<Opal>

 

「ねえねえ、手伝おうか?」
 璃樹が洗濯物を干しているとディアが声をかけてきた。
「大丈夫だよ。こんなことぐらいできる。って、あんた、昼日中から外に出てくるなよ。誰かに見られたらどうするんだ」
 物干し台があるのは家の裏手だが、ぜんぜん人通りがないわけではない。父親が植えた生り物の木があるので、たまに心無い人間が盗っていくときすらある。
「大丈夫よ。璃樹と翠にあわせたバイオリズムだから」
「…てことはなにか、俺や兄貴のバイオリズムと同じ人間でないと、あんたの姿は見られない、と」
「そういうこと。便利でしょ」
 ふわふわと舞いながら笑う彼女に苦笑する。
「ま、そんなことはどうでもいいや。さっさと飯作って仕事に行かないとな」
「翠は?」
「兄貴は今日は店が休み。起こしてくれるなよ。寝起きの兄貴はめちゃくちゃ機嫌悪いんだから」
 そういってさっさと家の中に入っていってしまった。残されたディアはしばらくその場に浮遊していた。
「つまんないの」
 ディアが護符に住み付いたことで璃樹は護符を身につけなくなった。ずっと家に置かれることになったせいで、どこにも彼女は出かけることができなくなったのだ。少しぐらいなら離れても構わないが、長時間宝石から離れていると体力がなくなっていく。それでも。
「…翠も寝てるし…少し出かけてみようっと」
 たまにこうやって出かけてみることがあった。少しぐらいの時間なら可能だ。
「いい天気…。璃樹も一緒に出かければいいのに」
 風に乗ってゆらゆら揺られていると誰かの声が聞こえた。
「?…助け?」
 誰かが助けを求めているような気がする。耳を済ませた。
「…うっく…誰か…」
 泣いている。少女の声。あたりを見回すと、路地の一角で座り込んで泣いている少女がいた。
「あの子…」
 声を掛けてあげたいが、今の彼女ではどうすることもできない。バイオリズムを変化させるのは大変なことなのだ。
「ごめん…私じゃ…そうだ」
 何かを思いついて家に戻り、翠の部屋に飛び込む。残念ながら璃樹はもうすでに出かけてしまった後だ。
「翠、翠!」
「…うるせぇよ、璃樹……!!?」
 飛び起きた。ディアが彼の上に乗って彼を揺り動かしている。いきなりのことで、さすがの翠も少々動揺した。
「ディアっ…何だ?」
「あのね、女の子が泣いてる…。助けてって…」
「女の子?」
 まだ寝ている頭を必死で起こしながらディアの話を聞く。やがて翠は、璃樹の用意していた朝ごはんも食べずにディアに外へ連れ出される羽目になった。
「…どうしたんだい?」
 座っている少女に優しく問い掛ける。実はこの笑顔、かなりの曲者で、これにだまされた女性は数知れないという。
「おかぁさんが…おかあさんが…」
「お母さんが、どうしたの?」
「おかあさん、死んじゃう…」
 それだけいってまた泣き出してしまった。
「ねえ翠、この子、とりあえずうちに連れて行こうよ」
「…それもそうだな」
 肩をすくめて少女を促した。

「どこに住んでるの?」
「…」
「おじょうちゃんの名前は?」
「…」
 先ほどからずっと少女は黙ったままだ。
「…何とか言ってくれないかなぁ…」
「ダメよ翠。女の子にそんなに尋問しちゃ」
「そんなつもりはないけど」
 傍らのディアとひそひそ話をしていると、突然少女が顔をあげた。
「お姉ちゃん…さっき、私を見つけてくれたんだよね?」
「!」
 ディアは少女を見つめて固まった。
「…あなた、私見えるの?」
「…」
 無言で頷く。
「へぇ。この子、翠や璃樹とバイオリズムが同じなんだ…」
「見えるんだったら話は早い。俺はとりあえず飯食ってくるから、ディア、話を聞いておいてくれないか?」
 何故見えるのか気にする風でもない。これが璃樹だったらきっと悩んでいただろうが。
「いいわ」
 空腹に耐えられないといった様子で翠が出て行くと、女の子の表情が少し緩んだ。それを見てディアが笑う。
「怖かったの?」
「少し」
 翠が聞いたら何というだろう。
「じゃ、今は大丈夫?」
「うん」
「話して、くれる?」
「…あのね、おかあさん、私のほんとのお母さんじゃないけど。ずっとずっと病気なの。この間まで元気だったけど、ここのところずっと起きないの…」
 また涙が目元に溜まってくる。
「どんなに揺すっても起きてくれない。熱があって、息も荒くて…でも私じゃ何にもできなくて…」
「それって…場所はどこ?」
「この先の角っこを曲がって、ずっといった先…」
「どうしてもっと近くの人に言わなかったの?」
 肩に手を置いて少女を揺さぶる。
「私…私…時間がもうないの…」
 それだけ言って泣き顔のまま消えてしまった。肩に置かれた形のまま手だけが虚しく宙に存在している。
「…?」
 不思議に思ってあたりを見回していると翠が戻ってきた。
「ディア、話は聞けたかい?」
「それが…」
「あれ?あの子は?」
「…消えちゃった…」
「消えた?」
「ねえ翠、時間がないの。あの子のお母さん、倒れて動けないって…」
 怪訝そうに首をかしげる翠を促し、家を飛び出した。

 言われたとおりの家は存在した。古い集合住宅で、大家の立会いのもとその部屋の戸を開けてもらった。
「翠、こっち!」
 壁を抜けて先に中に入っていたディアが翠たちを呼ぶ。そこには高熱で意識不明になっている老女。慌てて呼んだ救急車で運ばれていった。
「…一体どうして…」
 大家は首を傾げるが、翠は黙して語らなかった。やがて病院から連絡が来て、あと少し発見が遅かったら危険だったとの旨が伝えられた。
「あの人、たすかるの?」
「ああ。もう大丈夫らしい」
「よかった…」
 ほっと息をつくディア。そんな彼女を横目に見ながら、翠はあるものを見つけ拾う。
「これは…」
 大き目のクリスタルオパールペンダント。透明で、遊色が強いのが特徴だ。が、トップはひび割れている。
「水分がなくなっちまったんだな」
「水?宝石に水なんているの?」
 翠の手元を覗くディア。
「ああ。ディアが生まれたみたいなダイヤモンドのような安定した宝石には必要ない。けど、オパールにはもともとから水が含まれてるんだ。絶えず蒸発しようとする水を補わないといけないから、ちゃんと手入れしてやらなきゃいけないんだが」
「そういえば翠のお店にも、オパールの棚には水が入ったコップがあるよね」
「そういうこと。…それにしても、この飾り、かなり年代ものだ」
「あの人が、きっと大事にしていたんだよ」
「多分な」
 そういってペンダントをテーブルの上に置いた。
「それにしてもあの女の子は一体どこに?」
「そうね…」
 その日は釈然としない疑問を残しながら二人は家に戻った。

 十日ほどして女性が退院し、翠の店にやってきた。
「この間はどうもご迷惑をおかけしました」
「この間…ああ、あのときの。こちらこそ、無作法に上がってしまって」
「とんでもない。あなたがいてくれなければ私は…」
「お礼はあなたの娘さんに言ってください」
「娘?」
 老女は首をかしげる。
「私には娘はいませんが」
「でも…」
「…息子ならいましたが、私を残して先に逝ってしまいまして」
「それはとんだ失礼を…」
 彼女は礼を言ってその場を辞した。翠はしばし呆然とする。
 家に戻ってそのことを告げると、ディアから意外なことが聞けた。
「私ね、おもうんだけど、きっとあの子はオパールだったのよ」
「…なんだって?」
 事情をよく飲み込めてない璃樹が素っ頓狂な声をあげる。
「璃樹は黙ってろ。それで?」
「あの子、時間がないっていって消えちゃったの。多分、あの女の人のことを私達に伝えるだけで精一杯だったんだと思うわ」
 自分を今まで大事にしてくれた人。それはすでに母親も同義だった。
「そんな人が倒れて…きっと考えたと思う。でも普通の人には、彼女見えなかった…ううん、翠には見えたんだよね。…悲しいけど、みんな彼女の言うこと、聞こえなかった」
「それで大家や救急車に連絡できなかったんだな」
「そうね。…きっと限界だった。女性が倒れて、きっと手入れもろくにされなくなったから、あのペンダントはひびが…」
 そういって巫女は黙り込んだ。
「光を遊ぶオパールか…。そういうことも、あるかもな」
 数々の光をその身に捉え、光の加減で様々に表情を変える。けれどもその輝きは永遠ではなく、瞬く間に失われてしまう。それは、まるで少女のように。
「オパールだったから、ダイヤモンドの属性のディアを見つけることができたんだろうな、きっと」
「そうかもな…」
 なんとなく事情を察した璃樹がしみじみと相槌を打つ。
「それにしても思ったより呪いの宝石というか、不思議の宝石は多いみたいだ。やっぱり俺、募集してよかったと思う」
「それとこれとは話が違うだろ?頼むからやめてくれよ」
「俺が好きでやってるんだ。気にすんな」
「…無理だってば…」
 その呟きは、熱くなっている翠の耳に入ることはなかった。幸いにも。
「…ばいばい」
 騒ぐ兄弟を尻目に、ディアは消えた少女にそっと別れを告げるのだった。

TO BE CONTINUED


戻る