その戦果に突貫で作られた観覧席でモルガンは上機嫌だった。控えていたカシウスは表情を出していないが内心ほっとしている。本来なら喜んではいけないのだがどうも孫のように可愛がっていた相手が出した戦果となると話は違うらしい。
「閣下、そろそろ皆集合しているようです」
「うむ。向かうか」
 緩む口元を引き締めてもまた緩む。よほど嬉しかったらしい。
「男の係累というのがいるとこんな風になるのだろうか」
 カシウスはなんとなくそんなことを思う。確か将軍にはまだ女子の孫しかいない。だからこそ、栄転先で指導した彼に肩入れしてしまうのかもしれない。
「俺としては頭の痛いことだ」
 数年前モルガンは請われて海を隔てたアペニン公国へしばらく行っていた。カシウス自体が軍から離れていたこともありあまりその時期の話は聞いていないが、一人非常に飲み込みの良い兵士がいたのだそうだ。酒席でたまにモルガンが呟くのはダリオ・ビリアッツィ。階級は少尉、大陸を真似てかの国では飛行艇を配備することになり、空戦技術が一番高いリベールに指導要請が来た。王室同士でなにやら話し合いがされた結果それは実現されることになり、モルガンと空戦に詳しい士官数人が向かった。そこで相当に気に入ったらしい。
 その気に入り具合は今、ダリオ率いる航空部隊がリベールの航空部隊に肉薄したことで明らか。一時はこちらが負けるのではないかと思うほどで、後にも先にもこれ以上胃に悪い合同訓練もないだろうと思う。モルガンもそれはわかっているがダリオの成長振りにどうしても喜びが隠せないらしい。
「将軍閣下! 准将閣下!」
「おおビリアッツィ少尉。良くやった。わが軍をあれほど翻弄するとは」
 レイストンの作戦室に入ったとき全員が起立して二人を迎え入れた。いち早く声を上げ敬礼をしたダリオにモルガンは声をかける。
「皆も良くやった。休んでくれ」
 カシウスの言葉に緊張した雰囲気の室内が少し弛緩。そして淡々と今日の報告が成される。一通り報告が終わった後カシウスがモルガンに目配せをしあった。それを受けて老将軍は大きく頷く。
「アペニン公国の者たちには更なる相手を用意しておいた」
 何事だろうとアペニン側はざわめく。対してリベール側は得心したと頷いているのが印象的だ。
「ある意味、我が軍最強の飛行艇と呼んで差支えがないだろう」
「……発言宜しいでしょうか」
「なんだ? 少尉」
「いまここに列席されているリベール空軍の方でも相当な高水準のつわものばかり。それ以上というのは考えにくいのですが……」
「ふむ。正確には「我が軍」と呼んでしまうと大いなる語弊がある。が、彼らも軍人には変わりない」
「……まさかと思うのですが」
 ダリオの顔に深刻そうな皺が刻まれた。
「そちらの国にも名は通じているか。おそらく想像どおりだ」
「ああ……っ」
 泣き笑いのような顔になるがすぐに仏頂面に戻り着席した。他のアペニン兵もそのやりとりでなんとなく察したのだろう、緊張した面持ちで将軍の言葉を待った。
「聞き及びも有ると思う。本日は別の仕事が入っていたのでこちらには来れなかったが明日から合流予定の、王室親衛隊所属アルセイユ。彼らとの演習を持って、今回の合同演習を終了しようと思う」
 一気にざわめいた。
「こら、静かにしないか!」
 カシウスが声を上げ一応収まるがまだボソボソと話し声が聞こえる。じろりとにらみを聞かせようやく静かになった。
「明日九時に向こうの艦長と顔合わせをする。ビリアッツィ少尉、それで構わんな?」
「はい!」
 どうなるのだろう。アペニン側は更なる技術の持ち主相手にどこまで食い下がれるか。リベール側は、アペニンをどこまで叩き潰せるのか。それぞれの思惑を抱えながら夜は更ける。


 良い目だ、とユリアは思った。固く握手を交わしたとき間近で見たが、対抗心が燃え盛る戦士の目だ。そして軍人には珍しくユリアに対して妙な目を向けてこなかった。王室親衛隊を率いるのが女だとわかった瞬間に侮ってくる相手のいかに多かったことか。最近は良い出会いが続いていると内心ひそかに嬉しく思う。そして、気づいていなかったが意外にその侮りの視線が自分にとって不快だったと自覚した。
「よろしくお願いいたします、ビリアッツィ少尉」
「こちらの方こそよろしくご指導願います、シュバルツ大尉殿」
 互いの意志を認め合うことができることほど気持ちの良いことはない。今回は楽しく演習が出来そうだとユリアは思った。
「ではシュバルツ大尉、君はしばらく休むと良い。演習は明日の正午からだしな。昨日からずっと飛びっぱなしだろう」
「いえ、今すぐにクルーに演習の件を伝えて肩ならしをしてまいります。一回りするだけですのでご心配なきよう」
 カシウスに伝えダリオに一礼をして部屋を去っていった。
「……閣下、飛びっ放し、とは?」
「クロスベルは知っているか?」
「はい……この界隈に身を置くものなら知らぬものはいないかと」
 帝国と共和国の代理戦争の地。海を越えたアペニンではそう揶揄されている。さすがにそれを口に出して言うことはしないが。
「大尉は会談の為あちらにいる陛下をお迎えする為クロスベルに向かっていたのだ」
「えっ……し、しかし距離が……」
「アルセイユの足の速さを侮るなよ少尉。……が、まあそれでも一日がかりだ。点検整備報告が終了したのも今朝早くだと聞いている。その間ずっと艦長は起きていなければならぬから疲れもするだろう」
 少しは休めばよいのに、と苦笑するカシウス。ダリオは今聞いた話と、微笑んでいて疲れなどどこにもない顔をしていたユリアとが結びつかずドアを眺めるばかりだった。

「あー、行っちゃった。相変わらず優美な船だ」
「殿下、こちらへ」
 案内のシードに声をかけられるまでオリビエは空を往くアルセイユを眺めていた。傍らのミュラーもそうだったのだがシードの声がかかる前には視線を地上に戻していた。
「すまない。では行くとしよう」
 案内されてたどり着いたのは先ほどユリアとダリオが会った作戦室。中にはまだモルガン、カシウス、そしてダリオがいた。
「中佐、どうした?」
「ブライト准将閣下、お客人をお連れいたしました」
「ああすまない。そして殿下、このような無骨なところまでご足労していただきありがとうございます。どうしても抜けられぬ用事がありまして」
「いやいや何も問題はないよ。こんな時でもなければこの要塞に入ることは出来ないからね。もっとも以前来たことはあるけれど……そうだったね、シード中佐?」
「ああ、そうでしたね」
 シードの返事を聞きモルガンの表情が曇る。
「将軍閣下。中佐殿を責めないであげてくれたまえ。この私が身分を隠して遊撃士諸君と共に行動しているなど、一体誰が想像するだろう」
「……む……まあそうですね」
 得意そうにモルガンに向かうオリビエに、ミュラーとしては言いたいことも山のようにあるのだが口を出すべきではない。思いながらそっとあたりの様子を伺う。と、見慣れぬ軍服の男が立っている。その視線の動きに気づいたのかカシウスが紹介を始めた。
「こちらはアペニン公国空軍、ダリオ・ビリアッツィ少尉。現在この要塞ではアペニン公国との合同演習が行われており、その加減で打ち合わせを行っていた。バタバタしていて申し訳ない」
「いや准将閣下。私は一向に気にしない。准将閣下が忙しいのは嫌というほど承知している」
 笑ってカシウスに手を振ってからオリビエはダリオに向き直った。
「アペニン公国は……アゼリア海を挟んでリベールの向こうにある国だったよね? あ、自己紹介を忘れていた。私はオリヴァルト・ライゼ・アルノール。帝国の皇子などを片手間にやってはいるが、本業は愛と自由を愛する詩人だ」
「……」
「……」
 沈黙。ことにダリオとミュラーの雰囲気は一言では言い表せない。ただそれはおなじものではなく、ダリオの場合はなぜそんな人物がここへという驚き、ミュラーの場合はまたくだらないことを言ったという呆れと怒りだ。それに気付いているのかいないのか、オリビエは構わず説明を続けた。
「こちらにいるのは私の護衛を勤めてくれているミュラー・ヴァンダール。少佐ではあるがお飾りだ。恐い顔をしているけれど音は悪くないので気軽に声をかけてくれて構わないよ」
「……あ、は、はい」
 振られたダリオはあいまいに返事をするだけに留めた。帝国と王国の確執は知らないものはいない。下手に口を挟むと次の日いきなり戦争になる可能性だってある。
「……殿下。こちらでお話を」
 妙な空気が漂う室内を打ち破るようにカシウスが声をかけた。わかったと鷹揚に頷きオリビエは先導されるままに部屋を出る。ミュラーも後に続く。ふとダリオと視線が合ったので、軽く肩を竦めて見せた。それが功を奏したのか明らかにホッとした表情を見せるダリオ。理由はわからないがそれでよかったと思い、ミュラーはカシウスの私室へ向かった。

 ノックした部屋に応えは無かった。休んだとばかり思っていたのだがどこへいったのだろうと周囲を見る。が、閑散とした通路には誰もいない。練武場から訓練の声が遠く聞こえてくるばかりだ。
「どちらへいかれた?」
 当ても無く歩き出すダリオ。一度ユリアと話をしてみたいと思ったのだがいないのならば仕方がない。と、窓の外で訓練なのか、飛行艇が数機飛び上がっていった。
「……」
 なんとなく駐機場へ。先ほど降りてきたばかりのアルセイユの周りに繋の面々が集まってきていた。
「そろそろ整備に入るらしい。明日は諸君らと演習なのだろう?」
 突然声をかけられ驚く。声のしたほうを見ると午前中に紹介された帝国の少佐。
「ええ……」
「本当は俺はここまで来てはいけないのだがお目こぼししてもらっている。なのであまり大々的にいたことを言わないでくれると幸いだ」
「……わかりました」
「君もこちらにくるといい。整備の様子が良く見える」
 警戒しながらミュラーの隣に立つとアルセイユの様子が良く見えた。その中に一人、明らかに整備兵ではない人間がいる。
「またあんなところにいるのか。仕事熱心な人だ」
「あれは……シュバルツ大尉殿?」
「他に整備に混じって機体の修理をする艦長がいるのならば俺が教えて欲しいくらいだ」
 あきれた声。確かにダリオも聞いたことがない。
「あ、でもこちらに来られるようですね」
「ん……」
 見ているうちに大柄な整備兵とやりとりをして歩いてきた。入り口付近の二人に気付いたのか手を振りながら向かってくる。
「少佐殿! それに、ビリアッツィ少尉も。どうされたのですか?」
「俺は単に暇つぶしだがこちらの少尉が君に話したそうだった」
「し、少佐!」
 怪訝そうに首を傾げるユリアと、表情を変えないミュラーと、慌てるダリオ。
「よくわかりませんが話をというなら談話室まで行きませんか? ここはそろそろ資材が搬入されてきます。邪魔になるのは忍びない」
「承知」
「わかりました」
 談話室は他に誰も使っておらずがらんとしていた。
「ところで少佐殿が何故ここに」
「皇子殿下の付き添いだ。今はブライト准将閣下と込み入った話をしているだろう。彼といる間は自由にしていいと事前に言われていたので自由にしている」
 オリビエといいかかるがダリオの手前飲み込んだ。
「そうですか。けれどいくら自由と仰られても駐機場にいらっしゃるのはどうかと……。一応、我らの機密がありますので」
「すまない」
「申し訳ありません」
 ダリオにとってみてもそれは同じだ。ミュラーと同様に頭を下げる。
「お二方とも頭は上げてください。あの場からなら何をやっていたのかはっきりわからないでしょうし、今後気をつけていただければと思います。ただ、自分以外に見つかったらこれぐらいではすまないことを覚悟しておいてください」
 わかっているとばかりにミュラーは頷いた。ダリオも同じようにして、先ほどから疑問に思っていることを口にした。
「あのう……大尉殿と少佐殿はお知りあいなのですか?」
「……ああ」
「そうですね……いろいろとありまして」
「いろいろありすぎて通常手続きを飛ばして知り合いになったというか」
「……?」
 ダリオには今ひとつわからなかったがどうやらこの二人の間には通常では得られないような絆があるらしい。帝国という国はダリオ、いやアペニン全体にとって不気味な国ではあるのだが、意外なところでつながりがあるものだと思った。
 その後ミュラーは聞き役に回り、ユリアとダリオが空について話しはじめた。思いのほか話は弾み、エコーがユリアを呼びに来た時には完全に意気投合していた。
「ではこれで失礼させていただきます。おそらく今晩の晩餐に顔を出すことはできないでしょうので、今ここで非礼をお詫びします」
「そうか」
「さすがに今日は早めに休ませて戴こうと思いますので。そろそろ一日半ほど起きていることになります」
 苦笑いをしてミュラーに一礼。そしてダリオに向き直る。
「ビリアッツィ少尉、ではまた明日。よろしくお願いします。同じ空を往く仲間として」
「ええ。こちらこそよろしくお願いいたします」
 ユリアが部屋を出ると後には男二人が残された。まだ時間はあるし、目当ての人間には出会えたのでもうすることも無い。どうしたものかと考えているとミュラーが呟いた。
「……『同じ空を往く仲間』か」
「は? ああ、そう仰っていただけるのは大変名誉です」
 笑ってダリオが応じるとミュラーは一瞬眉を上げ、そして自虐的に笑った。
「君がうらやましい、と感じるとは自分でも意外だった。俺ではどうあっても空を往く仲間にはなれないから」
「え……少佐殿?」
「俺は機甲師団所属だ。空を往くあの人や君を下から見上げるしか出来ない」
「……」
「こんなことを言っても仕方が無いのはわかっているがたまに考え込んでしまう」
 笑いながらそう締めた。その後ミュラーが出て行くのを見送ったあとふと気付いた。
「多分」
 あの少佐はシュバルツ大尉のことを仲間と思う以上に想っているのだろう。だから道は同じでも往く方法が違うことに辛さを覚えることもあるのだろう。
「これはまたなかなか面白い話があるものだ」
 意外や意外、帝国も構成するのは自分たちと同じ血も涙もある、そして他人を想う心をしる人間。今回はいい見聞になったと満足して頷いた。

 舞い上がる二機。先に仕掛けたのはアペニン側だった。アルセイユよりアペニンの機体のほうが一回り小さく機動性が高い。その分持久力がないので基本的に彼らの闘い方は先制攻撃である。だがアルセイユ側はそれを完全に読んでおり三重の導力障壁で弾いた。
「嘘だろ、どんなエンジン積んでやがるんだ……浮上しながら障壁三重なんて聞いたことねぇ」
「だからのんびり浮上してきたんだろうよ。連中は知ってるぞ。いくら飛行艇だからって、舞い上がれなけりゃただの鉄の棺だってこと」
 ダリオの合図の下もう一度主砲が充填を始める。
「煙幕かけてやって視界を遮れ。機銃掃射もタイミングにあわせて開始」
「了解!」
 指示どおり動く艦橋だが聴音員がだした妙な声に、いっせいに注目が集まる。
「なんだあのエンジン音は!」
 耳が壊れたのだろうか。あまりに大きな音がするから聴音限界を突破しただけなのだろうか。
「どうした!」
「音がしません!」
 限界までにはまだまだ余裕があるはず。それに音を立てずに障壁を展開したままあのスピードでこちらに向かってくるはずが無い。
「うわっ!」
「今度は何だ!」
 言いながらダリオにもわかった。今まで目の前の大窓に映っていたアルセイユの機体がないのだ。
「アルセイユエンジン音補足!」
 同時に音がし始めたという。何をいったい始めたのだ。
「全方位からの攻撃に注意! 障壁は……上下に展開!」
「了解!」
「主砲充填終了! いつでもいけます!」
 砲術士の声に頷いて手元のモニタを眺める。
「来た! 奴、上回ってやがった!」
 機銃が唸り声を上げて斜め上から突っ込んでくるアルセイユに向かって吠え立てる。けれどそれは障壁に弾かれ、それどころかその船首に主砲が見えていることに気付く。障壁を張ろうにも上下に張っていある障壁を消さなければ機関の性能的に無理だ。
「……やられたな、これは」
 絶妙のタイミングで通り過ぎた。これが本気の戦争なら今のでこちらは木っ端微塵になっていただろうなと思う。ここまで見事にやられるとは思わなかった。
『こちらアルセイユ。アペニン船、聞こえますか?』
「ああ聞こえる。負けたよ、完敗だ」
『恐れ入りますビリアッツィ少尉。では一旦降下いたします。続いて降下ください』
「了解した」
 ダリオが降りるとユリアと副長だというテニエスが待っていた。挨拶もそこそこに何をされたのかを聞く。
「そちらの船には優秀な聴音員が乗っていると伺いました。まずはそれをどうにかクリアしないと我々に勝利はないと思いまして」
「昨日の演習記録を拝見すると一気呵成の短気決戦型の戦い方のようでしたので、わざと第一波は受けることにして」
「……」
「それから……そう、一旦無音航行に切り替えたのだったか。いろいろなことをやったから良く覚えていないが」
「艦長がそれではこまりますな」
 テニエスが肩を竦める。
 スペック的にアルセイユが全速を出せばアペニン船に到達する合間に主砲の準備が出来ない。なのでわざと出力を低下させたがそれでも間に合わないので。
「で、どうされたんです? 一旦こちらのレーダーが補足し切れなかったあの時でしょうけれど」
「上。空に逃げた。一回転してその合間に主砲を起動させ、なんとか舞い戻ってきた次第だ」
「では、エンジン音があの瞬間したのは……上方への加速と主砲機動音を消す為……?」
「そこまで考えていたわけではないが、結果的にそうなったようだ」
「とりあえずもう宙返りはしばらく遠慮しますよ艦長。なぜか私だけあの艦橋に席がないのですから困りました」
「すまん副長。今後は……善処する」
 あまり信じていない表情でユリアに苦笑するテニエス。
「機関室が文句言ってたじゃないですか。道具が降って来て痛いって」
「うむ。艦内のあらゆることに気を配らねばならぬ身、後で機関長に謝りにいこう」
 そんなやりとりを聞いていたダリオ。後ろにカシウスが立ったのに気付く。
「准将閣下。良い経験をさせて頂きました。確かにこの方たちはリベールの秘蔵だ」
「照れますな、そう褒められると。しかしあなた方もすばらしい乗員をお持ちだ」
「恐れ入ります」
 そんなやりとりをしているところにオリビエまで顔を出した。一日無理矢理滞在期間を延ばして今の模擬戦を見学していたらしい。
「さすがユリア君とその船だ。あのころと変わらず、相変わらず皆よい腕をしているようでなにより。せっかくなのであちらの部屋でしっぽりと今の戦術について語り合おうではないか」
「殿下……」
 カシウスが何かを言う前に無言で背後に立ったミュラーがオリビエをユリアから引き離した。
「失礼した」
 一言だけ言いおいてリベール人とアペニン人から離れる。
「……あの帝国の皇子殿下は……」
「ああ、あまりその辺りについては突っ込まない方が宜しいかと」
 ダリオの疑問にまじめ腐ってカシウスが応じるので、ユリアは笑いをこらえるのに必死だった。
 そんな時間は突然の伝令で終わりを告げる。
「申し上げます准将閣下! そしてビリアッツィ少尉!」
 緩んだ空気が張り詰める。
「何だ」
 わざと落ち着いた口調でカシウスが問い返した。
「少尉殿の祖国……アペニン公国に対し、ブリニョール王国が先ほど、宣戦布告しました!」
「何っ!」
「……ブリニョールが……いずれ来るとは思ったが」
「少尉?」
「……」
 しばし考え込んだがダリオはカシウスに向き直った。
「准将閣下。このたびは大変なご厚情の程、心から感謝いたします。そしてそれをこのような形で泥を塗るのは不本意ですが、自分たちは点検が済み次第、帰国いたします」
「……そうか」
「今から将軍閣下にもお伝えしてまいります。では」
 言って立ち去ろうとしたがふと立ち止まった。
「シュバルツ大尉殿」
「はい」
「祈ってくれますか? 同じ空を往く者として、我らの空に真の自由があらんことを」
「……諒解いたしました。以後、自分がどこにいようと願いましょう。誰のものでもない空の自由を」
「ありがとうございます。そしていつか、リベールとエレボニアがそうなったように、我らがアペニンとブリニョールの間も心通わすことができるようになった時、ご報告に来ましょう」
 ちらりとミュラーに視線を送ってから言葉を締める。視線の動きを理解したユリアが少し頬を染めた。それを見れただけでも言ってみて良かったと思う。
「では、これにて!」
 ビシリと敬礼をするダリオ。申し合わせたかのようにその場の全員が、オリビエやミュラーですら、ダリオに向かって敬礼を返した。


 急ピッチで点検が行われ、果てはアルセイユのクルーや中央工房からも応援が来てアペニン船を上から下まで整備し尽くした。そして船は迷わず祖国へ向かう。見送りが終わり各員が所定の持ち場に戻っても、ユリアは発着場から離れなかった。その後ろに黙ってミュラーが佇んでいる。
「……」
 おもむろに機影の消えた西の空に向かって敬礼をした。そしてまた時間が過ぎ、夕暮れになる。小さく息を吐いてミュラーはユリアの隣りに立ち、やはり敬礼を行う。
「どうなるか知れない。だがこうやって思えば、彼らも力とするだろうと思って……けれど」
「それ以上は言う必要は無い。もはや彼らの行き先は女神にしかわからないものだ」
「……私は、ビリアッツィ少尉を昔からの友のように思いました。そう、この心の痛み方は友と別れるときのもの。たった一日しか顔を合わせていなかったのに」
「俺と貴女も似たようなものではなかったか?」
「……あ」
「どれだけの間顔を合わせていたかは関係ない。そうだろう」
「……」
「貴女は彼を友と思い、そう信じて祈りつづける。いつか良い報告を持ってきてくれることを願って」
 一旦息を吐いてユリアを覗いた。その瞳は潤み、今にも零れ落ちそうになっている。それでも流れないだろう。流してしまうことは彼の選んだ道を、そして自分の歩む道を否定することだ。
「同じ空を往くことは俺にはできん。だが同じ道は往ける。だから、同じ道を往く者として彼の無事を願おう」
「ミュラー殿?」
「俺はさすがに友とまでは思っていないが、自分が同じ立場に立ったときして欲しいことをするまでだ」
「……」
 敬礼の形は崩さないまま深呼吸。
「俺はもうそろそろ行かなければならない。では、また生きてこの大地の上で逢おう」
 簡単な別れの挨拶をしてきびすを返す。と、ぴたりと背にユリアが抱きついた。振り向こうとするが震えを感じ取りやめた。そのまま黙る。
 ユリアが今何をしているのか自分には知る由はない。笑っていようが泣いていようがそれは自分の預かり知らぬこと。けれど、士官で上官でありつづけなければならないこの要塞の中で、ほんの少しだけ本当のユリアを見せてくれたことがうれしい。
「失礼しましたミュラー殿」
 声に振り向くと先ほどとは違いすっきりした顔をしていた。
「ビリアッツィ少尉も……ミュラー殿も。同じ道を往く者として、道行のご武運を願いましょう。私もよき報告を受けられるよう、しっかりと進みます」
「ふむ、そうしてくれるとありがたい。俺より貴女の方が過労で倒れてしまいそうだからな」
「……」
 無茶な仕事振りを指摘した時顔が赤くなった気がしたのは、決して夕暮れだけのせいではないと確信した。

 気休めを言えるほど無知ではない。けれど願うしか出来ない身を呪うのは笑って戦いにいった戦士に対して失礼だ。ミュラーに言われるまでもなく理解しているユリアだが、それでもあの帝国人の前では自分の弱さを見せてしまう。
「若いな、シュバルツ大尉」
「……准将閣下!」
 悪戯っぽく笑うカシウスはユリアと同い年といわれてもあまり違和感がない。何を言っていいのか良くわからない。そもそもどこから見られていたのだろう。追求したいがするのは恐い。
「これから忙しくなる。とりあえずは将軍のところにいってくれ」
「閣下の?」
「あの人の孫みたいな可愛がり方だったからな、ダリオ君は。なだめないと今すぐ応援に行く勢いだ」
「えっ」
 モルガンが頭に血を上らせているのならユリア程度でどうこうできるはずもない。
「いや、自分も部下たちが待っているのですが」
「そうか、そうだよな……ここはシードに一肌脱いでもらうか」
「……ではこれにて」
 早口で足早にその場から去る。あとのカシウスの言葉は聞かなかったことにして、心の中で涙ながらに謝りつつ。

 ごめんなさいシード中佐。私は自分の仕事をしにいきます。


Ende.


 空を往く軍人同士にやきもちな少佐の話(身も蓋もない)。なんか一番不幸なシード中佐の話でも可。大陸以外だったら国の関係どうなってるんだろうなーとか、海の向こうの国ってどこだろうなーとかそんなことをもやもや妄想しておりました。
 んで少大お話なのに本気で甘くならない自分にヘコミ中。なんでどーして。砂糖分がこのサイトには足りない。

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