「これでいい?」
 ジョゼットが近くにいたフェイを呼ぶ。技術者が覗き込んでいるそこは彼女が直した箇所。どう見えるのか少し不安だ。
「うん、いいじゃん。あんた筋いいね。どっかでなんかやってたりする?」
「別に……ウチの機械くらいなら時々直す手伝いするけど」
「もしアレだったら工房きなよ。怪しい人間ばっかではあるけど退屈せずに腕磨けるから」
「……それはまた考えとく」
 ここはもういいといわれたので甲板から降りた。船自身から少しはなれて修理途中のアルセイユを眺める。外装や細かい部分に断裂はあるものの綺麗な船だと思う。自分たちの船もそれほど悪いものではないはずなのだが、あちこちを修理しながら色塗りでごまかしている為安っぽさを最近かもし出すようになってきた。
「前にコイツで護送されたっけ」
 そのときにも綺麗な船だと感じた。
「あの船もこんな風に丁寧にメンテすればいけるのかな」
 あちこちで修理をしているメンテナンスクルーの様子を眺めれば、その手つきで船をどう思っているのかわかる。修理の資材も道具もいい物なのは確かだけれど、最後に決定的な違いになるのは船に対する思いだ。自分たちも生活の基礎にしている以上大事に扱っているが。
「……へぇ。こんな風にすれば時間短縮できるんだ」
「それだけじゃないぜ。強度も上がる。ほら、普通こうするようにいわれるだろ?」
 作業を後ろから覗き込む。クルーも好奇心に応えようと実演してみせてくれた。
「ところがどっこい、そのままだと横からのズレに弱いんだ。だからこう……回り込ませるように、と」
「すっごい。ピクリとも動かなくなった」
 その後コツを教えてもらい、ジョゼットも実際にやってみることにした。始めの何度かは失敗したが次第に慣れてくると、クルーの方法のほうが格段に良いということが理解できた。
「筋いいね、君。今後もう少し練習したらもっと綺麗にできるようになるだろう」
「……うん」
 あいまいに笑ってクルーから離れた。またアルセイユを見上げる。山猫号よりもずいぶんと大きな船。最高の技術と最高の人員で構成された船。最高の指揮かどうかはわからないけどね、と心の中で付け足した。彼女が目に見えるのは船に使われている技術の高さとそれを自在に使いこなしている技術者たちだけなのだから、当然といえば当然だ。
「手負いだけど、山猫号だって調子悪いわけだし……こんな船に追いかけられたら絶対逃げ切れないだろうね」
「何をしている小娘。逃げ出す算段でもしているのか」
 突然にかけられた声に肩を竦めた。当たらずとも遠からずの内容。今の呟きは聞かれていないだろうか。恐る恐る振り向くと背の高い男女が立っていた。どちらも軍装、女の方はこの船の主だったと思う。あまり顔を見ていないのでよくわからない。が、男の方は忘れたくとも忘れられない。この船にきた時点で釘をさしてきた嫌な奴。
「小娘ってなんだよ。ボクにはちゃんとジョゼットって名前があるんだから!」
 会話をするために見上げるのも悔しい。精一杯胸を張って言い返した。
「こんなところで何をしている。クルーたちと一緒にアルセイユを直しているのではないか?」
「今のトコ特に用事ないだけだよ! ボクの行動にいちいち難癖つけないで!」
 何を思ってこの男は自分に対して文句をつけてくるのか。だいたいこの男自身が一体何をしているのだ。
「あんたこそ何やってんだよ! 修理してるわけでもなし、物運んでるわけでもなし! 一番サボってんじゃない!?」
 ジョゼットの勢いに怯んだのか少し口篭もった。
「まあ落ち着いたらどうだ、ジョゼット・カプア。少佐殿は大事な役目を果たしてくださっているよ」
 しばらく黙っていた女がやれやれといった様相でジョゼットの視線の高さへ足をかがめた。
「なにさ!」
 女は辺りを見回して、少し声のトーンを落とした。
「オリビエ殿を導くという大事な役目だ」
 片目を閉じてニヤリと笑うものだから、一瞬何を言われたのかわからなかった。女の顔と、微妙な表情をした男の顔を見比べる。
 確かにあのオリビエという男はとんでもないなとは思う。手当たり次第口説いている様子は見ているし、彼女自身も声をかけられた。口説いていないと思えばあちこちで音楽をかき鳴らしている。確かに和むのは和むのだが、作業用の友にしては作業自身のほうがうるさい。溶接している横でリュートの音を鳴らしていてもほとんど聞こえない。一応作業をしているときもあるがすぐに逃げ出すのは、現場に居合わせたことがある。
「嘘だよそれ。ちっともあの人真っ当じゃないもん」
 女の言葉にそう返した。
「まあ、そうともいうかもしれない」
 茶目っ気たっぷりに笑う。笑うといい顔になるなとなんとなく思った。ジョゼットの好みからすれば少し髪が短すぎるのが残念だ。
「おいおい……貴女にそういわれると俺は立つ瀬がない」
 心底困ったというように言葉を挟む男の様子が、それまでと違って妙におかしく見える。
「なんだいあんた、いきなり情けなくなったじゃん」
「俺は小娘よりは仕事をしている」
「どうだか。ボクはこれでも、工房のお姉さんに「筋がいい」って褒められたんだよ。よかったら工房来ないかってスカウトされたんだから」
「ほう。あのフェイ殿が他人を褒めるとはな。自分に厳しいが他人にも厳しいので有名だぞ、あの人は」
 ユリアが目を丸くしてジョゼットを見た。
「だよね。でもあんな人ボク好きだ。一本筋とおってる感じして」
「いえている。中央工房の面々は皆そういう職人ばかりだ」
 二人で頷きあっていると親衛隊士が顔を出した。
「あ、こちらに居られましたか艦長。機関長と博士がお話があると」
「わかった、今行く」
 一礼をしてその場を去っていくユリアを見て次に黙って立っている男を見る。
「やっぱりあんたなんにもしてないじゃないか」
 軽口に言い返す気もないと天を仰いだ。そのままいるのも落ち着かないので何もいわず立ち去ろうと思い振り返った背中に。
「……今後のことを考えていたのだろう。今後、空賊どもの道行きがどうなるのか」
 決して初めのような責める口調ではない。だからこそ余計に背に刺さる。
「……別に」
「少しばかりの手伝いで貴様たちがしたことが消えてなくなるとは思うなよ」
「わ、わかってるよ」
 一体どういう表情でジョゼットに対し言葉を投げつけてきているのか。知りたい気もするし絶対に知りたくない気もする。正確にいえば、彼女自身は認めていなかったが、正論に対して向き合えるほどまだ整理がついていないのだ。
「貴様たちは没落した貴族だ。その点においては同情すべき余地はあるのかもしれない。なれぬ事業に手を出しより泥沼に嵌る。よくある話だ。……だが」
「それ以上いうな!」
 聞きたくない。整理がついていない自分には痛すぎる。まだもう少しだけぬるま湯に浸かっていられるのなら。
「いや、言わせてもらう。この船の面々は優しすぎる。そして貴様たちも甘すぎる。ここ数年で帝国の様相が一気に変わり、伴って没落した地方貴族は多いが犯罪に手を染めようなどと安易に考える、誇りの堕ちたものはいなかったぞ」
「なんだよ! そんなにボクたちが嫌いなの!?」
 いても立ってもいられずに振り向くと、意外なほど真剣な表情だった。嘲笑われているのかと思ってカッとなりはしたがそうでもないようだ。
「貴様たちは、この国で罪を犯し、それを償いきらぬまま中途半端にふらついている存在だ。そんな人間がこの先のことを考えるだと? 答えは一つしかないだろうが」
 ジョゼットも馬鹿ではない。目の前のこの軍人が何を言いたいのかわかった。
「……一度日の光にそむいたならば、戻ろうとしてももう二度と光はこちらを射してくれない……」
 どこかの格言だったかもしれない。どこで目にしたかは思い出せないが、エステルたちと合流してからずっとこの言葉が頭を回っている。
「今一度よく考えるがいい。いやもう考えずとも取るべき道は一つしかあるまい」
「……」
 足元を眺めるが当然そこに答えはない。
「いやぁ、手厳しいねミュラー」
「なんだ。酒盛りをしていてくれる方が俺としては余計な心配がなくていいんだが」
 オリビエが船の陰から顔を出している。
「残念ながら皆思うところありでね。ボクもそこまで無神経じゃないから」
 大仰に手を振りながらにこにこと近寄ってくる。
「こんなところでこんなに素敵なレディを口説いているだなんてスミに置けない、と思ってたんだけど、そうでもないようだね。キミは確か、あの定期船事件の時のレディだよね?」
 まともに返事をする気力がないので軽く頷くだけにする。
「一応一通りの話は聞いているし、あの時の中央の混乱のせいで地方の人々には本当に迷惑を掛けたと思う。謝ってどうなるものでもないけれど、このとおり謝る。大変に申し訳なかった」
 深くジョゼットに礼をする。
「……え?」
「飛び火する可能性を指摘してはいたものの、実際にそれをどう回避するのか、規制を掛ける前にずいぶんと多くの人々が騙されたようだ」
 オリビエの言っていることが今ひとつわからない。自分の家が没落したのは悪徳商人に土地を騙し取られた為のはずだ。
「恥を忍んで真実を伝えるよ。皇帝とその一族郎党が仲間割れをしている隙に、不利な皇子に取り入っていた商人達が見切りをつけ始めた。他に獲物がないかと探し、たどり着いたのが地方の領主たちだったというわけだ。気付いていて何も出来なかった自分の責任だ」
「……」
「貴様は貴様で軟禁生活だっただろう。どれほど声を上げても届かぬところに」
「まあね。けれど、だからといって責任がないとはいえないから」
 このとおり、ともう一度深々と頭を下げた。
「あ、いや、その……それは兄ぃが迂闊だったってのもあるから、別にそこまで深く気にしてるわけじゃないんで」
 しどろもどろになってオリビエに頭を上げさせた。金髪の青年は、いつものように笑ってはいるがどこか寂しい表情だった。
「終わったことは終わってしまったことだ。流せぬものだけ極一部を残し、次のために歩むことを考えろ」
 傍らの軍人が言うのにそっと頷くオリビエを見て、確かにユリアが言ったとおりオリビエの手綱を取っているのかもと考えてしまう。
「ところでミュラー、ボクは酒盛り相手を探していたんだ。親友が落ち込んでいるのを慰めてみる気はないかい?」
「自分で親友という辺りが信用ならん。せっかくだ、仕事をしろ」
 しんみりとしていたところに一転、いつもの調子でオリビエが軽口をたたいた。ジョゼットもミュラーと呼ばれた軍人も脱力して足が一瞬ふらつきそうになった。
「ミュラーっていうの、この軍人」
「あれ? 知らなかったかい? そうだよ、ボクの最愛にして最高の親友ミュラーだ」
「……前に一回聞いたことあるのはあるんだけど、そんときはそれどころじゃなかったからね。覚えてなかった」
 確か山猫号を取り戻す時だった。ヨシュアと自分の前に立ちふさがった時、フルネームで名乗りを聞いた。なんだったかと思っていると先ほどまでの真剣さはどこへ行ったのか、締まらない表情でミュラーの肩を叩いているオリビエ。
「まあレディ。彼は彼なりにキミたちのことを思っているのだよ。ただ余りにも真っ直ぐすぎるからあんな痛い言い方になってしまったんだよね。直球なのは良いけれど時と場合があるのだから、どうにかした方がいいと昔から言っているだろう?」
「うるさい」
「ほらほら照れてないで。……この国でいる限り、きっとそれほど悪い事態にはならないと思う。もしも帝国へ戻るというのならば、ボクができる限りの便宜を図るよ。キミたちが重さをきちんと理解しているかぎり、ね」
 オリビエの言うことはにわかに信じられないが、ほんの少しだけ信じてもいい気がする。そんなことを思いながら今度こそその場を離れた。

「思い出した!」
 突然の大声に辺りで作業をしていた人間がジョゼットの方を見た。なんでもないと謝って作業に戻ってもらう。
「そうだよ、確かヴァンダールって言った。ヴァンダールって言ったらアレじゃん、皇室護衛のヴァンダール家しかないはずだよね……」
 無意味にこんなところにいていい人間ではない。いるとなれば理由はただ一つ、仕えるべき人間がすぐ傍にいるということのみ。
「てことはアレが……ウソぉ……」
 最近一番のげんなりした事実だ。もうどうにでもなれと言うようにカナヅチを振り回していると隊士が声をかけてくる。ユリアが用事があるそうだ。
「なんだろ……」
 先ほどミュラーから言われたこともあるし、何より自分自身が犯罪者であることは嫌というほど自覚しているのだ。だからこそ、親衛隊の隊長のところへなど好き好んで行きたいわけではない。
「きたか」
「何?」
 艦橋にはユリアしかいない。少し怯えて手招きされるまま艦長席へ。
「あの時はああは言ったが、あの方の名誉のためにきちんと説明しておこうと思ってな」
 指し示されたディスプレイには外の様子が映っている。
「あ、これ……あの軍人」
「こうやって露払いを続けてくれている」
 少し船から離れたところを映しているためか画像は荒いが、一人で近寄ってくる魔獣を切り倒しているのはわかった。
「この空中都市には魔獣が多いのは君も承知のとおりだ。だがここが襲撃の的になったということは聞かないだろう?」
「うん……みんな魔獣より修理にウェイトおいてるし。ボクたちはそうはいかなかったんだよね……」
 どれぐらいの技量の持ち主かは知らないけれど、自分たちがてこずった魔獣をそれほど苦もなく屠っている様子を見れば相当な腕立ちと推し量れる。
「誰にも言われる前にこうやって進んで一番危険な仕事をしてくれている。あまり目立ちたくないから他の人間には言わないでくれと口止めはされていたが、君一人くらいに言うのならば問題はないだろう。そういう方なのだよ」
「……」
 ディスプレイの画像を切り替え、ユリアがジョゼットを見つめてきた。
「というわけでこれは君の胸の内に収めておいてくれると嬉しい。でなければ自分が怒られてしまう」
「あ、うん……」
「……全ては地上に帰還してからだ。君のこれからのことも、今後のリベールという国自身もな。自分としてはいろいろ思うところもあるが、もはや何かを言う必要もないだろう」
 独り言のように呟くユリア。全ての答えは自分の心の中にあるものだと笑い、また報告書に目を戻した。ジョゼットも邪魔をしてはいけないと静かに艦橋から出た。
 ミュラーから容赦なく言われたこと。オリビエのこと。ユリアの呟き。他の面々からの視線。自分が罪を負っていると全員が知るわけではないが、他人の目がどうしても気になってしまうようになったのはいつからだろうか。昔はそうではなかったのだ。
「重さ、かぁ」
 それがなんなのかははっきりわからない。けれどまだ、ほんの少しだけだが時間はある。ならば考えよう。自分の言葉で、重さがなんなのか説明できるように。
「考えなくてももう答えはでてるのかも、だけどさ」
 このまま認めてしまうと他人に言われて懐柔されたようでなんだか気に食わないから。
 とりあえずは頼まれている箇所の修理だ。フェイの言うように工房に入るのもありかもと思いつつ、軽快にカナヅチを振るのだった。


Ende.


 リシャール&カノーネの持ってる罪の話は色々書いてますが、こっちも気になる。ジョゼット加入時に少佐だけはシビアなことをいうのが印象的でございました。いくら優しく周りが接してくれても本人に一旦刺さった棘は本人が抜くしかなく、そのことを思い知らされる方が早めに抜きたくなる、時もある。そうでないときもある。
 ユリアさんだけは確実に少佐が何やってたか理解してると思う。で、口止めされてる気がする。そんな少佐。

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