1.

 最近の経済動向を追った書類を眺めていたオリビエが興味深そうに目を細めていた。
「ほら見てよ、これ」
 傍らに黙って立つミュラーに書類を押し付けてくる。無言で受け取るが、彼にはそれほど興味を引かれることがあるようには思えない。しばらく黙っているとオリビエが説明を始めた。
「新しい会社が急激に力を伸ばしてるんだ。リベールに本社を置いて、その近辺地方都市はもちろん帝都にまで今度支社ができるらしいよ」
「それはまあ、凄いことなのかもしれないが」
「凄いと思うよ。ツンフト社って言うんだけど、ここ、官の仕事まったくしてないところなんだ」
「軍に卸などがないのか?」
「そういうこと。完全に民間のみ相手。遊撃士協会とも契約してないみたいだ。ちょっと調べてみると、どうやらあの「環」の事件以後の設立だって」
「……何かの間違いではないか? 例の事件があってからまだ大して時間が過ぎていないぞ。それで帝都の経済網にまで噛みこんでくるとは」
「だから面白いなって思ってさ」
 机の上に置いてある紙挟みを手に取る。ミュラーが覗き込むと見えるように動かしてくれた。そこには『ツンフト社』と読める文字と、その会社の意匠があった。
 設立は確かに環の事件のあとほどなく。母体はルーアンに住む職人たちで、だから「ツンフト」なる名前なのだなと納得をした。事業内容は多岐にわたるが軍や国家、遊撃士協会、七耀教会とはまったくつながりがないようだった。オリビエの情報網は、詳細はどうなっているのかよく把握していないが、そういう権力との結びつきにかなり敏感だ。その網がないというのなら確かにないのだろう。
「創始者はそれほど裕福ではないようだな。どこに会社を興す金があったのだか」
「さあ……。でもこんな会社、正直いうと本当にどこにも滅多にないところだから、お近づきになっててもいいかもしれない」
「……官とは取引しないのだろう。貴様など門前払いを食わされるのではないか?」
「そうかもしれないけど、やってみないとわからないじゃない」
「で……首尾よく取引できるとして、一体何をするというのだ?」
「そうだねぇ」
 問われオリビエはしばし考え、ふと手を打った。好奇心にきらめく紫の瞳をミュラーに向ける。
「ボクが革命を起こすための資金提供」
「……」
 さも良いことを言ったとにこにこ笑う幼馴染に、とりあえず今しばらくは何も言うまいと視線だけ送る。
「案外に裏社会とはつながりがあって、そこから資金が出てきたのかもだけど。結社かなぁ、それとも別の組織かな。今調査してもらってるところだけどかなり敏感な問題だからどこまでわかるか。期待してないっていうのが正直な話」
 情報屋たちにも縄張りはあるし裏社会と多かれ少なかれ縁があるものも少なくない。そうなると自分が懇意にしているところが不利になるようには情報を伝えてはこないだろう。
「仕方ないからまたボクが……」
「などと思っているはずはないだろうな? 目の前の書類と、現在半年先まで詰まっている予定を今すぐどうにかしろ」
「書類はともかく、半年先の予定はどうにもならないんだけど……」
「なら目を開けたまま夢見事を言うな」
「ミュラーさん怖い……」
 わざと泣き真似をするのでミュラーもわざと遠くに置いてあった書類をオリビエの目の前に置く。一瞬妙な鳴き声が聞こえて、後は書き物をする音とたまに聞こえるうめきだけが残った。


 その頃リベールでは緊急に各市長が集まり、女王とクローゼを場に加えて全員で悩んでいた。原因はツンフト社にある。
「とにかく中央工房的には大打撃です。外部委託の部品工場として打診しかかっていたところを軒並み持っていかれました。このままではオーブメントの製造ラインが止まってしまいかねない」
 マードックが渋い顔で深く長い溜息をついた。
「中央工房はまだいい方では? 軍に納める仕事がありますし。……ボースマーケットに対抗して大きな見本市を各地で開催するものだから、こちらに来るはずのお客様はかなり流れていってしまいました。似たようなことができればいいのですが」
 手にもっていた書類を机に置いて髪をかきあげるメイベル。嫌な汗ですっかり張り付いてしまっていた。
「ルーアンとしては問題ないようですけれどね」
 メイベルから向けられる辛らつな言葉に、内面はともかく外面は決して崩さないノーマンは案外に食わせ物だなとクローゼはそっと思った。
「まあまあ落ち着いて、メイベル市長。ルーアンはルーアンで、元からあった小さな店がどんどんたたんでしまっているそうです。それどころかそれなりに大きかったところも」
 クラウスが言った工場や店の名前に一同さらに溜息。
「かくいうロレントもツンフト社の傘下に入る小さな店は数多くなっています。農業にはまだ手を出してはいませんがそれも時間の問題でしょうか」
 もしそうなれば基幹産業にかなりのダメージがでるだろうなと頭を抱えた。
 結局その日はよい方策どころまで行かず、現状把握と情報交換のみで終わった。市長たちが辞した執務室に女王とクローゼは差し向かいで座る。
「……そもそも、ツンフト社はなんら間違ったことをしているわけではないのですよね、陛下?」
「ええ。少しぐらい勢いがあるほうが元の産業に活が入り、商品自体の精度や味が上がるよう研鑚するようになるという側面はあります。実際、市長たちもその気でいるようですからその点においては感謝していますが……」
 会議中何度も見た報告書にまた目を通すがそれ以上のことはわからない。
「未熟者の意見ですが、少し早すぎるような、そんな気がします」
 クローゼも書類に視線を落とし、創業から現在の巨大な企業にまで成長した期間に改めて驚く。決して目新しい商品を売り物にしているわけではない。過去、オーブメントを引っさげて乗り込んできたラインフォルトやヴェルヌのように目玉となるものがあれば理解もしやすいのだが、現在扱っているのは日常に使う工具類や食器や雑貨などがメインで性能も既存のものより多少よい程度。その割に安いといえば安いのだが、極短期間で大企業になれるほど売れるとも思えない。
「成長の早さはわたくしも気になっております。この早さ、もう少し落ち着いてくれれば各市の地元産業も追いついていけるのですが、今はこの国自体の体力が落ちている」
「「実験」の爪あとはかなり深く残っているようです」
 別のファイルを取り出してそこに書かれている数字を読み上げた。どれもこれも、結社が行ったゴスペルの実験に伴う被害に関わる数字だ。十年前並とはいかないまでもそれなりの痛手であることは間違いない。
「各地の店を吸収していくのは、それはその会社の方針であってなんともいえないけれど、それがあまりにも度が過ぎてしまうと……」
 リベールの大半の産業をその掌中におさめた挙句、何がしかの理由でツンフト社がリベールから一気に手を引くようなことがあれば。ろくでもない想像をしてしまいクローゼは慌てて頭の中から最悪の想像を追い払った。
「自分としては王家が表立って経済の問題に首を突っ込むのは最後の手段にしておきたいです。自由な経済活動を保つ為にも」
「それもまた今後の動き次第で考えていかなければなりませんね。落ち着いてくれればよいのですが」
 クローゼはともかくアリシアですら現在の状態は初めてだ。国が侵略を仕掛けてくるのではなく、まったくの合法的手段で経済活動を圧迫してくるとは考えても見なかった。
「我が国にはオーブメント産業がある。確かにそれは全世界的に重要な産業の一つであって、それだけでこの国全体を潤していけるでしょう。ただ我々はそれに安心しきってしまい、他の産業を育てていくということを怠っていた。これは王家の責任といえるでしょう」
 節目がちにアリシアが一人ごちる。クローゼはそれ以上何もいえず、ただ書類を無意味に繰るだけだった。


 クローゼの心配が現実のものになろうとしているかのように、ツンフト社のものは巷に溢れつづけた。作っているところは地元の工房なのだが全てツンフト社のロゴが入っている。一つのものに依存するのはよくないと、たまに偏屈な人間が声を上げてはいるものの、大半の人間は今までより少し便利で少し安いものを手に入れてかなり満足しているようだった。それは遊撃士たちも同様で、協会の待機所での雑談はそのほとんどが手に入れたツンフト社製のツールの話。遊撃士協会と直接取引きすることはないが遊撃士たちが個人的にかの会社の製品を購入していた。
「ここだけの話、協会から支給される備品よりモノがよかったりするんだよ」
「確かにここだけの話だね。僕ならともかく他支部の受付に聞かれないようにしてくれるとうれしいかな」
 カルナにメモ用紙とペンを見せてもらいながらジャンは苦笑いをした。
「大丈夫じゃないかしら。ルグラン爺さんあたりはツンフト社の大ファンだそうよ」
「そうなんだ」
「そ。元々ただの職人さんだったのがよくぞあそこまで大きくなった! ……ってこの間男泣きに泣いてたから、あれは相当の入れ込みようだと思うけど」
 肩を竦めるカルナと、それを聞いてげんなりするジャンとが対照的だ。そこへ焔色の髪の青年が乱暴に戸を押し開けて入ってきた。ジャンは注意をしようと思ったものの、誰が入ってきたのか確認するとその気がうせた。絶対に改善されないとわかっていることに対し、何度もしつこく繰り返すという労力を使うのは馬鹿げすぎている。
「あらアガット、久しぶり。珍しいね」
「カルナか。相変わらずだな」
 屈託のない笑顔を向けるカルナに軽く押されながらアガットは簡単に挨拶をした。
「それは? ツンフト社のか?」
「そう」
 女遊撃士はカウンターの上に出ていた筆記具を手にとりアガットに投げる。難なく受け取ったアガットはそれを眺めた。
「結構モノはいいんだな」
「アガット君は使っていないのかい」
「まあな。今のでとりあえず不自由はしてねぇ。ただ今のが壊れたら今度はツンフト社製のになる。買ってた店がその系列になってた」
「あれ、そうなんだ。君が使っているのは協会と取引してるところなんだけど……相変わらず頑なに公と取引するのを拒否してるからどうなるんだろ」
 それは知らなかったとジャンが首をひねっている。
「どうにかするんじゃねーのか? 他所でも聞いたが結構同じようなことになってるらしいぜ。エルナンの野郎が珍しく困ってた」
「彼が困るって相当じゃないか」
 常に落ち着いている印象のエルナンがアガットに愚痴を洩らしたということだ。本当に珍しいこともあるものだとジャンは思った。


 レイストンの一角、各部署の長が集まって揃って苦い顔をしていた。それまで使っていた武器工房が軍との取引を拒否してきた為、その対応策を練ろうと集まったのだがどうにも遅々として話が進んでいない。
「だいたいどうして軍と取引をしようとしないのだ。決して悪いようには今までしていなかったはずだが」
「ツンフト社の傘下に入ってしまいましたからね。理由はわからないがあそこは民間相手しかしないところです」
 モルガンが吠え立て、すかさずカシウスがそのフォローをする。そればかりが続いてなかなか意見が出て来ない。
「他のところを選定しようにもこうまで急だと準備も間に合わないし、目を付けていても既に傘下に入っていたりで思うように行かないのです」
渋面のシード。そして幾度目かの沈黙が議場を支配した。その後しばらくは発言らしい発言は出ず近くに座るもの同士でささやきあうばかり。カシウスが意見を促しても発言はなかった。
今回は諦めるしかないなと溜息をついていると見張りの兵が近寄ってきた。
「シュバルツ大隊長に資料を持ってきたとのことです」
「来たか」
カシウスはユリアを見、ユリアは隣に座る海軍提督と頷きあった。資料が持ち込まれしばし譲り合 いをしてから提督が立ち上がる。
「自分の部下が、懇意にしている武器工房がツンフト社と提携したと時のことを話しているのを伝え 聞き、ちょっとした疑問点をもちました。同じように疑問を持ったものがいないか確認している時に 大隊長が所用でルーアンに訪れ、親衛隊内でも同じ経験がないか確認依頼をしました」
ジーガー提督は一旦言葉を切って議場を見回す。モルガンが軽く頷き提督は言葉を続けた。
「どの店主も、なぜツンフト社と提携に至ったのかはっきりわからないそうです。自分が預かるルー アン軍港全体で調査を行いましたが、疑問点とつながる結果になりました。大半が提携理由不明です 」
「親衛隊でも同じ結果のようです。自分も今初めて結果に目を通しているだけで、精査は行えていな いのですが」
 少しばかり不安な声音でジーガーに同意し、しばらく書類を眺めてから強く頷いた。
「ええ、確かにはっきりと分からないということです」
「それはまた奇妙な事態だ。自分たちの身の振り方を決めるというのにそれをきちんと理解していないなど、通常ありえん」
 カシウスが腕組みをして考え込む。だがすぐに頭を振った。
「情報が足りない。将軍、そちらのほうでも同様の調査を行っていただけますか? 提督、調査書の写しを将軍にお渡ししてください」
「わかりました」
 壮年の女は自分の手元にある書類から一枚、未記入のものを取り出してモルガンに回した。モルガンはこの海を預かる女提督とはそりが合わない為か少し微妙な表情をするも、何も言わず書類を受け取る。
「レイストン内部でも確認をしてみます。提督、書類の余りはまだありますか?」
「申し訳ないです、先ほどので最後の一枚です」
「ならば基本項目をこの会議の後にご指示願います」
 分かったとシードに向かって頷く。ほかに列席していた各駐屯所の所長たちも教えてほしいということで話がまとまった。
「とりあえず今日できることはこのぐらいになるか。また一週間後に同様の会議を開く。そのときまでに各自、結果を取りまとめておけるならやっておいてください。では本日は解散」
 それぞれ思い思いに部屋を出て行く。提督やシードを含む数人が残るようなのでユリアも外に出た。
「どうにも気味の悪い事態だ。あの事件の前哨戦もこのような気味の悪さを感じていたが、二の舞にならなければいいが……」
 「輝く環事件」のことは記憶に新しい。というより忘れえぬ記憶としてユリアの胸に残っている。
 どうかあの二の舞にだけはならないでくれ。そう願いながら王城へ戻っていった。

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