「ユリアお姉ちゃん、お散歩に行こう」
 勉強の時間が終わると親衛隊の詰め所へクローディアが駆け込んでくる。ユリアがいつもそこか、兵舎にある練武場で訓練をしているのを知っているからだ。
「もう少し、待っていてくださいね」
 その日のユリアは上司から押し付けられた書類仕事をしていた。青い軍装に袖を通してまだ二ヶ月。戦役が終わり、士官学校を卒業して各地方に転属をし、ようやくクローディアに所望されたように親衛隊に属すことになった。
 クローディアを間者から救ったことは一部の人間しか知らず、確かに士官学校では優秀だったが、姫に強く希望されるほどなのか。というのが地方勤務に就いたときの同僚と上司の見解だった。最後、ツァイス勤務の時、初めての上司が所用でレイストンへ来た時に、新人たちをまとめている様子をみてそうつぶやいた。
「いや、今みれば、殿下がお前を気に入ったのはわかるがな。初めて見たときはおどおどしていて、何をこの小娘は間違って軍になど来たのかと思った。なにより、殿下が言うのを振り切って地方勤務しただろう? それがどうにも自分には腑に落ちなくて」
 特にユリアだけに厳しく接したわけではない。戦役中の体験がユリアに影を落としていたために、上官の目にはおどおどと映った。
 実際に訓練してみれば弱音も吐かず怒号にも耐え、仕事を与えれは物覚えはいいし的確にこなしてくる。一度、リベール軍でもっとも過酷と呼ばれる訓練に強制参加させてみたことがあるが、蓋を開けてみれば訓練成績は最もよかった。これは、と思ったときには転属通達が来ていたので、そのときにユリアの真価を見極めることができなかったのだ。
「将官だっていけるんじゃないか?」
「そこまでの器量は自分にはありません。ただ、陛下や殿下をお守りするのみ」
「その固さだけは変わらんのだな」
 指摘され、僅かに顔を赤らめる。昔から言われつづけているがやはりどう対応していいのかよくわからない。自分にはその生き方しか出来ないし、それでいいと思っている。
「不満そうだな。だがそれでいいだろうよ。バカ真っ直ぐな軍人になりゃあいい」
 少し寂しげに上官がつぶやくのだった。

 こっそりと一般兵の目をうかがう二人。グランセル城は湖の上にあるため、城から抜け出すには正面の橋を使わなくてはならない。少し前には裏に小さな船着場があり、そこからボートで出かけていたのだが、階段が崩れかかっていて危ないからと立ち入り禁止にされてしまった。
「きっとおばあ様、知ってたんだよ。わたしたちが外行ってること。だから入れなくしちゃったんだ」
「まさか。あの階段は危険でした。できるなら直していただくか、無理なら完全に取り壊して欲しいくらいです」
「……もしかしてお姉ちゃんが言った?」
「とんでもない」
 偶々酔っ払った兵がそこから湖に落ちたのだ。それまで女王は気にはしていたものの、特に害は無いならと放置していた。けれど事故が起きてしまったのだ。たいした怪我もなく、むしろしこたま水を飲んで酔いが醒めたくらいなのだが、危ないことには変わりは無いと指令をだした。幸いにして隠してあったボートには誰も気がつかず、今でもゆらゆらと湖面に揺れているだろう。
「できれば外に出るのも控えていただきたいところですが……」
 王太子を事故で失っている今、クローディアが第一の継承位にいる。現在はまだ後継指名はされていないものの、ユリアはきっとクローディアが後継になると確信していた。
 けれど、彼女はまだ幼い。自身もそうだったのだが、家の中でじっとしているよりも外に出たいときがあるものだ。外に出るといっても王都のデパートくらいまで。それぐらいなら、と目をつぶっている。
「……陛下にも頼まれていますし……」
 内密に呼び出されたその日。確かに女王は言ったのだ、クローディアを頼みます、と。
「孫娘の行動くらいお見通し、か」
 口の中でつぶやく。どんなことがあっても傷つくようなことがあってはならない、と少女の背中を眺めながら頷いた。
「今日はどこに?」
「あのね、美味しいアイスクリーム屋さんがあるの。だから」
「わかりました、デパートですね」
 ユリア自身も一度食べてみたいと思っていた。せっかくなので、と商業区へ足を向ける。近づくにつれてにぎやかになってきた。
「今日、お祭り?」
「違いますよ、いつもこんな調子です」
 王城付近は騒ぎ禁止という暗黙の了解のおかげで基本的に静かである。そんな環境で育った少女には、何度見ても商業区の賑やかさがものめずらしかった。対してユリアはもともと王都出身である。クローディアくらいの年のころには友達と王都中を駆け回った。デパートなどまだ出来ておらず、あちこちに露天商がいて、小さな建物の中で何軒もの店が売り口上を垂れ流していたものだ。そのころから比べれば今の喧騒などたいしたものではなかった。
「あ、あそこだね。わたしが買いに行って来る! お姉ちゃんは……そこに座ってて!」
 クローディアが目的の店を見つけて駆けていった。座ってて、といわれた以上ついていくわけにもいかないユリアは、店の様子がよく見える位置で、いつでも駆けつけられるよう立つ。
「……ピュイ……」
 どこからともなく小さな声が聞こえてきた。人間のものではない。
「魔獣か!」
 とっさに身を沈め剣の柄に手をかける。気配を探るも周りが賑やか過ぎてわからない。そのときもう一度、小さな声が聞こえてきた。
「ピュ……」
 後方の茂みからだ。かき分けてみれば鳥が横たわっていた。
「……白い……鳥?」
 少なくとも魔獣ではなさそうだ。風切り羽が折られて近くに落ちている。
「酷いことを……心ないものもいるものだ」
 それこそ魔獣に襲われたのかもしれない、と風切り羽を手に取った。次いでオーブメントを起動し、柔らかい蒼を照射する。少しは元気になっただろうか。
「お姉ちゃーん、どこー?」
 背後からクローディアが呼ぶ声が聞こえる。
「こちらです!」
 手を上げると、両手にアイスクリームを持った少女が歩いてきた。コーンの上にたっぷりと美味しそうなクリームが乗っており、おっかなびっくり歩いてくる様子がほほえましい。
「はい」
「ありがとうございます」
 受け取り、一口なめれば甘すぎない冷たさが口に広がった。
「確かに、美味しいですね」
「うん! おばあ様にも教えてあげよう!」
 満面の笑顔の頬にクリームをつけている様子に心が温かくなる。そして、きちんと守らなければならない、と改めて誓うのだった。
「で、何してたの? それ何?」
 アイスを持っていない手には先ほどの羽。
「鳥が……簡単には治療をいたしましたが、後で獣医のところに連れて行こうと思います」
「……鳥さんかわいそう」
「この鳥はまだ生きている。生きようとしているから」
 生きようとあがく様。昔からそれには弱かったが、戦役を経てそれが顕著に出ていると自分で思う。あまり感情移入することはよくないと侍医に言われたことがある。
「さて、そろそろ姫様は戻らなくては。午後のお勉強の時間ですよ。戻らないと、怖い顔をしたヒルダ夫人に会ってしまいますよ」
「うーっ……」
 少女はなおも鳥が気になるようで、ユリアがそっと鳥を抱き上げる様を眺めていた。
「ほら、城まで送りますから。そんな顔をなさらずに」
「……わかった」
 不承不承帰路についた。

 クローディアが城に入ったのを確認し、きびすを返して城下に戻る。自分の家近辺に腕のいい獣医が住んでいたはずだ。
「自由時間でよかった。そうでないと大目玉だったろう」
 流石に自分の勤務時間をつぶしてクローディアと外出しているわけではなく、三日に一度回ってくる非番時間を当てていた。今日はまだ時間がある。
「先生、いますか?」
 古い戸を開けると動物の鳴き声がユリアを迎えた。
「なんだいユリア君」
 檻の間から出てきた男は傷だらけだ。
「……どうしたんですか」
「いや、ちょっと新しい患者さんが気性が荒くてね。レイストンで飼われてる子だっていうんだが、環境に左右されるんだろうか」
 治療台の上には子猫がうずくまっている。
「で、そちらも急患だね」
「ええ……風切り羽が。一応簡易には治療しているのですが、なにぶん人間に特化しているアーツですので……」
「羽はそのうちまた生えてくるだろう。問題は体の方だが……しばらく預かるよ。かなりかかりそうだ」
「お願いします……」
 そうやって預けてから、非番の時や外回り巡回のときに獣医のところに顔をだした。相当酷い目にあったのか、医者ですら毛嫌いしている様子に悲しくなる。医者が治療のために手を出してもすぐに鋭いくちばしでつついてくるのだ。
「いたた……またつつかれたよ。ここまでぼくが嫌われるのも滅多に無いから、ちょっとショックだ」
「すいません先生……」
 謝りながらユリアも手を出す。
「おい、危ないよ。素人さんは……え」
「あ……」
 手袋を外して伸ばした指に頬擦りをしてくる。それまでの険悪な態度などどこへやら。
「現金なやつだ。女の子には懐くのか。サガってのは種別超えても変わらんもんなのかな」
「そうなのですか?」
「ああ、オスだ。こりゃまた見事な懐きようで。ユリア君が治療するかい?」
「自分にはそんな知識は……」
 違うんだな、と獣医は指を顔の前で振った。
「もうこいつ、体の傷はほとんど治ってる。後は羽が生えてくるのを待つだけだ。多分飛ぶのを怖がるだろうから、それをとってやる作業が残っている」
 そのためには懐かれないといけないのに、全然懐く気配がないので少々困っていると頭を掻く。ユリアは聡明そうな鳥の目を眺めた。
 野に放すも自分で飼うも、まず飛ばせてやらなければいけない。だが、傷ついた体も心も、空を飛ぶことを恐れてしまっている。呼吸するように何気なくできるはずのことを。
「お前は、飛びたいか?」
「ピュイ」
 返事をしたのかどうなのか、ただ、寂しそうに鳥の目は揺らめいていた。
「……先生、自分にこの子を預けてもらえますか?」
「構わんよ。でもどうするつもりだい?」
「時間を見つけて顔を出すようにします」
「了解。他のことはぼくがしよう。飛ばせてやってくれ、こいつをもう一度」
 さぞ優雅に飛ぶだろうよ、と獣医は目を閉じた。
 それから空いた時間を見つけては獣医のところに通い、檻から外に出してみたり、こっそりと外に連れて行ってみたり。名づけた方がいいだろう、という獣医のアドバイスに従い、ジークと名づけられた鳥はユリアとともにあった。少しずつ恐れる様子を無くしていくのを見、自分でも何かを立ち直らせることができるのだと思った。その代わり仕事が少し浮つき気味なることもあれば、クローディアとの秘密の外出も回数が減った。
 クローディアをここに連れてきてもよかったのだが、まだジークからは人に対する恐怖心が抜けきれていない。大怪我をさせてしまったら大変なことになってしまう。
「ここまで人を嫌うってことは、やっぱり人にやられたんだろうなぁ」
 獣医の小さな呟きがユリアに刺さった。急に人でいることが恥ずかしくなってくる。
「すまないジーク。だが、そんな人ばかりではないんだよ」
 頭を撫でてやると一声鳴いた。

「クローディア様、今日は見せたいものがあります」
「……何?」
 しばらくユリアが遊んでくれなかったので、今日のクローディアはユリアに少し意地悪な態度だった。問いかけにも頬を膨らませたまま応えなかったり、応えてもぶっきらぼうな返事だったり。そんなクローディアにめげず、女はあれこれと声をかけてきた。何かよっぽどいいことがあったんだろうな、とは思うが、不機嫌な少女にはそれすらいらだちの原因だ。
 ついてきてください、と手をとられ、歩き出す方向はいつもの商業区ではない。
「えっ?」
 警備兵の様子をうかがって出て行った先は周遊道。離宮の屋根が見えた。それでもユリアの歩みは止まらない。クローディアに合わせてある歩調ではあるが、心なしか急いでいる気がする。やがて七耀石の一つをあしらった石碑広場までやってきた。
「そこに座っておいてくださいね」
 少女を座らせ、自分は空を仰ぐ。ピィーッ、と鮮烈な指笛の音が響いた。
「?」
 なんのまじないなんだろう、と首をかしげていると、空からザザザっと音が降ってきた。驚いて目を閉じ頭を抱えるが、ユリアの声で目を開けた。
「驚かせては駄目だ。この方は大事な方なのだから」
 女の肩に一羽の白い鳥が止まっている。広げた羽は雄雄しく、隣にあるユリアの頭など軽く包み込めそうだ。
「その、鳥さんは」
「覚えていらっしゃいますか?」
「もしかして、あのときの?」
 頷く。
「ようやく、外に出ても人を見境無しに襲ったりしなくなりました」
 嬉しそうに言うユリア。最近遊んでくれなかったのはこのせいか、となんとなく納得する。けれど、遊べずに不満だった日々をすぐ思い出す。
「わたしほっといて、鳥さんと遊んでたんだ」
「すいません姫様。ほら、お前からも謝るんだ」
「ピュイ……」
 ユリアの声に申し訳なさそうに羽を広げた。
「え、言葉わかるの?」
 当然だというように飛び上がり、クローディアの周囲を旋回する。ユリアが呼べばまたその肩に戻ってきた。
「かなり頭はよいようです。けれど、傷ついたときのことが思い出されるのか、時々他の人に対して非常に攻撃的で……今も不安なので、このようなところまで姫様を連れ出してしまうことになりました」
 すいません、と頭を下げる。
「飼う気はなく、野に放すまで、と思っていたのですが……。どうも自分が離れられなくなりまして」
 憎めない瞳と白い体にクローディアは釘付けだ。
「ねえお姉ちゃん……お名前は?」
「ジークです」
「……」
 体を椅子から立ち上がらせ、ユリアの肩にとまるジークに手を伸ばす。一瞬止めようかと思ったユリアだが、真剣なクローディアの顔を見てやめた。ジークはじっとしている。
「ジー……ク」
 そっと伸ばす手に羽毛が触れた。思っていたよりもしっかりしている感触。暖かい体を感じることができる。
「……ジーク!」
 呼ばれたジークは嬉しそうに一声鳴く。ユリアも内心ほっとした。クローディアは間近に見る動物に興奮していた。王城では生き物を飼っていないので、ここまで近くにいることが信じられない。
 ジークが体を動かして、クローディアの手に擦り寄る。くすぐったく、自然と笑いがこぼれた。そのままジークは空に舞い、ゆっくりとクローディアの傍に降りてきた。ユリアが肩を出すまねをするのを真似てみればそこに降りてくる。肩になにかが乗る重さを感じながら、少女は目の横にいる鳥をまじまじと眺めた。
「どうやら姫様を気に入ったようです」
 にこにこと眺めるユリアと、肩にいるジークを交互に眺め、うん、と笑った。先ほどまでの不機嫌さはどこへやら、満面の笑顔を見せながら。

 そして、親衛隊の面々に新しい面子が加わった。常にユリアの肩に居り、時に女王やクローディアの傍にいるその様子はグランセル城の名物にもなった。やがてクローディアが学園に入る時にお供としてついていき、国中を揺るがす事件にまで顔をだすことになるのだが、それはまた別のお話。


Ende


 結構以前から途中でほったらかしておいてました。初参加インテが終わったくらいにはネタだしてたと思う。決して忘れたわけでは(説得力がない)。ジーク、ユリアさん、クローゼ巴戦もしくはクローゼとジークのユリアさん争奪戦(違うわ)。
 今はもうジークの飼い主はクローゼと思われそうですが(実際私も思ってた)、ユリアさんの傍で羽を広げてるジークが非常に様になるのでやっぱり飼い主はユリアさんがいい。

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