坑道

 

 多少のトラブルはあったものの、なんとかナルシェ付近にまで流れ着くことが出来た。この時期に水遊びというのはすこし無理があったようだ。しかもナルシェは万年雪に閉ざされた地。どうも体に変調をきたしたようだ。
「エドガー、大丈夫?」
 くしゃみをした私をティナが心配そうに見ていた。
「大丈夫だよ。さあ、先へ」
 ここで休んでいるわけにはいかない。ロックが足止めをしてくれているとはいえ、いつ帝国の手が伸びてきてもおかしくないのだ。
「どうやらそう、上手くいきそうにはないようだ」
 バナンの言葉にナルシェの方を見た。
「連中、君の事を必死で探しているようだ。どうせ帝国と、幻獣の件で取引する際の材料にする気だろう」
「…そうなの…」
 バナンは街道に様子を見に出ていた。ティナでは今いったように追っ手がかかっているだろうし、私は私で顔を知った人間がいるかもしれないのだ。だから彼にいってもらったのだが。
「さすがに私の顔を知っている人間はいないようだったよ。名前を聞けばわかるかもしれないがな」
 この御仁は私が止める間も有らばこそ、さっさと出かけてしまったのだ。
「バナン。今回はよかったようなものの、今後はそういった危ない橋を渡るのはおよしになった方が…」
「何をいうか、フィガロ国王よ。リターナーに属しているというだけで十分危ない橋ではないかな?」
「それはそうですが」
「それに君も立場上似た様なものだ。しかも王という責務も付いて回っている。私の方がまだ自由に動けるだろう」
「そのお言葉、そっくりお返しいたします、バナン。貴方にもリターナーの長たる…」
「あの…そんなことを言い合っている場合じゃないと思うんですけど…」
 遠慮がちにかけられたティナの声に、私たちははっとした。確かに瑣末なことだ。バナンも私も一体何を言い合っていたのだか…。心配そうなティナに、やれやれとばかりに笑いかけた。自分の表情はわからないが、多少引きつっていたに違いない。
「すまないね。では、いくとしますか」
 
 バナンのいうとおりだった。街道にはナルシェのガードが眼光鋭く立っている。私たちはフードを深くかぶり、出来るだけ不自然にならないように街へ向かった。しかし、街の手前でとまらざるを得ない。
「検問、か」
「あんなにまじまじと見られたら、いくらなんでも…」
 それに検問をしているガードの後ろに見知った顔を見つけてしまった。ナルシェとフィガロは隣接する国としてよく行き来するのだが、その時のナルシェ側警備隊長なのだ。当然彼は私の顔を知っている。
「確かこっちの方に、私がロックと一緒に出てきた通路が…」
「ああ。彼から聞いている」
 あまり使いたくはない通路ではある。出来れば門を通過したかったのだが…。この状況では仕方がない。
「寒そうだな。神経痛に悪そうだ」
「…」
 ひげをいじりながら洞窟の奥を見る彼に、私は少し非難の目を送ってしまった。それに気が付いたのか、バナンは私を見て肩をすくめる。
「では、いくとしますか…」
 冷たくよどんだ空気。人がここを通っていないということの証ではあるのだが、寒さが忍び寄ってくる。
 もともと炭鉱ではあった。しかし、あまり有望ではなかったらしく、二年ほどで閉鉱された。けれど。
「なに、!?」
 急に大きな空間にでた。ティナが目の前で輝く光球に声をあげる。
「落ち着くんだ、ティナ」
 そういって光をじっと見つめる。光球は音も立てずに動き出した。早いわけではないが、決してゆっくりでもないという程度の速度。ある特定のルートをたどり、消えた。
「い…今のは?」
 それには答えず、ついてくるように手で指示をして、ゆっくりと歩き始めた。あの光が辿ったとおりに進まなければ、どうなるか…。
「…」
 細心の注意を払って私は歩みを進めた。かなり緊迫した空気になり、あとの二人も黙って私についてくる。
 長い時間が過ぎた。なんとか反対側の通路に辿りつく事が出来た。
「エドガーさん、今のって…」
「エドガー、だけで構わないよ。私もティナと呼ぶのだから」
「…じゃ、エドガー。今のは?」
 彼女の問いに頷く私。ティナにとっての仲間になれたような気がする。
「ナルシェ護衛長から聞いたことがあってね。いたずらが好きな妖精だか精霊だかが炭鉱に棲みついている、と。その発する光どおりに進まなければ、どこかへ連れ去られてしまうんだ」
「どこかって…一体どこへ」
 バナンが腕組みをしてうなる。
「さあ。消えたものたちが戻ってきたわけではないようだから…」
「真相は闇の中ということか。ということは、私たちの命運は君の手にかかっていたのか」
「そういうことになりますね。思ったより光の移動速度が速く、どうなるかと思いましたけど、なんとか無事でよかった」
 動体視力にはそんなに自信はなかったのだが、これで少しは自信を持っていいのだろうか。
「なぜこんな危ない通路をそのままに?」
「ナルシェガードの試験だそうだよ。ここを乗り越えられてこそ、初めて街を守るに足る人間として認められるそうだ」
 だからナルシェガードは世界でも有名なのだ。
「そうなんだ…」
 どうも彼女には、自分から志願して兵やガードになる、という意識が理解できなかったようである。まあ、気が付いたときには大量虐殺の兵器として存在していた彼女だ。無理もないことかもしれない。望まないうちにすでに兵器になっていたなど。
「こんなところでのんびりしていても寒いだけだ。いきましょうか」
 バナンの声に私たちは動き始めた。考え込もうとしたティナもついてきた。バナンはわかって言ったのだろう。

 しばらくいくうちに変な側道に入り込んだようだった。さいぜんから巨大なねずみどもがうろうろし、私たちを獲物だと思って飛び掛ってくる。狭いので愛用の槍を振るうことも出来ず、誤診用の短剣でしのいでいた。バナンを守るように私とティナでねずみたちを追い払う。ティナは小さな炎を展開し燃やす。臭いはいただけないが、そういう手段をとるのが一番効果的だったようだ。多少てこずったものの、しばらくの後にはねずみも近寄らなくなった。先ほどの悪寒がまた私を襲う。
「エドガー!?」
「エドガー殿!」
 二人が私のそばにいるのがわかる。ねずみたちの不潔な爪でこの身は多少傷ついていた。すぐに消毒しなければひどい目にあうが、あいにくとこれまでの旅路で使い切ってしまっていた。
「…」
 何を思ったかティナが私の汚い傷口に唇をつけ、痛いほど力をこめて毒を吸い出す。
「…っ」
 顔をあげ不浄の血を吐き捨てる彼女。
「一応これで大丈夫だと思うけど…」
 何事か精神集中をし始めた。やわらかい気配が彼女に集まり、私へと注がれる。
「……おや…」
 楽になった。先ほどの悪寒はどこへやら。
「ほう…。ティナ、君は治癒も行えるのか」
 バナンが感嘆の声をあげた。
「ありがとう。楽になった」
「どういたしまして」
 その笑顔は、私が見た彼女の初めての笑顔だった。
「それにしても便利なものだな、魔法というものは」
 確かに。私やバナンにはどうしても使うことが出来ないだけに、余計にその神秘性が強調される。多少の羨望を交えて私はティナに礼を言った。
「さて…。当座の問題は、ここはどこかということだ」
 先ほどのごたごたのせいで主道から離れてしまっている。さてどうしたものか…。
「あれ?」
 ティナが歩き出す。
「ティナ、勝手に動いては…」
「なにか、いた」
 そういってふらふらと歩き出す。慌てて私たちは後を追った。
「一体何が…」
 彼女を押しとどめようと前に出たとき、なにやら白いものが目の前に飛び出してきた。
「わっ」
 生き物だ。動いている。
「…ほう…モーグリか」
 クポクポと鳴きながら私たちの周りを興味深そうに歩いている。
「おいで…」
 ティナが差し出した手に、特徴的な頭のポンポンを触れさせた。そして、そのあとティナに飛びつく。
「あったかい」
 しばらくなでられていたモーグリという生き物だったが、急にティナの腕から飛び出し、手招きする。
「付いて来い、ってことかな」
「そうかも。どうする?」
 ほかにどうしようもない。元からここに棲んでいる先住者だ。従っておくに限るだろう。
「あ、いっちゃう」
 見失わないように追いかけていくと、似たようなモーグリがたくさんいるところにでた。
「集落?」
「迷ったクポか?」
 したから声がした。モーグリが…。
「しゃべってる…?」
「失礼クポね。僕たちだって人間の言葉ぐらい分かるクポよ。僕は面白そうだから覚えてみたクポ」
「これは失礼…」
 居住まいを正しながら私はこのモーグリ…、クポという名前らしい、に道を尋ねた。
「ここは少し厄介クポ」
「では、抜けられないのか」
「そんなことは言ってないクポ。案内してあげる!」
 陽気なモーグリはそういって踊り始めた。最初は少し警戒気味だった彼の仲間たちも、そのうちに一緒になって踊り始める。急いでいるのは確かなのだが、私やティナ、バナンもなにやら楽しい気分になってきた。こういうのもわるくはない。
「付いて来るクポ!」
 踊りの大集団にもまれながら私たちは歩いた。周りから熱気が伝わってくるので寒くない。しばらくいったころ、クポが道の奥を指差した。
「あそこをいけば、人間の街につくクポよ」
「かたじけない。ありがとう、モーグリたち」
 クポは満足そうに目を細めた。もっとも、彼の目はもとから細いのだが。ティナが名残惜しげにモーグリの一匹をなでていたが、やがて手を振り別れを告げた。
「また会えるかな?」
 彼女はよっぽどモーグリという小さな生物が気に入ったのだろう。
「会いにくればいいさ。彼らはきっと待っていてくれる」
 全てが…帝国とのいさかいが終われば。きっと彼女も自由にナルシェへと来ることができる。そんな日が早く来ることを願おう。…いや、私たちの手でそんな日を掴み取るのだ。

TO BE CONTINUED


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