//工房にて/// 「そうか断るのか。では貴族の方に伝えておくよ。『ご依頼の件は私には出来ませんでした。錬金術など所詮この程度でございます』とね」 そう言ってゲマイナーは怒りに顔を染めるリリーに背を向けると、工房から出ていった。扉に掛けられた鈴の音の乾いた響きが、彼女を余計に苛立たせる。そして肩を落として溜息を一つつき、読みかけだった本が開いたままのデスクへと戻っていった。 「またですか、先生」 階段の中ほどに座ってクルスとあやとりをしていた弟子のヘルミーナが声を掛けてきた。 「いつもいつも、なんで出来ないと分かりきってるような依頼ばっかりもってくるんでしょうね」 椅子に座ったリリーは、身体ごとヘルミーナの方を向いて話し出した。
「お金が目的じゃないでしょうね。私は断ってばっかりだから、彼も報酬は手に入れられないだろうし。錬金術師の評判を悪くして、私たちを困らせようとしているのよ」 今度は階上から顔をのぞかせたイングリドが尋ねてくる。 「得はないでしょうね。ただ、短期間で名声を得た私たちを妬んで、嫌がらせをしているのよ、きっと」 ゲマイナー、と名乗る人物が初めて工房を訪ねてきたのは二ヶ月ほど前のことだ。いつもの来客の感覚で彼を工房に招きいれたリリーに、ゲマイナーはこう告げた。
「君だね、最近この街で評判の錬金術師というのは。私も君の名声に肖りたいものだと思ってね、私も錬金術師を名乗ることにしたんだよ。今日訊ねてきたのは、私が貴族から受けた依頼を君に引き受けてもらおうと思ってね。これからも色々と持ってくるから、全部引き受けてもらいたいな。出来ないなら出来ないで別にいいんだよ、君の名声が地に落ちるだけだから」 数日前に金の麦亭で聞いた話を思い出したリリーはそう叫んだが、ゲマイナーはぬけぬけとしらを切ってみせた。 結局リリーはゲマイナーが持ってきた依頼を断った。当然だ、『洗剤のいらない超音波式全自動洗濯機及び乾燥機』など、あるなら彼女の方が欲しいぐらいである。今思えば、あの時工房を出ていくゲマイナーの背中にメガクラフトでも投げつけておけば今日の苦労はなかったのかもしれない。だが今となっては遅すぎる。彼もその点は察しているらしく、その後工房を訊ねてくる時は決まって耐火耐刃耐衝撃耐磨耗性抜群の防護服を着込んできている。 余計に腹立たしいのは、その防護服を開発したのは他でもないリリー自身であると言う点だ。もちろん開発したのが彼女自身である以上、防護服の許容範囲は知っているし、それを上回る攻撃方法も考案できる。しかしダメージを与えると同時に工房まで崩壊してしまうとの計算結果が出たとあっては、弟子二人に師一人、お手伝いの妖精さん数人を養う一家の大黒柱である以上、躊躇するのは当たり前だった。 それでも一度は彼のあまりの嫌味に思考回路の一部が断線し、まな板の上のN/Aを掴んで投げつけそうになったことはある。咄嗟にイングリドとヘルミーナが飛びつき、二人がかりで羽交い絞めにしてすんでの所で引き止めたが、危うく工房どころか王都壊滅の憂き目を見そうになったのは、まだ記憶に新しい。にも関わらず、相変わらずゲマイナーは『冷凍肉でも数分で素敵なステーキに調理する電子レンジ』やら『蒸留酒製造用蒸留塔・96%まで分留可能』やら『パンドラの箱・黒き絶望仕様』やら『ELレンマーツォ』やら『AMeDAS』やら、訳の分からない依頼ばかり持って来ては、リリーに工房から蹴りだされていた。どうやら彼は錬金術を万能術とでも宣伝しているらしい。
「まったく、あいつのおかげで私たちの人気がどれだけ悪化したことか。この前も工房の壁に落書きされたり、窓に生卵を投げつけられたり、ドアの上に黒板消しが挟んであったり、井戸水を汲んでの帰り道に足元にロープが張られたり、頭上からプニが降ってきたり。おまけに武器屋にはもう来るなと言われるし、市中見回りの騎士隊もまるで腫れ物を触るように私を避けて通るし」 弟子たちの突っ込みが冴える。 ゲマイナーの一件で間接的にこうむった被害が大きいのが、武器屋のレオと王室騎士隊副隊長のウルリッヒだった。レオは、ストレス解消のために毎夕訪れるようになったリリーに商品の鎧をボコボコにされまくり、損害費増大で商売は上がったり。ウルリッヒは、これまた日頃の憂さ晴らしにと武闘大会に出場したリリーによって、今尚入院加療中である。 特に先月の武闘大会は凄惨だった。ゲルハルトに誘われる形で参加登録したリリーは、対戦相手を順調に再起不能状態にしながら、決勝戦へと勝ち進んだ。同じく勝ち残ったのは騎士隊きっての強者、ウルリッヒである。決勝試合開始の合図と同時に、リリーは猛然と突撃した。「鷹が獲物を狙うように」という表現は誉めすぎであろう。ウルリッヒも剣を構え、己の剣の腕と騎士隊の名誉とを賭けて、リリーと対峙した。 彼は判断を誤った。見栄も外聞も投げ捨てて、その場から一目散に逃げ出すべきだったのだ。十数分後、試合終了のゴングが鳴ったとき、地に這ったウルリッヒの姿はぼろ雑巾と見分けがつかなかったという。その夕刻フローベル教会で、自分たちが敗北を喫した相手がリリーではなくウルリッヒであったことに感謝の祈りを捧げるゲルハルトとシスカの姿を弟子たちが目撃している。その帰り道、弟子たちの会話。
「ねえ、ヘルミーナ」 リリーの人柄がよく分かる会話である。 とにかく、とにかく。ザールブルグの人々がゲマイナーの所為でどれだけ心の平穏を脅かされているかが分かってもらえただろう。
弟子たちとの心温まる会話を終えたリリーは、読みかけの本に八つ当たりするという当初の目的を変更し、弟子たちに留守番を頼むと工房の外へと出かけていった。さすがに評判を落とされっぱなしという訳にも行かないので、感心にも金の麦亭のハインツに依頼がないか尋ねに行くつもりなのである。初秋の午後の柔らかな日差しの下に佇むザールブルグの並木道を歩いて広場までやってくると、通りの先から師であるドルニエが歩いてくるのが見えてた。 「ドルニエ先生、どうかされましたか?」 どことなく嬉しげな様子の師にリリーが問い掛けた。そういえば、ドルニエは今朝早くに工房から出て行ったきり、昼食時にも帰ってこなかったのだ。 「ああ、リリーか。いや目的のものがかなり首尾よく手に入ったんでね」 そう言ってドルニエは、手に下げたずだ袋のうち一つを開いてリリーに見せた。中には衣類、食糧、日用雑貨、武器、防具、調合材料、調合器具などが雑多と詰まっている。ふと視線を上に向けたリリーに、広場の入り口に張り渡された横断幕が目に入った。 『ザールブルグ市場 一日バーゲン開催中』 顔を少々引き攣らせ、視線を師に戻したリリーは上の横断幕を指差しながら声を絞り出した。
「せ、先生…。朝からどこにいらしてたのかと思ったら、まさかまた…」 他の客にもまれながら必死の形相でバーゲン台の商品を漁る師の姿を想像してしまい、その光景にげっそりしながらも師に対する礼儀としてリリーは言葉を返した。挨拶をし、今にも踊りだしそうな足取りで工房へと戻っていくドルニエを見送ったあと、溜息を一つつき、あらためて酒場へ足を向けた。表情がどことなく沈んでいたのは、今日一日に立て続けに起こった出来事を考えれば仕方ないかもしれない。しかもまだ一日は終わってはいない。
「おう、いらっしゃい!」 ハインツの声に迎えられて、リリーは酒場のカウンターへと歩み寄った。この豪快な声が今の自分の気分を多少は晴らしてくれ、リリーはここに来たのは正解だったと思った。
「こんにちは、ハインツさん」 そう言ってハインツはカウンターの下から一枚の依頼書を取り出すと、リリーの前に置いた。次の瞬間、リリーの顔が再び引き攣った。前言撤回、ここには来るべきではなかった。その依頼書にはこう書かれていた。
『洗剤のいらない超音波式全自動洗濯機及び乾燥機』 依頼主:謎の男 瞬間的にカウンターを叩き割りたくなる衝動を、理性を総動員して押さえ込む。 「どうした、姉さん。なんかまずいことでも書いてあったか?」 リリーの急な表情の変化を見て、ハンイツが訝しそうに尋ねてきた。 「ハ、ハインツ…さん…いったい…これ…誰…が…」 依頼書を指差して問い掛ける。こころなしか腕が震えて見えた。 「いや、数日前にうちの依頼書投函用の箱に入ってたんだ。ワシには何の事だかさっぱり分からんが、姉さんになら分かるかと思ってな。どうだ、面白そうな依頼なのか?」 私の表情を見て分からんのかいこのオヤジ、と言い出しそうになるのを必死に堪える。
「いや…これは私にも…。他のフツーの依頼はありませんか…」 謎の男の名で依頼された仕事を持ち出してくるな、と言いそうになるがこれも堪える。少なくともここ二ヶ月で、精神的忍耐力だけは鍛えられたと自負してもいいかもしれない。それにしてもなんだろう、この人まで錬金術師をなんでも屋だとでも思っているのだろうか。 そんな考えが浮かんだことでかえって爆発寸前だった精神も下火状態になり、今日何度目になるか数える気にもならない溜息をつくと、新たに引っ張り出してきた書類の束をめくるハインツに視線を戻した。 「そうだな、姉さんに頼めそうなのは…このあたりはどうだ」 そう言って、書類の束から何枚かの依頼書を引き抜き、カウンターの上に置く。本当に大丈夫かと懐疑的な気分になりながらもそちらに目をやると、今度こそまともな依頼がそこには載っていた。 「ど、どうした姉さん!」 ハインツが慌てた声を上げた。依頼書に目を落としていたリリーが急に涙をこぼし始めたのだ。 「あ、ご、ごめんなさい。このところまともな依頼に出会ってなかったから、なんだか嬉しくなって、つい…」 なにしろ開発は失敗が続き、工房に依頼を持ってくるのはゲマイナーである。その他の持ち込み依頼は、先月以来一件も来ていないのだ。弟子も最近態度がどこかよそよそしいし、師に至っては市場で値切り大明神の異名を轟かせている。ようやく日常にめぐり合えた気がしたのも無理はない。もっとも持ち込み依頼が消えたのも弟子の態度がぎこちないのも、リリー自身にも責任の一端はあるかもしれないのだが。 「そ、そ、そうか、そりゃワシとしても依頼書を出した甲斐があったな…。で、どうだ。これなんか手先が器用な姉さんにはあつらえ向きだと思うんだが」 そう言ってハインツが、カウンターに並べられた依頼書の一枚をリリーの前に押し出した。
「首飾りの修理?」 少々考え込んでいたリリーが突然大声を上げた。カウンターの上のハインツの手を取り、目を星のように輝かせる。きらきら星ではなく、爆発寸前の超新星の輝きだ。
「ありがとうハインツさん!」 次の瞬間、脱兎の如くリリーは酒場から駆け出していった。あとには事態を飲み込めず唖然と立ち尽くすハインツと、奇異の目を投げかける客だけが残された。
職人通り。様々な職を営む人々が、作業場や工房、店を構えるザールブルグの一角である。街の人々に親しまれているヨーゼフの日用雑貨屋や、日々澄んだ金音を響かせる鍛冶屋もこの通りにある。 「ゲルハルトー!」 その職人通り、武器屋レオの店の扉が勢いよく内側に開かれ、盛大な音を立てた。そして戸口には、蹴りを放った直後の姿勢のリリー。扉に大きく張られた『錬金術師、入店固くお断り』の張り紙は、親方キョンシーに対するお札ほどの効果もなかった。ちなみにこの店の扉は外開きのはずである。 陳列棚の整頓をしていたレオは心臓が停止する思いを味わった。血相を変えた錬金術師が飛び込んでくるなど、ただ事ではない。いや、配役によってはただ事で済むが、リリーの場合は楽観論など即抹消である。 リリーは店内を見回し、ゲルハルトがいないことを確認するとレオに詰め寄った。そしてレオの両肩を掴んで尋問を開始する。
「レオさん、ゲルハルトは今どこに?!」 なんとか問われたことに答える。即答しないとその場で潰されそうな勢いの取り調べだった。 「カリンのところね、ちょうどいいわ。捜査協力、ありがとうございました!」 レオを解放し、数歩下がって敬礼をすると、刑事リリーは踵を返し開いたままの扉から再び外へと駆け出していった。 「私がいったい何をしたと言うんだ…」 たび重なる心労に打ちひしがれたレオの声が、暴風雨が襲った後のような店内に虚しく響いた。
地鳴りが聞こえる。それはあたかも巨人が大地を踏みしめ、その重量で円形の土煙を巻き上げながら脈動するような響き。それに混じって、巨人が振り回す長い矛が空気を切り裂くうねりが轟く。 幻聴である。 とにかく、鍛冶屋で世間話をしていたカリンとゲルハルトは、ふとそのような空気が自分たちの周りを駆け巡ったような錯覚をおぼえた。 次の瞬間、ドリフトをかましながらリリーが鍛冶作業場へ突入してきた。 あながち、幻聴ではなかったかもしれない。 作業場へ駆け込んできたリリーの形相を見て、カリンとゲルハルトは顔色を変えた。彼らもまたレオと同じ考えを抱いたのである。武器屋との違いは、幸いというか不幸の軽減というか、作業場の熱気を逃がすため両開きの大きな扉は開け放たれており、暴走するリリーの犠牲にならずにすんだことである。 「カリン! ゲルハルト!」 床に置かれた工具箱や水の入った桶などを盛大にぶちまけながらリリーが急停止する。その水が焼入れ途中の剣に降りかかり、名剣(になる予定だった)一振りを台無しにしたなど、彼女の知ったことではない。慌てふためく職人たちの声をBGMにしながら、リリーは要請を切り出した。 「実は今ここザールブルグで起こってるトラブルを万事解決する策が見つかったの」 一瞬、リリーがケントニウスへ帰ることになったのかと期待した二人だが、そのような考えはラピュタ――もとい空中楼閣という。 「私はこれからそのための開発に取り掛かるから、カリンとゲルハルトにはその仕上げを手伝ってほしいの。そうね、これから三、四週間後になるかな。大丈夫、二人の腕を見込んでのお願いだし、無理はさせないから。私の役に立って、そして街の人の為にもなる、一石二鳥の依頼でしょ。だからいいわよね。どうもありがとう。それじゃあ時期が来たらまた教えるから」 機関銃のように勝手なことを一方的に捲くし立てると――いや、この時代に機関銃など存在しないがものの例えである――来た時と同じように土煙を巻き上げながら走り去っていった。
「……なあ、カリン。依頼内容を聞かなくていいのか」 どうやらこの二人も弟子たちと同じ結論に達したようである。突進するリリーから逃れるには夜逃げしか手はない。しかし、見つかった場合どうなるのか。それは死後の世界についてと同じく、未知の領域の事象である。 鍛冶工房のいかなる武器をもってしても、リリーに打ち勝つのは不可能だろう。何しろ彼女は、カリンが丹精こめて鍛え上げウルリッヒに献上した剣を、いとも容易く圧し折っている。武闘大会の後、カリンは何気ない様子を装ってリリーに杖の材質について尋ねたことがあった。自他共に最高の出来と認められた剣を折られたのは、カリンの自尊心を傷つけるのに十分だった。しかし事実は事実、となれば相手の武器に関して気になるのは当然だろう。ペンデルを振舞われすっかり気をよくしたリリーは、カリンの問いに愛想よく答えた――『ガンダニウム合金』と。
リリーは工房へ向かって通りを駆けていた。途中、罪無き人々を何人か突き飛ばし、ついでにヴェルナーが井戸へ落ちて行く音が聞こえた気もするが、もちろん彼女が気にするはずもない。そうして工房へ辿り着くと扉を開き中へ飛び込んだ。さすがに自宅の扉をぶち抜かないだけの分別は持っているようである。 工房へ飛び込んできたリリーの顔と目の輝きを見て、イングリドとヘルミーナは事態を悟った。獲物を見つけて突撃する寸前の表情、それは直接的・間接的に犠牲者が出ることを意味する。既に数人出ているが、まあ出てしまったものは仕方ないとして、そのリリーに一番近いところにいるのが自分たち、すなわち自分たちが巻き込まれるのはほとんど避けられない。自己への物理的及び精神的な危機を数瞬で察した弟子たちは身を翻し、家出用荷物を取るために階上へ駆け上がろうとした。 「逃がすか!」 リリーが高らかに指を鳴らすと階段上に生きた台車が現れ、満載したぷに玉を階段を駆け上がってくる弟子たちに向かって一気に流し落した。しかし弟子たちも只者ではない。冒険者Lv50の実力を発揮し、階段から跳躍すると欄干を踏み台にし、生きた台車を跳び越えて着地、そのまま前進する。 「助けてー」 声が聞こえてヘルミーナは振り向いた。 「クルス!」 階段下を見ると、リリーが逃げ遅れたクルスに片腕を回して抱き上げ、どこから取り出したのかその首筋に今まで数多の猛者を亡者へと変えてきたガンダニウム合金の杖をあてがっていた。どこからどう見ても人質を取った悪役の姿である。 「下りてらっしゃい、二人とも。そうじゃないとクルスがホムンクルスであることを街中の人にばらすわよ」 人質を取っただけでは飽き足りず、十歳児を脅迫する。しかしクルスの正体はリリーすらも知らないはずではなかったか。
「ど、どうしてそれを…」 絶句するヘルミーナ。勝利を確信したリリーは得意顔で最終勧告を行なった。
「ホムンクルスを作るために何人ものエルフや人間を犠牲にし、学院長夫妻を生贄にして女神を誘き寄せ、邪魔になりかねない同期生を氷漬けにして始末した事実を暴露されたくなかったら、おとなしく従いなさい」 律儀にもイングリドが突っ込みを入れる。突っ込んだところでリリーの耳に入らないことは分かってはいるのだが。 つまらんギャグで一人笑いする眼鏡で子安さんヴォイスの錬金術師兼屍霊術師にされてしまったヘルミーナは、肩を落し、安静な老後を諦めた公務員のような表情で階段を下りてきた。さすがに一人で家出する度胸はないのか、観念したイングリドもそれに続く。弟子二人が協力する姿勢を見せた(無理矢理させたのだが)のを確認すると、ようやくリリーはクルスを解放し、杖を懐にしまい込んだ。長さ1mはある杖をどうやって服の中にしまっているのかは謎である。 「さて、二人ともおとなしくなったところで、手伝ってほしいんだけど――」
「そうか断るのか。では貴族の方に伝えておくよ。『ご依頼の件は私には出来ませんでした。錬金術など所詮この程度でございます』とね」 お決まりの台詞を述べると、ゲマイナーはリリーに背を向け、扉へと手を伸ばした。いつもならわなわなと震えながら怒りの爆発を抑えているリリーだが、今日は違った。形容しがたい薄笑いを口元に浮かべると、ノブを回して今まさに扉を開こうとするゲマイナーに向かって右手を掲げ、その指を音高く鳴らした。 ハッと振り向くゲマイナー。彼の目に映ったのは、部屋の隅に置かれた箱の陰から投げつけられた複数の投げ縄だった。咄嗟のことにも関わらず、幾度となく修羅場を切り抜けてきた彼の本能が回避行動を取るべく身を翻す。軽快なフットワークで横へ飛び退こうとした刹那、足元が滑りバランスを崩す。そこへ投げ縄が絡みつき、ゲマイナーはあっさり捕われの身となった。 「ご苦労様、ゲルハルト」 箱の陰から立ち上がって姿を現したゲルハルトにねぎらいの言葉をかけながら、リリーは投げ縄の一端を掴むと力まかせに引っぱり、ゲマイナーを床の上へ引きずり倒した。そして床に置いておいたバナナの皮を拾い上げ、くずかごへと投げ捨た。 「ああ、リリーに頼まれちゃ、断れないからな」 別に断れないこともないが、後が怖いのが本音である。しかし今回の役目は投げ縄が得意なゲルハルトにはあつらえ向きだった。彼の特技は、投げ縄で相手の動きを封じたあと槍でたこ殴りにする、いわゆる鎖鎌の槍バージョンである。先日の武闘大会では、この技で見事準決勝まで勝ち進んだのだ。そこでウルリッヒに敗れたのは、きっと神様か女神様の慈悲だったのだろうと、彼は信じて疑っていない。 「さ・て・と、今までよくもやりたい放題やってくれたわね。年貢の納め時よ、覚悟は出来てるわよね♪」 慢心の微笑みを浮かべながらリリーはゲマイナーに向き直った。何も知らなければつい惚れてしまいそうな笑顔である。もちろんその微笑みは、計画どおりに事が運んでるのに対するほくそ笑みであるのだが。リリーの正体をよく知っているゲルハルトは、自分が被害者になるわけではないにも関わらず、その微笑を見て背筋が凍ったような気がした。 そして当のゲマイナー本人は、完全に蒼白な顔をしていた。
「わ、私を殺すつもりか。殺人罪だぞ。そんなことをしたら、いくらなんでも騎士隊も黙っていないぞ。良くて追放、悪ければ投獄から処刑だぞ。それを分かっているんだろうな」 指をポキポキ鳴らしながらリリーが歩み寄ってくる。この世で最凶の恐怖。ゲマイナーの額に脂汗がしみ出した。
「でも安心していいわよ。私も極悪人じゃないからあなたを痛めつけようとは思ってないの。暴力をふるうのは好きじゃないし」 後者はゲルハルトの心の叫びである。
「さてと、それじゃあ行きましょうか」 そう言うとリリーはゲマイナーの襟首を左手の指二本で掴んで持ち上げると、工房の扉を開け、ゲルハルトを従えて外へと出ていった。
街中を縛られたまま引きずられて行くゲマイナー。大声で市中見回りの騎士隊に助けを求めようかとも思ったが、騎士隊は道を行くリリーを見ても見ぬフリを決め込んでいる。そして街外れまで連れてこられると、草原だったはずの場所には大きな整備テントが張られていた。 「先生!」 テントの前にいた弟子たちが駆け寄ってきた。
「二人ともご苦労様。準備はどう?」 機械工学用語を駆使するとは、侮れない十歳児である。
「先生の方も、ゲルハルトさんがうまくやってくれたみたいですね」 天幕をかき分けてカリンが歩み寄ってくる。
「リリー、こっちは準備終わったよ」 二人が天幕の左右へそれぞれ駆けて行き、垂れ下がっているロープを手にとった。 ドラムロール。 ゲルハルトが背後を振り向くと、同じく狩り出されたのだろう、テオが不承不承といった顔でドラムを叩いていた。 ジャン! シンバルが響き渡ると同時に弟子たちがロープを引っ張る。天幕が左右に分かれて地面に落ちる。 「おい、リリー。何だあれは」 ゲルハルトが、天幕の中から出てきた銀色で先が尖った円筒状の物体を見て、声を上げた。中央の一番高い円筒の周りに短い円筒が四つくっついている。 「よくぞ聞いてくれたわね。あれこそが錬金術の粋を集めて作られた世界初の究極作品。未知の世界へ旅立つ夢と理想の結晶、重力圏脱出を目的とする『ロケット』よ!」 四週間前のあの日、工房に帰って弟子たちを屈服させたリリーはこの壮大な計画を打ち出し、さっそく準備へと取り掛かったのだ。 「説明しよう」 いきなりリリーが説明口調になる。誰も説明なんぞ求めちゃおらんという突っ込みは、彼女に対しては厳禁である。おとなしく拝聴するしかない。 「あの機械は、爆風の噴出力を推進力へと変えることによって高い運動量を得、それによって大地のくびきから解き放たれることを目的としている。重力による加速度は地表において約9.8m/s2。これを上回る加速度を持続的に得るには、高性能かつ高威力の爆風、しかも一方に向けてのみ、を必要とする。従来の爆弾では爆風は全方向へ拡散され、一方向への噴出力を得るのは不可能である。しかし、我々はこの問題を錬金術による従属効果『指向性』を発見することで解決、一方向へおいてのみ爆風を噴出する『指向性フラム』の開発に成功した。この指向性フラムを使用してメガフラム、ギガフラム、そしてテラフラムを調合することで『指向性テラフラム』を製造。さらに『威力++』の従属効果がついた材料をも使用した結果、最大威力の爆風の一方向への噴出を実現させた。この機械には指向性テラフラムが四段階に分かれて収められており、それぞれを順々に爆発させることで長時間の推進力を得、重力圏から脱出する。また、周囲に取り付けられた小型ロケットには指向性ギガフラムが内蔵されており、これはロケットの進行方向を制御するために用いる。外壁は鉄板を溶接することで継ぎ目のないボディを実現。これは宇宙空間における真空状態でも、内部と外部を完全に隔てることが可能である」 機関銃すら存在しないような時代にロケットなどが存在していてよいのかどうかは、筆者にも分からない。 手振り身振りを加えたリリーの説明が一段落したようなので、それまで黙って聞いていた一同を代表し、ゲルハルトが基本的な質問を発した。
「――で?」 それまで不安と焦燥に囲まれて会話を聞いていたゲマイナーが叫んだ。
「ちょっと待て、なぜ私が乗らなければならない!」 ゲルハルトとテオが前に進み出て、ゲマイナーの腕をつかみ無理やり立たせる。 「それじゃ、搭乗扉の前まで引きずってって」 弟子たちが先回りして、ロケットの扉を開けて待機していた。最大限に暴れるゲマイナーだが、さすがに冒険者として鍛えられた男二人には敵わない。 「ゲマイナー、あとはこのロケットに任せておけば、なにも心配はいらないわ。だから…」 扉の前に立たされたゲマイナーの背を思いっきり張り飛ばすリリー。 「逝ってらっしゃい!」 同時にゲルハルトとテオが拘束していた手を離し、ゲマイナーは扉の中へ文字通り飛び込んでいった。すかさず弟子たちが扉を閉め、閂を下ろす。
「それじゃカリン、最後の仕上げお願い」 リリーが背後を振り返ると、そこには溶接用の黒いマスクをかぶり、右手にガスバーナーの炎を、左手に溶接棒を持ったカリンが待機していた。リリーの要請とともに扉に歩みより、扉と外壁の隙間を埋めにかかる。ほどなくカリンがガスバーナーの炎を消してマスクを上がった時には、扉は溶接され外壁と一体化していた。 「発射用意」 閉ざされた扉が内側から叩かれ振動する。遠く叫び声も聞こえるが、リリーはそれらの情報をすべて無視し、冷徹に指令を下した。差し出した手にぶら下がる二つの鍵。それを弟子たちが一つずつ受け取り、数十メートルを隔てて設けられた二つの発射装置にそれぞれ駆け寄った。
「姉さん、発射ボタンを押すだけに二人も必要なのか?」 冷戦時代を髣髴とさせる会話だが、実際の核ミサイル発射装置にはスイッチは四つあった。発射施設が二つ、何キロも隔てて作られ、さらにそれぞれの施設の中に十分な間隔をおいた管制盤が二つあった。この四つのスイッチがほぼ同時に押されないと、ミサイルは発射されない仕組みになっていたのである。しかしこのような「安全装置」が発案されたこと自体、かなり矛盾していた事実であろう。冷戦時代に生まれた「核抑止力」理論。これはもし一方が他方に核攻撃を仕掛けても、相手側の報復戦略により自国も滅亡する。このことを双方の政治家・軍幹部が認識していれば核戦争は防げる、と言う考えで「相互確実破壊」(Mutual Assured Destruction: 略 MAD)の理論とも呼ばれた。お互いが相手を滅亡させるに十分な数の核兵器を持つことによって核戦争を防ぐと言う、狂気(MAD)と異常に満ちた理論である。このような状態にある以上、偶発的に、もしくは狂気に駆られた人物によって勝手にミサイルが発射されないよう「安全装置」が必要だったのである。 が、取り敢えずこのことはリリアトとは関係ない――と言いたいところだが、アトリエ世界にも核兵器(N/A)は存在するので、ロケットに取り付けたら「核ミサイル」も存在しえる。延いてはアトリエ世界における核の脅威の可能性をもこの小説は示唆しているのである。いや、始めは筆者にもそこまで書くつもりは毛頭ほども無かったのだが、十数行ほど前になぜか話がそっちへ流れていってしまったのだ。 閑話休題。 「発射五秒前」 ゲルハルトの突っ込みを無視して、リリーがカウントダウンを開始する。 4。 (夢見ていた) 3。 (他愛ない日常。ごく普通の市民らしい生活) 2。 (思い出とともに手に入れる) 1。 (満足だ――) ちなみに、カウント直後の一言は、リリーの心の声である。日常をぶち壊している本人にしては図々しい台詞であることは間違いない。 0。 (さようなら、ゲマイナー) ヘルミーナとイングリドが同時に鍵を回し、押し込んだ。導火用フラムが点火し、炎を推進用テラフラムへと向かって吹き付ける。発射の爆風に備え、弟子達が急いで退避した。 爆音。 テラフラムが点火し、衝撃が辺りを揺るがした。次の瞬間、ロケットの下部から凄まじい炎が噴き出し、同時にロケットが浮上した。見た目にはゆっくり、だが実際には重力脱出速度でロケットは中空へと昇っていく。 秋風がなびく草原にリリー達は立ち尽くし、星のように小さくなって消えてゆくロケットの火を見上げていた。 こうして、ザールブルグを騒がしていた一連の偽錬金術師事件は終わり、人々の生活に安泰が戻った。
一件落着から一ヶ月、一時は再起不能をも噂されたウルリッヒもようやく入院生活から抜け出し再び城門の警備に就くようになった。街はいつも通りの活気の中にあり、それぞれが日常を忙しく過ごしていた。評判を地に落とされた錬金術工房も、リリーが手当たり次第、または当たるを幸いに酒場での依頼をこなしていったため、ようやく客足が戻りつつあった。 「ゲルハルトー!」 表通りからその声が聞こえてきたとき、街と同じく平和な日常を謳歌していた武器屋のレオは、一瞬にしてその安穏が破られたことを悟った。次の瞬間、派手な物理音が響き、修理したばかりの扉が自らの存在意義とともに吹き飛んでいく光景をレオは目にした。 出入り口を文字通り突破したリリーは、店内を見回してゲルハルトがいないことを確認すると、唖然と立ち尽くしたままのレオに詰め寄り尋問を開始した。
「レオさん、ゲルハルトは今どこに?!」 掴んでいたレオの襟を離すと、リリーは店の奥に陳列されてる実用一点張りのフルプレートメイルへと向き直った。手を翻すと、ガンダニウム合金の杖を上着の中から取り出し構える。 「龍神烈火斬!」 どこぞのRPGからパクってきたとしか思えない技名とともに、リリーは瞬時に間合いを詰めて鎧の懐に飛び込むと、目にも止まらぬ早業で激しい連続殴打を叩き込んだ。名工の手によって鍛え上げられ、幾多の戦いをも耐え抜くはずだったその鎧は、自らを使いこなす勇者に出逢うことなくクズ鉄と化した。 「最近依頼続きで忙しいから、やっぱりこれがいいストレス解消になるわね。それじゃレオさん、また」 杖をしまい込むと、清々しい笑顔を残してリリーは店の外へと駆け出していった。 金の麦亭で、レオが店をゲルハルトに譲って故郷へ引退することにした、という話が客の間でされるようになったのは、それから数日後のことだった。
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しりあ's コメント:
ステキです。もうその一言に尽きます。リリーの畏れられっぷりが(笑)。思わずシメオン君をひっくり返しそうになるくらい受けたワタクシ。もう少しで18万程度をフイにするところでした。リリーならありうる、という気がだんだんしてきましたし。
寄稿、どうもありがとうございました。