目覚めてみる悪夢

 

 助けを呼ぶ声。私はこの声を知っている気がする。幾度も幾度も、聞いたような気がする。そして、これからも聞いていくのだ。

「……お、起きたようだな」
 その声はいつもの声ではなかった。
「無理はするんじゃないぞ。お前さんは操りの輪の呪縛から離れたばかりなのだからな」
「…アヤツリ…?」
 遠い昔に聞いたことがある言葉。どこで?いつ?身を起こすと、頭の奥から激痛が走った。
「こら、まだ起き上がるなと…」
「私…私は…」
 思い出せない。何かを考えると体がばらばらになりそう。頭を抱えていると、がっしりした手が私を再びベッドに横たえた。
「もう少し休んでおけ。どうせすぐ休めなくなる」
 声と手の主はそう言った。相手の顔をみると、初老と言っては失礼になるが、壮年ではない、そんな年頃の男だった。でもそんな事はどうでもいい。なんで私はここにいるのか、私は一体何者なのか。何も…わからない。考えれば考えるほど頭の中に紗がかかったようになる。ここは男が言うとおり、休んでおくべきなのだろう。でも…。
「…奴はまだ来ない、か」
 私に話しかけたのではない。窓の外を見るように男が呟いた。つられて私も窓の外を見る。漆黒の闇。窓ガラスに部屋の明かりが反射し、強い光を放った。
「…あ…」
 一番最近の、鮮明な記憶。強く、青い光。何かの暗示のように繰り返される明滅。氷を通して呼びかける、異形の存在。

 …ティナ、ティナ、ティナ、ティナ。

 あれは私にそう呼びかけた。氷付けになってなお、私に呼びかけた。
「…ティナ…」
 そっと呟いてみる。くすぐったいような、懐かしいような。よくわからない。でもきっと、これが私の名前。あれは…氷付けの幻獣は、私に向かってそういったのだから。
「…来たようだな」
 唐突に屋根の上から、誰かが降りてきた。灰白色の髪に青いバンダナ。若い青年だ。
「よぉ」
「…まともに玄関から入って来れないのか、この泥棒め」
「そんなこと言ったってよ、ガードが街中をうろついてたぞ。俺みたいな風来坊がまともにあんたのうちに入ったりすると、ばれるだろうが。それにもう一つ。俺は泥棒じゃない。トレジャーハンターだ!」
「わかった。わかったからもう少し静かにしろ。ただでさえ私はこの街で目をつけられているのだから」
「で…?」
 少し声を落として青年が聞く。何も言わずに私のほうへ、最初の男は顎をしゃくった。
「この子が…?」
「ああ。ロック、これは私からの依頼だ。彼女を安全な場所へ…ここからならフィガロがいいだろう。そこヘつれていってやってくれ」
「了解」
 そう言うとロックと呼ばれた青年は私のほうへ来た。少しだけ、体を固くする。
「そんなに固くならないでくれ。俺はロック。ジュンのおっさんに頼まれて、あんたをフィガロまで連れて行く。ここにいたら、危ないからな」
「危ない…なぜ?」
 ロックはジュンの方を見た。
「彼女はこれをつけられていた」
 そういって彼は簡素な輪を掲げて見せた。
「なるほど…。帝国に、意のままに操られてたってことか…。じゃ、かいつまんで説明する。あんたは、ガストラ帝国の戦士だ。ガストラ帝国って言うのは、最近世界征服をするとかであちこちの街や国にちょっかいを出している。ここは炭坑で生計を立てているチンケな街のナルシェで、ここも帝国の被害にあっている。ま、帝国大嫌いの街だな。危険なわけがわかるだろ?」
「…ええ」
 かなり大雑把な説明だったらしく、ジュンが渋面をしていたけれど、自分の身が危ないということはよくわかった。
「でも…帝国の戦士なのに…ジュンさんはなんで私を?」
「それは…おや…お客のようだ。ロック、裏口から炭坑に入れ!」
 鋭く言うとジュンは玄関の方へ向かった。
「歩けるか」
 手を差し出すロックに頷いて見せ、私はベッドから降りる。どうやら街の人が、この家に捜索に来たようだった。玄関の方でもめている声がする。ロックは素早く裏口に回り、私を連れて外へ出た。寒かった。
「寒いが少し我慢してくれ。この簡易橋の先はすぐ炭坑だ。そうしたら少しましになる」
 息を白く弾ませながらロックが言った。ちらつく雪に体を凍えさせながら、私はキャットウォークを進む。気をつけないと所々凍っているので足を滑らせてしまう。二階ほどの高さから落ちたらただ事では済まない。おっかなびっくり、それでもロックに必死についていって、炭坑に入ったときにはほっと息を吐いた。
「悪いが休んでいるひまはない。もう少し奥まで入らないと、見まわりが来るから…」
 そう言ってすたすたといってしまうので、慌てて後を追った。

 真っ暗。ロックがなにかごそごそしていたけれど、それは明かりをつけるためだった。ぼんやりとしたランプに照らし出される炭坑の壁が私を押しつぶす。そんな錯覚を覚えた。
「大丈夫か?これ…食うか?」
 そう言って半分になったパンを差し出してくれた。あまり食欲はなかったけれど、おとなしく受け取った。これからこの炭坑を抜けて、フィガロというところへいかなくてはならないのだ。途中で倒れても、ロックに迷惑がかかるだけなのだから。
「ありがとう…」
「…あ、ああ」
 しばらくの間沈黙。やがてロックが口を開いた。
「これからさ、フィガロまでいっしょに行動するわけだけど、まだ俺、あんたの名前知らないんだよな。なんて言うんだ?」
「…名前」
「そう…って、そうか、今の今まで操られてたんだもんな。名前って言われても困る…」
「ティナ、よ」
 彼が言いきる前に私の口から飛び出した。
「へぇ…たいした精神力だ。ティナか…うん、いい名前だ」
「そう…なの?」
 よくわからないけれど、ロックが嬉しそうなので私もとりあえず笑った。でも心配なことがある。
「ねえ…。あのジュンさんは、大丈夫なの?」
 私の介抱をしてくれた男が心配だ。あのまま、何か酷い目にあわされてはいないだろうか。
「大丈夫だって。あのおっさんは何回もああいう修羅場は乗り越えてるんだ、ああ見えてもな。だから今回も大丈夫だろう」
「フィガロって…?」
「あそこは親帝国というか、帝国と不可侵条約を結んでるんだ。だからあんたの身柄は安心さ。安心でないのは王様なんだが…」
「王様?」
「ま、行ってみりゃわかる」
 そう言って肩をすくめ、ロックはランプを持って立ちあがる。私も慌てて立ちあがった。
 ナルシェという街は、かなり北に位置しているらしく寒い。一年のほとんどの日に雪が降り、ナルシェ山頂には万年雪が積もっている。ほんの少しの日数だけ夏がきて、街の雪を溶かし、山頂からの川の流れを作る。そんなときに、あの氷付けの幻獣が発掘された。ナルシェ側は当初帝国にその事実を隠し、伝えなかった。しかし噂は広まり、やがて帝国上層部へと達し、調査のためとして私などの帝国兵が派遣されてきたのだと、ロックは語った。
「私のほかにも、帝国の人がいたの?」
「もちろん。あんたは…言っちゃ悪いが帝国の道具だったんだ」
「道具」
 低く呟く私に反応してか、困ったように手を上下させて続けた。
「あ…いや、今は違う。今はちゃんと自分で生きてる。だけどな、操りの輪をつけられているってことは、そういうことなんだ。で、道具には必ず使い手が存在する」
「その人たちは?」
「俺は詳しく知らないが…幻獣を見つけたとき、なんかすっ飛んでいったらしい」
「……そう」
 その人たちのことを思い出そうとしてもわからない。覚えているのは強い光と、ティナと呼ぶ声だけ。記憶はあちこちへとさ迷い、迷路をたどっているようだった。
「…行こうか…ここは、寒すぎる」
「ええ…」
 長く、狭く、暗い坑道。そして寒さ。全てが私の身に突き刺さった。必死で後についていって、時折顔を上げるとロックが私の顔を見ている。何かを言いたそうで、それでいて黙ったまま。
「…ごめんなさい、もっと早く進まなきゃいけないのに」
 どうしても遅れがちになることを、責められている気がした。
「そんなじゃない。…そんなじゃ、ないから」
 頭を振ると、先ほどよりかは少しゆっくりとしたペースで進んだ。
「…ティナは、家族とか、恋人とかいるのか?」
「えっ?」
 唐突に質問。問われた意味がわからず聞き返す。
「いや、操りの輪をつけられるより前のことなら、覚えているだろ?家族とかがいるなら、そこに連絡もしなきゃな」
「…わからないの。それに、家族ってなに?」
「…!?」
 すごい勢いで振りかえった彼の顔は、驚愕でいっぱいだった。
「い…今なんて!?」
 その勢いに押され、半歩下がる。
「だから…家族ってなにって」
「…一体いつから操りの輪をつけられてたんだ…」
 信じられないというように頭を振った。それを見て少し哀しくなった。私は多分、いや確実に他の人間とは違うのだろう。どこかが欠けている人間なのかもしれない。
「お、おい、そんなに沈むなって…」
 おろおろした声でロックが肩に手を置いた。私はよほど暗い顔をしていたのだろう。
「大丈夫だよ、俺が守るさ。俺がティナの家族になるよ」
「…?」
 彼の顔は笑っていた。けれど、瞳は笑っていなかった。その奥に限りない哀しみを宿していたから。この男性はきっと昔になにかあったのだろうけど。それでも私はわからなかった。家族ってなんだろう。恋人って、なんだろう。どうやら普通の人なら当たり前のように知っていることらしい。
「あ…ありがとう」
 礼を言わなければいけないような気がしたので言ったのだけれど、とてもつらい気がした。今までの私は長い長い夢を見ていたのかもしれない。そして目覚め、知っているべきことを知らないという現実をつきつけられた。そして導き出された、自分は他の人とは根本的に違うという事実。このほうが、私にとっては悪夢だった。それは決して醒めない、現実という名の悪夢…。

TO BE CONTINUED


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