水なんて大っ嫌いだ!

 

「お、溺れるっ…!!」
 気がついたら誰かが俺の顔を覗いていた。
「…」
 その誰かは俺の頭を蹴飛ばした。
「痛いっ!」
「!」
 飛び起きた俺に驚いて、その何かは逃げていってしまった。
「…?ここは…」
 だだっぴろい原っぱだ。隣でカイエンが気を失っている。
「おいカイエン、起きろ」
「むぅぅ。もう食べられないでござるよ…」
「何寝ぼけてるんだ」
「…はっ。ここは?」
「しらねぇ。どこかわかるか?」
 例の滝…シャドウと別れたあの場所は、バレンの滝とか言うらしい。なんだかよくわからないが、突然魚の化け物がいっぱい出てきて、当然俺らは闘ったんだ…。が、どうも滝に落っこちたようだ。幸い、滝壷が深かったから怪我をすることはなかったみたいだけど、体中が妙にだるい。
「獣が原でござるよ」
「けもの?」
「世界中の獣があつまる、不思議の原、とこのあたりでは評判でござる」
「またよりによって物騒なところに流れ着いたもんだ…」
「確か小さな村が海際にあったでござる。とりあえずそこへ向かいますか?」
「そうだな…」
 俺とカイエンは恐る恐る歩き出した。水泳をした後の余波で体中がだるかったが、世界中の獣が集まるなんて厄介なところで落ち着いて休めるはずもない。なるべくならややこしいことは起こってほしくないが。
 けれど、俺の希望を裏切るかのように獣が原は障害物になるようなものが何にもなかった。これじゃ見つけて襲ってくれといっているようなもんだ。
「カイエン…とりあえず、刀は持っとけよ…」
「もちろんでござる…」
 姿は見えないが気はある。カイエンもきっと感じているはずだ。警戒しながらゆっくりと河に沿って下っていく。ものすごい水量だ。俺ら、こんなところに流れ着いたって文句言ったけど、この水量じゃ海まで流されてもおかしくない。
「まだ運がいいほうだったのか…?」
「マッシュ殿っ!」
 カイエンの声。考え事をして気をとられていたせいか、俺の反応は一瞬鈍かった。
「うわっ。何だこいつ、もっと北の…ナルシェ地方にすんでる狼じゃないかっ!?」
 鋭いつめをすんでのところでかわす。
「拙者、先ほど言いましたぞ!世界中から獣が集まってくる、と!」
 確かに言ったが…。本当にそうだったとは。まったく、この世界は妙なことが多い。
「…なーんて考えてる暇なんかなかったな」
 ナルシェの狼なら単純だ。基本的に突進してくるだけだからな。タイミングさえつかめれば一撃で仕留められる。
「ほらよっ!!」
 師匠の作った仕掛けのほうがよっぽどたちが悪かったんだ、これぐらいなんでもない。あわれ、飛び掛ってきた狼は、俺の急所の一撃を受けてその場に落ちた。見ればカイエンも無事なようだ。
「大丈夫でござるか?」
「ああ。そっちこそ」
「拙者は何とか無事でござる…」
 その時。俺とカイエンの腹の音が、同時にした。
「……」
「……」
 お互いにばつが悪そうに顔を見合わせる。考えてみれば、魔列車に飛び乗ってからまともにものなんか食ってない。そりゃ腹も減るだろう。
「…なぁカイエン…」
「……拙者は嫌でござる!こんな獣…」
「そんなこというなってば」
 俺はそのあたりの濡れてない枯れ草を集め、火を起こす。カイエンから短刀を借りて先ほど倒した狼の肉を少し拝借した。
「うーん、いいにおいだ。てか、腹へってたらどんなにおいでもいいにおいだよなーっ」
 カイエンは見張りと称して向こうに行ってしまったが、どうせそのうち戻ってくるだろう。奴も腹が減ってるはずだ。と、思っていたら草がゆれた。
「カイエン、やっぱ腹減ったんだろ?ちゃんと置いてあるから、食っちまおうぜ……って、何だおまえ!?」
 カイエンじゃない。ガキだ。そいつが、刺してある焼肉を取ってかぶりつく。
「……うまい」
「うまい、じゃない!なんだなんだ、お前一体何なんだ!?」
「ガウ…おまえ、じゃない。ガウ」
「ガウ?お前、ガウってのか?」
「…もう、肉ないか?」
「人の話を聞けーっ!」
 ガウとか言うこ汚いガキは焼けていた肉を食い尽くすと、にこりと笑った。何事かとカイエンが戻ってきたとき、そいつは満腹になって眠ってしまっていた。
「何でござるかこの子どもは?」
「俺が知りたいよ。……まあいいや。カイエン、やせ我慢してないで食えよ。まだ肉は焼けばあるからさ。そうしないとこれから何が起こるかわかんねぇんだ」
「……わかったでござる」
 しぶしぶ、といったように同意したが、腹具合のほうはどうもそんなものではなかったようだ。俺が焼き始めた肉をものすごい勢いで食い尽くしたんだから。

 結局そこで野宿する羽目になった。俺とカイエンが交代で見張りをして、なんとか夜が明けた。
「がうぅぅ…」
「お、起きたか」
「がうっ!」
 ガウはカイエンの姿を見て警戒している。
「そなたは一体何者でござるか?」
「……ござる?」
 警戒していたかと思えば急に目を輝かせた。
「ござるござる〜!ござるっ!」
「むむむっ。大人をからかうものではないでござる!」
「カイエン、落ち着け。ガキのすることだ…」
 カイエンの口癖をからかってあたりを飛び回るガウと、それを真剣になって追いかけるカイエン。俺は情けなくなってきたからカイエンを止めた。
「おまえ、名前は?」
「マッシュだ」
 今度は俺のほうに興味を持ったらしい。
「肉、うまかった。お礼、お礼」
「お礼?」
 飛び跳ねながらお礼、と言い続ける。
「お礼する。何がいい?」
「何って言われても…街がどこにあるか、教えてくれないか」
「わかった。ついて来いござる」
「ござるはこっちでござる…ってうつっちまった」
「……拙者…なんだか急に落ち込んだ気分になってきたでござる…」
 三者三様。ガウは嬉々として跳ね、俺はそれを見失わないように追いかける。カイエンはなんだか妙に暗い足取りだった。
「ここっ!」
「ここって…岩場じゃねーか。俺らが言ってんのは街だ街」
 そんな抗議もものともせず、ガウは岩場にどんどんと登っていく。
「所詮ガキか…。カイエン、元の場所に戻って、そこから海を目指そう」
「そうでござるな」
 呆れて引き返そうとしたんだけど、上からガウが降ってきた。非常識な跳躍力だ。
「ついてこいーっ!」
 俺もいいかげん頭にきた。
「俺は街に行きたいんだ!お前の遊び場に連れて行けなんて、一言も言ってねぇ!」
 にらみ合いが続く。押しつ押されつ。気がついたらものすごいスピードで辺りを跳ね回っていた。しかも、憎らしいことにいつのまにかにらみ合っていたガウがそこで笑っている。慌てて俺も跳ね回るのをやめた。
「マッシュ殿…」
 カイエンが苦笑しながら俺を見た。
「くそーっ」
 肩で息をしながら笑い転げるガウをにらむ。
「まぁまぁ、マッシュ殿。この岩場、登ってみてはいかがでござろう?街が見えるのかもしれませぬぞ」
「登る、登る!」
 ガウはまた登っていってしまった。仕方がないので俺とカイエンも登りはじめた。
「結構きついな、この岩場」
 先ほど無駄な体力を使ってしまったせいか、どうしても遅れがちになる。が、悔しいから必死で登った。
「……」
「………街が見えるって言ったのは、どこの誰だったかなぁ」
「し、失敬な。拙者は可能性の問題を言ったのであって…」
 じと目でうろたえるカイエンを見つめていると、ガウがニコニコと笑って近寄ってきた。
「下、下」
「したぁ?」
 二人して覗き込む。と、視界が揺れた。
「どわぁぁぁっ!!」
「む、む、む…無念でござるぅぅぅっ!!」
 ガウの奴に背中を押されたことに気がついたのは、下の潮に流され始めてからだ。
「うわっ、わっ!何だこの流れっ…ぶわっ」
 尋常ではない。慌ててカイエンのほうをみると、奴も沈まないように必死だ。その隣では、なぜかガウが身を任せて流れている。
「…」
 思うところあるが、無理に動いてもどうせこの潮には逆らえない。どうやらガウみたいに身を任せるのが得策のようだ。
「カイエン、身を任せとくほうがいい!」
「わかったでござる!」
 それからどれだけ流されたかわからない。時々沈みそうになるので、必死になって浮き上がった。二人も同じように潮にもまれながらどこまでもどこまでも流されていった。

「あんたら、一体どこから流れてきたんだね?」
「ぜぇっ、ぜぇっ」
「…蛇の道、か?」
「ぜぇっ、ぜぇっ、ぜぇっ」
「その様子だとそのとおりみたいだな」
 声も出ない。生きてなんとか岸にたどり着けた。心配そうに見る漁師。その後しばらくして、ようやく息が整った。
「…じゃ…蛇の道?」
「そうだ。獣が原と、二ケアまでの間にものすごい潮の流れが存在する。そこにつかまったら問答無用で二ケアまで流されるんだ。まぁ、おかげで魚も一緒に流れてくれるがな」
「二ケアって…港町についたって事か」
「ああ。しかし生身で蛇の道に飛び込むとは…あんたら、無茶だねぇ」
「好きで…やったわけじゃ」
「まあいい。生きててよかったよ。ドザエモンだったらどうしようかと思った」
「心配してくれてありがたいでござる…」
「じゃ、俺は漁があるから」
 漁師がその場を去ると、俺はガウの肩にがしっと手をおいた。
「が、がう?」
「…一体どういうつもりだ?」
「街…ガウ、時々こうやって街に行く…」
「確かに街だけど…」
 釈然としない。が、二ケアにたどり着いたとすれば、サウスフィガロへの定期便が出ているはずだ。かなり回り道をしたが、ナルシェへの道ができた。
「定期便に乗るか」
「そうでござるな。ここからならそれが一番よいでしょう」
「船?船!」
「お前も来るのか?」
「ガウ!」
 ガウもついてくる気のようだ。まったく、妙なのに気に入られた。
「まぁいいけど…」
 何だかんだ言いつつ、結構この突拍子のないガキを気に入ってる自分がいる。無事ナルシェにつけるかわかんねぇが、まぁ退屈しないだろう。
「それにしても…もうしばらく水はこりごりだ」
 最初あの変なタコに跳ね飛ばされたのが縁だったのか、ここまで水攻めとは…。どうか船が沈むなんてことになりませんように、と、俺はひそかに祈るのだった。

TO BE CONTINUED


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