「賭けを、してみないか?」
 私室に呼んでいつものようにチェスをしている昼下がり。急に曇ってきた天気に、少し肌寒いかもしれないと思うテラス。先ほどまで梢で囀っていた鳥の声など、もうとうに消えている。一雨くるかな、と頭の端で思いながら、口からでたのはぜんぜん違う言葉だった。
 あまりにも脈絡のない突然の言葉で、目の前にいる親友の顔には驚きがまともに出ている。その隙を突いて少し自分のコマを動かす。
「なんだ、やぶから棒に」
「賭け、さ」
 同じ言葉を繰り返せばミュラーの機嫌が悪くなるのがわかる。が、それも面白いのでながめたまま。
 大体、士官の癖に顔に表情が出やすいのだ。皇子派のため現状ではそれ以上の昇進は望めないだろうが、うまくすれば将官クラスも可能かもしれないのに。
「ダメだなあ。そんなに表情を顔に出すなんて」
「それと、さっきからの「賭け」となんの関係がある!」
 どうせからかっているだけなのだろう、そう目が問うている。
「なんだ、わかってるじゃないか。からかってるだけ」
 いいながらまたこそりとポーンを動かす。
「……いいかげんに慣れたといえば慣れたが……」
 眉間に皺を寄せてため息をひとつ。そんな様子をなんとなく眺める。別に何か意味があっていったわけではない。ただ、黙り込んで次の一手を考えているミュラーに何か話し掛けてみたかっただけだ。それだけだ。と、思いながらも、心のどこかで焦っていた。
「……で、「賭け」とは?」
「うーん」
 なんと答えようか。この昔からの友の前では、どうもポロリポロリと言葉が落ちていく。何も考えず、ただ心で感じたことがそのまま口をついて出ていることが多い。だから、その「賭け」も何か自分が引っかかっていることだ。そこまではわかる。
 なんでもない、と言ってしまえと口を開くが、結局できずに、ミュラーから視線をはずして頬杖をついた。そんな様子に何か感じることがあったのだろうか、友は肩を回してからチェス盤を眺めた。
「これじゃあ、ミュラーのことは言えないや」
 何の事はない、自分も感情がすぐ表に出てきているではないか。余計な思考が邪魔をして、自分が発した「賭け」の真意を測れない。そうこうしているうちに、顔に水が当たった。周りを見るとどんどんと濃い模様が出来ていっている。それらは繋がり、辺りはすぐさま大粒の雨に洗われ始めた。テラスで差し向かっていた二人は慌てて室内に戻る。
「ああびっくりした。いきなりだったねぇ……って、チェス盤まで持ってきたのかい?」
「あのまま置いておくわけにもいかんだろう」
「そりゃまあそうだけど。ご丁寧に置いてるコマもそのままか」
 劣勢だった自分の手を思い出す。ちょこちょことごまかしていたが、いずれ押し切られるのはわかっていた。
「いっそボクがキミに倒れかかってみて、そのコマ全部バラバラにしちゃおう!」
 半分本気、半分冗談で笑うと、ミュラーは肩を竦めただけだった。
 窓が鳴るほどの雷。陽気な午後だったはずがもう夕方のような暗さだ。雨の音を聞くため開けっ放しの大戸に近づく。寄りかかって目を閉じる。
 賭け。どういう意味なのか。最近の心配事をいろいろ思い出してみる。
「……」
 ひとつ、一番の心配事はある。だがこれは悩んで悩んで、悩み抜いた末に決めたことだ。今更ミュラーの言葉ひとつでどうこうなるほど緩やかな代物ではない。
 だが、聞いていなかった。幼い時に出会ってからずっと付かず離れずでやってきた親友の意見を。その後味の悪さが思考に広がってきた。
 強烈な閃光が走り、ほぼ直後轟音があたりに響く。
「どこか近くに落ちたか」
「……かもね」
 座ってオリビエの様子を見ていたミュラーが立ち上がり、こちらも大戸に近づく。
「こちらからでは見えんな。何の被害もなければいいが」
 腕組みをしながらいまだにやむ気配を見せない雨を眺め始めた。
「……」
「……」
 一人で決断したことには後悔はない。いつだって決断は一人で下すものだ。そう、決断したことを告げた時も、驚いてはいたが何も言わなかったではないか。
 そうか。
 あの時何も言わなかったから、今不安なのだ。ようやく「賭け」に載せようとした思いを見つけた。
「さっきの「賭け」」
「む?」
「この間、話したよね?」
「……この国を変えてやる、というやつか?」
「それそれ。……ミュラー、賭けをしよう。ボクがこの国を変えられるか否か」
 聞きたかったのは本当の反応。幼いころからのよしみで、あの時何も言わなかったのかもしれない。本当は、本当は。
「……貴様はどちらにかけるんだ?」
「ボクはもちろん成功する、さ」
「だろうな。なら、賭けなぞ成立せん」
「……」
 一瞬言葉の裏を読めなくて反応が鈍る。何も驚いてませんよ、と装いながらちらりとミュラーをみれど、別に何か気負っている風ではない。
「そんな賭けなぞ俺にふる暇があるなら、さっさとリベール行きの準備でもしたらどうだ。例の<剣聖>に会いに行くのだろう?」
「……そうだねぇ。賭けは、宰相閣下に振るべきだったね」
「まったくだ」
 肩を竦めながらもにやりと笑ってくる親友。応じていつものように大仰に、でも自信たっぷりに笑い返す。
「キミだって駐在するじゃないか。そっちの準備はどうなんだい?」
「俺はもうほとんど終わっている。あとは貴様がさっさと辞令をだすだけだ」
「うー。書類仕事は嫌いだ」
「それはそれで構わんが、そうなると俺はリベールには行かなくてもいいということだな。部下どもが怠けるからその方がいいのだが」
「ミュラーさんヒドイ」
 泣きまねをするが、この方法は今までに何十回と使ってきたのだ、そう期待通りの反応が来るわけではない。それはわかっているのですぐに止めて、もはや先ほどまで座っていたテラスの椅子すら見えない外に視線を向けた。
 稲光に顔を照らされながら、己はまだまだだと思い知らされた。すぐ近くの友に不安を感じるほど、まだ矮小だ。今度の一件がうまくいけば、もう後戻りは出来なくなる。まだ逃げられる。矮小なら矮小らしく逃げてしまえ。
「ふう……じゃ、せっかくだから続き、しようか。外は雨で、結局部屋で二人差し向かいなんて。なんだかとてもステキなシチュエーションじゃないかな」
 囁きかけてくる何かを振り払って、明るくミュラーに向き直った。その表情を伺えば、先ほどまでのオリビエの葛藤など見抜いている、と言っているようだ。
「くだらんことばかり抜かすな。が、続きは賛成だ」
 先ほど机の上に置いたチェス盤のところへ。
「じゃ、始めよう」
「ちょっと待て」
 乗り気だったはずの親友はオリビエを静止した。
「……何?」
「貴様が勝手に動かしたコマを元に戻してからだ」
 口元には笑みをたたえたまま、だが視線には少しだけ怒りをこめて。
「ばれてた?」
「何回同じような手でごまかされたか」
「うーん、じゃあ今度また新しい手を考えるよ」
「もう構わんからまともに当たる、という手段はないのか」
「それは最後の手段さ」
「……もういい」
 やれやれと伸びをし、不正に動かされたコマが戻ったのを確認して盤に向き直り、真剣な表情になった。つられてオリビエも自分に劣勢な戦局を打破する為に思索に入る。

 結局、この日はミュラーに押し切られたという。



Ende


 2007年1月インテに出す本に入れる……予定でしたが諸々の理由により入れられなくて、55お題にも転用不可の内容なので短いですがここに放り込んでおきます。B5二段組フォーマットで5ページぐらい欲しかったのでこの長さです。一番帝国らしい話のはずなのにそれが切られて割烹着がはいるあたりに何かネタ臭を感じる。

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