オリビエが封印石から復活したのはいいが、それまで平和だった待機時間が地獄の忙しさを誇るようになってしまった。今回特に標的になっているのが、初顔のリース。
「清楚で可憐で美しきシスターであり、強さと意思と秘密を持った騎士! ボクの心はキミに捧げるよ」
「……結構です……」
 小さく断る声も聞こえていない。そのまま戯言が延々と続く。その声に耐え切れなくなり拳を振り上げようとすれば、今度はこちらに擦り寄って来る始末。
 やはりキミはボクのことが、離れてはもう生きていけない、夜はいつでもあいてるから。ほかの人間に言うよりはと聞いていたが、もういいかげんに限界が近い。誰もいないところでゆっくりしたかった。
 人がいないほうへ歩く。気がつけばうっすらと青みがかった大樹の前にいた。
「……この下の書架あたりが一番人が来ないようだが」
 それは同時に行き止まりでもある。オリビエに追い詰められたら逃げようにも逃げられない。しばらく考え、大樹に目を留めた。
「申し訳ない、僅かの間だけでいい。……休ませてくれ」
 枝に手をかけ、するすると登っていく。下の様子が見えるか見えないかの位置に、座るのにちょうどよさそうな枝を見つけた。ミュラーの体重でも折れることはないのを確かめ、そこに座る。予想はあたり、座る為にあるような枝だな、と考える。
「休んでいい、ということか」
 どこかにいるだろう庭園の主に感謝をし、そっとまぶたを閉じた。

 どれほど経ったかは知れない。この空間に時間の感覚はない。動かない星と暗い空だけでは体内時計も狂ったようだ。
 目を閉じ、けれど深い眠りに落ちるほど弛緩もせず、浅い夢を漂っていたように思う。いろいろな夢を見た気がするが、耳に入ってきた声で目を覚ましたとき全て忘れた。あまりよい夢ではなかった気がする。
「こちらの方が見えますね」
 少女だが、子ども子どもしていない声。
「足元にお気をつけてください」
 こちらは完全に成熟した大人の声。この組み合わせになるのは現在一組しかいない。
「クローディア殿下と、ユリア殿か?」
 少し体を伸ばして下を見ると服の一部が見えた。あの青い軍装は忘れようもない。どうやら、常にメンバーが食材購入に使う位置から裏側で、周りの景色をじっくり見ようということだった。そこでミュラーは努めて気配を消すようにした。別にここにいるのが悪いわけではないのだが、今更降りていくことも出来ないので、せめて気が付かれないようにと願う。
「不思議です。星空の中にいるだなんて……」
 クローゼの声が僅かにはしゃいでいる。確かに不思議だと、自分が来たときも思った。とはいえ、すぐにそれほど気にならなくなった。それはそういうものだと思うし、それ以上に今の状態をどうにかしたいのが先だ。
「あれはなんでしょう……」
「何ですか?」
「あちらの方に見える、光のかたまり。渦を巻いているような……」
「ああ……」
 ユリアが納得したような声を出した。もちろんミュラーも気がついてはいたが、気にとめることもなかった。
「あれは、星の集団です」
「星の集団?」
「ええ。グランセルからだと東のほう、今くらいの季節ならば深夜、かなり大きく輝く星があるのをご存知ですか?」
「真昼の星のことですか?」
「そうです。あれが大きく輝いているのは、実は一つの星じゃなくてたくさんの星が集まっているから。それを遠眼鏡でみると、あのような形になるものがあるそうです」
 渦巻きの形だけではなく珠がつながったような形であったり、雲のように広がっていたり。千差万別であるが呼称は銀河と呼ばれているとのこと。下で教えてもらっているクローゼはもちろん、ユリアの意外な知識にミュラーも眉を上げた。
「銀河ですか。それはとても素敵な名前ですね」
「自分もそう思います」
 くすくすと笑い声が聞こえてきた。

「ユリアさんは物知りですね。私でも知らなかったのに」
「これは、昔遠い親戚に聞きました。もう何年も会っていないのですが、エレボニアに城付き学者として仕官しているものがいまして。そのものの趣味で、こういった星々のことを研究しているのだとか。まだまだ知られていない分野ではあるそうです」
 街のあたりでみるには限界があるので、どうしても人里離れたところで観測を行う。けれども、魔獣に襲われる危険をはらみ、あまりこの分野に手を出す気になれないのが大きかった。
「それでも空は人をひきつけ、大怪我をしながらも、空を夢見ている」
「……」
「そんな人たちが、この星空を調べていくのですね。私としては、不思議なところも残っていて欲しいな、と思いますけれど」
 クローゼが銀河を見つめながらつぶやき、ユリアは何も言わず主の声を聞いていた。しばしの間をあけ、再びクローゼが口を開く。
「それにしても、この庭園の不思議さには、今のところ何物も勝てない気がします。本当に……こんな、何もないようなところなのに、この樹は生きています」
「向こうの、輝く滝もそうですし、良くわからないことが多くて……自分にはいろんな意味で過ぎた出来事ばかりが続いています」
「それは皆さん同じだと思いますよ」
 申し訳なさそうに言うユリアに笑いかけた。気を取り直したか、ユリアが幹に手を当てた。
「……この樹は生きている……こんな、何もないようなところで。生き抜こうと……」
「ユリアさん」
 つぶやく侍従をさえぎる主。はい、とそちらを向くと、少し厳しく、少し哀しい表情だった。
「まだ、治っていないのですね。その癖」
「……申し訳ありません」
「お医者様にも言われているはずです。ユリアさんの感情移入は、あの戦役からのもの。生きようとするものに感情を移すことは決して悪いことではないのですけれど……」
 ただ、過度に感情移入するきらいがあるのだ。それはユリア本人の生の執着ではなく、そのものが生きていけるようにしたいというもの。何を置いても先陣を切ろうとすることがもっとも表している。戦役直後にはもっと酷かった。数人部下を持たせることで上官としての責任を負わせ、その責任で飛び出すのを繋ぎとめている状態だった。
「みんな一生懸命生きることは大切です。助け合って、生きていくのはとてもいいことです」
 クローゼが言葉を一旦切る。ユリアは主の言葉を待った。
「けれど、貴女も生きてください。ユリアさんは、自分が生きることに執着をしなさすぎです」
「お言葉ですが殿下、自分は一介の軍人。王家に、貴女に仕える身。己の身など、あってなきが如しのもの」
「……そういうこととは別です」
 哀しい声。表情は完全に曇ってしまっていた。
「殿下……申し訳ありません、自分が至らぬばかりに……」
「本当です……」
 おろおろしているユリアの手を取って握り締めた。
「……さんだから……」
「え?」
「私の、たった一人のお姉さんだから……だから、生きていて欲しいんです」
「……」
 戦役時に出会い、共に生き延びた。その絆は十年経って肉親のそれへと変わった。
「一方通行は、哀しいんですよ?」
 部下だから、従者だから、そんな理由ではない。ただ、姉を慕うその気持ち。微笑もうとするクローゼの眦がうっすらとぼやけているのを見れば、自然と言葉が口からこぼれた。
「ああ……わかったよクローゼ。がんばって、ちゃんと生きる。約束」
「はい!」
 花が開いたような満面の笑顔。そして、二人で笑った。
 また他愛のない話をしているとケビンがクローゼを呼びに来た。
「どうかされたのですか?」
「あー、いや、リースがちょっと怪我してもうて」
「怪我を? 大変!」
「あ、そんなにたいしたことあらへんとは思うんやけど、なんやオレに診てもらうのは嫌やて……つか、男に診てもらわれへんらしいわ。そうなるとほかに診てくれそうなんはお姫様くらいやし」
「いったい何をされていたのですか?」
「それがなぁ……ケッサクっちゅーたらケッサクやな……直接的な原因はあいつがハラ減らして目ぇ回したせいやけど、間接的にはオリビエさんのせい」
「まあ……では、あれからずっと?」
 クローゼとユリアが大樹のところに来る前からリースはオリビエにちょっかいを出されていた。それが続いていたのか。
「そ。とめてくれる少佐さんも居れへんかったから。なんとかヨシュア君で今は止まってる」
「とにかく一度様子をみますね」
 と、あわただしくケビンとクローゼは走っていった。それを見送ったユリアはまた幹に手を置く。まるで嵐のようだ、と微笑みが口元に浮かぶ。
「……水の音か?」
 幹に耳を当てると僅かに音が聞こえていた。その体の中を水が縦横無尽に走っている。生きるために。
「もう、何百年も、そうしてきたのだろう……」
 体を離し、樹をじっくり見る。普段ははっきり見ていないが、その枝ぶりも、葉の形もリベールでは見ない。その不確実ささえ力に思えてきた。
「……私の何倍も生き続けてきた先達よ」
 ユリアの声が発せられた。
「その類稀なる生命力を、力を。私にも分けていただけぬか」
 薄青い幹が振動した気がする。
「私が愛する人たちを護れるよう。私を愛してくれた人を悲しませぬよう。矮小な己を、生から逃げようとする己をおとなしくさせておけるよう」
 もはや、過剰な自己犠牲を完全に拭い去ることは出来ない。それが肉体に残ったやけどとは違う、本当の彼女の傷跡であり、自分が一番わかっている。けれど、それを押さえ込むことはできるはず。その力を。ユリアは今欲した。そして一瞬躊躇ってから、結局言葉を放つ。
「そうして、もっと強くなったら。……あなたは、私を見てくださいますか?」

 一連の会話を聞くともなしに樹の上で聞いていたミュラー。ユリアの傷跡を垣間見、今更ながらに戦役はやはり暗い影を残したままなのだと感じた。下から聞こえてくるユリアの声は心地よく、もう一度眠りの白に引き込まれそうなタイミングでそれは聞こえてきた。

 そうして もっと強くなったら

 あなたは 私を見てくださいますか?

 誰に向けての言葉か。思わずまぶたを開く。樹に向けてあなたというのはおかしい。ではここに自分がいることを知っているのか。なら自分に対してのことか。いや、ここにいることに全く気が付いておらず、別の人間に対してのことなのかもしれない。さまざまな思考が流れていく。下をうかがうが足元しか見えない。
 いっそ降りていって聞いてみたいという欲求に駆られそうになった時。樹が淡い光を発し始めた。伴って僅かな振動が伝わってくる。
「何事だ」
 口の中でつぶやく。光は強くなり、とても目をあけてはいられない。下を見ればユリアもどうやら戸惑っているらしい。目を閉じる一瞬前、光の翼が星空の空間に焼き付けられた。まぶたの裏に残るその残存で、何かあったなと捕らえられるほどの半呼吸。
 恐る恐る目を開けると下から話し声が聞こえてきた。

「すまないね、ユリア君。まさかそっち側に人がいるとは思わなかったよ」
「お気遣いなく。あれぐらいの光量ならば訓練と変わらない」
「オーブメント訓練実習とか?」
「はい。オリビエ殿は何故ここへ?」
「リース君が怪我をしてしまったことは聞いているかい? 間接的にボクが原因かもしれないと思うと、どうしてもお詫びがしたくて。ボクの、王宮自己流なものだけどね、美味しいお料理を」
 食材を分けてもらいに来たのだという。
「不思議だねぇ。お金おいたら、光の中から食材が出てくる。木の下で知らずに寝てて、誰か買い物にきたらまぶしくて起きそう」
「本当に」
 二人で見上げていると、オリビエが昔語りを始めた。いつか、どこか。雪が深いところにある大樹は、天使が舞い降りたのだと。
「で、降りたときにはその樹に翼が見えるらしいよ。そんな御伽噺を思い出した」
「降りた天使は何をするのでしょうかね」
「さあ。でも、見守ってくれるんじゃないかな、いろんなこと」
 もしかしたら、後押しもね。片目を閉じて次の食材を手に入れるオリビエ。先ほどと同じように樹が蒼光を放つ。けれど。
「……やはりあれは」
 先に光ったときには確かに一瞬、翼が見えた。今は見えない。
「あの、オリビエ殿、先ほどの話は」
「んー? 御伽噺だよ」
 どうやら見えていなかったようだ。それ以上話題に出すのはやめ、オリビエの買い物を眺める。その度に輝くが、翼が見えたのは始めの一回だけだった。
「……天使が降りる樹……」
 ただの御伽噺。けれど、その中には真実が含まれることもある。

 見守って、くださいますか? 自分を


「ところでユリア君、ボクの最愛にして最高の親友を見ていないかね? 先ほどから全然姿が見えないのだけれど」
「え? いや、自分はお見かけはしておりませんが……けれど」
 案外にすぐ近くにいらっしゃるかもしれませんね、つかず、離れずの方ですから。
「確かにね。いったいどこから出てくるか」
「オリビエ殿のことが心配だからですよ」
 くすくすと笑うユリアに、木の上のミュラーはどうも居心地が悪かった。
「では、自分はこれで」
「えー、もう行っちゃうの? お料理一緒にしようよ、お料理」
「えっと……殿下が心配ですので。それに、もう一度蔵書室の本を洗い出してみたいのです」
「そっかぁ。残念。誰か捕まえていっしょにすることにするよ」
 ユリアが歩み去り、オリビエは樹を見上げる。
「そろそろ降りてきたらどうだい?」
 どきりとするが反応したら負けだ、と妙な対抗心が沸いてきた。
「そっちがその態度ならいいんだけどさ。マントの朱房、見えてるから」
 え、と慌ててみれば、確かに一房葉に紛れて垂れていた。青い樹で朱房は目立つ。仕方がなく黙って降りた。
「感心しないよ、レディたちのお話を盗み聞きだなんて」
「その言い方だと貴様も聞いていたようだな」
「まさか。ボクは本当に今ここに着いたばっかり。けど、クローゼ君がこっちから走ってきてたし、ここにいたのがユリア君ならすぐに状況はわかるじゃないか。いやんもう、ミュラーさんのエッチ」
「……降りるに降りられなくなっただけだ」
 つついてくるオリビエを払いながら短く吐き出す。
「照れ屋さんなんだから」
「……ユリア殿は、俺がここにいることを知っていたのだろうか」
「クローゼ君はどうか知らないけどさ、ユリア君は知ってたと思うよ。彼女は武人だからねぇ。気配くらい読めるだろうし。あ、ちなみにその朱房が落ちてきたのはボクが買い物を始めてから。光るのに驚いたかい?」
「……」
 では、あれはやはり自分に向けられた言葉なのか。
「それで自分宛てじゃないとなると、それはそれでショックだな」
 一体彼女の目は誰を見ているのか。クローゼをみているのは間違いないし、その点に関しては前途多難である。だが、僅かにもチャンスがあるならそれに賭けてみたい気もする。
「何か言ったかい?」
「いや、何も」
「ふーん。じゃ、せっかく再会できたんだ、お料理しよう、お料理」
「何故」
「聞いてたろ? リース君に美味しい宮廷料理をご馳走するんだ。ボク一人だと時間がかかるから手伝ってくれ」
 人の気も知らずにニコニコと笑っているオリビエ。
「……いいだろう」
 少し懲らしめてみたくなった。

「だからっ!! どうしてそう手際が悪いんだ! 煮炊きしているところに張り付くな!」
「だってだって吹き零れるじゃないか!」
「目の端で確認しながら頭では次を考える! 厨房は戦場と変わらんのだ!」
「だからって三つも四つも同時並行は無理だよぅ」
「料理人はこれくらいするぞ!」
「ボクは料理人じゃないよぉー!!」
 オリビエが半泣きでわめいていく間に、ミュラーの手の中できゅうりが綺麗な蛇腹に刻まれる。押し付けて広げれば、等間隔の縞模様が綺麗に浮き出た。
「これをサラダに入れろ! 次は何をするんだ! 貴様も働け!」
「はいーっ!」
 賑々しく料理をしていると何事かとジンがやってきた。こりゃあいいや、と笑いながら手伝いを申し出る。ミュラーにこき使われて必死で働くオリビエを見たジョゼットは、絶対に皇子なんかではないと妙な確信をする始末。
 やがて料理が並び、輝ける滝の前でひと時の安らぎ。リースが美味しい、といってくれたことがオリビエには一番嬉しかったようだ。ミュラーは、黙って主の横に佇み、思い出したときに料理を口に入れ、表情を緩めているユリアの姿を見られて満足だった。


Ende


 どうもまだ3rdの位置が、『Patriots』でどのあたりになるのかわからないです。一番矛盾のない位置に持っていきたいのは山々なのですが。なので月光四色話まで行ってない状態です。が、紛うことなき少大話です(笑)。いやユリアさんとクローゼの絆の軌跡と盗み聞き中の人の話でもいいんですが。拠点待機時の二人の待機場所をみてたら思わず書きたくなってしまいました。うん、好き勝手妄想できる距離感がいい。やっぱり公式を基本にするとユリアさん→少佐です。脳内パラレルだと逆転するんですがねー。
 エンゲルバウムは造語です。なんかことあるごとに使ってる気がする。天使の樹騎士団とか。雪の街エンゲルバウムは私のオリジナルですので、あまり深く考えないでください。そういう御伽噺があるという感じです。
 ちなみにこれ書いてる時点でまだ未クリア(笑)。だって戦闘が楽しすぎる。WIZ系ゲームで実時間丸一日ダンジョンにもぐっても平気な俺をなめんな(笑)。

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