初めて手紙の返事が届いてから、ユリアはメッセンジャーが来る時間を心待ちにするようになった。もちろん自分がそのとき詰め所にいるかはわからないのだが、そういう時は部屋に戻って手紙がきているかを確認するのが日課だ。
 初めての手紙は、それはそれは散文的で、何か薬品をつけたら文字が浮き出してくるのではないかというほど空白が多かった。よほど手紙は苦手なのだろうと自然に顔が緩む。そこまで苦手なのに自分のために一生懸命書いてくれたミュラーが愛しい。
「あいかわらず困った表情で、オリビエ殿に追い立てられているのでしょうか……」
 容易にそれが想像できる。
「締めの言葉はミュラー殿が考えたのでしょうかね。それとも、この感じはオリビエ殿でしょうか」
 二通、三通とそれなりの間を置いてやってくる手紙。回を重ねるごとに少しずつ文章が長くなってきている。そして、その末尾にはいつも同じ文が書かれていた。見るたびに赤面するが同時に笑みもこぼれてくる。
「最近、うれしそうですね。何かいいことありましたか?」
「……そうですか?」
「ええ。それはいいことですよ」
 机にしまってある手紙を思い出すユリア。そこへ書類の束を置きながらヒルダが笑う。
「まあ……いろいろ、です。ところで何故ヒルダ殿が陳情書の束を?」
「そこで貴女の部下に会いましてね。会ったというか、ぶつかったというか。弾みで書類はばらばら、とりあえず私が拾った分だけ持ってきました。そのうち残りを持ってくると思いますよ。今回も溜まっていますね」
「……仕方がないといえば仕方ないですけれど」
 兵舎には陳情書を入れるための箱が設置されている。月に一度、中身を見て改善できそうなものがあれば手をつけていく。洗面所に石鹸がないという小さいことから始まって、王国軍の根幹を揺るがすような意見までさまざまだ。無記名で構わないこともあり毎月それなりの量になる。
「なかなか目から鱗の意見もあり、こちらとしても考えさせられることが多い。少しでも己がいるところが良くなれば、と皆意見を出してくれる。自分には、それが一番うれしいことです」
「ですね」
 一枚書類を手に取りながらヒルダは相槌を打つ。
「あら……」
 取った書類を見、小刻みに肩を震わせて笑い出した。
「ヒルダ殿? どういたしました?」
「いえ、ああ、これを見て」
「……」
 書かれていたのはほかならぬ自分のこと。一度デートをしてください、とある。
「……城内メイド一同……」
「相変わらずですこと。一般兵たちの間でもかなりの人気のようですのに、メイドたちまでとは」
 くすくすと笑いながらユリアを見る。
「まあ、いつものことです、これも。どうしようかと困るのもいつものことですね」
 肩をすくめて、そういったものではない、意見として成立するものを抜き出していく。そこへ部下がもっと多い束を抱えてやってくるのだった。

 適当な時間に演習を切り上げ、自分の席へ戻ってくる。昼間に分けていた陳情書を抱え、城下へ。夕暮れの帰路に紛れてとある一軒を目指す。少し入り組んだところにあるその家のドアの前に立ち、ノック。しばらくしてドアの向こう側に人の気配があらわれた。出てきたのはカノーネだ。
「あらお久しぶりですわね。もう一月経ってしまったの」
「そうだな。今回も頼まれてくれるか?」
「いいですわよ。まあ、お入りなさいな」
 王都襲撃事件の際、リシャールとカノーネの罪は減じられている。半年間の王都追放を経て現在の住居を構えており、そこへユリアは訪れていた。
 カノーネの平時における情報分析力はユリアのそれより上。有事となれば立場は逆転するが現状は平時。自分ひとりで判断できないことに関しては時折相談しているのだった。
「貴女も生真面目に、すべての陳情に目を通して真剣に考えているのでしょう? もう少し肩の力を抜いてみればどうかしら」
「それができれば苦労はしないさ。できたなら、二人顔を合わせるたびにいがみ合ったりはしなかったろう」
「ふふふ、それもそうかもしれませんわね。……ああ、お茶が冷めてしまいますわ」
 薦められるままに一口。変わった芳香が鼻をとおっていく。
「ところでユリア、その後どうなったの?」
「……何が」
「このふり方で聞くことといえばひとつしかないでしょう?」
「だから何がだ」
「照れなくてもよくってよ。もう知っているのだから。ほら、貴女の恋人」
「……」
「しばらく話を聞かないのだけれど、少しは進展した?」
「……放っておいてくれ……」
「そんなわけにはいかなくてよ。大体、貴女の方から相談してきたのじゃなくて?」
 ニコニコと笑う顔の裏に言い知れぬ恐怖を感じるユリア。なんで相談を持ちかけたのだろうと、若干の後悔。
 二ヶ月ほど前、エア=レッテンへ行ったとき。警備兵たちの噂になったのだが、それがめぐりめぐってカノーネの耳に入ったのだという。ユリア自身、窓からダイブした話と一緒に、カーテンの端を持っていた、見慣れない男の話もおまけ程度について流布しているのは知っていたが、それがカノーネの追求につながるとは思っていなかった。
「あら。だって、その方、貴女の名前を呼び捨てにしたのでしょう? そんな方はわたくしが知る限り、一人しかいないはず。なら、よっぽど特別な関係だと推して知るべし、ではなくて?」
 あのときもそう微笑まれ、半ば白状させられるようにユリアは相談を持ちかけることになってしまったのだ。
「そうだな。お前ぐらいしか、私を名だけでは呼ばないな」
「でしょう。ほらほら、せっかく一月ぶりなのだから、話を聞かせてくださらない?」
「……話すほどなにかあった訳ではない。来た手紙が三通目になったくらいだ」
「そう……。面白くないわね。すべて放り出して貴女のところに来る、のようなドラマティックなことはないかしら」
「無茶を言うなカノーネ。あの人は今、微妙な立ち位置にいるはず。私のことなどで気を煩わせるわけには」
 自然と声の調子が下がる。それを制してカノーネがユリアの手をとった。
「貴女は、相変わらずまっすぐで凛々しくて、時にはそれが癪に障るくらいで。でもそれが一番似合う。だから、そんな泣き言は、わたくしが許しません。なにより、恋は押しの一手に限るのだから」
 満面の笑み。
「それに最後まで言わせてもらうなら、国際関係がどうの、なんて、わたくしにしてみれば馬鹿らしいの一言。そんなことは陛下や将軍に押し付けて、いっそ貴女が帝国へ行ってしまえばいい」
「そんなことができるか」
 心の底を見透かされたようで、わずかに怒りが声にこもる。
「でしょうね……。それができる貴女は貴女じゃない」
 仕方がない、といった様子で同期の手を放しソファに深くかける。
「それにしても、貴女が帝国の方と恋仲になるとは思ってもみなかった。……乗り越えたのかしら?」
「まだ時間はかかるな、それには」
「そう……」
 軽く伸びをして応じ、立ち上がる。
「邪魔をした。いろいろ参考になった、ありがとう」
「ふふふ。構いませんわ。つい一年くらい前には考えられない状態ですけれど」
「まったくだ」
 カノーネも立ち上がり、手にもっていた書類をユリアに渡す。
「ああそうそう。今度来るときには、貴女の恋人の写真をみせてくださいな」
「なんだと?」
「だって……興味深いですもの」
「お前は……勝手に興味の対象にするな」
 なおも言い募るカノーネをなだめ、結局近いうちに写真を持って訪れる約束までしてしまった。本当に、あの「輝く環事件」の前には考えられない状態だ。
「約束ですわよ」
「約束、と言われると弱い。わかった」
 外に出るとあたりは薄暗い。ぎりぎりで城に入れる、といったところ。
「長居してしまった。すまないな」
「ユリア。貴女の傷が癒えるきっかけになるといいですわね」
「ん……」
 見送られながらユリアは同期の、元同僚を思う。初めて会った時に苦手だと互いが互いに思った。その状態で何年も過ごしてしまった。
「なんと、勿体無いことをしたのだろう、私たちは」
 もっと早くに互いの無意味な苦手意識に気が付くことができていれば、あるいは「輝く環事件」は起こらなかったかもしれない。
 けれど、事件は起こり、そして解決した。若干の問題は残っているがそれは今後考えればいい。「輝く環事件」はユリアにとって非常に大きな転機だった。恋焦がれる相手の出現と、旧友との和解と。どちらも現在のユリアにとって欠かせないものになっている。
「さて……手早く上申書を書いてしまうか」
 そして小走りに王城への道をたどるのだった。

 詰め所に戻ると机の上に小包と手紙と書類が置かれていた。書類は親衛隊の演習計画、小包はジンからの剣舞本。そして手紙はミュラーから。
「……珍しい」
 前の手紙が来てから十日も経っていない。二ヶ月で三通漸く来るぐらいのペースだったのに。手にとって封を切ろうとしたところに女性給仕たちが大挙してなだれ込んできた。
「何事だ!」
「ユリア様! 今年は出場なさるんですか!?」
「そろそろ闘技大会の準備をするよう指示されて、今年は勇姿を拝見できるかと……」
「闘技大会、か……そうか、もうそんな季節か」
「私たち、ユリア様が出たら絶対に応援しますから!」
 もちろん、当然、といった声があがり、詰め所にいた部下が何事かと好奇の視線を向けてきている。
「まだ考えていないが、前向きに検討することにするから。これからまだ手をつけないとならん書類が残っているのだ、諸君も己の仕事に戻ってくれ」
 なるべく穏便に追い返さないと無駄なほど大騒ぎになるのは経験則だ。引きつりつつも笑顔を返し、給仕たちを満足させて詰め所から外に連れ出す。ようやく全員いなくなった時は思わず机につっぷしてしまった。
 タイミングを見て部下が淹れてくれた茶を飲んで一息つき、ミュラーからの手紙を読む。どうやら、彼の兄がユリアに興味を持ったとのこと。
「……ええと……『二ヶ月後に兄の当主就任と結婚のお披露目がある。そのときにつれて来いと言われたのだが、貴女の意見としてはどうだ?』……って……」
 便箋を脇において頭を抱える。多分顔は赤くなっている。それを見られないように必死だ。
「まったく……ミュラー殿は、強引だ」
 続く文面には、できれば来てほしい、この際だから兄に紹介したい、とある。
「それはやはり……そういうこと?」
 一人頭の中で右往左往している。こういう問題こそカノーネに相談できれば、と思っている自分がいた。
「封を切るのは後にすればよかった……」
 どうも上申書を目の前にしても何も書けない。だが提出は明後日。ともすれば脱線しそうになる思考を修正しながら半分ほど意見をまとめたところで、それ以上はどうしても思考が書類に向かない。諦めて詰め所を出て庭園へあがって行った。
 夜も半ば、照度を落とした導力灯がぼんやりと女王宮を浮かび上がらせている。その前で哨戒している部下に声をかけてから、あまり照明の届かないところへ行く。手すりに肘をついてヴァレリア湖を眺めた。もちろんどのあたりにあるかははっきりわからないが、王城や湖畔の建物の明かりで湖面がゆれているのはわかる。
「……どうしたものか」
 どうする? と問い掛けてくるように、植えてある木の葉や枝が音を立てる。とにもかくにも冷静にならないと、当面の仕事が手につかない。
「手紙ひとつで私を強く揺らす。本当に……ひどい人だ」
 口元にわずかな笑みをたたえて目を閉じる。枝の擦れる音が波が打ち寄せる音にも聞こえる。しばらくそうしてからまた目を開けた。
「そうだ……手紙が五通きたら、帝国に行こうと決めたのだった」
 忘れ物を届けに休暇中に王城へ来たその日に、そう決めたではないか。
「あの手紙で四通目。あと一通きたら」
 逢いたい。逢いに行きたい。手紙がどうのと理由をつけるが、来てほしいといわれるのはたまらなくうれしい。
 休暇申請は一月前ならどうにか通る。その時期には特に軍事演習はない。生誕祭が控えているがまだ忙しくない時期だ。きっとクローゼに言えば許可は出る。
『そんなことは陛下や将軍に押し付けて、いっそ貴女が帝国へ行ってしまえばいい』
 不意に、今日カノーネに言われたことを思い出す。
「お前のいうとおりになったらどうするカノーネ。私の後を引き継いでくれるか? ……だが、それぐらい吹っ切らないと、現状で思いを貫くのは難しいのだろうな」
 次に会ったらきっと何が何でもいけというに決まっている。ただ忠誠を誓った男の為だけに、王国すべてを敵に回しても戦おうとしたカノーネだから。
「私は、お前のそんなところがうらやましく、多分、好きなのだろう」
 手すりに寄りかかっていた体をおもいっきり伸ばすのだった。

「それは是非。行ってらっしゃい。お土産話を期待していますわね」
「いや、まだ決めてない」
「そんな調子では、向こうの令嬢に獲られてしまいますわよ。本当にもう……」
 眉間にしわを寄せてユリアを指差す。
「安住は過信。ちゃんと行動で示さなければならない。そうでしょう?」
「……まったくだ」
 まいったな、とつぶやきながら頭を掻く。その様子をカノーネは笑い、テーブルの上に置いていた写真を手にとった。
「帝国の軍人だなんていうから、もっといかつい方を想像していたのだけど、そうでもないのね」
「そうかもしれん」
「なかなか凛々しい方ですこと。ふふふ、貴女を男にしたら、こんな感じになるのかしら」
 友人の発言にどう反応すればいいのか悩む。カノーネ自身は答えを希望していたわけではなかったようで、じっと写真に見入っていた。
「この写真を撮った方の腕も相当なものね。それでかなり補正されてそうですけれど。ほほほ」
「覚えているだろう? リベール通信の、ドロシー・ハイアット。彼女だ」
「ああ……あの」
 どうにもペースを掻き乱される人だったと小さく付け足す。ユリアにも覚えがあるのでそこは同意しておく。
「それも、写真をとってくれと頼んでできたわけではなく、たまたま撮った写真の中に混じっていたのだ」
「ですわね。こちらを向いていない。他にはなかったの?」
「ないのだ。紆余曲折を経てリベル=アークまで一緒に行っただけで、記事にはするなとよくバーンズ記者にくぎを刺していた。それもあってな……」
「貴女の写真もほとんどないのだから、きっと向こうも同じことを思っていてよ」
「そうか?」
「ええ。確信をもって言えるわ。だって、貴女と同じ性格のようですし」
「……」
 少し顔が熱くなってきて、ユリアは冷めかかったお茶を一気に飲む。大聖堂の鐘が昼下がりを知らせる。
「そろそろ、午後の教練の時間だ。また落ち着いたら顔を出す」
「絶対に行くのよ。決して、悪いことをしているわけじゃないのだから」
「前向きに考えるよ。ではまた」
 なんだかからかわれているような気がしないでもない。だが、今まで埋められなかった隙を埋めていける幸せはそれを弾き飛ばしてしまう。何より、年齢も同じなのだ。それだけでなぜかほっとしてしまう。
「五通目。五通目」
 返事を書くときにその念をこめてみようか。具にもつかないことかもしれないが、楽しんでいる自分がいる。来なければ、何故五通目を出さなかったのかを問い詰めようか。そう考えたところで、すでに自分が帝国へ行く気になっていることに気が付いた。
「なんだ。とっくの昔に、答えは出ていたのか」
 誰かに相談するときにはもうその人の中で結論は出ているときだという。それを地で行ってしまった。もはや手紙の五通目は、会った時に話にすることの違い程度。
「手紙だけでここまで私を困らす人に、どう仕返しをしようか」
「ふふふ。いつでも、相談に乗りますわよ」
 玄関先で二人、高らかに笑いあうのだった。


Ende


 すいませんタイトルサボりました(笑)。夢幻の方にもあるこの系列のタイトル、もともとは「ロシアより愛を込めて」です。
 英語表記だと「From Erebonia with love」となるかと思いますが、このときの発音のテンポがすごく好きなわけです。文章を音読してみると、うまい人のはそこまで考えてるのがわかる。音に出しやすい文は読みやすい文ですよね。私にはまだまだ無理な境地ですが、少しでも真っ当に読めるくらいにはしたいものです。
 で、タイトルが少佐のお手紙の最後に書かれてるわけですが、やっぱこれはオリビエの入れ知恵でしょか、少佐がんばったんでしょうか(笑)。後者だったら萌える。そして微妙に時間が過ぎていっている。多分お話の中で出した時間だとFCから一年近く経ってると思うのですが……たしかSCは一ヵ月後でしたよね?(調べてください自分で)

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