時折、調子が悪そうな灯を直しながら進んでいた。途中の水脈が思ったより増水しており、オーブメント回復機が水に浸かってしまっていたが、地をはう魔獣も流されたのか、それほど痛手ではない。
「後でこれ報告しなきゃ。わたしだけじゃまだ直せないし。……帰りはもう少し減ってるかなぁ。この水量を越えるのは、ちょっと怖い……」
 ティータが溜め息をつく。
「雨が降るとここはこんなに増水するのか……」
 ミュラー呟くと、ティータが答えた。
「あ、多分違うと思います。水門が動かなくなったせいじゃないかと。多分、動かなくなったの上三番だと思います」
「上三番か。確かにあれは古い。水道で一番大きな水門ではなかったか?」
「はい。あの場所付近にここに流れ込む水路があったと思うから、上三番が閉まってるとすると、この水量もわかるんです」
 女達が話すのを聞くが良くわからない。肩をすくめる。
「ミュラー殿には多分良くわからなかったですね。エア=レッテンは上流に三箇所、下流に二箇所水門を作っているのです。うち、一番古いのが上から三番目、もっとも関所に近い位置の水門です」
「それを上三番、って呼んでるんです。観光客の人にはちゃんとした名前を教えてるみたいですけど、わたしとかは上三番と言う方がわかりやすくて」
 実は、正式な名前は知らないのだと女達が言うのに苦笑した。
 いつのまにかティータと手をつないでユリアは歩く。小さな小さな子どものようだが、不思議とそれが似合う。少女に歩幅を合わせながらそっと進んでいくと、水の音と明かりが見えてきた。
「そろそろか」
「そうですね。だが、やはり上からの水量が減っているのでしょう。水音が小さい」
 普段であれば出口の光が見える前に水音がし始める。
「あの水音を聴きにきたが、今回は期待はずれかもしれない」
 心の中で思いながら洞窟を抜けた。
 曇天はツァイスと変わらず。シーズンオフの為観光客はあまりいない。出たところに親子連れが二組、カップルが一組いる。
「やはり、水量が落ちている……」
 残念だが仕方がない。普段よりは少ないが、滝が消えてしまっているわけではない。手すりに腰掛ける。
「ユリアさん、ミュラーさん。本当にここまで一緒に来てくれて、ありがとうございました。今から水門を見に行ってきます」
「気をつけて。しばらく私はここにいるから、何かあれば手伝おう」
「はい!ありがとうございます!」
 一礼して関所内へ降りていった。人は少なく、曇天でどうにもすっきりしない。見張りもやる気がなさそうにあくびをしていた。そっと目を閉じる。
 隣に人が座った気配がした。目を開けるとミュラーが自分と同じように目を閉じていた。さりげないふりをしてユリアを気遣っているようだ。
 しばらくそのままでいたが、近くで親子連れが釣りを始めたので少し騒がしくなる。ミュラーに目配せをしながら立ち上がると関所へ降りる。
「どうする?」
「とりあえずここで休憩をとりましょう。ずっと露払いをして頂いて……お疲れでは?」
「たいしたことはない」
「……」
 大丈夫だと笑うが、歩くだけでもそれなりの距離があるのだ。
「やはり、少し休みましょう。確か軽食も取れたはず」
「ふむ。それはいい。疲れはそうでもなくても、腹は減っているからな」
 嬉しそうに先を歩く姿を見て、ユリアもなんとなく嬉しくなった。

 まず、地方越えの手続きをしてから遅めの昼食を取った。丘陵の上から下り落ちる滝をみたいと、ミュラーが言ったからだ。それには一旦ルーアン地方に出て、脇道から入るのが一番行きやすい。あれこれ地図を見ながら食後の一杯を堪能しているとティータが戻ってきた。
「あ、こっちにいたんですね。上三番、直りました!」
「もう直したのか。さすがティータ君だ」
「あはは、違いますー。ほんの単純な部分の配線が切れていただけだったので、すぐだったんです。地下水脈もこれで少なくなります」
 言われてみれば先ほどから水音が大きくなってきている。この音が聞きたかった、とユリアはにこりと笑う。
「ようやくリラックスした笑いを見た気がするな」
「本当ですね」
 ミュラーとティータがその様子を見ていた。
「そ、そんなに仏頂面でしたか……」
「俺ほどではない」
 笑いながら言うミュラー。ティータはその一言を聞いて肩を震わせている。
「笑いどころのつもりではないのだが」
 今度は困った顔でティータを見た。ユリアはその間にティータの分の軽食を頼む。最初は断ったが盛大な空腹の音がしたところで少女が折れ、食卓を囲んだ。
 しばらくティータが食べる様子を眺めつつ他愛のない話をしていたが、突然窓の外を何かが落ちていった。次いで悲鳴が聞こえてくる。
「!?」
 窓に飛びつくと、レンガに辛うじて指をかけてぶら下がる子どもがいた。釣りをしていた子どもだ。
「もう少しがんばれ! 今助けに行くから!」
 上から兵が声をかけつづけている。廊下はバタバタと騒ぎ始め、何かの道具をもっていく音がしている。兵たちは部屋にハーネスをつけたロープを持ち込んできたが、手間取ってなかなか体につけられない。再び子どもに目をやると、もう捕まっていられないのだろう。苔で掴みにくいレンガに今まで耐えていたが、もう限界のようだ。兵が救助するのも間に合いそうにない。
「ティータ君、下水門をすべて閉め、上水門全開にしてくれるように頼んでくれ! 四の五の言うようなら私の名を出して構わん!」
「は、はい!」
「一体何を!!」
「多分救助までもたない。行って来ます」
 捕まえようとするミュラーに笑いかけ、カーテンの端を破る。適当に引き裂き、体に巻きつけて窓から飛び出した。ちょうど子どものすぐ脇に来る位置だ。
 カーテンレールが異様な音を立てて壊れる。ぶちぶちとレールから外れていくカーテン。一つ二つ留め具と繋がっているが、破れ、通常より長くなっている。
「いかん!」
 全部千切れたら終わりだ。咄嗟に手を出し布をつかむ。破れ目を握り、余りを自分の体に巻きつけ、ようやく落下が止まった。
「……っ! どうだ!?」
 引き寄せられる力に耐えながら下を覗くとユリアがぶら下がる少年に手を差し伸べている。恐る恐るだがユリアに抱きつき、より強い力で引き寄せられ始めた。
「くっ……頼む、俺を部屋の奥に……引っ張って……」
 兵が数人ミュラーの体に取り付く。カーテンをもちながらゆっくりと引き上げる。布がこすれる嫌な音が聞こえてきた。

「しっかり掴んでいるから、手を離しても大丈夫だ」
「……うん」
 諭しながら少年の胴に手をまわす。少年はユリアの首にかきつく。
「よくがんばった。大丈夫、絶対に助けるから」
 震えながら頷く少年の背中をなでる。上を見れば今にもちぎれそうな布。胴体に巻きつけてある部分も解けそうだ。おそらくもたない。下を見れば、普段より遠い水面。だが、次第に水量はあがっている。
「少年。名前は?」
「えっ……トマス……」
「トマス、私を信じてくれるか?」
 じっと目を見る。トマスと名乗った少年は、泣きながら、戸惑いながら見つめ返す。ややあって、ちいさく、うん、と囁いて首にしがみついた。
「なら、目を閉じて。しっかり抱きついて。何があっても暴れないで」
 首の動きが肯定を意味していた。片手でトマスを抱く。空いた手で身に付けていた短剣を引き抜き、下をうかがいつつカーテンを切り裂いた。当然重力に従い下に落ちるが、ある程度覚悟が出来ていた為耐えられる。トマスも今のところは暴れずにおとなしくしていてくれていた。
「ちっ、少し早かったか……」
 心で呟く。トマスを力を込めて抱き、水面へ落ちた。

 突然軽くなり、ミュラーも、彼に取り付いていた兵も全員その場にひっくり返る。いち早く体勢を整えたミュラーは窓際へ文字通り飛びついた。必死になってカーテンのなれの果てを手繰り寄せれば、刃物に切断された断面。
「……ユリア!!」
 何か勝算があってのことと思いたい。だが、それよりも感情が先に動く。
「あっ、アンタまで何する気だ!!」
 窓枠を越えて後を追おうとした男は慌ててた兵たちに取り押さえられる。暴れるが両手両足に取り付かれてはさすがに動けない。
「ミュラーさん、こっち!」
 ティータの声が惨状に割ってはいる。一瞬どこにいるのかわからなかったが、見回すと入り口に少女が立っていた。
「わたし、わかるから!」
 その言葉を信じて、兵を振り払って駆け出した少女の後を追った。外に出て街道を走る。ややあって脇道にそれ、半分消えかかっている道を下っていく。
「一体どこへ!?」
「水流の関係で、このあたりに流れるはずなんです。前に工具落とした先輩が、釣りをしに来た人に見つけてもらったって言ってたから!」
「しかし!」
「わたしがあの部屋に戻ってきた段階で第三危険水位まで上がってました! 多分、窓から落ちても大丈夫です!」
 相応の深さがあれば高所から飛び込んでも底に激突するようなことはない。だが今度は着水時の衝撃が問題だ。
「それだけは、祈るしかないですけど……ユリア大尉さんなら大丈夫な気がします」
「……そう、信じたい」
「ミュラーさんが信じなくて、誰が信じるんですか!」
 叱咤されハッとなる。ティータが立ち止まって、目に涙を貯めて男を見ていた。大きな大きな壁に立ちはだかられたような錯覚。
「……ああ、そうだな。俺が信じなくては」
 袖で荒っぽく涙を拭き、ティータはまた駆け出した。やがて周囲の木が少なくなり視界が晴れる。少し離れたところに関所が見えていた。下から見れば意外なほど高さがあることがわかる。最悪の想像が頭を走るが、口に出してしまえば実現しかねない。ティータに習い水面に目を凝らす。僅かな異変も逃すまいと。

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