古い廊下を駆け抜ける。目指す教室に飛び込んだ少年は、黒板の前で大声で叫び、注目を浴びた。
「ニュースニュース! 良いニュースと悪いニュース!」
「なんだよそれ」
「芝居の見すぎじゃないか?」
 級友の茶化しに一瞬憮然としたが、気を取り直したかのようにまた大声を上げた。
「どっちから先に聞くか!?」
 好奇心が教室の中を満たす。やがて誰かが悪いニュースから、と手を上げた。
「悪いのは……なんだか国境付近がきな臭いってこと。教官たちが言ってたから間違いないと思う」
 しん、と静まる室内。現在ここにいるのは全員部隊に既に所属している。士官候補ではあるが今はただの上等兵に過ぎない。
「……それって、いきなり戦場になるってことだろ?」
「国境辺りって、どっちの」
「ハーケン」
 また静寂。帝国領側に部隊が集結しているとかしないとか、もう何年も前からまことしやかに言われつづけていた。学校に伝わる根拠のない噂でしかないと誰もが信じていた。
「本当なのか?」
「ああ。教官、大半が今基地に詰めてる。どうも今回は本当らしい」
 磨かれた窓から見えるレイストンに視線を送る生徒たち。いつもは厳しい訓練とそれより厳しい教官たちがいるところという認識だが、現在はそれがとても頼りになる父のように見えた。
「……それで、良いニュースというのは?」
 それまで黙って話を聞いていたカノーネが先を促した。
「おっとそうだった。良いニュースは、要するに俺らは全員帰宅命令が出るってこと」
「え……じゃあ、兵役は?」
「免除……ってことじゃないか?」
 確かに良いニュースだと安堵のため息が聞こえてくる。
「でも……確かじゃないのでしょう?」
「そうだなぁ。そだ、アマルティアさん聞いてきてよ」
「うんうん、アマルティアさんなら教官も情報洩らしてくれそうだし」
 級友に背を叩かれ不承不承立ち上がる。
「あ、教官、第二教官室に集まってたよ」
「第二って……隣の棟じゃないの……もし授業が始まる前に戻って来れなかったらどうしてくれるのよ」
 次の授業はそれなりに面白い。一番嫌いな実戦訓練だったら喜んで出ただろうが、できるなら最初から受けておきたいものの一つだ。
「立案の基礎とか、面白そうですのに」
「ノートとっておくからさ」
「……そこまでするなら貴方が行けば?」
「俺じゃ教官にあったらもっと勉強しろって怒鳴られる。大して実戦の方も良くないし」
「……仕方ないわね」
 これ以上友人の情けない顔を見ていられない。大げさに息を吐きながら廊下に出た。
 自分のところにもたらされた情報と似たものがどうやら各教室にももたらされているらしい。それほど生徒の数は多くないが、何処へいってもその話で持ちきりだ。確かめればいいのだろうが、教官は生徒にとって天上の存在に等しい。そんなところに何か聞きに行く一般生徒はほとんど存在しなかった。
「確かめたら確かめたで、あまり嬉しくない話ね……戦争になるのは嫌」
 きっと、その意味もあって、噂だけして誰も確認しないのだろう。自分たちは士官候補生とはいえ今はしがない隊付勤務。戦局次第では間違いなく最前線に出なくてはならない。免除の噂もあるが、カノーネはあまり期待しないようにと心に決めた。
 長い廊下を渡り、第二棟へ。あまりこちらには来ないが、自分たちの属している輜重兵科とは違い、歩兵科や騎兵科、要するに直接前線で戦う人間を養成するための場所だ。自分たちほど知識が重要視されているわけではないが、実戦訓練は半端ではない。幾度か運動場で訓練している様を見て、自分はそちらでなくて本当に良かったと感じたものだ。
「第二教官室は、と……ここね」
 軽くノックをする。反応がない。もう一度。やはり反応はなし。そっと押し開けると中は大騒ぎだった。
「……」
 どうやら噂ではないようだ。単なる噂ならここまで教官たちが慌てるはずがない。現役の王国軍人とはいえ、「戦争」にあったことはない。散発的に起こる災害支援と国境の小競り合い程度だ。中には帝国だか共和国だかの傭兵をしていたというつわものもいるし、実際にカノーネが実戦訓練を受けているのもそういった百戦錬磨の人間たちだ。
 直接教室を受け持っている担当教官がいたのでそちらに寄って行く。書類に眼を通しており、比較的邪魔にならなさそうだ。
「あの、教官?」
「……アマルティア君か。どうした……」
 続けようとして頭を振る中年教官。
「いや、ここに来る理由など一つしかないな。噂の件か」
 黙って頷く。
「この様子を見てもらえば大体想像がつくと思うが……今度ばかりは小競り合いで終わらないようだ。帝国側は再三にわたり女王陛下に勧告を送ってきたが……」
「どのような内容でしたの?」
「それは言えん。が、聡明な君の事だ、大体想像はつくだろう。おおむねそのとおりだ」
「……」
 壁を隔てた向こう側には強大な軍事力がある。それを楯にして何がしかの要求を迫ったのだろう。カノーネの沈黙に重々しく頷く教官。
「やはり、そうなのですか!!」
 不意の声に視線をそちらに動かす。自分と同じ生徒のようだ。自分以外に恐れ気もなく、この嵐のような教官室に来ることができるとは。一人、なんとなく心当たりはあった。
 士官学校に入学してから一年近くになる。他の科との交流はあまりない為それほど知らないが、いつのまにか「文のカノーネ」と呼ばれるようになった頃、それの後先に必ず言われる言葉があった。他人のことなどどうでもよく、自分が気に入った勉強ができるなら問題はない為、ほとんど気にかけるような事もなかった。友人がお遊びで覗きに行ったことはあるらしい。
「「武のユリア」?」
 自分と違う点は、模擬実戦の成績が半端でなくいいとか。よくもまああんな訓練に耐えられるものだと、内心呆れ果てていた。ただ、模擬実戦の成績がいいということは、瞬間の判断力はずば抜けているということになる。反面、カノーネが最も得意とする長期状況判断分野では名を聞かない。
「知っているか。歩兵科、君と同じ学年のユリア・シュバルツ君だ」
 所属とちゃんとしたフルネームは今知った。声に出さずに呟く。
「どうして、どうしてそんな……!」
 教官の一人と言い合う姿に視線を送る。短い髪やひょろりとした体は一見男性と勘違いしそうだ。なんとなく近づいてみると、きりっとした表情に意志の強そうな瞳が見える。不安そうに顰められた眉は、多分自分も同じだろうと感じた。
 不意にユリアがこちらを見た。この部屋に似つかわしくないのはどっちもどっちである。不安そうだが迷いはない蒼い眼に威圧される。いや、そんな意図などないだろう。それは、ユリアの顔が多少笑顔になったからだ。
「こんなところで自分と同じ生徒を見たから、ってところかしらね」
 けれど、その威圧された感覚はカノーネの体に残った。気持ちが悪い、が、それにゆだねてもいいような。頭を振った。
「教官、自分たちはどうなるのですか?」
 傍らの指導教官に問い掛ければ、おそらく経験不足を理由に一時帰宅命令が出るはずだとのこと。
「経験不足ったって……実技訓練教官の方々ぐらいしか、戦争などしたことはないのでは?」
 か細い笑みを見せる教官に苛ついて思わず口に出してしまう。
「ああ、君の言うとおりだ。だがな……」
 立ち上がり、カノーネの肩に手を置いた。
「だが、それでも前線に出て、自分の家族を、この国を、暮らしを……守るのが我々だ」
 帝国軍に比べたら当然人員も武装もない。ハーケン付近にはリベールの穀倉地帯があり、そこを抑えられたらもう後がない。あの国に本気で攻めてこられたところは、ごく短期間で制圧されてしまった過去の事例もある。そうやって帝国は領土を広げてきたのだから。
「かの国に比べたら実戦経験はないし、立案できる作戦だって拙いものだろうし、物資もないだろうが……」
 それでもその剣先を相手に向ける。自分たちの暮らしを脅かすものに対して。
「そういうものだ。さあ、そろそろ君は教室に戻りなさい。ばたついているが授業がないとは言っていないぞ」
「……はい」
 凡庸な教官だと思っていた。けれども、その実は違う。大人という人種は、なんと上手く本心を隠しているのだろう。
 退室していると同じように命じられたのか、ユリアもカノーネの隣にならんだ。先程感じた奇妙な感覚が戻ってきた。
「君も不安で聞きに来たのか?」
「……ええ」
「こちらでは見かけないな……第一棟?」
 言葉も出さずに頷く。
「あ、すまない。私は歩兵科……」
「ユリア・シュバルツさんでしょう? 先程わたくしの教官からうかがいました」
 そうか、とすこしうつむく。が、すぐ顔を上げた。
「君は? あの教官と話が普通にできる辺り、かなり覚えも良いんだろうと思うが……」
「輜重兵科第三隊付、カノーネ・アマルティア」
 人懐っこく声をかけてくるユリアに若干吐き捨て気味に伝えた。
「アマルティアさんか。第三隊付とは……相当に優秀な人なんだな」
 納得した、と敬礼をしてくる。
「敬礼なんか止めてちょうだい。今は貴女と同じなんだから」
 同じ生徒に敬礼されるなど居心地が悪くて仕方がない。
「貴女こそ何隊付なの?」
「私は第六隊付だ」
「……自分だって優秀じゃない」
 士官学校に入ったものはまずその適性を調べられ、それぞれ実際に軍隊勤務をすることになる。受け入れる為の隊というのも用意されており、現在は六隊編成されていた。本来ならその隊付期間が終わってからの入学になるのだが、そうなるとどうしても軍の年齢層が上がってきてしまう。それを打破する為に学校へ行きながら軍の仕事もするという状態になった。
 とは言え、兼任している為相当にハードな内容になっている。隊付期間と通学期間を合わせた内容を、通学期間のみでやってしまわなければならないのだ。それゆえ、採用され始めてからどんどんと士官学校を志望するものは減っていった。
「そんなことはない。まぐれだ」
 一番から三番隊は後方支援系、四番から六番は実際にフィールドにでる。どちらも最も数字が大きい部隊が最優秀だ。ひそかに第三隊付であることを誇りに思っているカノーネは、ユリアの言葉にカチンときた。自分たちの上司が吟味に吟味を重ねて振り分けた隊だ。もう少し自信を持っていたっていいではないか。それに、本人に自信がなさそうなのに、あの時威圧されたのは悔しい。
「貴女……こういわれてるの、知らないの? 「文のカノーネ、武のユリア」って」
「……知ってはいるが、そんな大それた人間じゃない……ああ、文のカノーネとは君のことなんだな」
「……」
 自分も気にはしていなかったが、フルネームを名乗ってこの反応をされるとは思わなかった。
「あきれた……それじゃ筆記部門、大変でしょう?」
「ああ……以前よりは大分まともになってきたとは言われるんだが、興味のないことだと特に結びつかなくて。申し訳ない」
「謝る必要なんかないけど」
 そんなことをされたらもっと落ち着かない。以降なるべく話をしないようにと足早に歩く。ユリアのほうも何も言わずついてきた。
 ややあって自分の棟へつながる通路まできた。何も言わずにお互い別の道へ歩き出す。なんとなく後ろを振り返ってみれば背中が少しずつ小さくなっていった。
 真っ直ぐ、嫌になるほど真っ直ぐな軍人の歩き方。自分と同じ制服のはずなのになぜかずいぶんと階級が上の人間に見える。
「……最初、実技のトップが女の子って聞いた時、この学校大丈夫なのかしらとは思ったけど」
 全生徒数の五パーセント程度しか女生徒はいない。しかもそのほとんどは後方支援系の、つまりカノーネが所属する科だ。確かに片手にも満たない人数が歩兵科や騎兵科にいる。よほど物好きだろうと感じたし、自分を引き合わせて考えると、女で実技トップになるなどとは考えられない。
「なるほどね……ああいうのがトップなの」
 妙に納得できる。ほんの僅かだけ長めに見つめ、とりあえず自分の情報を待っている友人たちの元へ急いだ。

 それから一月もたたないうちに生徒全員の帰還命令が正式におりた。もう一度再会を願う、離れた地方から出てきている親友同士を見ながら、現状の酷さに落胆した。
「結局、経験不足なのよ……」
 だからといって、経験が山ほどある軍というのも嫌だ、と考え直した。寮の部屋に置いてある荷物を引っ張り出して庭で伸びをする。真隣が基地の為、何がしかのサイレンが良く聞こえてきた。
「……どうなるのかしら」
「どうだろうね。上の人に任せるしかないよ。いまのあたしたちじゃ、何も出来ない」
「……そうなのかもね」
 友人と二人で荷物の整理。下手をすればもう帰って来れないかもしれないが、不思議と感慨深くはない。むしろほっとしているくらいだ。深夜に突然訓練だといってたたき起こされ、五分で着替えて練武場へ来ないと容赦なく罰が与えられるような生活から逃れられる。
「ところでさ、聞いた?」
「……?」
 意味深に友人が声をかけてくる。首をかしげていると耳打ちしてきた。
「ほら、武のユリア」
「その人が何か?」
「志願したんだって」
「何を」
「伝令でもいいから自分を使ってくれって」
「そう……なんだ」
 確かに納得できる。あのユリアなら絶対に帰還命令に反発する。
「その話聞いたらさ、結構みんな志願はじめちゃったらしいよ。何も出来ないなりに、あたしもしようかな、って思ってる」
「本当?」
「うん……だって、家に戻ったって結局ボースだもん。すぐ戦場になっちゃいそうだし」
 仕方ない、と笑う友。
「とりあえず明日アマルティアさん出るんだよね。部屋にまだ本あったじゃない。あれどうする?」
「……全部は持って帰れないし、また帰ってくるから……」
「そうだね、うん、また会おう」
 別の友人に呼ばれ、そこから離れる背中を見送る。それを見計らったかのように今度は寮監督官が現れた。
「アマルティア君、ここにいたか」
「何か御用でしょうか?」
「いや、用というほどではない。誰が作業しているのかと思ってな」
「……」
「こんなことになって大変だが、君たちがまたここに戻ってきてくれることを願うよ。私も戦死しないようにするさ」
「監督官……私も、志願したほうがいいですか?」
 荷物から視線を外せず問うたので、相手の表情は見えない。
「……したいと思うならすれば良い。確かに君たちは帰還命令がでていて、それでも各地方の詰所からの指示があればすぐ召還される身分だが……」
 何もかも終わった後にサポートできる人間も欲しいのだ。
「この学校に入ってきた以上、リベールという国を愛してくれているのだと思う。だが、だれもが同じ道を行く必要はない。君は戦争を生き残ってもらい、国を建て直すときに手伝って欲しいよ」
「……」
 じゃ、と短く別れの挨拶を行い、歩み去る。あの監督官もれっきとした現役軍人で、今度の戦争に出るのだろう。
 ユリアの話を聞き、帰ろうとしていた自分を責めかかっていたカノーネは、彼の言葉に安心した。自分にできることは争いが終わってからなのだ。
「この国が好きであることは変わらない……そうよね」
 軽く頷いてもう一度荷物整理を始めた。

 戦役後、七割ほどの人員だが生徒たちは復帰し、再会を喜んだ。いなくなった生徒を悼み、地元の復興を優先させた生徒を応援した。戦後処理の課に出向したカノーネは、そこでもう一度寮監督官に出会った。カノーネの存在に気が付くと軽く微笑んでくれた、そんな再会。あのユリアも大怪我をしたと聞くが、一命は取り留めたと聞いてほっとした。次の瞬間には何故気になるのだろうと首を傾げたが。
 そして情報部が作られた時、長に就任した彼の補佐がカノーネになるのは、このとき決まったようなものだった。

Ende


 45678キリ番リクエストの、「ユリアさんとカノーネさんが初めて会った頃のお話」でした。むしろ士官学校とは何ぞやみたいな感じになってます(脂汗)。ユリアさんの士官学校時代は『英雄の翼』で捏造したので、そこよりちょっとだけ時代がさかのぼってカノーネさん視点。彼女視点が楽しくなってきたw 『愛国者たち』だって基本ユリアさん視点だから、女の子書いてるのがやっぱり楽しいんだろうか。というわけで、私の考える初邂逅はこんな感じです。リクエスト、本当にありがとうございました!! そして、お待たせしてしまって申し訳ありませんでした。

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