夕方になりようやく太陽がお目見えするようになった。おかげで辺りは赤に染まる。一歩進む毎に水音が大きくなっていく。
「これは……下から見上げるのとはまた違う。壮観だ」
 目の前を爆音と共に落ちていく水を眺め、思わず口をひらく。それなりの整備がされており、落ちないように柵が取り付けられている。悪天候と季節はずれのためだが、人気がないのもいい。柵のギリギリまで近寄った。
「お気をつけて」
「まさか落ちはしないだろう。まあ、貴女に俺の気持ちを味合わせてみるのも乙なものかもしれんが」
「だからその件は申し訳ないと……」
「大丈夫だ、この柵は頑丈だし、乗り越えるには骨だ」
 不満そうにユリアが顔を顰めている。
「そんな顔をあまりするな」
 笑いながら腕を掴み、自分の隣に立たせた。耳元に、それはそれで魅力的だが、と囁けば瞬時に固くなる。夕暮れの赤のせいで顔が赤くなっているかわからないのが少し残念だ。
「それにしても……リベールの技術というのは恐ろしい。大昔にこんなものを作ることが可能だったとは。……建築には疎いが、あの隙間なく綺麗に積まれたレンガなどどうやったのだろう」
「なにせ、あのリベル=アークの直系ですからね。……以前は不思議でしたが、さすがにあの事件を経験すればなんとなく納得できます。ちなみに、現在の技術ではこの積み方はできないのだとか」
「ほう」
「アルセイユ機関長が感心していました。輝く環のようなものを教会では「早すぎた女神の贈物」と言うそうですが、これもその一つではないかと思います。ただ、あまりに身近な素材なので皆が気付いていないのでしょう」
 柵に寄りかかりながら流れる水を見る。
「もしも、リベールとやりあうことになれば、俺たちなど一網打尽だな。アルセイユのような技術力と、兵の士気の高さ。帝国ではほとんど望めん」
「やりあうおつもりだったのですか?」
 首をかしげて問い掛けるその目にはからかいが見えた。
「冗談だ、冗談。まったく……」
「貴方に斬られて逝くのなら悔いはないですよ」
「俺が後悔する」
「……」
 深い意味はないのだろうが、ユリアはそれ以上軽口を叩けなくなった。いつもよりミュラーの横顔が寂しく見える。視線を滝へ。
「少し、真面目に答えてみますね」
「ん?」
「確かに、リベールには技術力があるのでしょう。十年前もそれが目的だったのでしょうから。ただ、人は少ない。戦争は所詮人間の多さで決まる部分があります。もちろん、開戦前なら情報の操作で、悪く言えばハッタリを利かせることも可能。技術力での抑止、とでもいうのでしょうか。けれども実際に戦いが始まり、人が血を流すようになった時。戦える人間の多さで決まると、私は思います」
「貴女がそんなことを言っていいのか?」
「陛下にも、殿下にも、将軍にも進言しましたよ。だから、というわけではないでしょうけれど、リベールは基本的に不戦主義です。准将殿のような人間がいない限り、起死回生の策などそうそうありはしないから。もっとも、私の考えるようなことは、陛下たちはとっくの昔に行き着いているでしょうけれど」
「そうやって、軍の人間が王族に直接進言できる環境はうらやましい」
「帝国では違うのですか?」
「皇帝が軍事の最高責任者であり、その周りはイエスマンか、皇帝を傀儡にしようとする人間で固められている。現状は……一応オリビエが最高責任者ということになっているが、軍の上層は宰相殿の息がかかっていて、上層の派閥から外れている俺の言うことなど通りはしない。生きているうちに変革できるかどうか……」
 深い溜め息をつくミュラー。その腕にユリアが頭を預けてきた。いつかの月夜のように。重さが心地よい。
「……先ほど、帝国の兵は士気が低いと仰っていましたが」
 ふと思い出したように呟く。
「あの襲撃時、僅かですが貴方の部下と共に行動しましたが、彼らの士気は凄まじく高いものでした。貴方が思うより彼らは優秀かと。……だから」
 顔を上げて男をみる。
「うちと、やりあうなんて言わないでくださいね?」
 あんな兵たちを相手にしつづけるスタミナは、リベールにないのですから。
「……全力で上層と戦って阻止することにしよう」
「お願いします」
 満面の笑みに誘われ、ようやく光量を落としてきた薄闇にまぎれて一瞬唇を重ねる。僅かに体が揺れるがそれを受け、また頭を腕に預けた。
 体に響く音と振動に心を委ね、太陽光の代わりについた街灯の薄明かりに照らされ、二人は立つ。激しく流れる水は変わらず。ふとミュラーは、服の端を捕まれていることに気がついた。動かないように様子を見れば、どうしようか思案しているようだ。あの夜のように腕に捕らえてみようかと思うが、今回はユリアの好きにさせてみようとも思う。暫し待ってみれば、結局手は離された。が、少し様子が違う。街灯の明かりでは読みきれない表情。
「……私も、一つ。告白しますね」
 昼間のあの質問。ミュラーにとってはどれほど口に出すのに勇気が必要だっただろうか。質問の形を借りた告白だ。
「遠慮なく」
「戦役の頃、殿下と出会ったのはご存知ですよね?」
「確か、焼夷弾があたったとか」
「ええ。その時です」
 一旦言葉を切り、空を見上げる。天頂が僅かに紫だ。
「あの時。私はどうしようもなくなり、伝令に志願しました。まだ士官学校在籍中で、なにか出来ないかと思った結果です」
 どう言おうか考えるが、どう言おうと事実は事実だ。
「忘れもしません。開戦から74日目。本陣からツァイス第二分隊に走ったとき。……もうその時には中央工房は占領されていたので、市から離れたところに分隊を集合させていたのですが……帝国もその動きはわかっていたようで、一気に制圧されました」
「……」
「一時的に捕虜の扱いを受け、辛うじて私が抜け穴を通って本陣に戻り、奪い返したのですが。まあ、察してください。……そういうことなんです」
 十年前であれば今のエステルと変わらない年。
「まだ今よりも勢いで行動し、馬鹿な小娘でした。その報いだったのかも、と思ったりもします」
 輝き始めた一番星を見ながら呟くユリアを抱きしめたい。だが、できない。
「一昨日の夜見た夢が、それだったんですね。だから、眠れなくなった」
 いい加減に癒えてほしいと思うが、なかなか上手くいかないものだと笑うユリアに声もかけられない。
「けれど、貴方や、オリビエ殿や、皇城の人々に出会うことができて。長い間の塊が少しずつ溶けているような、そんな気もするのです。……というわけで、私は綺麗な体ではない。……それだけです」
 視線を流水に戻すがミュラーを見ようとはしない。
「それで私のことが嫌になったというのであれば、それでも構わないです。長い間誰にも言えなかったことを、言う勇気を与えてくれたのは貴方だと、覚えていてくれるなら」
「誰が……誰が嫌になどなるか!」
 自然と声が荒くなる。
「そんな程度で心変わりするような男に見られたくない!」
「ミュラー殿……」
「綺麗な体じゃない? そんなことどうだって構わん! 俺にそこまでの器があるかわからんが、それを含めて貴女を抱えてみせる!」
 頭の端で、血が上っているぞと警告している。冷静になれば歯の浮くようなことを言っているのではないかとも思う。とはいえ今はそれどころではない。
「大体俺は今の貴女しか知らんのだ。その塊を持って、必死に溶かそうと努力する貴女しか。なら、できるだけ早くその塊がなくなるのを祈るし、手伝えるものなら手伝いたい」
 女の両手を包み込み熱く言葉を飛ばす。包まれた手を見ていたが、そのままミュラーの方へ向かって倒れこんできた。腕ではなく胸に頭を預ける。
「十分です……十分すぎるほどです……貴方がいてくれるなら。私を見ていてくれるなら。きっと、この塊はなくなる。……なくせます」
「俺は……今の貴女が、欲しいのだ」
「……はい」
 会話が途切れ水音が響く。
「申し訳ない。今日は、貴方を怒らせてばかりだ」
「俺は貴女を泣かせてばかりだから、どっちもどっちだ」
 同時に笑う。そこへ。
「あー。そこの二人」
 しわがれ声が割ってはいる。慌てて離れ、ミュラーは声のする方を見た。老人が鍵を持って立っている。
「ここを施錠したいんだが。すまんが、他所でやってくれ」
 ニヤニヤと笑う老人に軽く一礼し、二人は逃げるようにその場を去るのだった。




Ende

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 水音に安らぎを、と、今度はエア=レッテン篇。ユリアさん無茶してるよなー(笑)。伏線ってほどのもんでもないですが、『あなたが空を行くなら』あたりで言ってた少佐の疑問、ようやくぶつけてみることができました。で、いつ言おうか迷ってたユリアさんの過去の暴露話。最悪の事態にする気はさすがになかったです。登場人物にやたら重いもの背負わせる癖がある私ですが(死)。なんかの本で読みましたが、そういう状態の時は精神状態が異常なので、不妊期でも妊娠してしまうことがあるそうで。女の子の体って不思議。レンガの積み方はマヤかどこかの積み方をイメージ。あれも現代技術では積み上げられないのだとか。
 ちなみに最後のじっちゃんは、少佐が怒り始めた辺りからいたりします(笑)。この話の少佐、なんかさらっとキザなこと吐いてる気が。聞くと真っ赤になるようなことを、全く気が付かずにさらっと言うのは好きです。狙ってキザな台詞を言われるのは苦手ですが。あとで思い返して少佐真っ赤になって頭抱えるに違いない。んでユリアさんにちょくちょく言われたりするんだ(笑)。

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