているためだろう。
「…今回はどれだけの修繕費がかかることやら」
 家計を嫌でも預かっている璃樹は頭を抱えた。下手に文句を言えばたんこぶがまた増える。頭も痛くなってきた。
「…あれ?」
 ディアが顔を上げた。引かれるように窓から飛び出す。一瞬びっくりするが、彼女が普通の人間ではないことを思い出して頭を振る。まだ、彼は慣れていない。翠の順応力の、何分の一かでも欲しいぐらいだ。
「どうしたんだよ」
 窓から出たところでふわふわ浮いているディアに声をかける。
「なにか、近付いてくるの。すごい力…」
「はぁ?」
 二階から顔を出しただけでは周りの様子はわからない。それにもう夜で、街灯の下を歩く人しか見えなかった。
「俺にはわかんないよ」
「嘘。璃樹もちゃんと知ってる。ちゃんと分かってる」
 どこをどう見たらそんなことがいえるんだよ、そんな意味をこめてディアを見る。彼女は当たり前だから、とその視線で物語っていた。
「…だめだ。この手のことは係わり合いになりたくない」
 そう言って階下に下りていった。
 ちょうど階段を降りきったところで呼び鈴が鳴った。思わず体を固くする。翠のところにも聞こえているはずだからだ。
「俺は自分のせいじゃない物音で攻撃されるのは嫌だぞ」
 ぶつぶついいつつも玄関に走る。客を待たせるわけにはいかないのと、それ以上に呼び鈴を鳴り続けささないためだ。
「はいはい、どちらさんで?」
「あの…こういう張り紙見たんですが…」
 嫌な予感だ。見たくなかったが、それがなんなのかは分かってしまった。翠が趣味で始めた、『呪いの宝石募集』。
「…ああ」
「ここで、いいんですよね?」
 恐る恐る聞く男に仕方がなく頷いてみせる。追い返してもよかったが、必ず翠にばれるだろう。そうなったときが恐ろしい。
「では、あなたが?」
「いや俺じゃなくて…」
 困った。よりにもよってこんなときにこなくてもいいだろうに。客を応接室に通して彼は翠の部屋の前に立った。
「…」
 いつでも逃げられるように屈伸運動をする。深呼吸をして、思いっきり一息で叫んだ。
「兄貴客来た呪い宝石!!」
 バタンと扉が開く。そのときにはもう璃樹は階下に逃げていた。ゆっくりと階段を下りてくる翠。機嫌はそんなに悪くはないようだ。下で壁に張り付いている璃樹を見て一言。
「俺の部屋、少し片付けといてくれ」
「あ…ああ」
 いわれて部屋に行くと、何かが割れた破片や、焼け焦げを作った白衣、金属のかけらなどが山のように積み上げられていた。
「…ああぁ」
 がくりと頭を垂れる璃樹を、ディアがいい子いい子と撫でるので、余計に気がめいった。

「エメラルドですね」
 見せられた緑色の石を見ながら確認をとる。
「でもこれは…」
「はい、お察しの通りイミテーションです」
 エメラルドにはインクルージョンがある。内包物があるものが天然の証だ。ないものはただの緑の石ということになる。
 また、内包物があるからといってもちろん全部が全部天然石なわけではない。特徴がある内包物であれば、人工と考えてみてよい。
「イミテーション…ねぇ」
 とたんに興味を失ったのか椅子にだらしなく座る。もともと今日はそんなに機嫌がよくなかった。こんな日に持ち込まれるとは、ついていないとしみじみ思う。
「で……こいつが何か?」
「とにかく夜になるとおかしな感じなんですよ。イミテーションといっても、かなり昔に作られて、それなりに年月も経ってますし…なにか変なものでも憑いてるんじゃないかと」
「うーん。確かに古いのは古そうですけどねぇ…」
 いったんイミテーションと思ってしまったからには、なかなかそのイメージが取れない。いくら古いものだといわれても。

「すごく嫌な感じ」
 璃樹が掃除するのを見ていたディアが呟いた。
「俺は何もしてないし言ってないぞ」
 被害妄想もここまでくれば見事である。ディアは少し笑った。けれどもすぐ表情を引き締める。何かの気配を探っているようだ。
 その様子を見て、この女性がダイヤモンドに住んでいた巫女だということを思い出した。普段、翠と一緒になって璃樹をからかっているので、どうもそういうことを忘れがちになる。
「…ってことはなにか?ディアがなんか変なこと、とか言ってるってことは、…ものすごく妙な事が起こるってことか…?」
 渋面になって呟く。けれど、まだ分かりもしない『ものすごく妙なこと』よりも、部屋の掃除ができていなかったときの方が怖いので、またほうきの手を動かし始めた。
「璃樹、危ない!」
 ディアが彼を突き飛ばす。バランスを失った璃樹は思いっきり棚に頭をぶつけた。ついでに上から本が落ちてくる。
「何するんだ!」
 抗議しようと立ち上がった瞬間、一瞬前まで彼がいたところに巨大な棚が倒れてきた。下敷きになっていたら怪我どころではすまないだろう。
「…なんでこんなもんが…?」
 地震対策(というより璃樹が無用の騒動に巻き込まれないよう)でしっかり固定されているにもかかわらず。よく見ると、壁ごと抉り取られていた。
「なにぃぃっ!?」

「!」
 二階からただならぬ物音と悲鳴を聞き、翠は宝石を持ったまま駆け上がった。
「何事だ!?」
「兄貴!掃除まだできてねぇ!」
「バカ、んなこと聞いてねぇよ!」
 条件反射といえば条件反射だ。
「翠、強い何かがいる!」
 鋭くディアが叫び、ある一定の方向をさした。その指先から力強い光が放たれる。
(…ダイヤの眷属か…)
 光が消えた後、緑のもやっとしたものが現れた。普通想像できるような緑ではない。あまりにも毒々しい、そしていやらしい緑。
「もしかして、こいつに憑いてたやつか?」
(…人間は、その輝きを自分達の手で作り出そうとした)
 緑のそれはゆっくりと翠の持つエメラルドに近付く。
(…おろかにも、自分達の手で…想像するに難くないだろう。欲、欲、欲!)
 笑った気がする。その瞬間、翠の机の上の電灯が割れた。
(天然のものより、こちらの方が私の性にあった)
 窓が全部割れた。道具を入れてある箱が宙を舞い、中身が零れ落ちる。
「なんか言うたび物壊すな!」
「兄貴兄貴…それちょっと違う」
 半目でつっこみを入れるが誰も聞いていなかった。
(…ふむ…)
 さっと翠の前にやってきた。体を固くする。
(お前も「みどり」の名を持つものか…いい加減、それも古くなった)
 とたんに翠が持っていたエメラルドが爆ぜた。
(同じ「みどり」。頼むぞ)
「こら、勝手に決めんな!俺は「みどり」じゃねぇ、スイだっ!」
 嫌な予感を感じたらしく翠は部屋を飛び出した。そのまま家中を走り回ったが、璃樹の部屋に飛び込んでどうにもこうにもならなくなった。
(おとなしくするがいい)
「やーめーろーっ!」
 叫びながら必死の抵抗を試みるが分が悪すぎる。ドアの外でそっと中を覗いていた璃樹とディアは、目を焼くほど強い緑の閃光を感じた。
 恐る恐る中を覗く。
「あ…兄貴?」
 後姿しか見えない。あの緑色のもやはどこかにいったようだ。おそらく。
「……ダイヤの眷属はどこだ?」
 振り向いた翠の目が異様な緑。それを確認した瞬間、ディアは再び強い光を放った。
「璃樹!私の住んでる護符!早く「翠」に!」
「え…え?」
「早く!!」
 どうやらディアが翠の動きを止めているようだ。慌てて璃樹は机の上に置きっぱなしの護符を兄の姿をした別の物の首にかける。
「うわっ!」
 かろうじてかけられたが、見えない衝撃波に弾き飛ばされた。
「ぐぅ…」
「璃樹、早くこっちに!」
 したたかに背中を打ちつけ、息もできない。しかしディアは彼をせかす。鞭打って部屋からはいでたとき、彼女は部屋の戸を閉めて何かの紋を書き始める。
 声がかけられないほど、このときの彼女は神聖であった。
「…これでなんとか」
「一体…?兄貴はどうなっちまったんだ?」
「見ての通り。エメラルドに魅入られたの」
「んなバカな!?」
「バカなったって…現実に起きてるこの状態はどうするのよ」
「そりゃそうだけど」
「エメラルドは悪魔を呼ぶ。それ自身に魔性が宿ってる。昔はよくそんな石、払ったけど…」
「じゃあ払ってくれよ、兄貴をどうにかしてくれよ!」
「ダメなのよ」
 悲しそうに頭を振るディア。
「それができたのは、他の仲間がいてくれたから。私一人だけだと、こうやって動きを止めるのが精一杯。まだ、翠が作ってくれた護符があるから…」
 それっきり黙ってしまった。こういう沈黙は苦手だ。
「と、とにかく持ち込んできた野郎に話を聞いて…」
 意気込んで応接室に飛び込んだが誰もいない。先ほどからの騒動にまぎれて逃げてしまったようだ。
「…どうすりゃいいんだよっ!」

TO BE CONTINUED


戻る