クローゼが離宮に泊まるのでユリアも離宮にいた。深夜二時から四時までの警備を行うことになっているので、割り当てられていた部屋で一息つく。もうすでにダンサーの衣装は脱いでおり、質素な部屋着である。
「まさか、ミュラー殿以外気が付かなかったとは」
 薄闇に紛れてダンスフロアから離れた。オリビエとクローゼは言われるまで気が付かなかったし、他の人間は完全にわからなかった。今でもおそらくわかっていないだろう。
 そのほうがいい。警備が目立ってはいけない。他の警備の人間も、女はユリアと同じような格好をしていたのだった。
「しかし……ふふふ」
 目を丸くしていたミュラーを思い出す。そして、踊っている間自分を絶対に離さなかった手。まだ、暖かい。
「ええと、ユリア大尉さんのお部屋は、ここですか?」
 戸が叩かれる音と少女の声。
「そうだが?」
 戸を開けると普段の姿のティータが立っていた。
「あっ、よかった。あっちの兵隊さんに教えてもらったんですけれど、ここいっぱいお部屋があってよくわかんなくなっちゃったんです」
「ティータ君じゃないか。迷ったのか?」
「いいえ。クローゼお姉ちゃんが、ユリア大尉さんを呼んできて欲しいって言ってたから」
「殿下が?」
 何事だろう。ティータに少し待つようにいい、帯剣した。
「どこにおられると?」
「こっちです」
 にこりと笑ってユリアの手を握った。その暖かい手に微笑む。考えながら歩くティータに先導され、ついた所は先ほどまで片付けが行われていたホール。
「クローゼお姉ちゃん、連れてきたよ」
「ありがとう、ティータちゃん」
「ティータでいいよ。なんだか恥ずかしいや」
「殿下……何用でしょうか」
 膝を折り声を待つ。と、上から布をかぶせられた。
「!?」
「ユリアさん。そんなものしか手に入れられなかったですが、許してください」
 クローゼが目線の高さにしゃがんでいる。よくよく見れば薄い布だ。
「まあこっち来てや大尉さん。ああ、布はそのままで」
「……え?」
 言われ、シェラザードとエステルに押されるままにケビンの前に立つ。その後ろのオリビエは笑っているが、ジンとヨシュアは微妙な表情だ。
「な、何事なのだ?」
「あー、聞いてない?」
「全く」
「オリビエさんの案。今から祝福の儀」
「なっ……」
 あんぐりと口をあけてしまった。周りをみるといつもの面々だが、みんな承知しているとばかりに頷く。
「……」
「相手さんはまだやな。一体どこまで探しにいっとるんやアガット君……」
「あ、あの」
 慌ててユリアは頭の上の薄布を取る。
「ユリアさん?」
 クローゼが顔をしかめて近寄る。
「殿下……お心遣い、大変うれしく思います……が……」
 今にも泣きそうな顔で主を見た。
「自分は警備の深夜当番が当たっているので、失礼させていただきます……!」
「あっ」
 言い置いて駆け出した。止める間もあらばこそ。もう姿は見えない。
「……俺は反対だった。その意味、わかったろう?」
 黙って顛末をみていたジンが呟く。
「人の気持ちなんてのは、他人が押し付けてどうこうできるもんじゃないぜ」
「……ユリアさん……」
 気まずい空気がホールを漂う。そこへ、アガットと共にミュラーがやってきた。
「一体何事だ?」
 妙な空気に驚く。
「そういやさっき大尉さん走り出て行った気がするんだが?」
「……」
 アガットの問いに、しばらくは誰も答えなかった。

「……部屋にはいない。ついでに、門番に聞いてみたら、素振りするって周遊道に出て行ったらしいわ」
「大丈夫かな……」
 ティータが窓をみて心細そうな声をだす。エステルはそんなティータの頭をなでてやった。
「見張り時間までには戻るって言い残して行ったみたいね」
「……」
 目を閉じてシェラザードの報告を聞いているミュラー。先ほどまでオリビエをしかりつけていたのであまり声を出したくない。そのオリビエは部屋の端で伸びている。あまりの剣幕で怒られ、一時的な酩酊状態になったのだろうというのが、介抱しているケビンの見解だ。
「まあ、あの大尉さんのことだから、この辺の魔獣にやられるなんてことはないだろうが……囲まれると厄介なやつもいるから、俺がとりあえず一回り見てこよう。……そうだなヨシュア、きてくれるか」
「わかりました」
 ジンに言われ、ヨシュアが双剣を取りに自分に当てられた部屋に走った。自分は拳の調子を確かめる。
「……少佐さん、あんたはどうするね」
「……」
 目を開ける。組んでいた手を解き、頭を掻く。
「ジンさん、僕の準備はオーケーです」
 戸からヨシュアが顔をだした。
「よし。じゃあ、行ってくる」
 後ろ手に手を振り部屋をでた。黙ったままミュラーも後を追った。
「ミュラーさん……ユリアさん、かなり怒っていると思います……。ああなると、私やおばあ様でもなだめられなくなります……。本当に、ごめんなさい」
 クローゼが頭を下げた。戸を閉める前に彼女の方を向き、わかっているというように頷いた。
「……こ、怖かった……」
 戸がしまる音を聞いてエステルがその場に座り込んだ。
「どこからあんな声でてくるのよ……」
 頭からオリビエを怒鳴ったわけではない。淡々と、問い掛けただけだ。だがその声があまりに感情のない低い声だった。昔読んだ絵本にでてくるお化けの声と、エステルの中で一致してしまったのだった。
「エステルお姉ちゃん、大丈夫?」
 先ほどまでエステルに頭をなでられていたティータだが、今度はエステルの頭をなでる。心配そうなティータを見上げ、思わず抱きしめた。
「ちょっとエステル。冗談やっている場合じゃないわよ」
 ティータに抱きついて泣きまねをしているとシェラザードにたしなめられた。
「ジンの旦那が言うように、あの大尉さんならこの辺の魔獣に遅れをとるようなことはない。だが、一人で怒って飛び出して行ったってのが、なんとも不安だ」
「あんなにユリアさん怒るのは、本当にほとんどないんです……」
「人間やからな。そんな時もあるやろ」
 いまだ伸びたままのオリビエを放置し、ケビンも話に加わる。
「それにしても、オレもまだまだや。ほいほい話に乗ってもうた。女神さんに怒られるかもなぁ」
「みんな同罪よ。あたしも面白がっちゃった部分あるんだし」
 シェラザードが肩をすくめる。
「……ミュラーさん、ユリア大尉さんのこと、本当に好きなんだね」
 ティータが呟く。
「そうだな。だからこそ、アレがあんなになるまで怒ったんだろうよ」
 部屋の端に目をやりながら、アガットが応じた。

 本来なら仮眠を取るべきなのだが、離宮内にいることに耐えられなかった。
 翠輝石の石碑の近くでユリアはがむしゃらに剣を振った。街灯があたりを薄く照らし出しており、ユリアの影がぼんやりと石碑に映る。
 振って、振って、振って。もう手が挙がらないという限界を超えて振って。汗で手が滑り、掌から剣が飛んだとき、同時にユリアもその場に仰向けになる。風の音に木々が揺れて海のような音を立てた。
「……」
 自分はお膳立てをしてもらわなければ恋もできないのか。あの瞬間、浮かんだのはただそれだけだった。誰も悪気があったわけではないのはわかっている。だが、わかっていても突発的に爆発した感情はどうにもならない。
 風はユリアの汗を攫っていくが、頭の奥の熱はまだ残っている。このまま離宮に戻ってもまた飛び出しそうだ。目を閉じた。辺りの気配を探る。茂みの奥には動物達の気配。昼間なら聞こえない足音や鳴き声が飛び込んでくる。魔獣は近くにいないようだった。
 遠くから二、三人分の足音が聞こえる。夜間に通行禁止にしてあるわけではないので、一般人が酔い覚ましに散歩をすることもある。が、どうも自分の方に近づいてきているようだ。けれども、確認する気はない。目を閉じたまま、静かに横たわる。
「あっ! ユリアさん、どこか怪我でも!?」
 ボーイソプラノ。
「……ヨシュア君か」
 片目を開け、駆け寄ってくる少年をみた。
「大丈夫ですか?なにか魔獣がでたんですか?」
「……いや」
 心配そうな少年。よくよく考えれば、剣は近くにあるとはいえ手放しているし、自分自身は汗だくで地面に転がっている。
「でも……」
 言いつつ、周りを見れば血の一滴も流れていない。ヨシュアはほっと胸をなでおろした。
「お、ここにいたか」
「ジン殿まで」
「なに、巡回を兼ねて、だ。しかしすまなかったな。俺はやめろと。他人がどうこうしてよくなる問題じゃないからと、散々言ったんだが」
「話をきいて、僕とジンさんは大反対したんです。自分の知らないところで、勝手に話が進むことほど嫌なことはない……とくに、こんな、心が絡むようなとき」
 ジンとヨシュアが頭を下げた。ユリアは再び目をつぶり、黙ったままだ。
 さやさやと葉が音を立てた。星が動く。そして、ようやくユリアは口を開く。
「すまないが、自分はもう少しここにいる。君たちは先に戻ってくれ」
「ああ。そういうと思った。俺らは帰る。だが、このあたりは囲まれると厄介な奴らが出没する。だから、一人は置いていくがな。……ヨシュア、行こう」
「はい。では、お気をつけて」
 二人は周遊道の本道へ向かっていき、入れ替わりでミュラーが歩いてきた。ユリアは目を閉じたまま。彼は石碑にもたれるように座った。
「……」
「俺も、騙された口だ」
「……」
「だから、俺も怒った。久しぶりに周りが見えなくなるぐらい」
「……」
「……貴女を怒らせたことに」
「……なんと?」
 黙ったままだったユリアが初めて反応した。
「貴女を怒らせたことが、一番俺にとって腹立たしかった」
 張り裂けそうな思いを胸に、リベールと帝国という障害を越えてみたいと生きるユリアが好きだ。自分もそうありたいと願うほどに。だからこそ、納得いかないまま儀を行うことは許されない。それは、障害を超えることができたときに与えられる、最高の栄誉なのだから。
「部屋を出たところに落ちていた。これか」
 手に持っていた薄布を持ち上げる。その向こうにオーブメントの明かりがみえる。
「いい光だ」
 ようやくユリアは起き上がった。頭についた砂を払い落とす。
「ふう……」
「……」
 溜め息をつきながら地面を見ている女に、手の中の布をかぶせた。突然の行動に驚いて顔を上げる。
「大仰な儀式などいらん。そうだろう?」
「……ええ」
 顔にかかった部分を持ち上げる。
「お互いにそれはわかっているんだ。それで、十分だ」
 言いながらユリアにキスをした。それほど間をおかずに唇を離し、付け加える。
「もちろん、今のところは、だが」
「そう、そうですね……」
 少し照れながら付け加えられた言葉を聞き、笑う。
「よし。これで今日の分の不意打ち、借りは返したぞ」
「え……ああ。でも不意打ちという気はなかったんですが」
「……本当は」
 抱き寄せる。
「そんな風に言い訳をしているだけだろうな。ただ俺は、こうやって貴女に触れたいだけだ」
「いいのでは、ないでしょうか?私も、同じなのだから」
 踊っていた時のように頭を胸に預けた。が、すぐに頭を上げ、星を見た。
「いけない。戻らなければ」
 そろそろ見回りの時間だ。
「他の誰かに任せる、というわけにはいかないか。毎度、そうやって俺の手からすり抜けていく気がするが」
「駄目ですよ。色恋に現を抜かして仕事をおろそかにしたとあれば、用無しといわれて放り出されるかもしれません」
「そうなれば俺がつれて帰る」
「……」
 さらりと言ってのけた言葉にユリアは赤くなった。
「どうした?」
「ミュラー殿は、私が不意打ちが得意だといいますが、私は貴方の方が得意なのではないかと思いますよ」
「そうか?」
「ええ」
 不思議そうな顔の男に口付け、立ち上がって本道へ向かう。ミュラーも後を追った。
「おや、お二人さんかい」
「ジン殿?」
「いい機会なので手合わせしてもらっていました」
 本道と合流したところでジンとヨシュアに出会った。二人とも肩で息をしている。
「さすがヨシュアだ。いい動きをする。飛び込まれたらこちらが落ちるな」
「ジンさんは隙を見せないから、なかなか飛び込めない。それより先に僕のスタミナが切れそうだ」
「はっはっは! スタミナだけは有り余ってるぜ。そうだ、あんたたちが出てきたなら今度は俺たちが使うぜ。もうちょっとやりたいところだ」
 後半はユリアに向けての言葉。そのまま返事も待たずにヨシュアと共に奥へ消えた。
「なんとまあ……自分もいい加減武術狂だとは思っていたが、上には上がいたか……」
 途中からすでに手合わせが始まったのだろう、掛け声が聞こえてくる。
「確かに。まあ、人払いの意味もあっただろうがな」
 まったく、遊撃士たちはお節介だ。呟きながらユリアの手を取る。そうですね、というように呆れるも柔らかい笑みを浮かべる女。
「さあ、戻ろうか。……ユリア、帰ったら「ごめんなさい攻撃」が来るぞ。気をつけたほうがいい」
「ごめんなさい攻撃?」
 およそ彼が言いそうにない単語に眉を上げる。
「まずは、クローディア殿とティータ君か。ついでエステル君で暴発。シェラザード君とアガット君、ケビン神父でなだめつつもやはり謝罪、といったところかな」
「……なるほど。それは覚悟をしなければ」
 くすくすと笑いながら、手は離さず歩き出した。


ENDE

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 まーた無駄に長いなぁ。なんなんだよ、この燃焼具合は。部屋の中甘すぎて一切甘味なんか入れてない茶まで甘いですわ(謎)。絵のどこかに放り込んであるダンサーなユリアさんはこの話から出てきてました。もちろんイメージソングは『ハイヌミカゼ』で(笑)。♪私と〜踊ってよ〜
 1、2と3の文章量に差がでてます。場面転換で分けたらこんなになってしまった。タイトルはまんま「祝福」。ここはもうこれしかないかな、と。
 後半にジョゼット居ないのは忘れたわけじゃないです。一応。なんか、彼女にまで話するかなぁと思ったので。

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