〜リベールをとりあえず考察してみようの巻〜

どこでんなこと覚えた?

 思い出したときに続く軌跡世界に突っ込みを入れてみような適当考察。今回は識字率とかその辺の文化の話。
 とりあえず思ったのは、子どもが存在しているなぁという文化レベルだと思います。子どもなんてどこにだっているだろうという認識は違います。過去、生まれてから使い物にならない時期は人ではないわけで、働ける年齢になったらそこで人間と認識されていました。端的に言うと「赤ん坊→大人」の直ルートです。「子ども」という認識はかなり文化レベルが上がってから、生活に余裕ができてからの認識。時代劇で親を手伝って幼子が働いている図がありますが、まさにあれは子どもと思ってないわけです。洋の東西を問わず現実で「子ども」が認識され始めたのはそんなに古い歴史ではない。貴族の子女等は除きます。あ、でも彼らは彼らで政治の道具になることが多々ありますから、やっぱり「子ども」の認識って特に中世とかだと薄いよーなそんな気が。女も大事な「商品」でしたしね。
 軌跡に話を戻すと、先に書いたように子どもがあちこちの街で遊びまくってます。働いている子もいるようですが、物心ついた時から働いているという子はちょっと覚えがない。……某大作RPGとかだと花壇の周りを走りまくっている「中世」舞台なわけで、RPGにそれを突っ込むのは酷だとは思いますが、あえてこれをするというコンセプトなのでw あと、詩人とか、日中何にもしてないいい年齢っぽいアンちゃんたちとか、そういう人間が存在している。返せば、そういう人間も存在できるレベルの生活が保証されている。現代の日本のレベルに近いと思われます。

 べつに中世と謳っているわけではないので「限りなく現代に近い異世界」を描き出しているのは確実でしょう。私もその設定楽だから好きです(大笑)。ただ、それを考えると解せない点が一つ。学校がないんです、学校。日本でいえば義務教育。王立学園は分かれていた科を見ると高校〜大学以上っぽいことをしているようなので、義務教育ぽいことはやってないのが当然かな。義務教育に使ってそうな建物もない。で、やってるのかなぁと思われる、ゲーム中に出てきてたのが日曜学校。
 日曜学校なら最低限のことを教えそう……とは思いますが、実は日曜学校は読む事は教えますが書く事は教えない。もちろん読むのは教書や聖書なので、宗教のおとぎ話を通じて宗教になじませるというのが一番の仕事なわけです。マリノアでケビンが『人形の騎士』を読んでたのは例外の一つですね。まぁ、奴はいろいろ規格外だから、普通教会でやるなら(あれば)創世記とかが妥当なところです。しかも、書いてある物を読ませるのではなく読み聞かせが基本なので、聞いて理解はできるようになるでしょうけど読み書きに直接結びつくかといえばこれもちょっと疑問。そういう基礎の基礎部分がほとんど描き出されていない割に、どうやら識字率は結構ある模様。これはリベール通信その他の情報誌が存在しているから。
 雑貨屋さんで何気なく100ミラで売られているリベール通信。需要があるから供給されるわけで、読める人がいなけりゃ意味がない本という存在。リベール通信社以外にもライバル会社は複数存在の模様。根拠はSC竜捕獲時の、取材申し込み話を持っていったときのユリアさんの反応「今まで取材を断ってきた他社の手前もあるからな。彼の通信社だけを特別扱いするわけにもいかないのだ。」より。
 とにかく、リベール通信はそれなりの周期で発刊継続しているし、他のジャーナリズム系出版社も同等と考えられます。なにより「本屋さん」が存在していたからねぇ。本が民間で気軽に読めるものと認識されているわけですね。専門書かどうかは知りませんが小説はある。ことこの本というものに関しては他にガガーブで存在してた。あれこそ中世っぽい舞台だけど現代的な部分もあるから、完全に中世ファンタジーとしては認識できないなぁ。閑話休題。こう考えると寺子屋のシステムって画期的じゃない? 読み書きソロバン、最低限のことを子どもに仕込んだわけだし。再度閑話休題。
 
 さてどこでそういうことを身に付けたか。ハコモノがないなら各家庭で少しは教えそうではあります。ただ自営がほとんどの地方都市ではそんな時間があるかなというのが疑問。商家で、手伝っているうちになんとなく、とかはありそうですが、これだと王都に多そうな勤め人家庭では厳しいかもしれない。で、それだと最低識字率が各地方で凄く上下してそうです。プレイした感じ、どこも同じような感じがしたのでこの説はないかも。ちなみにツァイスは突出してるイメージで。そもそも子どもに読み書き教えている構図がなかったから想像しにくい。
 次に、遊撃士協会と教会が提携して、日曜学校の場で手の空いた遊撃士がそういうことを教えている説。こちらはこちらで、遊撃士の理念を通じての授業っぽいですが、教会がするよりは公平な授業じゃないかと思ったり。エステルは教えてませんでしたが、遊撃士になっている時点でそれなりの読み書きはできているので、それも教えていたかもしれません。月に二回ぐらいギルト上階を開放して学校にするとかもありかと思います。その方が宗教等を介在しない分客観的な教育ができそう。ただ、やっぱりゲーム中ではそれは見られなかったですが。加えて宗教を介在しない教育が許されているかどうかですがね。
 中世キリスト教みたいに非常に教会が力を持っているというわけでもないので(表立っては、という限定ですが)、多分それはある程度許されていると思います。空の女神という単語は良く出てきますが、果たしてそれがどこまでの意味を持って女神なのかはちょっと見切れなかったか。教会関係者とユリアさんは除く(笑)。気になるのは、教会に対して疑念を持つ存在がいないということ。疑念を持つということは多様な思考の一部です。現在の王家に対して疑念があったからこそクーデターが起こりえたわけですし、結社も疑念があるからそこにつけ込めた。思考をするのならばなにに対しても疑念を持つのは当然だと思いますが、比較的文化レベルが高く見えても宗教というタブーの領域だけは切り崩せてないんでしょうか。
 多分これは日本人特有の考え方かと。一神教の教義が普及しているところではありえない気がする今日この頃。

 例によって突っ込み歓迎です。
2008.2.17

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