「何の用事だ、オリビエ」
 オリビエの執務室に入ると、部屋の中は山のような紙で埋め尽くされていた。
「ああすまない、呼んだりして。ちょっと手が離せなかったから」
「構わんが、何事だ?」
「ええと……」
 しばし渋面で手元の紙を眺め、何事かを書き付ける。
「これでよし。……で、キミを呼んだのは、出かけるからってこと」
「どこへ」
「キミのうち」
「……何?」
「正式に現当主に依頼したいことがある。頼みごとをするなら、する側がでかけていかないと、ね」
 片目を閉じて笑う。
「この件は前々からやり取りしていたことで、今日の夕刻に時間を設定しているからね」
「いや、別に説明はいらんが……」
 ちょうど兄から戻って来いの手紙がきているところである。渡りに船ではあるが、それがあるから兄は自分に手紙をよこしたのかもしれないな、とも思う。
「あと30分くらいで準備できるから。そっちもそのつもりでいてくれ」
「わかった」
 頷いたところに窓から一羽の鳥が飛び込んできた。咄嗟にオリビエをかばおうと動くが、本人に制止される。
「落ち着いて。ジーク君だ」
「……な」
 手馴れた様子でジークの足から通信筒を外す。
「ほら、ユリア君が城で寝込んでいた頃、ジーク君を貸してもらっていたと言っただろう? そのよしみで、今でもリベールとのやり取りは彼を介してやっているところ。いろんな手紙を運んでもらっているよ。今は、准将とが多いかな」
「全然知らなかった……」
「どうもジーク君はキミを嫌っているようだしね。言うこともないかな、と思って。あ、ユリア君の手紙だけは運んでもらってはないから、安心してくれたまえ」
「一言多い、貴様は」
 複雑な気持ちで部屋から出て行くのだった。

 兄ヨハネスとオリビエが話し合いに入ったので部屋の外で待機する。
「それにしても、父がそれほどまで弱りこんでいるとは」
 当主はいまだ父。けれど全実務はすべてヨハネスが行っているらしい。厳格で偉大で、若干の苦手意識がある父親だが、体調不良と聞くとやはり心配だ。現在は帝都の屋敷にはおらず、領地内にある別荘で療養中だとか。
「兄さんはこれを伝えたかったのか?」
 手紙の端に書けば済みそうなことのような気がする。考え込んでいるとオリビエが出てきた。
「ボクの用事は終わったよ。キミを呼んでる」
 屋敷の給仕に連れられ居間に戻っていくのをみて、部屋に入る。
「まいりました、兄上」
「よく来た」
 直立不動で敬礼するミュラーと、それを大真面目に頷くヨハネス。二呼吸ぐらいして、同時に大笑いをした。
「いや、それいいかげんにやめてくれ。どうしても笑えるんだが」
「それなら大真面目に相手をしなくてもいいじゃないか」
 ひとしきり笑ってミュラーが切り出す。
「手紙まで送ってくるなんて、何かあったのか?」
「父さんが調子悪いだろう? だから、正式に俺が当主になることに決まった」
「そんなに、酷いのか」
「まあな。責任の一端はお前にもあるぞ」
「俺が?」
 オリビエの噂は当然ヨハネスの耳にも入っている。帝国貴族の一般見解は無謀の一言。その中心人物の一人に身内が居るのだから当然だ、と呆れた声。
「文句はオリビエに言ってくれ」
「まあまあ、父さんもその辺りは理解しているみたいだから。ただ、感情がそれについていかないのだけは仕方ないだろう」
 導力灯をつけながら肩をすくめる兄。
「とりあえずヴァンダール家としては中立だが、個人的にはお前たちを応援するよ。行くところまで行って、帝国を変えてみてくれ」
「……ありがとう、兄さん」
 応じて任せろ、というように笑った。
「ところで、兄さんに秘密にしていることは?」
「……は?」
 先ほどまでの雰囲気は雲散、ニヤニヤと笑うヨハネスが居る。
「3ヶ月ほど前に皇城で晩餐会があっただろう? ほら、次の日に襲撃騒ぎがあった」
「確かにあったが、兄さんも来ていたのか?」
「お前な……俺をなんだと思ってるんだ。至らんが一応次期当主だぞ」
「……ああ」
 ようやく合点がいったと頷く。
「まあいい。殿下には会って話をしたが、傍に居るはずのお前が居ない。ふとテラスを見たら、珍しいことに正装のお前と、見かけない女性がいたが……」
「……」
「さあミュラー、兄さんに隠してることはないか?」
「いや……」
「話していたと思ったらその後……」
「わーっ!!」
 慌ててヨハネスの口を塞ぐ。しばらくそのままでいるとヨハネスが弟の手をどける。
「で、どちらのレディだ?」
「……あの人は、貴族ではない」
「ほう、あの人ときたか」
 茶々を入れる兄をにらむが、言わないとこの部屋から出さないぞ、という意思表示に負けた。
「というか……帝国の人間じゃない。リベールの人だ」
「リベール?」
「ああ。そこの、王室親衛隊の中隊長を務めている」
「軍人か。道理で見ないと思った。リベールの貴族もそれなりに知っているが……」
 一人で納得してうんうんと頷いている。
「なんでまた」
「話せば長くなるが、かいつまんで言うと、リベールに駐在武官として派遣されている時に知り合った」
「その辺りは後で飲みながら詳しく聞かせてもらうことにして。なんと言う方だ?」
「ユリア・シュバルツ大尉」
「ちょっとまて。聞いたことがある」
 部屋の中を歩き回り、頷いたかと思うと本棚へ向かった。そこから一冊の本を探し当てて戻ってきた。
「あったあった、これだ。半年くらい前だったか、リベール上空に謎の物体が浮いていたときの」
 表紙にはリベール通信、と書かれている。
「に、兄さん……そんな本を読んでいたのか?」
「結構面白い特集組んでいるからな。毎号とはいかんが、何か大きい事件があった時は引いてもらっている。これなど一瞬で売り切れたとかいう話があるな」
 手に持った本をふった。
「確かこのなかに……ああ、『……遊撃士諸氏の尽力もさることながら、その活躍を底で支えたのが艦長ことユリア・シュバルツ大尉率いる王家船、高速巡洋艦アルセイユの面々である。……』と書いているが」
「その人だ」
「……」
「実は、俺とオリビエも乗っていた。記事にはしてくれるなと頼んだから書かれてはないはず」
「それはまた……」
 目を丸くしてヨハネスがミュラーを眺めていた。
「その際に知り合って。まあ、兄さんが想像しているようなことなわけだ」
「お前のことは知っているのか?」
「ここの次男ということか? もちろん知っている」
「いや、昔からそれでお前はいい人が見つからないからな。少し心配になって」
 本を机に置きながら呟く。
「お前がほれ込むのは大抵城下の女性たちばかりだったな。貴族の令嬢などには目もくれない」
「そんなつもりはないが……結果的にはそうなっているみたいだ」
 過去を少し思い出しながら兄のあとをとる。言われる通り、気になった人は大抵が上流社会とやらとは無縁の、でも生き生きと毎日を謳歌する女性たち。よく話をするようになり、ヴァンダールの人間であることが知られると決まって女性側が気にして姿を消していった。帝国内の地位としては、皇族とその係累を除けば二番目。筆頭は宰相血族になる。
「あの人は、そんなことはない」
「帝国人だと間違いなくうちの名前を聞くと萎縮するからな。外国の人だからこそ、かもしれん。とはいえ、今までよりももっと苦労しそうだな。リベール王室親衛隊、か」
「ついでに言えば、クローディア王太女殿下のお付きも務めている」
「また無茶苦茶な人にほれたものだ。俺にはお前がわからん」
 苦笑してミュラーの肩に手を置いた。
「本気か?」
 冗談の雰囲気をひっこめて真剣な表情。
「本気だ」
「……」
 しばらく黙って、ミュラーから手を離して、もう暗い窓際に立つ。
「兄さん?」
 黙ったままのヨハネスに不安を感じて声をかけるがまだ黙っていた。疑問に思うがしばらく待つ。
「ミュラー。俺は、お前がうらやましい」
「……兄さん」
 また沈黙が降りる。が、今度はそれほど間をおかずにヨハネスが口を開いた。
「とかなんとかしんみりしたことを言うと思ったか?」
「!」
 振り向いてニヤニヤ笑う様子に頭を抱えた。
「……オリビエみたいなことをしないでくれ」
「それだそれ。俺には殿下のお守りなんぞ勤まらんからな。せいぜいがんばってくれ」
「ありがたい応援だ、本当に」
 苦笑しながら言い返す。
「というわけで、その彼女の仲も応援しよう。そこまで覚悟があるなら、きっと幸せになれるだろう。というより幸せになれ」
「命令されてもこればかりはわからんが、善処する。……ありがとう」
 万感の思いを込めて。本心を冗談にしようとするなら自分もそれに乗ろう。だが兄さん。俺も貴方が羨ましい。人間的な器も、すべてを仕切る力も、何もかも俺より上だ。
 その後、食事の準備が出来たと呼びに来たところで兄弟の会話は終わった。一通り食事が終わった後は居間でオリビエを交えてたわいない話に興じた。そうなると出てくるのがやはりユリアの話である。
「ところで殿下、こいつにどうやらいい人が出来たらしいですな」
 ちょうど弟が酒を飲み込もうとした瞬間を狙ったのか、ヨハネスはオリビエに切り出した。
「おや? ヨハネス殿、どこでそれを?」
 オリビエもニヤニヤしながらミュラーを見る。喉に詰まりそうだ。
「三ヶ月ほど前の晩餐会で。直接会ったわけではないのですがね」
「あの時ですか」
「その様子からすると、殿下はご存知だったようですね」
「ご存知も何も、ボクとクローゼ君……クローディア王太女殿下とで結び合わせたようなものですよ」
 得意げに胸をはるオリビエ。
「なんと。おいミュラー。お前、そんなことで殿下の手を煩わせたのか?」
「……それ以上の迷惑さで俺はこの男に手を焼かされている……」
 眉根を寄せながら低く呟く。
「すいません殿下。ご存知だとは思うのですが、こいつは昔から不器用でね」
「よく知っていますよ。この間なんか四日も二人でリベール観光にでて、全く手を出さなかったくらいですから」
 オリビエの言葉に思わずグラスがミュラーの手から滑り落ちる。ヨハネスは呆れていた。
「……ミュラー。お前がそこまでだとは、さすがの俺もわからなかったぞ……頭でも打ったか?」
 グラスを拾っているところに兄が追い討ちをかけてきた。
「……なんとでも言え」
 一瞬、十年前にユリアの身に起こった事を言ってやろうと思った。けれどきっとユリアは望んでいない。彼女の闇の一端をようやく見せてくれた、あのときの表情がまだ痛かった。
「他に誰に迷惑をかけたというのだ」
「そういう問題じゃないけどさ。せっかく本当に珍しく二人きりだったのに、と思って。キミとユリア君の間の悪さはこちらが心配してしまうくらいだからね。というよりユリア君の方が働きすぎなのだよ。早くつれてこないと、彼女はきっと過労死するよ」
「余計なお世話だ! ……無理矢理はいい結果なぞ生まん」
「……会ってみたいな、お前をそこまで本気にさせ、殿下にも一目置かれる女性に。いや、一応見たことはあるが、遠目だったしお前が邪魔していたし」
 ヨハネスの言葉に言い合いをやめた二人。
「ちょうど俺の継承と結婚が四ヶ月後だからそのとき連れて来い」
「そんな……いきなりいっても、あの人の休みが取れないかもしれん。それになんと言って連れてくればいいのだ」
「なんとでも言えばいい。俺はがぜん興味が湧いてきた。安心しろ、父さんには言わないから」
「父さんに言った日には、そのままショック死しそうだから止めてくれ。今更だが兄さん、内密だぞ」
「承知してるさ。だから言ったろ、無茶苦茶な人にほれたな、と。最悪、添い遂げるのは無理かも知れんな。わかっているだろうが」
「……わかっている。が、無理はしたくない。すでにあの人は、俺ごときの為に傷を負ったのだから」
「どういうことだ?」
 ヨハネスの問いにミュラーは黙ったままだ。代わりにオリビエが皇城襲撃時のあらましを伝える。聞けば聞くほど兄の顔が引きつっていくのが目に見えてわかった。
 オリビエが語り終えて、チェイサー用に置いてあった水を飲む。グラスが置かれるカタンという音がして、暫しの静寂。
「……はあ……」
 誰の溜め息か。また沈黙。そして、ヨハネスは隣に座っていた弟の首に腕を回し自分の方に引き寄せる。容赦ない力がかけられ、回されているミュラーは堪らない。
「に、にいさ……! くるし……っ!」
「お前は何の為に剣の腕を磨いた!? 自分にとって大事な人を守る為だろう!?」
 頭に拳を強く押し付けながら怒る。
「ヨハネス殿、なにもそこまで……」
「いくらそのユリアという女性が武人であろうと、お前にとって大事な人なのだろう!?」
 オリビエが困った顔で止めるがヨハネスは続ける。ミュラーは暴れるのをやめておとなしく兄の言葉に耳を傾けた。
「人一人守れないで何が護衛だ! もう少し己の役割を考えろ!」
 一通り言いたい事を言ったのか、ようやくミュラーを放した。そのまま兄弟はそっぽを向く。オリビエは黙ってその様子を見守る。
「……わかっている。だが兄さん。俺は、あの人が守られるだけの女性ならば、きっと見向きもしなかった。あの人は言った。背を守り、己が存分に動ける相手が欲しかったと。俺も同じなんだ」
 もちろん怪我などして欲しくない。だが、傷を負わないようにと守りの箱に閉じ込めてしまうことはきっと出来ない。
「まあ、そういう女性は、貴族の令嬢や貴婦人にはなかなかいないね……。ユリア君は、部屋に閉じ込めたら戸を切り裂いて飛び出してきそうなところがあるね」
 肩を震わせてオリビエが呟く。確かに、とミュラーはグラスを空にした。
「お前や殿下はシュバルツ殿のことを知っているが、俺は知らんから正直なところお前の意見には賛同しかねる。会えばわかるだろうから、やっぱり連れて来い」
「そこに落ち着くのか……」
 妙に真面目な顔でいうヨハネスに冷や汗。
「ヨハネス殿、会うときっと驚くよ。帝国では絶対にお目にかかれないタイプだ。うちの軍も女性士官枠を作ってくれれば、ユリア君のような強く麗しい女性が増えるだろうのに」
 ああ本当に残念だ、とオリビエが大仰に手をあげた。
「殿下が麗しい、と思うなら相当美人なのだろうな。これは楽しみだ。下手をすれば俺が召し上げるかもしれん」
「兄さん、それは許さんぞ」
 間髪いれずに強い反応をするミュラー。
「お? 次期当主に逆らうか?」
「この件だけは誰にも譲らん」
「ハイハイ、じゃれるのはそこまで。まあ、みているととても面白いけれどね。ボクは先に休ませてもらうよ」
 ヨハネスが給仕を呼びオリビエを寝室に案内させる。残った兄弟はまた互いに酒を注ぐ。先ほどまでのにぎやかさとは一転し、静かなものだ。数杯そうやって空けた。
「ミュラー、シュバルツ殿はもしかして……10年前は」
「戦役で父親を失ったとか。自身も生涯消えぬ傷を持っていると、聞いた」
「……だと思った。……それでも、お前を好いているのか……」
「器の大きい人だ。俺など小さい小さい」
「さっきの召し上げる云々は置いといて、本当に俺はきちんと会ってみたい」
「わかった」
 真面目に言葉を投げかけるヨハネスに応じ、ミュラーも頷いた。そのままヨハネスは居間を辞し、一人残されたミュラーはなんとなく庭に出た。
「いい月夜だ」
 薄雲に隠され僅かにかげる程度の光が庭に下りている。
 確かにユリアは自分がこの家の人間であることは知っている。ただ、どこまでの意味で知っているのかはわからない。兄に言われたことが思い出された。
「外国人だからこそ、か」
 そんな程度のことで揺らぐ関係ではない。だが今までそれで幾度も別れを経験している。
 胸元に手をやる。この命はユリアがくれたもの。そしてもう一つ。己に対する絶対的な信頼。オリビエにリベール観光旅行の詳細を延々と聞かれた時、紺碧で居眠りをしたユリアの話をさせられた。とても親衛隊中隊長とは思えなかったと呟けば、それは安心しているからだと返されて言葉が詰まったことがある。
「俺も……貴女を信頼しなくてはな」
 家柄云々で揺らぐのは信じていないからだ。これでは次にあわせる顔がない。空を仰いで伸びをする。手入れの行き届いた広い庭は人気はない。いずれこの庭を一緒に歩いてみたいと願う。その時に兄に会わせてみよう。そこまで考えて、一緒にこの景色を見たいことが先で、ヨハネスのことなど二の次になっていることに気が付いた。軽く笑う。
 そろそろ横になろうと部屋へ戻る。また手紙に書くことができてよかったと頭の端で考えながら、久しぶりの自分の部屋で浅い眠りに落ちていった。


Ende


 面倒だから決めたくなかったのですが決めないとしゃーないというか、話に出しちゃったんだから仕方ない。おにーちゃんのお名前はヨハネスさんってことで。毎度書きながら思うのですがホントにいいのか? 捏造しまくり(汗)。でもさー、ここらへんってなーんにも公式さわってないしー。……こんなところに目をつける私が悪かったですよね、ええ、わかっとります。

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