<Star Sapphire>

(なんでこんなことになったんだ!?)
 兄を必死でなだめながら璃樹は心で悲鳴をあげた。
 
「呪いの…宝石…募集中??」
 いつもの通勤路にそんな張り紙が出ていた。
「また意味不明な広告があったもんだ…」
 璃樹は急いでいたのもあり、その日はそんなに気にとめず仕事に出かけていった。

 しばらくそんな広告のことは忘れていたが、一週間ほどしてまた見かけた。
「なかなか好奇心は刺激してくれそうなんだけど…。あからさまに怪しいよな」
 見ればあちこちの電柱にも張り出されている。何気なく一枚をとってみた。
「…あれ、これうちの近くじゃないか。んな怪しいとこあったっけ?……げっ!」
 見慣れた住所なのでドキッとした。いや、ドキッとしたどころの騒ぎではない。彼の家なのだ。あわてて引き返した。

 別に変わったことはない。散歩に出るといって出かけてきたままだ。絵に描いたような男所帯なので、すさまじく部屋は汚い。両親が早死にして、兄と一緒にこの家にすんでいるのだが。
「兄貴か?」
 昔から呪いだとか魔法だとかに異常に興味を示した。それを見ているせいか、彼自身は現実主義である。
「兄貴!いるか!?」
 返事がないが、中で気配はする。一応誰何は聞いたのだ、とばかりに戸をあけた。
「何だ璃樹、乱暴だな。お客さんに失礼じゃないか」
「客…?客ってなんだよ」
「ほら、目の前にいるだろうが」
 視線を落とせば、なにやらやばそうな品々の中に、かろうじて人が座れるスペースが作ってあり、そこに一人女性が座っていた。
「どうも…」
「あ、しつれいしました…」
 あわてて居住まいを正す。
「本当に失礼だぞ、璃樹。……すいませんね、話の途中で。で?」
「はい。これです」
 そっと布に包まれた何かを差し出す。何かにおびえているような印象を受ける。
「みても…いいですか?」
 頷くのを確認して開いて見れば、高価そうな宝石があった。思わず璃樹も覗き込む。蒼くカボションに研磨された宝石には、六条の光の筋が見事に現れていた。
「……スターサファイアの、リングですか」
「これを手に入れてからどうも調子が悪くて…。どうでしょう?」
「うーん…。しばらく見てもいいですか?」
「ああ、構いません。こんなもの、ない方がいっそすっきりするのかも」
 女性は苦い口調で言った。この人が一体どういうことに巻き込まれたかわからないが、相当いやな目にあったのだろう、と璃樹は思う。
 一週間後にまた様子を見に来るというころで女性は帰っていった。璃樹は宝石に見入る兄、翠に冷たい視線を投げかける。
「兄貴…。一体何はじめたんだよ?うちをお化け屋敷にでもする気か!?」
「どうせお前、昼間は会社でいないじゃないか。なら気にすることないだろ」
「兄貴の仕事場でそういう事はやれよっ。プライベートゾーンに持ち込むなって、んなもん」
「俺の店は店で、ちゃんとした仕事だ。これは俺がプライベートにやりたいことなんだ」
「……」
 この手の言い合いをして彼が兄に勝てたためしはない。そもそも親がいない代わりに兄に育てられたといって過言ではないのだ。もともとから頭は上がらなかった。
「で?安受けあいしていいのか、そんなやばい代物」
「多少そういうのは心得てるさ。でなけりゃ、呪いの宝石なんか募集しない」
「そんなことまで…」
 高校を卒業するとともに欧州まで彫金の修行に行っていた翠。その間に何があったかはあまり聞いていないが、魔術系のこともなにやら勉強して帰ってきたといううわさは聞いたことがある。うわさというのも、怖すぎて直接兄に聞けないのだ。
「明るく肯定してくれそうで嫌だ…」
「何かいったか?」
「なんでもない。じゃ、俺はこれで…」
「待てよ璃樹。見ていって損はないぞ」
「損とか得とかいう問題じゃねぇよ。せっかくの日曜日になんでそんな具にもつかないことに付き合わなけりゃなんねぇんだ」
「もしかして璃樹…」
 立ち上がって去ろうとする弟を見ながら、
「怖いんだろ」
 きっぱり言い放った。
「違う!」
 即座に否定する。
「俺はそういった妙な話にはかかわりあいたくないだけなんだ!」
「そういうのを怖いっていうんだよ」
「あーもう、いりゃいいんだろ、いりゃ!」
 やけになりながらわめく璃樹に、してやったりといった感じの翠。やはり璃樹は兄には勝てないのだ。
「でも特にたいした事はなさそうなんだよな。なんにも感じないし…」
「んな事わかるもんなのか?」
「あのな璃樹、宝石って言うのはこの形で出てくるわけじゃないの、知ってるよな?」
 きれいにカボションに研磨されたサファイアを見せながら聞く。目の前に差し出されたリングを嫌がるように、
「それぐらいしってるよ、兄貴。最初はただの石だろ」
 と嫌そうに答えた。
「掘り出す人。そこから研磨する人、カットする人。俺らみたいに台につけたりとか。原石を宝石にするにはかなりの手間がかかる。だから高いんだ」
「それがどうしたんだ?」
「ましてやこれはスターサファイアだ。いろんな人間のいろんな思惑が、この宝石の上を通り過ぎたはず」
「…」
 熱が入ってきた。こういうときどんなに話し掛けても、自分の言いたいことを言い終わるまではこちらのことなど眼中にないのだ。渋面で頭を振る璃樹。
「見たらわかるんだ。この宝石は愛されてるか、そうでないかぐらい。同じように、悪いものなのかそうでないのかもわかる。長い間宝石に親しんでる人間だからこそ、そういうことがわかるんだ」
「わかったよ兄貴。兄貴は長い間宝石に親しんでるから、俺みたいなのにはわからないことがわかるって言うんだろ」
「そのとおりだ。よくわかってるじゃないか」
 けろりと言う兄に頭を抑える弟。
「で?なんでもないのか、その宝石は」
「そうだなぁ。…なぁ璃樹」
「ん?」
「人間の我欲の強さって、知ってるか?」
「…まあなぁ。これでも25年、無駄に生きてるつもりはないし、そういうところも結構見たよ」
「いっちゃぁなんだけど、あの女性はなんていうか…」
「わかるよ。こんな宝石を持つような身分ではあるだろうけど、なんかな、」
「ああ。そのせいできっと他からいろいろ言われてるだろう。それか、自分で見せびらかしたか。他の指にあった宝石みたか?」
「見た。一体どれだけしてるんだよって思った」
「自己顕示欲が強いのはいいけど…あれはちょっと人間関係には良くない気がするな」
「結局他の視線がどこかで気になってるんじゃないか?」
 璃樹の言葉に考え込む翠。
「…多分このリングが一番気に入ってるんだろう。だから、何かあればすぐこいつを見る」
 光にかざす。相変わらず深い蒼に光。
「だからこいつのせいでなにか起こるようになった、って刷り込まれたのか」
「おそらく」
 白い布の上に置く。
「一週間。こいつが手元にないのに何か起きたら。こいつにかけられた濡れ衣はなくなってくれるんだが…」
 じっと指輪に見入る兄に璃樹は少し感心した。
「兄貴って、本当に宝石が好きなんだなぁ…」
 心外だというように弟を見る。
「だって、普段そんな姿俺見ないもん」
 普段は彼をこき使うだけの兄なのだ。たまに仕事が忙しくなって仕事場にこもるときは、開放感で幸せいっぱいになるほどだ。
「そういやそうかもな」
 納得してまた宝石を見る翠。頭の中で考えていることがばれなくて良かったと、璃樹はひそかに思った。
「ところで、呪いの宝石募集なんてわけわかんないこと言ってる割に、そんなにたいしたことないんだな」
「本当に呪われてる宝石なんて、滅多にないさ。作り出すのは人間。嫌な想いが、宝石に映って…それが跳ね返ってるだけなんだ」
「そういうもんか。俺はてっきり物騒なことになるのかと」
「やっぱり怖いんだろ」
「怖くねぇよ」
「無理すんなって」
 ニコニコ笑う兄。
「無理してねぇって…。ま、そんなやばいことでないならいいや。カウンセラーみたいだな」
「俺らは宝石のカウンセラーさ。もっとも、他に目的はある」
「は?」
「本物の呪いの宝石を捜してるんだ」
「!?」
 硬直する璃樹。一瞬頭が真っ白になった。
「ほほほほほんもの??」
「どうした?」
 唇の端を上げる翠。目元が笑っている。
「なんでそんなもん…!?」
「やっぱり一度はお目にかかってみたいだろ?」
「んなもん、かかわりあいになりたくねぇよ!」
「だーいじょうぶだって。ほら、これやるから」
「俺が言ってるのはそういうことじゃなくって…ってなんだこれ?」
 差し出されたのは小さな模様が細かく掘り込まれた飾り。ところどころ、本当に小さな宝石がいやらしくなく配置されている。兄の加工だろう。彼は目に見えるか見えないかぐらいの細かい細工が好みで、それを得意としていた。そうでなければごくシンプルな造型。
「俺が作った護符だ」
 ひっくり返った。その拍子に後ろにあった工具箱の中身をばら撒く。
「気をつけてくれよ?それ、俺が作った鏨で、他に売ってないんだから」
「いてて…弟より商売道具のほうが心配か?」
「そりゃそうだ。おまえ、頑丈だし」
「………護符だって?一体どこで」
「だから作ったって言ったろ?仕事の合間縫ってそういうの作ってる。霊験あらたかだ。心配するな」
「…」
 語る兄に何もいえない。やはりうわさは本当だったのだ。彼は東欧で魔術も修めてきたのだ。
「じゃ、飯にでもするか。璃樹、今日はなんだ?」
「飯!こんな状況で飯だって!?俺は兄貴のことがわかんないよ」
「そうそう簡単に人間を理解してたまるか。さぁ飯だ飯。さっさと作れ」
「兄貴がたまには作れよ!」
「ふぅん。お前、俺にそういう口きくんだ…。いいぞ、作ってやる。が、何食わされても文句言うなよ」
 表情を変えずにいう翠に寒気を感じ、慌てて兄をなだめた。なだめながら、これからの前途多難さを思い知らされるのだった。

TO BE CONTINUED


戻る