ハーケン門の北側にアルセイユを着陸させる。ここは帝国領だ。艦橋で指揮をとるユリアに複雑な思いが去来する。現在艦橋にいる人間は自分をいれて五人。うち、自分とラッセル博士以外は百日戦役以後に兵役についたもので、それほど帝国に対して遺恨はない。だが、ラッセル博士は、自分の家とも言うべき中央工房を占領され、ユリアも当時前線を駆け抜けていた。
「……さて、どうなるか」
「なに、カシウスのことだ。うまくやるだろうよ」
「そう、ですね」
 船底の工房に用事があるとラッセルは艦橋を出て行く。ユリアは椅子に身を沈め目を閉じた。



 どんよりと厚い雲が覆っている。あちこちの火災の光が雲に映り、気持ちの悪い赤黒い夜だった。強襲をうけ占領された基地の一つにユリアはいた。兵からの暴行を受け、立ち上がれないとばかりに放り込まれた部屋で横たわっていた。
「おい、おい」
 近くへ同朋がよってくる。見張りを伺いながらそっとユリアに声をかけた。
「動けるか」
「ああ」
 本当に立ち上がれないわけではない。機を見ているだけだ。
「……あんたに頼むのは酷だが、あんたしか通れないんだ」
「わかっている」
 もともと自分たちの基地だ。建物の抜け穴は承知している。いま虜にされている部屋にもある。ただ、襲撃時の爆破で入り口が半分埋まってしまった。見つからないように修繕して、辛うじてユリアが通れるぐらいの穴は確保できた。
 士官学校に在籍する身だがどうしようもなくなって志願した。伝令として戦場を駆け抜けていたが、帝国の強襲に巻き込まれたのだった。
「これをもっていけ。身は守れるな?」
「ああ。頂いていく」
 同朋は隠してあった長剣と、自分の護身用短剣を渡す。ユリアは起き上がり、手早く身に付けた。
「今晩が勝負だ。あんたがいなくなったことに気が付かれたらお仕舞いだ」
「承知」
「武運を」
「そちらも」
 別の捕虜が、部屋の片隅に積まれていた荷物をよける。隠されていた入り口が現れ、ユリアは音を立てないようにその闇へ身を沈めていった。完全に消えるとまた荷物を上に載せた。
「……たのんだぜ、お嬢ちゃん」
「畜生、帝国のヤツら……っ!」
「落ち着け。今に巻き返してくれる。あの子を信じてやろうじゃないか」
 年かさの捕虜はそっと目を閉じた。ユリアが帝国兵にどんな目にあったか、想像は簡単にできる。この部屋へ戻されてきた時は何もかも失ったように生気がなかった。だが、剣を携えて降りていった彼女は、自棄な印象も受けたものの使命感に溢れていた。
「死ぬなよ。いい女になるだろうからな」
 それっきり、捕虜たちは黙った。

 建物から少し離れた茂みにユリアはいた。正規のルートはたどれない。アーネンベルクの一部が見えていた。
「セントハイムには……無理か」
 ツァイスはとっくに占領されている。グランセルに戻るのが一番だが、ユリアたちのいた基地が襲撃され、セントハイム門に対しての襲撃準備がされている。不用意に近づけない。
「……泳ぐか」
 そろそろ夏とはいえ、まだ水泳には早い。しかし決断は早かった。湖まで走る。湖面まではそれほど遠くない。躊躇いもせず飛び込んだ。
 顔を半分だし、王都の方へ向かう。とにかくアーネンベルクを超えればまだ安心だ。上官も見つかるだろう。じわりと体温を奪われながらも必死で泳いだ。
 グランセル領内へはいり、上がれそうな入り江を見つけた。着ていた服を脱いで絞り、簡単に頭をふく。まだそれほど時間は経っていない。もう一度服を着、息を整え、また駈けた。
「……」
「……!」
 見慣れない集団がはるかに見える。
「何者だ?」
 嫌な気配。自分の存在を気取られぬよう近づく。どうも4、5人の集団のようだ。その中に幼い少女が見えた。
「あれは……」
 姿絵でしか見たことはないが、現女王の孫娘、クローディアだ。意識を失っている様子はないが、猿轡をされ後ろ手に縛られている。それを悟った瞬間、渡されていた剣を引き抜き駆け出した。クローディアを捕らえていた男の一人が後ろから袈裟切りにされる。一番近くにいた男を返す刃で切り、クローディアを胸に抱きしめた。
「クローディア様! いま少し、不自由ご容赦を!」
 そのまま抱き上げ、王城へ向かって走った。残された男たちが追ってくる。小さな刃物が後ろから飛んできてユリアの背中を、足を傷つけた。けれどその動きを止めるまでには至らない。
「ちっ!」
 舌打ち一つ。懐から何かを取り出し、彼女に向かって投げつけた。
「!」
 腕の中でクローディアがなにか警告するように動く。見れば爆弾が自分に向かって投げられていた。咄嗟に道から外れ茂みに飛び込む。直後、それまでユリアがいた場所で炸裂した。それは普通の爆弾ではない。辺りに高温の油脂が飛び散り、その油脂がついたところはすぐさま燃え始めた。爆弾自身の直撃は免れたが、その爆弾は焼夷弾だった。
 散った油脂がユリアの体に付く。燃え始めた衣服。クローディアにだけは。腕から少女を放し茂みの中で転がる。が、男たちが再びクローディアを手に入れようと近づいてきていた。剣を支えに立ち上がり、今だ燃える服をまとったままユリアは突進をかけた。
 もはや体の痛みは感じない。濡れていた体も、火のせいで乾いた。追っ手は二人。煙に紛れ脇から飛び出す。数合渡り合い、やがて金属音は聞こえなくなった。
「……」
 クローディアは茂みの奥でずっと聞いていた。そして、金属音が聞こえなくなる。声はあげない。あげてもまだ猿轡はされたままだ。幼いながら王者の貫禄をすでにもつ少女は、じっと成り行きを見守っていた。
 茂みが揺れた。剣を杖代わりにしたユリアが現れた。服に燃え移った火は消えているが、肌を焼いたのか酷い臭いがしている。ゆっくりとクローディアに近寄り、護身用の短剣を引き抜いて猿轡と縛られていた縄を切る。
「クローディア様。至らぬばかりに、そのような姿のままで……もう少し、もう少し。走ることは、できますか?」
「……うん」
「では、いきましょう。王城は、すぐそこです」
 手をつないで走った。クローディアの走る速度は知れているし、ユリアも大火傷を負い、末端の感覚などすでに飛んでいる。だが、幸いにもそれ以上襲撃をうけることなく王都へたどり着いた。
「何事だ!!」
 見張り兵がユリアとクローディアを見つけてよってきた。
「この方を……安全な、所へ」
 クローディアの背を押し、膝をつく。
「おいっ、お前はどこの所属だ!」
「……ツァイス地方第二分隊から伝令です……第二分隊、帝国兵の、強襲を受ける。基地は占領、死傷者三名。残りは捕虜。戦う意思有り。……上官に伝え……お願い……」
「第二分隊が!?」
 とたんにあわただしくなる周囲の喧騒をよそに、ユリアは意識を閉じた。

 掌に暖かい感触をうけ、目を覚ます。周りをみると見覚えのない部屋だ。暖かさのもとに目をやると、少女が泣き明かした様子でユリアの寝台に寄りかかって眠っていた。
「……クローディア様」
 城から連れ出され、自分といた間に一筋の涙も流さなかった少女が、こんなところで泣いている。一介の伝令にしか過ぎない自分に対して、涙を流している。
「私は、まだ」
 生きられる。この人の為に。
「こちらです」
 医者の固い声を聞いて戸に顔を向けると、アリシア女王が立っていた。ユリアはやはり姿絵でしか見たことがなく、文字通りの雲の上の存在だと思っていた。なので、起きたクローディアがおばあちゃん、と駆け寄るまで、誰かわからなかった。
「へ、陛下!」
 慌てて寝台から降りようとするところを止められた。
「そのままで、いてくださいな」
「しかし」
「おねえちゃん、まだじっとしてなきゃ」
 アリシアの影からクローディアが顔をだした。
「クローディア様」
「話は聞きました。この子の為に……本当に、感謝します。そして、本当に……お疲れ様です……」
「!」
 アリシアがユリアに近寄り、そっと抱きしめたのだった。第二分隊はなんとか無事に開放でき、その際ユリアがどういう目にあったのか報告を受けている。同じ女として、耐えようもない屈辱を越えて使命を果たしたユリアにどう声をかければいいのか、アリシアは悩んだ末に行動した。
「陛下……陛下!」
 暖かい腕に包まれ、大声で泣き出したユリアを誰も責めなかった。


「……」
 合図を待ちながら十年前を思い出す。良い思い出ではないが、大切な思い出だ。そのときからユリアはクローゼの護衛として共に生きてきた。あの時、捕虜になった仲間は、戦役後に退役している。今でもユリアのことを覚えており、顔をだすと可愛がってくれる。
「ユリアさん。行きましょう、あの空中庭園へ」
 艦橋にクローゼが入って来るなりそう告げた。十年前と一瞬重なる。
「殿下……」
「やっほーユリアさん。またアルセイユにお世話になるね」
「エステル……もうちょっとこう……いや、なんでもない」
「ほらほら邪魔邪魔。まだ後ろつかえてるんだから」
 エステル、ヨシュア、シェラザードらが続いて入って来た。顔なじみの遊撃士の面々と、ティータにケビン、リベール通信社の記者二人。そして、オリビエともう一人知らない顔。服装からすると明らかに帝国軍だ。眉を顰める。
「……申し訳ないが、そちらは」
「ああユリア君。ドラゴン騒ぎ以来だねぇ。また会えて光栄だよ。うんうん、いいねぇ。シェラ君とはまた違ったタイプの強く麗しい女性だ」
 誰何を問おうとしたらオリビエがユリアの前にでてきた。その手をとり、甲に口付けをしようとしたところ、後ろから手が伸びてきた。
「キュウっ」
 首が絞まり、目を白黒させるオリビエ。
「頼むからこれ以上、帝国の恥をさらしてくれるな」
 言っても聞かないだろうとわかっていても言わずにはいられない。そんな様子で襟を掴む男。
「げほっ。やだなあ。ボクは博愛主義なのさ。美しい人への礼儀というか」
「……」
 頭を抱える。そんな一連の寸劇を、一同は呆れて見ていた。
「ああ、紹介が遅れてすまない。こっちはミュラーっていう、まぁ見たまんまの無骨な帝国人だ。だけどこう見えてもなかなか熱い彼でね、ボクと幾度もアツぅい夜を過ごしたのさっ」
「……オリビエ」
「いやん、怒っちゃダメよ。怒ったってボクをもてあそんだあの夜は消えないんだからっ」
「今、限りない殺意が貴様に対してあふれ出ようとしているのだが、とりあえず甲板に吊り下げれば収まる気がする。構わんな?」
「ゴメンナサイ」
「謝るぐらいなら言うな」
 頭を振りながらユリアに向かう。
「自分は帝国軍の少佐、ミュラー・ヴァンダールだ。この男を野放しにし、リベールの方に迷惑をかけるのが忍びない為こうしてここにいる。乗船の許可を願いたい」
 もともと乗る気はなかったが、シェラザードとジンとアガットに説得されたのだ。自分たちだけでオリビエをおとなしくさせるのは限界がある、と。
「大変失礼いたしました。自分は親衛隊中隊長ユリア・シュバルツ大尉。至らぬながらアルセイユの艦長も務めております。もちろん乗船して頂いて結構です」
 敬礼を返す。
「こらこら、すぐ出発するのではなかったんかい?」
 ラッセルが脇を通りながら呟いていく。そうだった、とユリアは自分の席へ戻った。
「おい大尉さん。一箇所席空いてるが、あれはなんだ?」
 ジンが向かって右端の空席を指す。
「砲手の席だ。だが現在、この船に砲手は乗っていないのでな。先の騒動で負傷したのだ」
 オーブメントが使えなくなったことで人里に容赦なく魔獣が襲撃してきた。その退治の際、深手を負ったのだ。
「じゃあ、結社に攻撃された時どうする気だ?」
 アガットが尋ねる。
「逃げ切ってみせる。この船は、足が速いのが自慢だ」
「ならば自分が砲手を務めよう」
 黙って聞いていたミュラーが口を開いた。
「何、少しは覚えがある。何もないよりいいだろう。それに、何もせずこの船に乗るより、必要とされて乗るほうがいい」
「ボクが保証するよ」
「……お願いいたします」
 一瞬躊躇ったが戦力がほしい。結社の攻撃から逃げ切れればそれでいいが、世の中はそう上手くはいかない。
「ラッセル博士。一通りの操作方法を」
「わかった。ティータ、しばらくここを見ておいてくれ」
「うん」
 作業を孫娘に任せ、席についたミュラーにあれこれ教え始める。ユリアは席の通信回路を開く。
「艦橋から機関室へ。機関長、動けるか」
(あいはい、こちらエンジンの間。かわいこちゃんは博士のおかげでご機嫌ですぜ)
「まもなく浮上する。起動に待機せよ」
(あいよぉ、よっしゃ、麗しの艦長からオーダー入ったぜ!オーバルエンジン起動に待機!)
「機関長、冗談はいらんぞ」
(なにを仰る艦長殿。冗談も言えなくなったらお仕舞いよ。アンタの言うところにいけるようエンジンちゃんのご機嫌は取るから、少々はお目こぼし頼むぜ)
 機関室の技術者が笑っているのか、通信の向こうでざわざわしている。
(艦長殿。俺ら、アンタのこと好きだし信じてる。たのむぜ。もう一度、リベールの土を踏ませてくれよ)
「わかった。約束しよう。必ずだ」
(よっしゃぁっ!)
 スピーカーから技術者たちの声が響く。あまりに大きい音のためバリバリと音が割れた。とりあえず一旦通信を切る。
「状況は」
「滑走には十分です、マム」
 目の前に広がる平原。先ほど水上から浮上した時のことを思い出す。
「おそらく通常より浮上の衝撃は大きい。念のため、椅子に座っていない人間はその場にかがんでくれ。立っているよりは安全だ」
 エステルたちにそう告げ、浮上の為の手続きを開始した。そっとクローゼが隣に立つ。
「殿下。椅子がなくて申し訳ないですが、今しばらくおすわりください」
「いいえ、大丈夫です」
「……」
 ユリアの肩に手をおき微笑むクローゼ。わかったというように、ユリアも微笑む。その様子を見てオリビエが茶化しにかかろうとしたが、寸でのところでシェラザードとケビンに取り押さえられていた。
 そんなちょっとした騒ぎはあったが滞りなく準備は進む。
「よし。ただ今よりアルセイユ、浮上に入る。機関室!」
(いつでもイけるぜぇ!)
「浮上後直ちに第二戦速まで加速! 総員、衝撃に備えよ!」
「イエス、マム!」
「オーバルエンジン起動! アルセイユ、浮上!」
 凛としたユリアの声と同時にエンジンが動く。最後の地へ向かい、白い翼は軽やかに舞い上がった。その身に希望を乗せて。

Ende


 物事にはじまりありき。クローゼとの出会いと、ミュラーさんと初顔合わせで。多分ここが初顔……だったよな……(調べろ)。終章始まってなんでミュラーさん乗ってるんだろうとは思ったんですね。オリビエ一人だけ他国の船に乗せるわけにはいかないというのはわかるのですが、それよりこっちの理由の方がらしい気がします(笑)。三人がかりで泣き落とし(爆)。
 クローゼは、2006年4月現在でほとんど絵に描いたことないんですが、妙にお話には絡んできてます。何故じゃ。そしてそれ以上にオリジナルなキャラが動き回るのが私の話の特徴かと。本来はオリジナル書きだしねー。この話では機関長が好きさ。『der Mondschein』ではフライハイト侍従長。
 アルセイユはとりあえず固定翼機のつもりで書いてます。各空港に滑走路っぽいのがあるからですが……どうなんだよ……。
 ちなみにhtmlにするまでアーネンベルクをアーネンエルベと書いとりました。ゼノギゼノギ(苦笑)。

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