過去

 


 この村にきてから、あいつは一言もしゃべらなかった。フィガロでわずかに、ここが彼の故郷だということを聞いたのみだ。
「どうしたんだろ。いつだって底抜けに明るい奴なのに」
 マッシュが首をかしげる。エドガーの方をふとみると、微妙な表情。恐らく彼は、ロックになにがあったのかを知っているのだろうが…。
「宿取ろうぜ、宿」
 一番大きな建物は酒場と兼用だった。マッシュがそこで知り合いを見つけ、意気投合している。全身黒装束の、どこからどう見てもまともな仕事をしているような人間ではない。それに、かなりの腕立ちだ。
「紹介するよ、シャドウだ」
「…」
 そいつは軽く私達に会釈をし、また無言で飲みはじめる。傍らの軍用犬が守るように寄り添っていた。まったく、このマッシュという男にはどんな知り合いがいるのか、あまり想像がつかない。
「俺とカイエン、あいつに助けられたんだよ」
「ほう。そういえばその時の話、まだ聞かせてもらっていなかったな」
「そうだっけ?」
「一体どうやってあの状況から生還したんだ?」
 エドガーが促し、照れながら話しはじめる。なかなか興味深い話だったが、私はロックが話の途中でそっと席を立ったのを知った。
「…?」
 なかなか戻ってこないのでなんだか気になり、私も立った。エドガーが意味ありげな視線を私に向けていた。

「ロック?」
 静かな夜。ところどころ破壊の痕があるのは、東から飛んできた光によるものだと聞いた。たぶん、それがティナなのだろう。家を壊し、木をなぎ倒し。一体彼女はどうしてしまったのか。
 確かに非凡な才は感じられた。私に宿らされた魔導の力などよりもっともっと大きな力。その力を扱いきれていないのだろうがそれにしても…。
「…あっ」
 家の影に見慣れた姿を見た。その時、エドガーに言われたことが思い浮かぶ。
『あいつは傷を持っている。そのせいで、誰にだって優しい。だから将軍さん、それを愛だなんて勘違いしない方がいい』
 言われたときには何のことなのかわからなかったが、直後にロックのことを言っているのだと分かった。私はそのとき、自分は女であることを捨てたと、何よりもまず先に、騎士であるのだと言い返したのだ。
「…」
 そっと彼の後を追う。少し冷静になってみれば、自分は一体なんで彼の後を追うのかに疑問を覚えただろう。けれど、その時に私にはそれが当たり前のように思えた。
 あの時差し出された手。もう先がないと絶望の瞬間に、まさに射してきた光そのもの。もしかしたら私は。…いや、そんなはずはない。私は女であることを捨てたのだから。
 ロックはある一軒家に入っていった。村の本集落からはずれた、いかにも変わり者が住んでいそうな家だ。しばらく外で待ったのだが一向に出てくる気配がない。少しためらいはしたがノックをした。
「…ロック?」
 誰も出てこない。ドアに手を掛けてみると鍵がかかっていない。一瞬躊躇したが戸をあける。
 部屋の中には奇妙なものばかり。いろいろな生物の標本、特有のにおいを放ち、何に使われているのか想像することもできない薬品群。
「一体これは…」
「……」
「…」
 どこかで話し声がした。とっさに身構える。が、すぐに構えを解いた。こちらの方が勝手に入り込んでいるのだ。たたき出されても仕方がない。
 けれど、どうやら見つかったわけではなさそうだった。あいかわらずぼそぼそと話し声が聞こえてくる。しばらくあたりをみまわしたところ、地下へと降りる階段を見つけた。
「…」
 きしむ階段にすこしびくりとしながら降りていく。と。
「…レイチェル…」
 ロックの声だ。レイチェル?一体誰のことだ?
 もっとよく見ようと体を伸ばす。と、腐っていたのか階段を踏み外した。
「痛いっ…っ!」
 下まで見事に転んで、ロックともう一人が驚いた表情で私を見ていた。
 私としたことが、とんだ失態だ。顔が赤くなるのが自分でもわかる。人の家に勝手に入って、挙句に階段を踏み貫いてひっくり返るとは…。落ち着かなくて立ちながら視線をさまよわせる。と。
「…これは」
 ガラスのケースに入った女性。眠っているように見えるが、周りに敷き詰められた真っ白の花がただ事ではない。
「…死んで…」
「死んでなんかないよ〜ん。レイチェルはっ、眠ってるだけなんだよ〜」
 初老の男が、耳に障る声で言った。多分、この男がこの家の持ち主なのだろう。私は何も言わずロックを見た。彼はただ、表情を変えずに横たわる女性を見ていた。
「とにかくさっ、ロックっ。あんたの大事な人はちゃぁんとこうやって待ってるんだから、さっさと探してきてよ、例の宝物」
「わかってる…」
 悲しそうな目で男を見た。
「あんたの薬も、いつまで持つかわからないしな」
「そうなのよね〜。実験の最中に、いきなりできちゃったから、どうやって作ったかわかんないのよね〜。あれ、あんた」
 私の方を見つめている。その粘ついた視線が気持ち悪かった。
「あんた…レイチェルそっくりだねぇ〜。そういうことって、あるんだねぇ〜」
「え…?」
 言われて女性をもっとよく見る。髪の色は違うが、顔の作りは確かに似ているようだ。
「セリス、行こう」
「あ…ああ」
 ロックが有無を言わせず私の手をひく。
「じゃ、待ってるからねぇん」
 後ろで男が明るく言うのが聞こえた。

 本集落が見下ろせるあたりまできて、やっとロックは私の手を放した。
「…何も聞かないんだな」
「…」
「…気になるか?…そりゃ気になるだろうな。あんなとこ、見せたんだし」
「辛いのなら聞くわけにもいくまい」
「いや。…こうなったら、吐いちまうほうがすっきりするのかもしれない。…」
 ゆっくりと歩きながら、しゃべり始めた。
「ほら…ここだよ、さっきの女性の家は」
 指された方を見れば、住む人のない家。まだ朽ちてはいないが、それも時間の問題だろう。
「もうこんなになっちまったんだなぁ。潮風がまずいのかな…。俺とレイチェルは、仲間で、それ以上だったんだ」
 草に寝転びながら独白する。
「いつだって一緒にいて、一緒にトレジャーハントしてた。けど…。いつも行ってる洞窟にさ、大事なもん、隠して、それをレイチェルに見つけてもらいたかった。まぁ、何を隠したか分かるだろうから言わないけど…」
 頭を振る。バンダナと髪が草と触れ合い、さわさわと音を立てた。
「けど、レイチェルは、俺が目を離した隙にわき道にそれちまったんだ。それが罠の発動条件だった…。突然地面がなくなって、彼女がそこに飲み込まれた。俺はすぐ後を追って地割れに入ったんだ。幸い底まで落ちたわけじゃなくって、途中の岩棚に引っかかってた。でも…」
 そこで口ごもった。言わなくてもわかる。私は口をはさまず、じっとまた話し出すのを待った。
「…。死んではなかった。でも、記憶が…。なんとか家族のことは思い出したけど、俺のことは。俺のことだけは、思い出さなかった。でも俺もあきらめず、毎日ここに来たよ。何度も来て、声かけてさ。いつかは俺のことも思い出してくれるって。だけど、レイチェルの親父さんに叩き出された。レイチェルも出て行ってくれ、と。俺がいたら、家族みんなが悲しい顔をするからって…泣きそうな、いや、実際泣かれた」
「…」
「それでも俺は家のそばにいた。レイチェルのために、何かをしたかった。だけどある日仲間に言われた。俺がそばにいること自身が、レイチェルを苦しめているんだと。だから俺はこの村を離れたんだ」
 私も横になる。怖いぐらいの星空。
「それから一年。いつだってレイチェルのことを考えた。衝動的に帰りたくなった。でも思いとどまって、いろんな仕事をしてた。…その間に帝国がこの村を襲撃したんだ」
「…帝国」
「許せないけど、それは事実だ。戻らない。…どこもかしこも焼き払われて、家には押し込まれて…。もちろんここも例外じゃない。レイチェルの親は殺されて、レイチェル自身も…」
 この家が極端に荒れているのは、帝国の蹂躙のせいもあるのか。私がいた、帝国の。
「だけど一番許せないのは俺。レイチェルは…最期の最期に俺を思い出したんだって言う。俺の名を呼びながら、死んでいったって。その時俺は遠く離れたニケアにいた。レイチェルの思いは、俺に届かなかった!」
「落ち着け…」
「俺は、俺はあの時、誰がなんと言おうと彼女のそばにいてやらなきゃいけなかった!俺、彼女を守れなかった…!」
 私の声など聞いてはいない。ロックは激しい悔しさを味わっていた。恐らく何年経とうとも消えない悔しさを。
「…たまたまあのジジイ…、不老不死を研究してる変わりもんが、どこをどうしたのか、…死体を生きているときと同じように保存できる薬を作ったって聞いて、レイチェルに使わせてもらった」
「…何故」
「謝りたかったから…。何にも言えずに逝ってしまったなんて、俺は嫌だから…」
「…生き返りの秘宝、か」
 この世界のどこかに、生き返りの秘宝が存在するという。何年もまことしやかに語り継がれている伝説で、本当にあるなどとは思っていない人間がほとんどだ。
「俺はそれを探して旅を始めた。だけど、まだ見つかってない…」
 一陣の風が吹いた。語りのなくなった静かな空間が風で満たされる。
「…いい加減、帰ろうか。エドガーとマッシュが、待ってる。それに明日は早い。南のゾゾに光…たぶんティナだと思うけど、それが飛んでいったらしいから。ゾゾは難所だからな」
「ロック」
「なんだよセリス、そんなに改まって」
「私は、あの女性の代わりなのか?」
「……」
 何故急にこんなことを言ったのか、自分でもよくわからない。けれど言うのではなかった。ロックは否定も肯定もせず、先に立って酒場へと戻っていったから。

TO BE CONTINUED


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