憎悪の目

 

「なああんた、ナルシェに行くにはどうしたらいい?」
 頭を掻きながら、井戸端で犬と休む俺のところに男が来た。無視してもよかったが、びしょぬれな様子がなんとも哀れで、またその人懐っこそうな顔を見ればそういう気も失せた。
「……ここからナルシェは遠い。南に下って、ドマで船を出してもらうかそれとも…」
「ひぃー。ドマって、あの南の方にある古い国だろ?あんなとこまで行かなきゃいけねぇのか」
「………どうせ暇を持て余していた身だ、気が変わるまでついて行ってやる」
 自分でも驚いた。他人にこんなことを言ったのは何年振りか。
「そいつは助かる。あんた、見るからに腕立ちだもんな。俺はマッシュ。あんたの気が変わるまで、よろしく!」
「…シャドウだ」
 こいつと俺の縁はこういう風に始まった。

 結局ドマは帝国に占領された。俺たちはもっと南に行くことにした。同行するようになったカイエンというドマの戦士が、もっと南の方なら船が出ているかも知れないというのだ。
「なあカイエン…いつになったらこの森を抜けられるんだ?」
 マッシュが愚痴をこぼす。この森に入ってかれこれ一日にはなるだろう。そんなに大きな森ではなかったはずなのだが、どうもおかしい。
「こんなはずではなかったでござるが…」
 カイエンも首をかしげながら辺りを見まわす。ちょうどそのとき、汽笛の音が聞こえた。
「!?」
 物悲しいがはっきりと聞こえた。そちらに慌てて行くと、古い古い列車がホームに佇んでいる。
「…」
 よりにもよって列車。俺ははちがねの下で聞こえないように舌打ちをした。
「これは?」
「…まだ戦火にまみれていないドマ鉄道があったとは…」
 古びた車体を見上げながらカイエンが唸る。そんな奴をよそに、マッシュはいきなり乗りこんだ。
「マッシュ殿!」
「ちゃんと調べなきゃなんないだろ?まだ生き残りがいるかもしれないし」
 戸をくぐりながら、悪びれもしない。慌ててカイエンが後を追い、俺もついていく。
「だめですぞ、マッシュ殿、早く降りなければ…!」
「なんでだい?」
「いいから!」
 ひどく慌ててカイエンがマッシュを引っ張るが、もう戸は堅く閉ざされ、列車が動き始めた。
「ななっ!?」
「……遅かったか」
「これは一体なんなのだ?」
 肩を落とすカイエンに俺は聞く。
「…魔列車」
『?』
 マッシュと俺は顔を見合わせた。
「死んだ人間を…霊界に連れて行く…」
「って事はなにか、このまま列車に乗ってたら、俺らも霊界とやらにご案内、って訳か!?」
「……そういうことになるな」
「何落ち着いてんだよシャドウ、もっと驚け、慌てろ!」
 ばたばたとじゅうたんの上を走り回りながらマッシュが叫ぶ。まったく、この男は本当に感情豊かだ。俺にはもうないこの…。
「とにかく先頭に行くでござるよ。止めなければ話にならないですからな」
「そうだな。…マッシュ、行くぞ」
「おうさ!」
 走り回った勢いでそのまま次の車両に飛びこんでしまった。


 ニ・ガ・サ・ン

「誰かなんかいったか?」
 最初にそれに気がついたのはマッシュだった。山篭りをしていただけのことはあり、そういったカンは優れている。
「いいえ、いいませんぞ」
「…」
「おっかしいなぁ…なーんか、聞こえたんだけどなぁ」
「まあこういう列車ですからな…。何か聞こえても不思議ではござらんでしょう」
「それもそうか」
 …それで納得する楽観主義。あきれを通り越して少しうらやましい。
 魔列車は規則的な音を立てながら暗い森を疾走している。車両自身には窓がないが、連結部分を通るときにわかる。一体どこまで来たのか。地獄の一丁目とやらに、もうつくころなのか。一瞬だけ考えた俺の視界の端を、なにか白っぽいものが走る。
「…!」
 とっさに護身用の手裏剣を投げつけた。それは揺らめき、その場から消える。
「なんだなんだ!?」
「どうしたでござるか?」
「…」
 無言で俺は愛用の短刀を構えた。その様子で残りの二人も何が起こりつつあるのかがわかったようだ。後ろでマッシュは鉤爪、カイエンは刀と、それぞれの武器を構えるのが気配でわかった。
「まずいんじゃないか、もしかして」
「そんなのんきな…」
 マッシュとカイエンがのどかな会話をする。その時、何かがいっせいに俺たちに襲ってきた。
「来たっ!」
 白い、半透明なもの。魔物とは違う気配。不覚にも、俺はそいつの目を見てしまった。
(………)
 恨み、憎んで死んだ人間の目。遠い昔に初めて見た、憎悪の瞳。
(……ナゼ、オレヲ、コロシタ…?)
 あの日から、俺は暗殺者になった。人と心を通わすことのない、憎悪だけを食って生きるようになったのだ。
「シャドウっ」
 それは、俺とあいつのコードネームだった。そして今、一人でこの名を背負っている。
「シャドウっ、しっかりしろっ!」
「!」
 うかつだ。取りこまれそうになっていたらしい。
「マッシュ殿、これでは埒があきませんぞ!」
 カイエンが鍛え抜かれた刀を振るいながら叫ぶ。
「とにかくこんな狭いとこで闘ってたら同士討ちする!外へ…っ!」
「わかったでござる!」
「…」
 俺も無言で外に出た。あの閉じられた空間には居たくない。せめて、外へと…。
「どわっ!」
 マッシュの悲鳴。外は外で、同じような白い精神体でいっぱいだった。カイエンが、無言でマッシュを見つめている。
 辺りを見まわしていたマッシュだが、突然車両の上に上がりはじめた。
「お前らもこいっ!」
 何か案があるのかと俺たちも上った。
「何をするつもりだ?」
「…お前ら、足に自信はあるか?」
 なんとなく想像がついた。カイエンは不振そうな顔をしながらも頷く。
「じゃ、一気に抜けるぞ。……走れっ!」
 言い残して車両の上を走り始めた。端を踏み台にして次の車両に乗り移る。いい度胸だ。柄にも無く俺は感心した。
「そんなことできないでござるよーっ!」
 カイエンが叫んでいる。
「そんな泣き言をいう暇などあるまい。下を見ろ」
「…?…!」
 もう下は幽霊でいっぱいだった。カイエンは必死の形相で走り、次の車両も、その次の車両も乗り越えていく。俺も、後についた。

 二、三両屋根の上を走り、何とか落ち着いたところで連結器をはずした。こうすれば後ろから追ってこられることは無いだろう。
 蒸気の音が近い。先頭車両が近いということだ。どうにかして降りなければ。
「なーんか嫌な予感がするでござる…」
「カイエン、そーいうことは思っても黙ってるもんだ。そうしないと…」
「実現する、か」
 俺たちは黙った。何かの気配が近づいてくる。先ほどまでの悪意に満ちた気配ではない。
「…おや……何かお困りごとですか?」
「あんたは?」
「この列車の、車掌を務めさせてもらっています」
「へぇ、魔列車にも車掌なんて居るんだ…」
 車掌と名乗ったその男は俺たちのことを聞くと渋面になった。
「困りましたね…。この列車は一度乗ると、降りられないんですが…」
「どうにもならないでござるか?」
「規則でして…、でも、あなた方はのろうと思って乗ったわけではないですし…」
 彼は窓から外を覗く。
「ああ、そろそろ止まります。その時に降りてください」
「止まるって…?」
「…近頃、魂が多くて…。臨時停車しないと全部拾っていけないんです。おかげでもう時刻表なんてめちゃくちゃですよ…」
「……」
 疲れたように笑う車掌。
 魂が多い。つまり、死ぬ人が多いということだ。帝国の侵攻は、こんな妙なところでも迷惑しているらしい。
 鈍い音を立てるブレーキ音。車掌に促されるまでもなく、俺たちは列車を降りた。
「あー、もうこりごりだぜ、こんなの」
「まったく同感でござる」
 二人が体を伸ばしていると、後部の方からドアの音が聞こえた。臨時で増えた魂とやらだろうか。二人もそれに気づいたらしく、そちらに目を向ける。
「ミナっ!シュンっ!」
 突然カイエンが大声をあげ、走り出した。俺にはただの白いもやにしか見えなかったのだが、どうも奴には妻と子どもに見えたらしい。
(パパ?)
(あなた…)
 もやの方も返事をする。けれど、無常にも出発の汽笛が響く。重々しい音を立てて、列車は動き出す。
「行かないで、行かないでくれーっ!拙者を…置いて…」
(あなた…、私、あなたと出会えて幸せでした…)
(パパ。僕、ママを守れるように、パパみたいに強くなるよ)
 優しい女の声と、無邪気な子どもの声。
「行くなーっ!」
 無理と分かっているのに後を追う。が、それもホームの端で終わり、去っていく列車を力なく見つめるのみだった。
「カイエン…」
 マッシュが何かを言いかけたが、俺が制した。
「そっとしておいてやれ」
 家族の死を、こんなかたちで再確認する。できれば避けたかっただろう。奴の言ったいやな予感は、やはり的中してしまったのだ。

「俺は、ここでおさらばだ」
 森を抜けたあと、大きな滝に出た。これ以上こいつらと一緒に行動していれば、思い出したくないことまでも思い出す。
「そうか、いろいろ助かったよ、シャドウ」
 そんな俺の気持ちを知らずにマッシュが手を差し出してきたが、俺は手を出さなかった。肩をすくめて手を引っ込める。
「またな、シャドウ!」
 去っていく俺の背中に明るく声をかける。不思議と、俺ももう一度会えるような予感がした。

TO BE CONTINUED


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