2.

「やっぱり面会できなかったんですか」
 肩を落として一階の待合室に座るマードックをみてグスタフは小さく声をかけた。力なく頷くだけのマードックに若干の危機感を覚える。今後この工房大丈夫なのか、もしかして自分も転職を考えた方がいいのか、そういやツンフト社から引き抜き来てたよなと様々なことが頭を駆け巡っていく。さすがにそれは出来ないなと気を取り直して工房長の背を見た。言われなければ、自分の許容以上に働いて疲れ果てたただの技術者に見えてしまう。
「とりあえず上行きませんか? 話をするのにもちょいとここでは無理でしょ」
 グスタフの言葉に力なく顔を上げる。これはよほどの事態なのだとその目が語っていた。
「一服やりましょうや。それから今後のことは考えましょ」
「……そうするか」
 ミリアムに止められているがこっそり煙草を隠し持っているのは整備長も承知している。胸ポケットでガサリという音を聞きながらエレベーターに二人して向かっていった。
「ふう……社長は忙しいからとまた門前払いだったよ。女王陛下でも連れて行かないといけないのかもしれん」
「どうでしょうね。今までの様子だと、陛下自らがお立ちになっても門前払い食らわせそうですが」
「……整備長。なぜそう追い討ちをかけるように不安なことを言うんだ……」
 げんなりしすぎたのかマードックは咥えたばかりの煙草を上下に動かす。まだエレベーターの中だからと火をつけてはいないが、やめておいた方がいいというより前に扉が開いた。
「……あっ! 工房長また煙草!」
「工房長、書類……」
 よりにもよって目の前にいたのはミリアム。その後ろにティータが書類を持っていたのだが、マードックの目に彼女は入らなかった。
「健康のためにやめるって言い出したのはご自分でしょう! はい!」
 ミリアムは怒りながら手をだす。大人しく咥えていた一本を差し出したがそれでは満足しない。
「いっそもう工房長の部屋へ行きます! 持ってる煙草全部出していただきますからね!」
「……はい」
 ロビーでいた時よりも小さくなりながらマードックの部屋へ向かっていく。残されたティータとグスタフは見送るしか出来なかった。
「……ちょっと、工房長可哀相かも」
「可哀相どころの話じゃねー気もするな」
「あの件ですか? やっぱり」
 本来ティータのような見習にはツンフト社と中央工房の状態を知らせていない。けれどエリカやダンが話をしているのを聞きつけてティータは多少理解している。
「まあな……また門前払いだそうだ」
「そうなんですか……ツンフト社の社長さんって、絶対に外に出てこないんでしょうか」
 通路の先にある部屋から声が漏れてくる。かなり頑丈な扉のはずだがミリアムが懇々と説教しているらしい。間違ってもあの立場になりたくないと思いつつグスタフはティータに応じた。
「そりゃねーだろ。まず確実に提携先に挨拶しねぇなんてあり得ない。自分の儲けの一旦を担う奴らだぞ」
「ですよね……」
「だが既に提携先になってる奴らから取次ぎできねーんだな。なんだかんだではぐらかしちまうらしい」
「ふーん……」
 扉が開く音がし恐る恐るそちらを見る二人。ミリアムが鼻息荒く袋詰にした煙草を持ってでてきた。
「整備長! 貴方も煙草持ってたりしませんよね!?」
「い、いやいやいや」
「ティータちゃん、見張っといてね!」
 言うだけ言うとティータの返事を待たずにエレベーターに乗り込んでしまった。残った二人は顔を見合わせて、結局工房長の元へ。中には仕事用の机に突っ伏して微動だにしないマードックがいた。
「……こりゃまた手ひどくやられたもんだ」
 どうやら室内に隠し持っていたものも全部持っていかれたらしい。でなければこっそりどこからか持ち出して一服しているはず。
「あの……工房長、これここに置きますね?」
 そっとティータが抱えていた書類を邪魔にならないところに置く。ちらりとそちらを見てようやく起き上がった。
「ああ、ありがとう……」
 酷く深い溜息を一つついてグスタフを見上げる。そして椅子を勧めるとだらしなくまた机の上に突っ伏した。
「……そういえばさっきの話で思ったんですけど」
「ん?」
 グスタフは座りながらティータのほうへ向く。
「まだツンフト社の傘下になってないところにだったら、もしかしたら社長さん来るんじゃないですか?」
「……!」
「おっ!」
 中年二人が少女の顔を凝視した。けれどすぐに元通り。
「いやダメだろう。どこにそんなところがあるのやら」
 頭を机につけ窓をみるマードック。外はいい天気なのになぜ自分はこんな目にあうのだろう。
「え……でも、おとーさんが言ってたんですが……」
「ダンが? まだ傘下に入ってないところがあるって?」
「はい」
 今度こそマードックは起き上がった。グスタフと目を合わせて頷く。
「すまんがティータ君、ダンを呼んできてくれんか?」
「わかりました!」
 元気に部屋を飛び出したのでティータは知らない。その後、結局グスタフが隠し持っていた煙草をマードックが吸っていたことを。


「だからって見たような面子が集まるってのもどーなのよ」
「いいんじゃねーか? 軍人だと私服でも一発でわかるからな」
 あきれたシェラザードの言葉に暢気な声でアガットが返す。なお言い募ろうとしたがむわっとした熱気がたまらなくなりポンプの脇から離れた。
 ダンが言った、まだツンフト社の傘下に入っていない場所。それはエルモ村だった。言ってみればルーアン以上に生活が観光で成り立っているこの村。基本的に食べ物は自給自足、温泉を汲み上げる機械は中央工房と契約済みでその契約主はラッセルの知り合いと、条件はそれなりに揃っている。
 源泉はみなの物なので新しく温泉宿を作るならまた話は別なのだが、紅葉亭がまず一番大きな宿であるということと、宿屋にできるほど巨大な建物を立てる土地がないことが幸いした。今までも他の企業がここにホテルを建てようとしたが、開いた土地となると源泉から遠くなり、お湯を運ぶ施設の維持管理費が大きくなる為諦めてきている。
「しっかし、なーんか大きいヤマの匂いしたと思ったけどツンフトがらみとはね……」
「俺もびっくりだ。後で聞いたらリベール中に依頼出してやがるし。低報酬の期間限定従業員募集とか、変わり者しかとんねーって」
「じゃ、貴方もあたしも変わり者ってことよね」
「間違いないだろ? エステルもヨシュアもカルナも全員同じさ」
「その答えは保留にしておくわ」
 期間限定とは言えそれなりの期間拘束されその間は他の仕事を受けることが出来ない。このためある程度の余力がある遊撃士しか受けられないようになっている。ただ、もしかしたら各受付がさりげなく違う仕事を薦めて合いそうにない遊撃士を弾いていったのかもしれない。
 シェラザードは依頼が出されて三日後に紅葉亭の一室に集まった面々をみてなんとなく予感はした。これはただのアルバイトでは終わらないぞ、と。案の定マオの横にはダンとティータが控えていて、マオの簡単な施設説明が終わった後に本当の内容が明かされた。もしかしたら現れるかもしれないツンフト社の社長の人となりを調べること。
「気の長い話だこと」
「確かにね。いつ現れるかわからない人を調べろって」
 カルナが二人の話に混じってきた。三人とも紅葉亭の法被を来ていかにもポンプ小屋の掃除をしているというように場所移動をしていく。
「よっぽど中央工房的に困ってんでしょうねぇ。ダンさん、泣きそうになってたじゃない」
「ありゃ単にこの匂いがキツいだけじゃねーか? それにツンフト社、観光産業に手を出しつつあるってこの間ルグランのじーさんから聞いたぜ。あの目ざとい奴らが温泉見逃すとは思えねぇ」
 赤毛の男にうんうんと頷く女二人。
「まあとりあえず温泉家業がんばりましょ。マオさん厳しいもの」
 違いない、と掃除の手を早めた。
 集まった遊撃士はエステル、ヨシュア、アガット、シェラザード、カルナの五人。ぱっと見て遊撃士に見えない面子から選抜されたようだ。そう説明された際ヨシュアとアガットが何か言いたそうにしたが結局黙った。軍に何人か出してもらう案もあったらしいのだが、軍人では「ヒマを持て余し過ぎて低収入でもいいからしばらく働きたい」人間を演じるのには無理があるということで却下になったとか。
 雇われた表向きの理由は、湯治客が団体で来るから、通常営業ではサービスが行き届かないというもの。湯治客ならば確かに長期間いてもおかしく思われない。誰が考えたか知らないけれどよい案ねとカルナが呟いた。
「ってことは結構本気で工房側やってるってことよ。失敗したらきっとかなりややこしいことになるわね」
「だろうな。まず間違いなく団体客は内情知ってるヤツらが来るだろうし」
 湯治客そのものの役をやるのもいいのだが客では入れるところに制限がある。従業員ならそれはない。
「ところでエドさんとシリルさんは知ってるの?」
「いやしらないって言う話。もし知っててもあの二人ならどうってことないと思うわ。マオさんの方針に従ってるから」
 確かにそうだとアガットは思い直す。時折失敗しながらもマオの言うことから外れることはない。よっぽど一触触発になればマオに仲裁に入ってもらえば解決するだろう。
「あっ、こっちにいたんだ」
 エステルが小屋を覗き込んだ。
「どうしたの『レナ』。なにかあった?」
 もしかしたら名を聞いて警戒するかもしれないと偽名を名乗ることになっている。エステルは母の名を名乗ることにしていた。
「『アイナ』姉、マオさんがそろそろ出入りの人が来るから紹介するって。皆揃っててほしいってさ」
「はい了解。ここもすぐ終わるから」
 会話が途切れた後一呼吸おいて笑い出す。
「おいおい、笑ってちゃいけないだろ? 早く慣れないと。なあ『ウェムラー』」
「そっちこそ動揺すんじゃねーぞ『エーファ』」
 呼ばれたアガットも、わざとカルナに向かって軽口をたたく。各々知り合いの名を拝借しているのだが、どうにも笑い出してしまう時がある。それに慣れるまでの準備期間でもあった。ただ準備期間が十二分に取れるとは限らない。まだツァイス地方の観光産業にまでは手を出してきていないが時間の問題なのは確かだ。
 エステルとシェラザードが笑っている間に掃除が終わったので一同は宿に向かって歩き出す。
「ああそうそう、そろそろ団体さんも来るってさ」
「そうなの? まあいいけど……」
 もう少し偽名に慣れてからのほうが良かった気もするが来るのならば仕方がない。精一杯温泉宿の経営をするかとカルナは伸びをした。
 勝手口から入るとヨシュアがすでにそこにいた。
「皆さんお疲れ様です。もう出入りの方は来ているそうで、あとでマオさんがこちらに連れてきてくださるそうです」
「そうなんだ、ギリギリだったね」
 エステルがヨシュアの隣に座り、その周りに適当に後の三人が座る。今後のことや今日の仕事のあれこれを話しているとマオが顔を出した。
「待たせたね。ほい、この部屋にいるのが期間限定で雇った子たちだよ。こっちは中央工房にも卸してるベルステーションのエルウィンさん」
 慌てて遊撃士たちは椅子を立ち上がり頭を下げる。エルウィンもにこやかな顔で応じた。
「さっきもマオさんと話してたんだけど奇遇だね。ウチも今期間限定の子を雇ってるんだ。今日もついて来てくれたよ」
 言いながら後ろに控えていた青年を押し出す。
「初めまして。よろしくお願いします」
 そう言いつつ顔はニヤニヤしている。遊撃士組はあっけにとられた。
「グラッツと申します」
 大声が出そうになったエステルをとっさに制してシェラザードが前に出た。
「こちらこそよろしくお願いします。私は『アイナ』。こっちから順番に『レナ』、『レオン』に『ウェムラー』、『エーファ』。短い期間ですがどうぞよしなに」
「こちらこそ」
 軽く握手をしあった時グラッツからこっそり紙を渡された。気付かれないようにシェラザードは自分の懐にしまった。
「というわけでお二人は三日にいっぺん、村では手に入れられない食材をこっちに持ってきてくれる。その受け渡しや時と場合に応じて運んであげてちょうだい」
「わかりました」
 マオたちが出て行ってからしばらくして先ほどグラッツから渡された紙を広げてみる。短い文があるだけだったが状況が思っていたより大きくなりつつあることがわかった。
「どうしたんですか『アイナ』さん」
 ヨシュアがシェラザードの様子がおかしいのに気付いて声をかけてきた。それを合図に驚きあっていたほかの面子も寄ってくる。
「これ。グラッツさん、中央工房経由じゃないって」
「……えっ? 軍?」
 思わず声が大きくなったエステルは慌てて口を塞ぐ。
「中央工房だけじゃなくて王室も動いてるってことね。ほんと、危ないんじゃないのこの国。ツンフト社一社に潰されるんじゃないかしら」
「滅多なこと言うなよ『エーファ』……。聞かれたらヤバイだろ」
 アガットにたしなめられてカルナは軽く肩を竦めた。
「これからしばらくエルウィンさんに代わってグラッツが物を持ってくると思うわ」
「それで連絡係を兼ねるということですね。ということはエルウィンさんは知ってるんでしょうか」
「さあ……でも知らないってのを前提にしておいた方がいいと思う。本気で知らなかったときまずい」
 そうしようとそろって頷いた。
 各自言われている仕事に戻っていく中、エステルはシェラザードから渡された紙を眺めていた。
「ほんとに……これでいいのかな?」
 いくら得体が知れないとは言えツンフト社は民間企業だ。その民間企業に対して探りを入れるような真似をしていいのだろうか?


 数日後、ついに湯治客がやってくることになった。それまでは比較的のんびりしていたがそうも言っていられないと気合を入れなおす面々。来たみたいと村の入り口まで行っていたカルナが戻ってきて、従業員一同は宿の前に立った。それから幾ばくも経たずに人の声が大きくなってきた。
「元気よく挨拶だよ。最初が肝心だからね!」
 もはやマオは遊撃士たちが何のためにここにきているのか忘れているのではないだろうかと不安になってしまう。けれど仕方がないのでそれに従い、マオがするように挨拶を始めた。
「ホントに団体さんね……これじゃもしターゲットが来ても落ち着いて調べることなんか出来ないかも」
「その時に備えておかないとね……」
 挨拶の合間にボソボソと目配せしあう。そのうちにやっと全員宿の中に入ったようだ。最後にマオが代表者と話をしている。
「……わざわざ遠く帝国からよくお越しくださいました」
 帝国、の単語に数人が反応した。心なしかマオの声が引きつってはいないか。
「よろしく頼むよ女将さん」
 聞こえてきた代表者の声は聞き覚えがあるなんて物ではない。むしろ心当たりがありすぎて振り向くことを拒否するほどだ。
「ねえシェ……『アイナ』姉……」
 思わず本名で呼びそうになったがなんとかエステルは自制した。それを注意することも出来ずシェラザードは呆れ果てている。アガットもその隣で口をあけていた。
「どうした? あの御仁は知り合いか?」
 カルナが不思議そうに首を傾げ、ヨシュアはもう黙っておこうと決めた。
「こちらが従業員の皆さんだね? 短い間だけどよろしく」
 白々しい、とシェラザードが渋面。
「後できちんと話してくれるんでしょうね?」
「もちろん。キミが望むまま、朝までしっとりと」
「……」
 手がでそうになったのを抑え、大声を飲み込む。そう、湯治客の代表として遊撃士たちの目の前にいるのは、帝国に帰ったはずのオリビエその人だった。

die Folge


戻る