2.森の民

 

 微動だにせず狙いを定め、こうなれば根競べだと腰を据えかれこれ数刻。もう普通の人間なら諦めてしまいそうなほどの時間は経った。けれど彼は、たった今構えだしたと言わんばかりに気配を断ちそこに在り続けている。
 ガサリ、と茂みが動いた。ただの風か。いや違う。相手は痺れを切らした。もう少しだ。
 けれどそれを表に出してしまうと相手に伝わる。自分よりもより風を読み、気配を知る事に長けている相手なのだから。静かに、ぐっと喉の奥へ押し込む。
「……」
 もう少し。待てば必ず顔をだす。そうすれば。
 思うか思わないかの狭間で鏃は走る。自然に。ただ自然であるように。その瞬間に何の感慨もなく。

 甲高い鳴き声が上がった。
「獲った!」
 男は凝り固まった筋肉をものともせずにその場から駆け出し、矢羽が見えている茂みに飛び込む。そこには絶命した今日の獲物がいた。
「これはいい。毛が汚れなかった」
 街に持っていって売れば少しは金になる。基本、森の中を旅し生きる身ではあるが、時折街にでることもある。
「街は金がかかる」
 仕方がないことだが、と獲物を捌き始めた。が、すぐその手は骨に当たって止まる。どうもナイフの扱いにはまだ慣れない。もう数年単位で旅を続けているというのに。
『あらぁ。弓はいい腕してたと思ったんだケド』
「!?」
 不意に聞こえてきた甲高い声に辺りを見回す。誰かいたのか? その割には獲物と根競べをしている時には何も気配を感じなかったが。
 しばらく見回して、自分の目線より少し高い位置に何かがいるのを見て取った。
『えっ!? 何!』
「……なんだ、お前」
 当然人ではない。また、少なくとも動物や魔物でもない。人の言葉を解する動物は今もって知らないし、解するだけの知能がある魔物ならこんなに無防備に現れない。どうやら姿かたちは昔語りに聞く妖精、精霊に近いようだが。
『名を聞くなら先に名乗るのが道理ってモンでしょ!』
「……トーヤ」
『アタシはサンディ! ってちょっと待って。アンタ、アタシのこと分かるの!?』
 畳み掛けられる。とりあえず軽く頷いた。薄く光っていて向こうが透けて見えるが、分かるのは分かる。
『おっどろいた! アンタ、天使!?』
「天使? なんでだ。おれはただの森の民だ」
『だってだって、なんでアタシの姿見えるのさ。フツー見えないのよ?』
「知らない」
『えええ? 知らないって何よその答え!』
「……」
 元々上手くない短剣を扱いあぐねている上に耳に障る高い声でまくし立てられ、トーヤはだんだん黙り込むようになった。サンディと名乗ったその存在はトーヤが聞いていようがいまいが全く気にしていないようだ。このまま喋らせるだけ喋らせていればそのうち飽きてどこかにいくかもしれないがその間この状況なのはつらい。ので、話が少し落ち着いたと思えるタイミングで割り込んだ。
「小さき者サンディ。何ゆえ、おれに声をかけたのだ?」
『え、あ、ヒマだったし。テンチョーと連絡取りたいのにぜんっぜんわかんないし。知ってるヒトとかいないかなーって思ってたらあんたがいたワケ』
「……」
 聞くんじゃなかった。久々に心底からそう思う。
『でも不思議よネ。アタシが見えるってのは、天使とかそのケンゾク……って聞いたことあるケド……どっかでそんな血混じった?』
「知るもんか」
『そーよねー。見るからにヒトだしねぇ。天使なら翼はどこよ。エルフなら長い長い髪でしょ。ドワーフにしちゃ背が高すぎるしサ』
 うんうん、と一人納得する。
『んじゃそーいうワケでアンタには用事はないわ。じゃあね』
 光の粉を振りまいてどこかに行ってしまった。ようやく静かになったと息を吐く。
「そんな血、ねぇ……混じったかもしれないが……」
 彼の血筋は色々なので正直なところ、どこかで混じった可能性もある。
「……最近、だよな。ヘンなの見るようになったの」
 少なくとも森にいた頃は何も見なかった。本当にごく最近だ。何があったのかと考え込む。
「あれか……?」
 ただ一つ。最近の記憶で覚えというより、直感的にそうではないかと思ったことはある。それなのか? トーヤは思い出す。
 今いる場所から西へ行ったところにある、滝が見事な村。なんと言ったか忘れたが小さな村だった。毛皮や牙、魔物が持っていた宝物を換金する為店に寄ったその帰りだった。滝を見てから帰ろうとしたとき、上から何かが降ってきた。その盛大な水しぶきはとてもではないが滝の上から落ちてきたどころではないことを指し示していた。
 収まりかけた時にちらりと見えた人影。とっさに滝壷に飛び込み岸に引っ張っていく。女だが息をしていない。一通りの救命措置を取って水を吐いたのを確認し、ようやくその女の姿の奇異さに目が行った。
『……なんだこれは』
 頭の上に薄らと見える光輪。背に柔らかな、そう、羽のような感触。しかしそれらはしばらくすると消えてしまった。奇妙に思いながらも代わりに女の着衣に目が行くと、これはこれで旅芸人でもこんな姿はないだろうという不思議な服装。髪色も、金に光る時もあれば緑を写し、夕暮れの色をももっているように見える。
 結局トーヤは女を走ってきた村人に預け旅を再開した。受けていた依頼もあるのでそちらを報告しなければならないのもあるし、少しでもいい、あの女から離れたかった。
 そして現在にいたる。
「あれ以降だ。妙なものが夜に見えたり、昼にも見えたりするようになったのは」
 光輪も背の羽も消えた。よく考えろトーヤ。もしかしたら、あれらは、自分の中に吸い込まれたのではないか? 現に今、自分の体の中には不思議な力がある。何時間矢を番えていても全く微動だにしなくなったり、少し力のある魔物の存在が分かるようになったり。今までなかったことだ。
「何者だったのだろう、あの女は」
 獲物に目を戻し処理を続ける。何度か短剣で自分の手を切りそうになりながら、これに関しては変な力があってもどうにもならなかったのだなと下唇を突き出しながら。


 滝で女が降ってきたころ、セントシュタインに続く唯一の峠も崩れ落ちていた。トーヤはその復旧作業を横目に見ながら道といえない獣の通り道をたどっている。待つのもいいが自分の訓練のためも含めてその道を選んだ。時折がけの上に出て復旧作業を眺めた。
「ここが崩れ落ちるなんて初めてだな。資材も持ち込みにくいが……これで少しここが広がってくれたらそれでいいんだが」
 一人で移動するときには今のように道ではないところも通るので問題ない。ただ護衛の依頼を受けるときなどには都合がいいだろう。
 だがやはり気になる。もはや大雨程度では流れない強固な岩盤だったはず。この道が通じて数百年、大きな地震は山とあったと聞くが。
「……ん?」
 ぼんやりと光っていた。あたりが薄闇になって初めて気づくその明かりは頼りなく所在を知らせている。
「……」
 あまり見たくはないのだが視線が離れない。結局崖を降り近くまで寄った。
 見たことのない形。下には車輪が付いているので乗り物ではあるらしい。しいていえば馬車のような形といえないこともない。
 それは木立を潰し奥までなぎ倒して突っ込んでいた。試しに戸らしきところに手を伸ばしかかって。
「お前さんいったい何してるんだい、そんな何にもないところに突っ立って」
「何?」
 振り向くと仕事帰りの人足が明らかに不審者を見る目でトーヤを眺めている。
「んなところに居られると邪魔なんだ。今から道具が通るから退け退け」
 指すほうを見ると数人がかり巨大な槌がこちらに向かって引っ張られている。あわてて横に寄った。人足はフン、と鼻を鳴らしそのまま去り、槌もゆっくりとトーヤの目の前を通り過ぎていく。
「……何もない?」
 人気がなくなった後に振り返ればそこには光る箱がある。これほど目立つのになぜ見えないのだろう。
「気味が悪すぎる」
 得体の知れないものに対する潜在的な不安。胸の奥に残った居心地の悪い気持ちに逃げるようにその場を離れた。

 峠を抜ければすぐにセントシュタインへ続く街道が伸びる。人気も増え始め、城下町へ近づくにつれ次第ににぎやかになっていく。
 トーヤは普段は街道は通らない。どうしても「万人が通りやすい」ことを主眼に作られる道、遠回りになることもしばしばあって、急ぐ旅ではないもののなんとなく裏道を通ることが多かった。不穏な輩が居ないわけではないがこちらが必要以上に近寄らなければ彼らも目をつけたりはしない。
 ただ、今回はどうも奇妙なことが多すぎた。女のこと、峠のこと、光る箱のこと。不安を抱えたまま裏道を辿る気にはならない。時折街道筋の毛皮商を覗きながら城下へ。
「お、トーヤの兄さんじゃねーか。久しぶりだな」
「ん? ああ、親父さんか」
「ご挨拶だね。最近どうだい?」
「ピンピンしてるよ」
 数年このセントシュタイン近辺で暮らすうちになんとなく顔なじみになった毛皮商だ。
「どうしたんだ親父さん、買い付けかい?」
 本来は城下に大店を持っている。たまに買い付けと称して行方不明になることが困ると店を実質的に預かっている女将が漏らしたことがあった。
「おうよ。この辺でいい毛皮が入ったからちょっと来てみた。どうせすぐ戻れるしな」
 知った顔を見つけたことで少し気が落ち着いた。
「そうだ、これ手に入れた」
 先日仕留めた獲物の毛皮を渡す。
「んー? おお、これはいい。汚れてないからすぐ仕立てに出せる」
「仕立てるのか」
「最近毛皮で作った服が流行りなんだ。けど一体どういう獲り方したのか洗っても使えないやつが多くて困ってたところさ」
「へぇ。街では変わったものが流行るんだな」
「あんたさんにゃ関係ないけどな。街は奇妙奇天烈さ。何が流行るかなんててんで見当がつきゃしない」
 店主は毛皮をトーヤに返そうとしたが彼は断った。
「どうせ親父さんのところに持ち込むつもりだったんだ。そのまま持っててくれ」
「いいのかい? 俺がこのまま逃げちまったら?」
「別に。しばらく街に行かないだけだ。根本的に金はおれには必要ない。必要なところに必要なものが行ったに過ぎない、と思う」
「……」
「どうした親父さん、頓狂な顔をして」
「いやはや、兄さんの考え方は街のモンにゃちょいと理解しがたいもんがある。でもそれがあんたさんたちの生き様なんだろうねぇ。ずいぶん前に兄さんと同じように旅をしてるって森の人にあったことはあるけど、やっぱりそんな調子だったよ」
「どこの氏族のものだろうな。少なくともおれの一族はこの大陸にはあまり来ないから」
「さ、それはちょっと俺にゃわかりかねる話さ。そんなことはどうだっていいや、こいつ、相場の倍で頂きましょう」
 毛皮を上に振ってみせる。
「いいのか?」
「もちろんだ」
 情報収集をかねて店主と共に街道を歩く。もうほとんど城下町に近いこともありすぐにセントシュタインの門をくぐる。入ったすぐの店が心なしかにぎやかだ。
「親父さん、あの店は? 前に来たときは廃墟みたいだったけど」
「あ、そいつは宿屋だ。長らく真っ当に動いてなかったけど最近新しい人入れたらしくてね。まぁすぐにどうこうってわけでもないけど活気があるのはいいことだ。何せ門入ってすぐの場所だからね。旅人に評判悪くて、俺ら商店持ち一同で王様に談判しに行ったこともある」
「なんとなくわかるよ。さっきも言ったけど本気で廃墟だと思ってた。他の人も同じだったろうさ」
「なんでもかつての店主の娘が改めて入ったとか。どうなるかわからないがとにかくもう一度廃墟にならなけりゃそれでいいさ」
 肩をすくめて店に入った。トーヤも後を追う。と、女将が賑々しく出迎えた。
「あんた、今日は早かったんだね。あたしゃまた三日は戻らないと思ってたけど。たまには店のこと考えてくれてるってことかしら? なら早く帳簿つけちゃってよ。あんたが居ない間に売れたのはそこに全部記録してあるからさ」
「お前な……お帰りの一つぐらい優しく言えねぇのかよ。それに客だ。さっさと応対しやがれ」
「客って……あらあらまあまあ、トーヤさんじゃないか。いつ以来かしらね」
「お久しぶりです女将、前はそう、実りの季節前くらいだったと思います」
「もうそんなになるのかい。ああ座って座って。今日は何もって来たんだい?」
「親父さんに渡してます。毛皮が獲れたんで」
 怒涛のごとく畳み掛けられ若干押されつつ愛想笑いを返す。この女将はいつだってこんな調子で、店主と一見罵り合いながらやっている。最初こそ気後れしたが今は慣れたものだ。それだけ長い間この付近で暮らしたということになる。
 そろそろ移動するか。長く居すぎたかもしれない。だから妙なものをみるのだ。
 傍から聞けばよくわからない理屈でトーヤは旅立つことをひそかに決めた。別に誰に何を言われるわけでもない旅路。
「ほれ兄さん、受け取りな」
 小さな袋に入った金貨はかなりの重量感だ。
「親父さん、これはちょっと多すぎじゃないか? 相場の二倍ったってそんなどころの話じゃないだろう、これ」
「いいんだよ。あんたにゃ世話になってる。前にもらったもんもかなりいいものだった。そのとき儲けさせてもらったからそのお返しさ」
「それなら余計にもらえない。おれ、そろそろここから動こうと思ってるんだ。だからもうちょっと持ち込みもできなくなる。そんななのに……」
「なら余計に持ってお行き」
 女将は豪快にトーヤの背をたたいた。
「女将さん……」
「あんたには世話になったよ。またいつか縁があれば来ておくれ。生きてる限り歓迎する」
 その満面の笑みに遠く故郷にいる母を思い出した。

 結局お金は押し切られる形で渡された。どうしようかと考えて、たまには宿にでも泊まってみるかと目抜き通りを歩く。家路に着く人々を避けながら門まで戻り改めて開店したという宿へ。別にどこでもよく、そもそもセントシュタインの宿は知らない。いつも売るだけ売って森へ戻っていた。店主に聞いて初めて宿に泊まってみるかと思ったほどだ。
「いらっしゃいませ!」
 扉は少し重くそれなりの音を立てる。内装は簡素、だが決して貧相ではない。迎えたのは自分より年が下のような少女といっても差し支えない女だ。
「部屋は空いているかい?」
「はい、大丈夫です。何泊お泊りになりますか?」
「決めてないんだ。だけど一泊くらいだろうと思う」
「かしこまりました。お部屋をご用意いたしますのでしばしそちらでお待ちください」
 言われるままにテーブルに着く。すぐさま店主手ずから焼き菓子とお茶が運ばれる。それをつまみつつ辺りを見回すと一角にバーが出来ていた。
 たいていの宿は酒場と兼用になっていて、泊まりはしないが酒場には何度か顔を出したこともある。ここもそうだったのかとなんとなくそちらに向かった。
「あらお兄さん、お茶よりこっちがいい?」
 艶のある声で女が声をかけてきた。その声の通り本人も艶のある女。
「いやそれは後でいい。それよりこっちは何かあるかい?」
 言いながら傍らに置かれた台帳を繰った。酒場は本来の意味と同時に情報交換の場でもある。ご他聞にもれずこの酒場もそういった情報を集める台帳が置かれていた。
「そうねぇ。最近北のほうが物騒だって話はあるわ。お兄さんこれからどこに行く予定?」
「その言う北のほう」
「うーん。一人じゃちょっと危ないわね。誰か仲間見繕ってみる? 何人か今すぐ動けそうなのには心当たりあるんだけど」
「貴女は斡旋までしてくれるのか」
「もともとそれが本業なのよ。こっちは趣味ってところね」
 酒瓶を軽くつつく。
「私はルイーダ。あなたは?」
「トーヤ」
「不思議な響き。この辺の出身じゃないわね」
 笑う女に軽くドキリとしつつ頷く。ルイーダは満足そうにトーヤをみて手元においてあった紙の束から一枚一枚より分けながらカウンターに置いていく。
「こんなところ。だけど先にリッカの用事を終わらせたほうがいいわね。ごめんなさいリッカ」
「いいえ」
 振り向くと店主の女、リッカと呼ばれた彼女が立っていた。
「お部屋のご用意が出来ました。よろしければ荷物、お持ちいたしますが?」
 背負っている二張の弓を指す。
「いや、大丈夫。自分で運ぶよ」
「かしこまりました。ではこちらへどうぞ」
 リッカは一礼してトーヤの先に立って進み始めた。サロンを抜け少し行ったところに各部屋への扉が並んでいる。
「外から見たときも大きいと思ったが中に入っても大きいな。前見たときは完全に廃墟だと思ってた」
「最近なんですよ、立て直してき始めたのが。不肖ながらこの私が任されてまして、とにかくお客様に快適に過ごしてもらおうと思っています」
 ちょうどその時部屋の一つから掃除道具を抱えて女が出てきた。リッカとトーヤの姿を見て軽く頭を下げる。
「あ、ラーズありがとう。ごめんねそんなことしてもらって。貴女にも急ぐ用事があるのに」
「かまわないわ。行く当てもないんだし。むしろ路銀を稼ぐのにちょうどいい」
 森を思わせる深い緑の瞳。その澄んだ色に思わず引き込まれる。ろうそくの明かりという頼りない光源でもしっかりと輝いていた。そんなトーヤをよそにラーズはさっさとロビーに向かっていった。
「……今のは?」
「ウォルロで知り合った友達です。本人は何かすることがあるみたいなんですがこうやってうちの宿を手伝ってくれています。本当にいい人なんですよ。ルイーダさんのところに毎日情報を仕入れに行っているんですがなかなか彼女の方面に行きたい人に出会えなくて……あ、ごめんなさい」
 こちらです、とドアを開けトーヤを中に入れた。
「何かありましたらお気軽にお申し付けくださいませ。それではよいご逗留を」
 一人になった部屋で背負っていた弓をまず一番に下ろした。ベッドサイドに立てかけ、ふと先ほど出会った女のことを考えている自分がいる。どこかで見たような気がするのだがあれほど見事な緑の瞳を持つものならもっと印象に残っているはず。だがあの目に会うのは初めてだ。
「……?」
 考えてもわからないことは考えないに限る。ルイーダとか言ったあの女主人も待たせていることだし、とロビーに戻った。 作りつけられたバーでルイーダが軽く手を上げている。
「改めていらっしゃいトーヤ。さっきの続きだけど、ここらあたりが貴方と同じ方面希望の人たちね。ゆっくり選んで」
「ありがとう」
 椅子を引き寄せついでに軽く酒を頼み紙に目を通す。名前、年齢、得物等基本的なことが無機的に列挙されている。
「どうしたもんだか。いっそ一人で行ってもいいぐらいだな、こりゃ」
「ダメよ。あっちのほうは本当に危険になってるの。私の酒場に来てくれた人が大怪我するのが一番嫌よ」
 ルイーダはふと瞳を翳らせる。何がしかがあったのだろうなとトーヤは深く追求はしなかった。そもそも自分自身も怪我をするのはごめんだ。
 唐突に戸が乱暴に蹴り開けられた。見るからに柄の悪そうな男が数人、店内を物色するように見回している。
「お客様、お泊りですか? それとも酒場に御用事ですか?」
 それでもリッカは丁寧に聞く。その場の全員が違うと心でつぶやきながらもその接客態度は気持ちよい。
「あんたがこの宿の責任者かい? ちょいと話し合いに来たんだ、ツラかしてくれや」
「……かしこまりました」
 リッカが緊張した面持ちで男たちを伴いサロンに向かう。最後尾にラーズがさりげなく並んだのをトーヤは見た。
「ん……? あの人は」
「今のところここの雑用をやってくれてる兼リッカの用心棒ってところ。華奢な体して意外とやるのよ。ウォルロからここまで来る間の護衛もお願いしちゃったし」
 ちょっと前なら自分が露払いできたんだけど、ルイーダが苦笑いをした。
「最近これの量がたたったのかもね。ちなみに旅の同行者探し中。ほら、これがそう」
 空になったトーヤのカップにまた酒を注ぎカウンターの上の一枚を指す。確かにラーズの名が記されていた。当面の行き先は「世界中」とあり面食らう。基本的にどこからも物騒な噂が聞こえてこない世の中だが通常人にとっては魔物のいる道を行くことはやはり脅威で、旅をするのはよほど抜き差しならない用事があるときだけ。ただただ世界中をめぐるだけという存在はめったに居ない。そこまで考えて気づいた。自分自身も目的なく世界を放浪しているではないか。
 とりあえずまた飲みながらサロンのほうを見ていると声がして豪快に扉が開かれた。何があったかは想像に難くない。またリッカが先頭になりぞろぞろと出てくる。そのまま外に向かった。
「あらあら、今日はやる気なの? 仕方ないわね。ごめんなさいね、ちょっと様子を見てくるわ」
 ルイーダが外に向かいなんとなくトーヤも向かう。沈みかかった太陽が最後の一矢を投げかけてきている。
「リッカも頑固だからね。適当にあしらっちゃえばいいんだけどまだそれが出来るほどじゃないのが若いってもんかしら」
 何も言わずラーズがリッカの背後に付く。と思えば次の瞬間飛び掛ってきた男に蹴りを叩き込んだ。まるで踊るように攻撃を繰り出す様は人を何かの舞を見ているような気分にさせる。リッカはリッカで小さい魔法球を複数生み出し威嚇をしてる。そこをラーズが攻撃していった。
 そんな彼女たちの死角から先にひっくり返された男が起き上がり懐から何がしかを取り出そうとしている。それを見た瞬間、考えるより先にトーヤの体が動いた。
 かすかに腰を沈め、帯剣したままだった短剣を抜いて一直線。見事に男の得物を弾き飛ばす。その音を聞いたラーズがひるんだところを逃さずに改めてこぶしを叩き込んでいた。

 巡回兵にごろつきたちを任せ改めてリッカは宿カウンターへ。ルイーダとトーヤも飲み直すかと中へ戻る。そこへ。
「あの……」
「んー?」
 振り向くとラーズだった。
「ありがとうございました。おかげで無傷でした」
 満面の笑みを向けられ深いお辞儀をされたトーヤは素直な礼に戸惑う。ラーズはまた部屋の掃除に行ってしまい、その後姿を見送った。
「……」
 席に戻ってラーズの書類を眺める。どうせ同じ旅の当てがはっきりしないもの同士。期せずして戦いぶりを見ることも出来た。それなら同行は彼女にしてもいいのかもしれない。それに正直、どうしても気になって仕方ない。そんなトーヤを知ってか知らずかルイーダが話しかける。
「そうそう、聞けばあの子、記憶飛んじゃってるんだって。ほら、この間あったでしょう、地震。あの時ウォルロの上流に居たらしいんだけど滝から落っこちて以降全然何にも覚えてないんだって。たぶん服装からして旅芸人だったんじゃないかってみんな言ってたけどね」
「……滝から落っこちた?」
「らしいわよ。ちなみに舞手としては一流ね。私も見せてもらったけどすごく綺麗だったわ」
「……あの女か!」
「えっ?」
 突然大声を出したトーヤにルイーダが体を引くのだった。

TO BE CONTINUED


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