手に衝撃を感じた瞬間感覚が飛んだ。思わず握っていた双剣の片方を取り落とした。
「危ない!」
 危険を知らせる叫びに目を上げれば目の前に巨大なカマキリの刃が迫っている。覚悟を決めた時、首元を後ろから強く引かれてその場から放り出された。
「私の大事な相棒に! 何すんのよ!!」
「ステラさん!」
 数瞬前までエミリオがいた場所にステラがいて、彼の代わりに相対している。援護しようと落とした剣を探すが見あたらない。
「こっんのぉ! いい加減、落ちろー!!」
 ステラの絶叫。同時に左手に光球が生み出される。それを振り当て、やっとカマキリは離れた。その隙を逃さずに跳躍、脳天と思われる箇所へ深々と剣を突き立てていた。
「……あー、終わった」
 カマキリは静かに沈み、砂地に埋もれていく。黙ってエミリオはそれを見ていた。後腐れがない分、イクでの戦闘はあまり気が重くならない。
「あ、エミリオさん素材取らなくていいんですか? しずんじゃってますよ?」
「……いいです」
「そうですか?」
 あなたが良いというなら私がどうこう言うわけにも行かないですけどね、と肩をすくめつつ、ステラが双剣の片割れを渡してきた。
「……大丈夫ですか?」
「すいませんステラさん。僕が油断したばっかりに」
 ステラの肩口に鉤裂きができて、肩自体もそれなりに深めの傷が入っている。
「んー。大丈夫でしょう。帰ったらメルに見てもらいましょう」
 それがいい、と笑いながら傷口を簡単に消毒している。
「いててっ」
 沁みて痛い、と舌を出す様が、少しだけ沈んだ心を癒してくれた。けれどまたすぐにため息がでる。
「どうしました? あ、ここじゃ沈んじゃうからあっちの岩場行きませんか?」
「……そうですね」
 原因は嫌と言うほどわかっている。気ばかりが焦っているし、何か大きな事を見落としている気がしてならない。心のどこかにある喪失感を埋めようとしてがむしゃらになりすぎているのは自覚していた。
「じゃ、私は今から壁」
「え?」
「……」
「壁って何ですか……」
 岩場に思い思いに座ってしばらくした頃、いきなりステラがそんなことを言い出す。どういうことか聞いても黙ったまま。ただ、表情はしゃべりたくてしゃべりたくてたまらない、それを必死で我慢している、そんな顔だった。
「今なら顔だけでサムト君とかなら笑いそうですよ、それ」
 プンクック団を率いる悪戯ガキ大将を思い出す。なぜかエミリオはあまり好かれていないのだが。
「……」
 何か言いたそうにじっと男の顔を見ていたステラは、不意に笑顔になった。次いで自分の荷物から手帳と筆記具を取り出す。
「……?」
「……」
 何事かを書き付け、それを自分の体にくっつける。
「『ただの壁なら独り言みたいに話せるかなーって思って。あ、これは壁に書かれた落書きと思って下さいね』……」
 ここまでやられると苦笑いするしかない。
「うん、まあ、なんというか、僕が焦ってるだけなんですけどね。それだけですので壁は終了にしませんか?」
「……」
 ステラに聞いてみるが口をへの字にしたまま眉間にしわを寄せている。
「だから……壁といわれても、あなたはあなたですから。そうそう壁とは思えませんよ」
 エミリオの言葉に目を閉じてへの字のまま考え込む。ややあって、仕方がないとばかりに息を吐いた。
「仕方ないです。壁だけどしゃべります。たまにはそんな壁、ありません?」
「……いや、ないかと」
「そうかなぁ、あってもおもしろいと思うのに」
「……あなたの判断基準って」
「おもしろいかおもしろくないか、ですよ? 判断基準なんてものは単純でいいんです。ややこしいことは後から考えます」
 あまりに自信満々でいうので思わず吹き出した。それを見てステラが満足そうに頷く。
「まあ、さっきも言いましたがなんだか焦ってしまって。伝説だとばかり思っていたものが、手の届きそうな所にあって、それでもつかめない。最近夢もそんなものばかりなんですよね。あと、何か大きなものを喪失してしまってるような気もしてならないんです。僕は、まあ、なんというか、ちゃんと育った訳じゃないし」
「でもお師匠様には愛されたんですよね?」
「それはもちろん」
 当然だ、というように砂を見ながら頷く。
「愛された記憶が確かならそれが一番強い。壁ですがそう思ってますよ。それこそが自身を形成する、もっとも基底にあるものだと。だからきっとあなたは大丈夫なはず。ううん。絶対大丈夫。壁の太鼓判ですよ!」
 壁の太鼓判とはいったいなんなのだ? は? と思わずステラを見ると泣き笑いのような顔をしていた。
「……それすらない人間は……いますけどね……」
「……ステラさん?」
「ああいやいやなんでもないですすいません」
 一瞬表情にかげりが出来ていた気がするが今はもうない。気のせいか、と思いステラから視線をはずした。遠く高い天井から砂が時折こぼれ落ち、さらさらとした音を立てているのが耳に障る。
「……これだ、これなんだ、ってしがみついてきたようなものです。雲をつかむかのような話だけど。もう戻る場所のない僕には、この伝承しかもう残されてなかった」
「……戻る場……」
「幸い、ここでは今のところ鍛冶屋の親父さんにも、女将さんにも受け入れてもらえてますけど……もしも何もなければって思って、なんだか前に進めなくなってしまいました……」
「……」
 ステラが小さく息を吐いたのが聞こえた。
「今のあなたにこれを言うの、多分酷だと思うんです……でも、それはちょっと思い違いをしてませんか? 帰る場所がないなら造ればいいんです。縛られる場所がないならどこにでも走っていけばいいんです」
 どこにでも。走っていける。ステラの言葉が男の耳に届き、今まで考えたことのない思考だと告げた。
「今のエミリオさんの帰る場所は、どこですか? やはり、お師匠様と暮らしたあの時間ですか?」
「……それは、もう戻らないです」
「ならば、つくりましょうよ。あなたの思うように。あなたの好きなように」
「あの、鍛冶屋夫婦のところでも?」
「もちろん。実際親父さんも女将さんも、エミリオさんのことちゃんと受け入れてくれてるじゃないですか」
「……そう、ですね……」
「もっと周り見ましょう? きっと、きっと見てるから。場所はあるから。そう信じてたら」
「……努力したいですね」
 ふとエミリオはステラをみる。彼女の視線の先は落ちる砂。その瞳は多分、どこかそれより遠くのところを見ている。けれど意志を秘めた瞳。きっと、彼女はそうやってきたのだろう。どういう道をたどってきたかは知らないけれど。
 見ていたらステラがこちらを向いた。にこりと笑うのに、どこかしら寂しさを纏わせているのは気のせいだろうか。
「運命の歯車が廻るのは人の身では止められないけれども、その早さより速く駆ければいい。……だから私は走り続けたい」
「そんな発想は……なかったですねー……」
「みんなそういいますね。だって、歯車に従ってるだけって何かおもしろくないですよ。精一杯あらがって、どうしようもないなら仕方ないけど」
「あなたの発想は、普通の人と少し違ってると思います」
「そうですか?」
 頷くエミリオ。とたん、不満そうな顔になるステラ。
「……けれど、すごい発想だと思います。それは、すごく前向きだ」
「私が生まれた里に、こんな言い回しあったんです。「人事を尽くして、天命を待つ」って。これは「、一生懸命努力せよ、そしてその上で天の意志に身を任せよ」ってことなんですが、私はそれだけじゃ嫌だった。天の意志だって打破したかった。そんなこと考えてるうちにそう思うようになりました」
「……本当に、すごいなぁ」
 どんな道を歩いてきたのだろう。どんな思いを抱えてきたのだろう。もしかしたら、自分より遙かに厳しい道だったのか? そんなことすら思ってしまう。
「速く駆け回る壁ってなんかシュールですけど」
 が、その言葉で霧散。思わずむせ込んだ。
「か、か、壁はもういいですよ!」
「えー。壁ですもの」
 エミリオの息が整うのをおもしろそうに見ているステラ。もはやどう行っていいかわからなくなってきた。
「じゃあついでに壁の昔話もう一つー。昔、私が働いてた近所の武器屋さんがですね、何の武器だったか忘れたけどその名前を『無垢』ってつけてたんです。で、なんでそんな名前なのか聞いてみたんですよ。……答え、わかります?」
「え……いや、わからないです……」
「じゃあ宿題。いつでも良いです。わかったら教えて下さいね?」
「え? あ、はい……」
 どういう意図なんだろう? 武器の名前と言われても男にわかるはずもない。それは作成者にしかわからないことだ。
「うーん。まだ元気でない、ですよねー。じゃあ、ちょっと壁終了」
「は? いや別に壁とか思ってないです……さっきから妙に壁連呼ですが……ってステラさん! な、何を!?」
「子どもたちとか、もっちぃとか、こうやってすると最初驚くけど、だんだんおとなしくなって、最終的に元気になるんです。だからちょっとやってみました」
 ステラはエミリオの頭を己の胸に抱きしめていた。ゆっくりと頭をなでる手は心地良い。だが、それ以上に。
「……む、む、胸……」
 ステラは気づいていないのだろう。彼は、もっちぃや子どもたちとは根本的に違うと言うことを。当たる感触が、なんとも罪のないことにエミリオを刺激して止まない。誰が言ったのか、テルマエでの彼女を見て何気に「ある」事は聞いていたし、実際自分も眼鏡をこっそり拭いて見ていたこともある。
「私は何にも出来ないから。けど、疲れた時って、不意に誰かに頭なでて貰ったり笑って貰えたりするとそれだけで少し元気になる。あとは……泣いたり怒ったり。それが出来るようになればもう完璧」
「……そ、それはそうですが……」
 あああ。訳の分からない所に妙な熱がたまり始める。このままでは非常にまずいことになりそうだ。
「どうか、心が凪ぎますように」
「ステラさん……」
 ふと熱が冷めた。いや、あるにはある。これはもう本能として仕方がないことなのだが、それ以外の雲がふと晴れたような、そんな気分だ。
「……これはなんだろう」
 なんと落ち着いた気持ちだろう。幼い頃、師匠にほめて貰えたとき。もっと幼い頃、生きていた父母に優しく抱きしめられたとき。自分を、自分だけのことを一生懸命考えてくれる、そんな人がいることを理解した瞬間達。
「……すいません。もう大丈夫、です。多分」
「そうですか?」
 なら、と頭を解放してくれた。
「じゃあもうちょっとだけキノコ狩りしてから、帰ってカニ食べましょカニ」
「カニ?」
「ちょっと前戦ったじゃないですか。そのときすかさずカニミソ調達しときました!」
 胸を張るステラに吹き出す。武器や防具の素材にはあまり興味がないが、食べられるものへの興味はあるステラ、戻って酒場に持ち込み幸せに食事をするところまでが見えているのだろう。
「ははは、そうですね。そうしましょう」
「うん! 残ったもやもやは戦闘と食欲で昇華しましょう!」
「えっ!?」
 真意を問おうとしたがもうすでにステラは走り出してしまっている。
「……まさか、ぜーんぶわかってた?」
 もしもそうだとしたら、なんと恐ろしい人だ。
「でも……歯車より、早く駆けろ、か」
 これは自分の中になかった発想だ。
「できるかどうかわからないけれど、やってみてもいいかもしれない」
 いつか、あの人がそうしているようになれれば。いや、なれなくてもいいしなれないだろうから、その心だけでも。
「エミリオさーん、早く! あっちに群れいました!」
「はい! わかりました!」
 呼びかけに応じて傍らの双剣をまとめてつかんだ。

TO BE CONTINUED


 宿った命は変えられぬ。が、命を運ぶのは、己次第。宿命と運命の違いってのはそーいう意味だと思う。運命、であきらめるな、宿命まできたら考えろ。で、これが前編なのは、間に無印リオさんの最後のイベント挟まるからです。あれを書こうかどうしようか悩み中。
2013.7.25

 

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