全身に汗をかいて目覚めた。外を見、次いで時計を見る。まだ眠りに落ちてから半刻も経っていない。
「……」
 嫌な夢だった。ここ数年は全く見なくなった、あの日の夢だ。記憶は薄れようとも心は覚えている。そして、心が忘れるには10年は短い。
「なんだ……この強烈な不安は」
 大体のルートを決めてそれぞれ部屋に入ってから、当然だがすぐ眠れるわけはなく、寝台でまんじりともせず寝返りを打ちつづけていた。ようやく眠りが訪れてくれたがその間に見たのが戦役で捕虜になったときの夢だ。
 そっと部屋をでて水を汲み、ダイニングの椅子を窓際に持っていって座った。外は暗く、街灯がぼんやりとあたりを照らしている。
「……よりにもよって、何故こんな日にあんな夢を……」
 呟くが原因はわかっている。父親の部屋に居るミュラーだ。
「違う……あの人は違うのだ……だからおとなしくなってくれ……」
 心に呼びかけながら水をあおった。勢いをつけすぎたのか、気管にはいりむせこんだ。過去の傷が痛む。ミュラーを想う気持ちが強いほど傷を思い出さずには居られない。
 30分ほど窓際に座っていたが、せめて横になろうとカップを置き自室へ戻った。ダイニングからユリアが居なくなってそれほど経たずに今度はミュラーが水を飲みに出てきた。こちらも寝られずにいたのだが単純に生理的なものである。せめて頭は冷やしたいと思ったのだが、窓際にユリアが座っているのが見えたのでしばらく部屋にいた。
「……」
 なにか思いつめた表情。テーブルに置かれている水差しから水を汲み、コップを手に持ったままユリアの部屋の戸を眺めた。
「何を、思っていたのだろう」
 水を飲むことも忘れて戸の前に立つ。ノックをすれば応えるだろうが。
 どれほど立っていただろうか。いい加減に寝なければ朝に支障がでると言い聞かせ、戸の前を離れた。思い出したように水をあおり、空のコップをテーブルに置く。それに合わせるかのように戸がひらいた。
「!」
「やはり……人の気配を感じたのですが……水が足りませんでしたか?」
 半分以下に減っている水差しを手にとり、台所へ入って行った。違うと言えずに戻りを待つ。ややあっていっぱいになった水差しをテーブルに置いた。
「他に、何か足りないものはありますでしょうか?」
「……先ほど、窓の傍で何を思っていた?」
「あ……」
 瞼を伏せる。
「昔の、夢を」
 それだけをこぼす。黙ったままでは居心地が悪い。
「昔?……幼い頃か?それとも戦役」
「ミュラー殿」
 男の言葉を遮るようにユリアが目を開けた。
「どうした?」
「私を……抱いてはくれないでしょうか」
「……」
 なんとなく予感はしていた言葉で、そう言われてうれしくないわけではない。だが、何か思いつめたような必死さが辛い。
「女の私から、貴方を求めるのは……いけないことでしょうか」
「ユリア……しかし」
 立ったままのミュラーに業を煮やしたか、女が抱きつき口付けをした。奪われながら細身の体を抱き返す。
「……今度は貴女が俺に夜這い、か」
 軽口を叩きながら目を見る。何かを押さえ込もうとする必死さ。その必死さが少しでも薄れるのならば。少しでも安らかになるのならば。
「俺と居ることでそのつらい何かを忘れられるならいくらでも。……が、俺が居ないときに思い出すことになるのならば抱けん。より傷つくのは、貴女だ」
「……」
「他人にいえないほどの辛い思い。肌を合わせるだけでは癒せない」
「ええ……わかっています。……すいません、私がどうかしていたようだ……」
 抱き寄せられながら床を見る。
「どれほど読書をしようと、どれほど新たな知識を得ようと。私は、きっと馬鹿なのでしょう。申し訳ない、こんな時間にこんな戯けたことを……。明日は早いというのに、このままでは自分が起きられない。今度こそ、おやすみなさいませ」
 わざとらしく明るい声を出して離れた。そのまま部屋へ向かう背中に声をかけた。
「ユリア。そんなに、自分を貶めるようなことを言うものではない。いつぞやの約束にこれも付け加えてくれ。それに……抱きたくないわけじゃない。今だって、そうしたがっている。だが、貴女自身はまだ本当にそれを望んでいない」
「そんな……私は、貴方にならば」
「なら、何故俺を父親の部屋に?」
「……」
「……傷つけたくないのだ、これ以上」
 すでにユリアはミュラーの為に消えない傷を負っている。傷を負うなということが無理でも、せめて自分が原因でユリアが傷つくことだけは避けたい。
「わかっております。……心遣い、ありがとうございます……」
 戸の前で深々と一礼。ゆっくりと部屋の中へ入った。
「ふう……もう一押しされたら、我慢はできなかったろうな……」
 握り締めていた服の裾を離しながら呟く。と。
「聞こえましたよ」
 戸から顔を出していた。
「ふふふ。お望みならばいくらでも押しますよ?」
「ああああっ! 冗談にも程がある。いいから今日はもう眠れ!」
 慌てて女を部屋に押し込めようとするが、それをすり抜けて抱きつかれ、頬に柔らかい感触を受ける。
「だから無理はしなくていいと」
 このまま行けば傷つける。冗談は言ってもまだ瞳の痛さは消えていない。
「はい。お休みなさい、ミュラー殿」
 今度は慌てる男の手に従い、部屋に入った。リビングに残されたミュラーは水差しから直接水をあおり、むせこみながらあてがわれた部屋へ駆け込む。寝台に倒れ、眉間に皺を寄せたまま眠ろうと必死になるのだった。

 明け方ようやく僅かに眠ることができ、起床時間を迎えた。手早く身支度を整えて食事の準備をはじめた。簡単なサラダとパンと付け合せに卵を焼く。それほどレパートリーが広いわけではないが、学ぶことは嫌いではないので王城の料理長に幾度か料理を教わりに行った。その際に段取り良く短い時間に料理を作るすべを身に付けている。
 テーブルの上に二人分並べ、ふとうきうきしている自分を理解した。滅多に使わない二人目の食器。
「以前使ったのはいつだったろう」
 一月ほど前に友人が共和国へ留学する時、他の仲間と共に祝ったのだったか。そんなことを思いながらまだ部屋からミュラーが出てこないことに気が付いた。
「ミュラー殿?朝食の支度ができました」
 返事はない。そっと戸をあければ寝息が聞こえた。中途半端に光が差す窓を開け、寝台の傍で膝をつき覗き込む。
「……」
 端正な顔立ちだ。凛々しい眉の下で瞼に守られている孔雀色の瞳を思う。意外に長い睫毛にどきりとした。夜着とシーツに隠れた体躯は鍛えられていることをそっと主張している。
 髪に手を触れる。硬めの髪は、何をすると問い掛けるようにユリアの手をつつく。
「朝、ですよ……」
 だから、ユリアはそっと囁いた。だがまだ起きない。
「……さて、どうしましょうか」
「……む……」
 頭に手を置いたまま考えていると男がうっすらと目を開けている。
「……ユリア?」
「おはようございます」
 微笑んで手を引いた。
「何故……ここに?」
「応えがなかったので。朝食の支度ができています。準備ができたらリビングまでおいでください」
 立ち上がり部屋を出た。残されたミュラーは暫し考え、ようやく自分が今どこにいるのかを思い出す。時計を見れば早朝。国にいれば早朝訓練で起きておかしくない時間。昨夜はほとんど眠れなかったが習慣とは恐ろしいものだ。
「……」
 目を開いたとき、眼前に考え事をしているユリアが広がっていた。夕べの事がなければ寝台に引き寄せていただろう。
「……起きるか」
 呟き、寝台から降りた。

 簡単だがしっかりと朝食を取り、荷物の最終確認をする。何事もなければ夕方までにはツァイスにつけるだろう。地図を眺めながら見当をつけた。
「さて、行きますか」
「行くか」
 荷物は軽い。帯剣し、オーブメントの配列を確認してポケットへ滑り込ませた。
「セントハイムを出るまで、つかず離れずでお願いします。……申し訳ない」
「気に病むな。俺がいきなり行きたいといっただけだ……顔を上げてくれ」
「?」
 言われるままに顔を上げると唇に指を当てられた。
「頼むから、俺を無茶に惑わさないでくれ。ただでさえ貴女には誘惑されっぱなしなのだ。このままでは俺の面目がたたん」
「誘惑などできるほど、器用ではないです」
「意図せずしているならそれはそれで問題だな。いつ、貴女が誰かに掻っ攫われるか」
「み、ミュラー殿! そんなことありません!」
 声を荒げると指を離し、困った表情で笑いながら部屋を出て行った。ユリアも、暫しの時を置いて部屋を出た。



Ende

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 ……。
 なにこのバカップル
 とまあお約束のツッコミをしたところで、今度はエア=レッテンに向けてバカップル全開道中膝栗毛(何)。ええいもうなんでも来やがれ。
 少佐が操る笛は最初ピッコロをイメージしたのですが、あんな超音波兵器を夜に鳴らしてたらさすがにつまみ出されるだろうので、フルートの超初期型、という感じにしておきました。帝国楽器職人の渾身の作。ハーモニカがあるならフルートはもう金属製だと思うんですが。なにせリュートを銃に改造できる技術あるんだし(爆)。それにしてもなんで惚キャラに楽器渡すかな。マイスターさんはアルトサックスだし。なんだ、自分が木管やりたいのか。早くフルートなおそ。
 もぞゾーン(検閲)ですが、こっちではもう少し、傷がまだ残っていたら版で書いていたりします。だからお互い手は出したいけれど一線はまだ越えてません。時間の問題でしょうけど(笑)。
 写真を背景として使うことに許可をくれた友人に感謝。私にはこんな写真撮れません。写真に対してそんなに愛をもってないからだろうな。ま、私はスケッチ方面ということで住み分けしておくか。

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