夕暮れがそろそろ終わる。晩餐の準備にあわただしい邸内をよそにオリビエは広い机の上で紅耀石製の像をいじっていた。その姿はとてもではないが兄皇子の代わりに視察に来た人間には見えない。
「いいんだよ、これくらいで。だってここ、街道からも外れてるし特に重要な産業もない。実入りも少ないから兄としては本気でここをどうこうしようと考えてないって言っていたしね」
 農地にできるような土地はなくかろうじて狩猟権料が入ってくる程度で、帝国内における直轄領のうちどこよりも収入が少ないのがここだ。
「だから兄はボクに視察させるんだよ。帝都からここまで来る旅費のほうが高くつくんだからさ。まぁそのおかげでボクは細々とでもやっていけるわけだけど」
 つまらなさそうにあくびを一つ。ミュラーも黙って話を聞くだけだ。
 庶子であり、ないものとして扱われるオリビエ。けれど本当にないものとするにはその存在は大きい。たとえ帝位継承権を持たないとしても。だから野放しにすることもできず兄皇子に飼い殺しをされている状態。
 ただ本人はそれで良しとしているらしく、まったくといっていいほど気にかけていない。領民たちも最初は近寄らないようにしていたがそのうちに打ち解けてきて、道を歩いていれば数人には確実に声をかけられる。今日のメインディッシュも狩り帰りの狩人から新鮮な獲物を分けてもらったものだった。
「そろそろ夕食かな? みんなで分けられるだけの量をもらったから今日は時間がかかるかもってシェフが嘆いていた気がするからまだかな?」
「見てみよう」
 ミュラーが戸を開け廊下を見渡すと少し離れたところに給仕が歩いてくるのが見えた。目が合うとにこりと笑って駆け寄ってきた。
「お食事の準備、できました!」
「そうか、ありがとう」
 淡白に応対するミュラーの後ろにいつの間にかオリビエがやってきて、
「今日も元気だね。うん、いい笑顔だ。いつも教えてくれてありがとう。お礼に後で少し庭でも歩かないかい?」
 などと言うので首根っこをつかんでみた。しょぼくれた猫のような目でミュラーを見るオリビエの様子に給仕は笑いをこらえきれず噴出す。
「まぁ皇子様、お戯れもほどほどに。それにどうせならば私などよりももっと若い子たちに声をかけてやってくださいな」
「貴女もそういうことは言わないで欲しい」
 ミュラーはため息をそっとつく。
「とにかく食事ができたのでお早めにおいでくださいませ」
「わかった」
 オリビエを下ろし身支度を軽く整える。ここにいるとどうしても緩んでしまうのは仕方がないことなのだろうか。

 メインの食堂は使わない。それは館主である兄皇子用である。そこでオリビエ用に小さめの客室を簡易に食堂としていた。メイン食堂より厨房に近いので作りたての料理が味わえると本人はご満悦だ。
「うん、今日もすごくおいしい。シェフにはぜひぜひお礼を言ってもらいたい」
「かしこまりました」
「もちろん食材を提供してくれた狩人にもだね。ミュラー、あれは誰だったっけ」
 そういいながらも、ミュラーが答える前にスラスラと執事に名を告げる。いつだってそうだ。オリビエは本来の領主以上にこの領民のことを把握しているし領民たちもめったに姿を現さない領主よりも領主代行オリビエを気に入っているのだ。
「早速手配しておきます」
「お願いする。けれどそれより先に君たちもこの料理を味わうといい。ボクの浅学をあらわにするようで申し訳ないが、すばらしいの一言しか言いようがない」
「お心遣い感謝いたします」
 あくまで冷静な執事だが表情は緩やかだ。これが、領主が来たときにはこれ以上ない緊張状態に置かれる。雇い主が領主である以上どこからも聞こえてこないがもしかしたらこの館で働く者たちも領主よりオリビエの来訪を喜んでいるのかもしれない。
 そんなふうに和気藹々と過ごす夕食も終わりに差し掛かり、最後のデザートとティータイムが始まった。今日はどんなことがあっただとか、どこで誰が怪我をしたであるとか、領地内でのさまざまなことが飛び交う。一緒に行動していたミュラーはたまに自分が知らないことをいわれることもありドキリとしてしまう。
 他の視線を気にしながら生きてきた今までの経験がそうさせているのではないだろうか。不意にミュラーはそう考え込むことがある。必要以上に他を気遣い自を削る様子は痛々しい。
「……何か聞こえないかい?」
 そんな調子なので、やはりその音に気付いたのはオリビエだった。ミュラーが耳を傾け給仕たちが不安そうに顔を見合わせ執事が部屋を出て行く。ややあって。
「……皇子殿下、少し」
 渋い表情で執事がオリビエを呼ぶ。
「ふむ……食後のお茶を待てない来訪者のようだね」
 名残惜しそうにカップを置いて立ち上がる。ミュラーも続いて立ち上がった。
 執事に連れられ少し離れた部屋へ。中にはボロボロの、衣服ともいえない布をまとった子どもたちが数人いた。
「これは……」
「……ここはどこだと聞いたきり何も喋りません」
 年嵩らしき少年が連れの子ども二人をかばうようにオリビエたちを睨みつけている。
「答えたのかい?」
「ええ……」
「そうか、わかった」
 言うなり子どもたちのほうへ足を踏み出した。少年はビクリと肩を震わせ、それでも睨むことだけはやめない。ミュラーはミュラーで、オリビエが止められないのはわかっているので、何事か起こっても無傷で対処できる位置まで移動。それが悪かったのか少年はより一層警戒心を高めたようだ。
 それを知ってか知らずかオリビエは笑みを浮かべてこう言い放った。
「よく来たね。とりあえず食事があるからそれを食べるといい。今日はいい食材が手に入って、シェフも腕を存分に振るってくれたんだ」
 少年はぽかんと口を開く。意味がわからないなりに他の子どもたちもオリビエを見る。そして当の本人は「してやったり」とばかりに破顔した。



「……ミュラー、彼らの様子は?」
「相変わらず何も言わない。ただ、邪魔のない部屋の中では一言二言言葉を交わしているようだ」
「そこから情報は……とれないよね、たぶん」
「ああ」
 見知らぬ子どもたちが乱入してきて数日、オリビエとミュラーは彼らから名や意図を聞き出そうとしていたが殆どが徒労に終わっていた。ただ、外に行きたいとだけは年嵩の少年がつぶやいた。
「外、か」
「ミュラー、たぶん彼らは川向こうの直轄地から来たのだと思う」
「川向こう? それは……」
 オリビエが軽く頷く。ミュラーも渋い顔をした。
 川向こうの直轄地。帝国の主幹街道を含み、地方の産物や帝都での製品がひっきりなしに行きかう。国内の領地の中でも五本の指に数えられる裕福な場所。当然、それを支配する貴族は最上位クラスである。例えば。
「オズボーン宰相閣下の領地、か」
「彼らの衣服があのあたりでしか使われていない伝統的なパターンだったのでね。それに町の噂もあった」
 それとなく視察に出る間オリビエは領民に聞いてみていた。最初は誰も何も言わなかったものの三日目になると噂の形で耳に入ってきたという。
「ならば早急にそちらと連絡を取らねばな……」
「……」
 幼馴染のつぶやきに奇妙な沈黙でもって応じるオリビエ。
「おい、オリビエ? 相手は宰相閣下だ。揉め事を起こすと後々厄介だぞ」
 下手をすれば肉親と揉めるよりも大事になりかねない。かたや今をときめく宰相閣下、豪腕振りを揶揄されつつも、帝国発といわれるほどの今までにない行動力を持って数々の事業を成し遂げ民から絶大な支持を受けている存在。かたや飼い殺しの庶子、小さな土地で領主代行をしている末席皇子。どちらがどうと比べるほうが間違っている。
「確かにそうだね。……そうなんだよね」
「貴様が何を考えているか知らんがあの子どもたちをかくまっていたことが発覚するとろくなことにならんぞ。あの宰相閣下の領地にあのような、見るからに虐待を受けた子どもたちがいるということに衝撃を受けているのはわかる。俺も苦々しい思いだ。だが!」
「……うん。でも」
「……」
「彼は……彼らは言ったんだ。『外へ』と」
 執務机の上で握り締められた手が細かく震えている。その単語にいかほどの思いを見たのかはミュラーにはわからない。わかろうとは思わない。それはきっとオリビエだけのものなのだろうから。
「正直に行こうミュラー。ボクは迷っている。今後のことを考えるとあちらに連絡を取って子どもたちを保護してもらうのが一番だ。下手をすればこちらの民にも迷惑をかけることになってしまうのだから。けれどボクの心はそれは嫌だといっている。もちろん『外』で彼らが生きていけるかわかりはしない。けれども、知ってしまったから」
 そこまで聞いたところで執事がやってきた。なんでも身なりの良い使者のようだ、とのこと。
「……もう話が行っている?」
「早すぎるな」
 応接室にいたのは宮廷晩餐会でいつか会った顔。
「これはこれは皇子殿下、ご健勝そうで何より」
「ああ、君も健やかそうでよかった。早速だがご用件を」
 穏やかなようでいて相手を断ち切る物言いのときは何がしか警戒をしているときだ。
「もちろんそのつもりでございます。先だってこちらに何人か、わが領地からの来訪者がいたとか。彼らをお引渡しいただきたい」
 ご迷惑をかけ申し訳ない、と形ばかりの一礼をしてみせる。調べはついていると目の端に浮かばせつつ。
「確かに……最近こちらに来た方々はいますが、いかんせん極度の疲労と、他人を信用していないような態度でどこの誰かまだ判別がつきません。もう少し時間を置いて詳細を確認してから、改めてご連絡いたします」
「いえいえ、そのようなお手間を取らせるわけには……ああ、来たようだ」
「何ですか?」

 問いかけを全て言い切ることができないうちに屈強な男たちが数人、部屋の中に入ってきた。そのうち何人かは子どもたちを捕まえている。
「なっ! これは一体どういうことですか!」
「こちらにいることは判っておりましたのでそちらの執事に許可をいただき案内を付けていただきました」
 振り返ると歯を食いしばって平静を装う執事がいる。明らかに何かの力をかけられたに違いない。
「このような強引なことをしたと宰相閣下のお耳に入ったら譴責ではすまないのでは?」
 黙ったままのオリビエに代わってミュラーが問い詰める。
「それにその子どもたち……帝国法では労働力として扱うことは硬く禁じていたはず。だがその疲労振りからすると……」
「とんでもございません! 三日三晩歩き通しでつかれたと……」
 顔をゆがませ使者は笑う。けれど打ち消すように、ぐったりしていたはずの子どもの一人が叫んだ。
「嘘だ! 嘘だぁっ!」
「……だ、そうだが。われわれは彼らがどのような素性なのか知らない。そして貴方はその身なりから農奴の監督官とみられる。子どもたちと貴方のような方の接点はめったにないはず。必然的に答えは一つだけ示されているような気がいたしますが」
「……」
 泣き出した子どもたちを横目にミュラーは淡々と。やがて黙り、すすり泣きの声以外だれも言葉を発しなくなった。
 ゴホン、とわざとらしい咳払いをしたのは使者。
「とにかく探している者たちは見つかりました。大変お騒がせいたしました。また後日改めてお詫びの申し入れをいたしますので」
 目配せをしあい男たちは子どもを抱えたまま使者の後に続く。その瞬間だった。
「……ミュラー!」
 一言だけ。黙り続けていたオリビエは親友の、部下の名を呼んだ。直後に呼ばれた男は滑らかな動作で動く。子どもたちを解放し、心得ていたとばかりに開け裏口へ続く廊下を空ける執事や給仕たちに託した。追いかけようとする男や使者はすぐさま給仕たちに邪魔をされて思うように動けない。
「行け、『外』へ! 行って生き抜いて見せろ!」
 ミュラーの叫びが届いたのか、ちらりと年嵩の少年が頷いた、そんな気がした。
「こ、このようなことをしてっ!」
「こちらからも宰相閣下にご連絡いたします。ご存知だったか否かは計りかねますが子どもたちを不当な労働力として使用していた旨を余さず」
「そ、それで結構!」
 顔を真っ赤にした使者はわざとらしく足を踏み鳴らしながら出て行った。虚をつかれたままだった男たちもあわてて後を追っていく。残されたオリビエとミュラーは同時にほっと息をはいた。
「いやぁ、やっちゃったねぇ」
「なにが「やっちゃったねえ」だ。最初からそのつもりだったのだろう」
「うーん……そうでもないんだけどね。ただ……あの泣き声は反則だ」
「そうだな」
 やることは多いままだがどうにかなるさと小さくつぶやくその顔は、日々流されるだけだった末席皇子のそれではなく、己の信じる道を見つけ確信した男の顔だった。



「宰相閣下からお返事が来たよ」
 やたらと暢気な声にミュラーのほうがあせった。
「ええと、知らないこととはいえそのような輩がわが領地にいたとは恥ずかしい、即処罰したしこちら側には一切関与しないって。良かったねぇ、こっちの民に何かあったら兄に申し訳が立たない」
「あ、いや、そうか」
「ん? どうかした?」
「……それだけか?」
「うんそれだけ。ああでも公務が落ち着いたら一回話そうって」
「そうか」
「ともあれボク以外にはなんともないようでよかった。もしも嫌がらせ等があれば即連絡してくれって言ってくれてるしね。さすが宰相閣下」
 自分自身を除外しているのがこちらとしては気になるのだが、と心で叫ぶ。この件が今後どういう風に転ぶかわからない。手紙からでは宰相の意図は測りかねるし、オリビエ自身の考えも今のところ良くわからない。もちろん付いていくができればオリビエ自身には何事もあってほしくないのが本音だ。そういかないのは重々承知しているが。
「……ねぇミュラー」 「どうした」
 先ほどまでと打って変わって心なしかさびしい声音。
「結局ボクたち、あの子達の名前も知らないんだよね」
「……」
「うまく……山越えできたかな」
 それはミュラーも感じていた。この時期は慣れたものでも手に負えないほど天候は変わるし魔獣も多い。だができたと信じるしかない。自分たちにはそれしか出来ないのだから。
「信じてみたらどうだ。貴様が、貴様の選んだ道を信じたように」
「……そうだね」
 答えたオリビエの顔は見えない。窓の外を見る後姿は、これから来るかもしれない大波に一度だけ震えて、後はただじっとたたずむだけだった。


Ende.


 数年前お誘いくださって『激帝』のアンソロに寄稿しました。その際の原稿です。もう『激帝』自身は売り切れなので出してもいいよーとずいぶん前に連絡もらってたんですが、なんつーかいろいろあってPC前に座れず今になるという。ただ覚えているのは、ばーちゃんが死んだから葬式に出ろと朝六時に言われて、そのまま七時の飛行機を取って、以後飯も食わずに一気に完成原稿まで持って行った記憶があります。タイムリミットは四時、そこまでに印刷可能な状態にしました。いやー無茶しやがってだったw もともとから早めに仕上げてしまう予定だったのですが(実家帰還は原稿受けた段階から決まってた)、締め切りが一週間後から十時間後になったww 途中まで書いてたんだっけ、それとも途中まで書いてたやつを没にしてこっちにしたんだっけ、記憶が定かじゃないけどネタとしてはこれは二つ目だった。確認したら途中でほったらかしの文章が残ってたし。
 最後のほうの少佐の台詞「行け、『外』へ! 行って生き抜いて見せろ!」を、言わせたかったんですw
 初出『激帝』 サイトup:2013.5.31

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