<Phosphophyllite>

 

「ねえ遠野君、あなたのお兄さんって、宝石屋さんやってたよね?」
 同僚の女子社員が恐る恐る声をかけてきた。
「そうだけど…、なにか?」
「実は、変わった石もってるんだけど、なんなのかみてもらいたくって…」
「…普通の店屋に持ち込んでもいいんじゃねーか?」
 宝石がらみだとどうも腰が引ける。最近ろくな目にあってないせいも手伝う。どうせ鑑定料を取られるのが嫌なのだろうから、と思ったのだが。
「それはそうだけど…」
「あー、遠野君ひどいんだー。女の子の頼み、そんな風に言うなんて」
 他の社員が集まってきた。
「いっ?」
「最低よねー、男として」
「そうそう」
「…」
 女の集団を敵にまわすと恐ろしい。これ以上断れば会社にいられなくなるかもしれない。このご時世、なんとか掴んだ就職をあきらめる気はないので、おとなしく従うことにした。
「わかった、都合がつくかどうか、聞いといてみるよ」
「ありがとうね」
 今までの険悪さはどこへやら、打って変わってにこりと笑って自分のデスクに戻っていってしまった。
「叶わんな…」

 その週の日曜、長田沙羅が家にやってきた。例の、石をタダでみてもらいたいといった女性社員だ。
「いらっしゃい」
「ごめんなさい、本当に」
「いやまあ、兄貴今あんまり忙しくないから…。忙しいとこんなこと出来ないけどね」
 苦笑いをしながら応接室に招き入れた。
 実はそこにディアがさりげなく浮かんでいたりするのだが、沙羅には見えない。彼女に見えるのはソファーに座っていた翠だけ。
「どうも…」
 緊張気味の声で沙羅が挨拶した。翠も挨拶を返す。それが終わってから、沙羅はそっと包みを差し出した。
「ふぅん…………ってこれ…」
「なにか…?偽物ですか…?」
 恐る恐る聞く。
「いや…長田さん、あなたこれどこで手に入れたんです?」
「この間ドイツに旅行したときに、露天商で…。とっても綺麗だったし、安かったんです」
「安いって…うーわー、端が欠けてるのが惜しい!」
 なにやら盛り上がる翠をじっと見つめる沙羅。その様子をみていたディアが、台所で茶菓子の用意をしている璃樹のところへやってきた。
「あの女の人、翠に興味あるみたい」
「んあ?」
 いきなりそんなことを言われても頭が理解しない。茶葉の入った筒をもったまま妙な顔をする。
「きっとそう」
 一人で納得しているディア。
「何納得してるんだよ」
「だからさ…、あの女の人は石より翠に…」
「おっと、後にしてくれ。茶、持っていくから」
 言いかけたことを途中でやめさされ、巫女は頬を膨らませる。璃樹はお盆にいろいろのせて応接室に行ってしまった。
「どーぞ」
「あ、ありがとう遠野君」
 璃樹が行っても沙羅はそちらを見ようとしない。
「しっかし、誰がこんな荒っぽいへたくそなカットしたんだよ…。俺だったら絶対こんな危ないことしないぞ…」
「兄貴?一体何言ってるんだ」
「璃樹、お前この石の価値わかってるのか?」
「わかってないからこうやって長田さん聞きに来たんじゃないか」
「これはレア中のレア、フォスフォフィライトだ。きっちりした検査しないと完全にとは言い切れないけど、十中八九そうだろうな」
「…舌噛みそうな名前だな」
「しかも、淡い青緑色って…フォスフォフィライトの中でも最高級品!こんなもんが露店で売られてるなんて…。俺もドイツいこうかな…」
「馬鹿な」
 牽制しておかないと、明日にはいきなり欧州に立ってしまう危険性がある。時折恐ろしい行動力を発揮するのが、翠という男だ。
「これ、しばらく貸してもらってもいいですかね?いや、別にとって食ったりするわけじゃなくて、純粋にこいつにもっと触れていたいってだけなんですけど…」
「えっ…まあ、構いませんけど…」
 少し動揺しているのが気にかかるが、沙羅の同意に翠は喜んだ。
「兄貴…こいつ、一体いくらぐらいするんだ?」
「値段なんかつけられねぇよ。いる人間が二人以上いれば絶対にガンガン跳ね上がる。オークションなんかに出した日には破産宣告されるようなもんだな」
「…ひえー…」
 どこかぼやけたような、端のかけた石にしか見えないが、コレクターという人種にかかわるとそこまで価値のあるものに変わってしまう。今更ながらに璃樹は、宝石の魔力を思い知った気がした。

 部屋に閉じこもって出てこない。
「兄貴っ!飯だぞメシ!」
 戸の前で騒いでも反応がない。開けてやろうと思ったらご丁寧に鍵までかかっている。
「参ったなぁ。これじゃかたづかねぇんだが」
「私見てこようか?」
 ディアがさかさまになりながら聞いてきたので、頼むことにした。
「すーい、ご飯だよっ」
 ふわりふわりと逆さまになりながら翠に声をかけた。
「…」
「翠ってば〜」
「…あっ、ディアか」
 じっと宝石に魅入っていた翠は何回目かの呼びかけにやっと応じた。
「なんだ?」
「ご飯だって。璃樹がぼやいてたよ、片付かないーってさ」
「そんな時間か」
 からだを伸ばして部屋を出て行った。巫女はじっとフォスフォフィライトと呼ばれた宝石を見ていたが、おもむろに指でつつく。と。
「…あれ?ダイヤの…」
「こんばんは」
 宝石の色と同じ柔らかい青緑の眼。きょとんとした表情の少年だった。ディアはにこりと笑って元に戻る。
「あなたはどうしたの?」
「僕?…僕はね、この中で寝てたの。でもさっきのお兄ちゃんがジーっと見てたから起きちゃった」
「そっかー」
「ダイヤのおねーちゃんは?」
「私はここの居候」
 少し意味がわからなかったのか、首を傾げる少年。
「それにしてもさ、ついこの間までくらーいところに押し込められてて、時々明るくなったんだけど…。そしたらこんな知らないところにつれてこられて…」
「……」
「本当は帰りたいところあるんだけど」
「帰りたいところ?」
「うん…僕が、生まれたところ…」
 この石がどこで産出されるのか。そんなことはディアに知る由はない。ただ、どこかに帰りたい。望郷の念だけは痛いほど分かった。なぜかは分からないが。
「聞いてみるね」
 どうなるかは分からないけれど。

 璃樹に淹れさせた茶に文句をつけながらくつろいでいるところにディアは事情を話した。璃樹は明らかに嫌そうな顔をしていたが、翠はそれなりに神剣に耳を傾けている。
「兄貴…またなんか妙なことになってきたぞ?」
 この間みたいなどたばたはごめんだ。また自分に災難が降りかかってくるに違いないのだから。
 大体兄貴もディアもなんでそんなに要領がいいんだ。
 ぶつぶついいながら昼出したせんべいをかじった。少し時化っており、へなへなとした歯ごたえにうなだれる。
「ディア、…いいたいことは分かったんだけどな。…さすがにすぐに、はい、そうですかとは答えられないんだ」
「…そっか…」
「あの宝石…俺前みたことあるんだよ」
 二ヶ月前に鑑定してくれと店に持ち込まれた。どこかの金持ちの秘蔵だと聞かされた。
「え…じゃあもしかしてその金持ちって」
「名前は詳しく覚えてない。仲介の人間なら知ってるだろうが、俺が鑑定したわけじゃないからな。叔父貴がしたんだ。そのときに珍しいぞって言っててな…。あの欠け具合に覚えがあった」
 頭を掻きながら続ける。
「あの長田、って女性がどういうつもりで持ってきたかは知らないが、多分あれは俺が前に見たのと同じだ。あんな一品、滅多に出回らないし、出回ったら多少なりとも俺たちの耳にはいるもんだ」
「そんなもん、勝手に俺たちでどうにかしたら大変なことになるな」
「そういうこと。いくらなんでもな。その少年の気持ちもわからんでもないが」
 幾ばくかは想像していたことだが、実際はっきり言われると少し悲しい。ディアは肩を落とした。それを見て一人部外者を決め込んでいた璃樹が口を開く。
「じゃあさ、ディアがそうであるように、なんか他の宝石にその少年って奴を乗り移らせて、空っぽのほうを返せば?」
「…それは多分無理なの」
「なんで」
「宝石にすんでる私たちが誰でも他のに乗り換えられる、ってわけじゃなくて…」
 ある程度年月が経ち、他の宝石の力に打ち勝てるまでの力が備わるまでは他の宝石に移れないのだという。
「見たところ、特にあの石は成長が遅い」
 多分ディアよりあの少年のほうが石に宿って長いだろう。それでも彼はまだ少年なのだ。
「……そうか。それならどうにもならないな」
「兄貴、んな消極的でいいのかよ!?」
「じゃあお前にはどうにかできるのか?」
「ぐ…」
 黙りこんだ璃樹。そこに来客。
「だあれ、こんな真夜中に…」
「さっさと言って来い璃樹。俺はもう少しあの宝石と向き合ってくるから…」
 ため息をつきながら戸を開けると沙羅ともうひとり、恰幅の良い男。この男は見たことがある、と頭を掠めた。
「…あの?」
「夜分に申し訳ない。娘がここに持ってきたものを返してもらおうと思って」
「…?あ、あの宝石…」
 玄関先で話すのもなんなので上がってもらおうとしたが、そこでいいと立ったままだ。仕方なく璃樹は兄の部屋へ行く。
「返せって?…仕方ねぇなぁ」
 不承不承フォスフォフィライトをもって降りてきて、男に手渡す。
「確かに我が家の家宝、返していただいた」
 それだけ言ってきびすを返す。慌てて沙羅も後を追い、夜の闇に消えていった。
「…思いだした、この間の経済誌に載ってたんだ、あのおっさん」
 財界の顔、とかいう特集だっただろうか。長田グループのトップに君臨している鬼会長と紹介されていた。
「……なんか、すごく後味悪いな…」
「そうだね」
 傍らでじっと二人が消えた後をみつめ続けるディア。あの少年は望郷の念を抱えたまま、自然とは無縁の金庫の中でこれからをすごさねばならぬだろう。そんな環境では成長もできないだろう。
「……」
 巫女が何かを呟いた。声にはならなかったが、璃樹は彼女が何を言ったのか、分かったような気がした。

TO BE CONTINUED


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