廊下や窓の汚れをチェックしながら歩いていると手招きされた。一瞬誰が自分を呼んでいるのかわからなかったが、己を指すとうんうんと頷く人間がいる。
「……何事ですか、ヴァンダール少佐殿」
「侍従長、頼みがある……」
「殿下のような突拍子のないもの以外なら、善処しましょう」
「うっ」
 言われたミュラーは酢を飲まされたような顔。
「……いや、せめて話だけでも」
「構いませんよ。珍しいですね、少佐殿がそんなに落ち着かない様子なのは」
 フライハイトはコロコロと笑う。
「いつか皇城にいらっしゃった、あの女性の関係ですか?」
「……」
 隠していても仕方がないと言いたげ頷く。案外に素直に頷いたのでフライハイトは少し拍子抜けした。
「俺に……まともな手紙の書き方を教えてくれないだろうか」
「……手紙?」
「オリビエに頼むわけにも行かず……城内で相談できるとなると侍従長くらいしか……」
「……なぜまた」
「これだ」
 言いながら箱を持ち出す。輝く環事件以降送ってきたユリアからの便りがそこにすべて入っていた。その一つを手にとって封筒をしげしげと見る。フライハイトから見てもいいセンスだと思うシンプルな風合いの紙に、ふとした拍子に香る程度の香が炊き込められていた。中の便箋も同じ紙で、もったときに手紙にしては重いと思う分量。
「毎度毎度、そうやって手紙をくれる。ようやくこの間一通送り返せた程度で、しかも一枚にも満たない。さすがにそれは俺も申し訳がなくて」
「それで、私に?」
 少々情けない表情で頷いた。手紙を箱に戻し、すがるような目で見るミュラーを眺めた。こんなことでもなければ一生見ることはなかっただろう。そう思うとどうしてもからかいたくなってくる。
「殿下並の突拍子のなさですね……殿下から言われたなら、まだそれぐらいならと思ってしまうのですが、少佐殿から言われるとは……」
「放っておいてくれ、そのあたりは。で、協力してくれるのか?」
「そうですね、私には無理です」
「……そうか」
「手紙は書きたいと思うときに書くべきもの。義務のように書いていれば、相手にもおのずと伝わるものです」
 諭すように、柔らかい口調で告げる。
「少佐殿はすでに一通書かれているではないですか。きっと、あの方……ええ、シュバルツ様でしたか、あの方ならば大事にすると思います。以前から殿下より話は伺っていたのですが、殿下の話される以上に優しく強い方でしたね」
「そうか、侍従長が誉めるのなら、そういう人なのだろう」
 つっけんどんな口調だが顔は笑っている。自分のことのように嬉しいのだろうなとあたりをつける。
「少佐殿がシュバルツ様に何を伝えたいのか。まずそれを考えてみればいかがでしょう。素直な感情をぶつけてみればどうです?」
 だいたい少佐殿は無愛想なふりをしすぎなのですから。小さく付け足した言葉にミュラーは苦笑した。
「ありがとう侍従長。もう少しまともな手紙がかけるようがんばってみることにする」
「私は何もしていませんよ」
「いや、十分だ」
 小さく頷く。フライハイトも笑い、部屋を辞した。

 机の上に置いてある手紙の箱を眺め、フライハイトの言ったことを思い出す。何かつかめそうな気はするが、もう少し時間がかかるかもしれない。
「教えてくれるのならばもう少し教えてくれればいいものを。侍従長らしい」
 毅然とした老婦人を思う。皇子派でもなく宰相派でもない彼女。聞かれたなら、自分は皇城派だと答えたという逸話が残っている。誰が主になろうとも、この城に住む人間に仕えるのだと。
「今のところ俺たち寄りという噂は聞くが、きっと宰相派の人間にも同じように接しているだろうな。簡単なことでいて出来ないことだ」
 フライハイトのような人間は稀である。一つの国で宰相派だの皇子派だのと分裂することは良くないのだ。それはわかっているが現状どうしようもない。一触触発状態が延々と続いている。
「……バランスを崩そうとがんばっている輩もいるがな……」
 手元にあったペーパーナイフを掴んで机から離れた。僅かに遅れてそれまで座っていた椅子に数本の矢が撃ち込まれた。
「おちおち窓も開けていられん」
 少々場違いなことを考えていると隣に気配が生まれる。そちらを見ることはせず、代わりにもっていたナイフを翻した。通常のナイフほど先がとがっているものではないがそれなりの鋭さはある。翻したその先には男の目があったらしく異常な悲鳴が上がる。その合間に逆方向に現れた気配に対して容赦ない蹴りを叩き込んだ。
「……俺も舐められたものだ」
 片目を潰されるならともかく、蹴りを叩き込まれただけで動けなくなるような輩でどうにかできるとでもと、この襲撃を指図した人間に問うてみたい。溜め息をついていると外が僅かに騒がしいことに気付いた。バルコニーから庭をみれば人だかりができていた。手近を走る兵を捕まえて聞くと不審者とのこと。
「この城の警備はどうなっているのだか」
 侍従長あたりに言わせれば、ちゃんと正門から入ってきて欲しい、だろうな。
 その足でオリビエのところへ向かおうとすると、相手がこちらにやってきた。
「何事だい?」
「不審者だ。俺も襲われた。……貴様は? というより何故ここへ」
「ボク? ぴんぴんしてるよ。騒ぎがあったから野次馬さん」
 いつものように笑顔で答えるオリビエ。もしかして心配だった? と続けようとするのを制し部屋に戻った。閉めたバルコニーへの大戸の向こうで恨めしそうにみるオリビエを無視して、うめく侵入者二人を部下のホルストに拘束させる。
「どうせなにも吐きはしないだろうが、一応地下へ入れておけ。いずれ尋問してみる」
「イエス、サー!」
 敬礼し去ろうとしたホルストが体を返す。
「なんだ?」
「質問、よろしいでしょうか」
「構わんが」
「あの……殿下と一緒にリベールへいかれていたのですよね?」
 感情を外に出さないように、と思いつつ声が上ずっている。
「……シュバルツ大尉殿には、お会いになられましたでしょうか?」
「どういう意味だ?」
「あっ、いや! あのような大怪我をされて、お元気になられたのかと……」
 尻すぼみになるホルストの声。それをきいて、そういえばユリアは部下たちに人気が高かったと思い直す。部下たちの噂話にも時々上っていると聞く。
「もうほとんど支障はないと聞いた」
 こちらも感情を外に出さないようにしながら告げれば目に見えて明るくなる部下。
「ありがとうございます、サー!」
 嬉しそうに笑って侵入者達を部屋の外に連れ出していった。ドアが閉まると同時に無性にむかむかしていることに気がつく。
「……なんだこれは」
 よくわからない感情が居座っている。振り払うように机に戻り、刺さったままの矢を抜いて椅子に座る。
「さて。今の襲撃のことなど書いたりした日には、無為に心配をさせるだけだな」
 部下たちが心配していることでも書いておこうか。そんなことを思いながら便箋を眺める。一通手紙を書き、フライハイトから心得を教授されてもやはり苦手意識は薄まらない。
 なんとなく箱を探って、初めて来た手紙を引っ張り出す。丁寧で読みやすい字だ。
「……よく考えれば、すでにこのときからあの人は俺を……?」
 乱れた心を隠して書かれた簡単な内容。そんな感情などほぼ読み取れない文面。ただ最後に一行だけ、「またお会いできた時にでも実際にやってみます」とある。この手紙を受け取った時、嬉しいとは思ったが軽く思っていた。が、ユリアの想い、自分の感情を知ってしまった今では。
「結局、今度あったときに、では舞ってもらえなかったな。部下どもに乗せられてはいたが……。そうか、こういう内容でもいいのかもしれん」
 なんとなく筆がすすんでくれる気がする。気がするだけなので実際はどうなるかわからないが、と思いつつ、グランセル空港での見送りを思い出した。
 クローゼが見送りに来ており、当然のように付き従っていた姿は青い軍装。手を振るオリビエではなく自分に対してずっと敬礼をしていた。私服姿も良かったが、一番あの青い軍装が似合うと思う。
 そのままなんとなく届いた手紙を時系列順に読んでいく。簡単な言葉で簡単な文章。いつか、貴族ではないので作法や修辞には慣れていないと肩をすくめていた。どうしても単調な文になり申し訳ないといわれたものの、軍に身を置いてそれなりなのだから、下手に修辞がついた文章の方が見苦しい。
「ああ……今のままでいいと言うのを忘れていたな」
 逢えたら言おうと思っていたこと、しようと思っていたことの半分もできていないことに気付いた。
「やれやれ。備忘録でもつけておくか」
 呆れて息を吐いたところにメッセンジャーが入ってきた。彼宛に手紙を送るのは限られており、現在では大半がユリアからのものである。が、今日の分はそうではない。
「……兄さん?」
 当主の跡を継ぐ決心をしたとだいぶん前に差し向かいで飲んで以来、忙殺されて戻っていないが。何事だろうと封を切ろうとペーパーナイフを探すがない。
「そういえば先ほど使ったのだったか」
 廊下側の出入り口に落ちているのは見えたがさすがにそのまま使う気はない。というより、今後このナイフを使う気はない。あとで新しい物をもってきてもらうよう頼まなければ、と思いつつ席を立つ。その足で隣の部屋へ向かう。
「近衛長、いるか?」
 ノックをすると応えがあった。戸を開けると無骨な男が伸びをしている。
「どうしたんだ少佐。さっき隣で騒いでなかったか?」
「気になったなら様子でも見にきても構わんのだが」
「いや、あんたのところの部下が誰か引きずっていったのは見たから、多分訪問者だろうと」
「招かれざる、な」
 招かれるままに部屋に入る。椅子を勧められたがそれは断った。
「人気者だな、皇子殿下と一緒で」
「……俺はひっそりと軍人生活を全うしたいのだがな」
「いやもうそれは無理だろう」
 キッパリと言い切られて複雑な心境だ。
「そんな顔すんなよ少佐。俺はあんたが気に入ってるんだ。とことんまでやってみろ。近衛は基本的に皇子派だからな」
 もう少しで50になろうかという近衛長。最近は実際に警備に立つことはなく、専らあてがわれている部屋で書類仕事をしている。なぜかミュラーが皇城に入った頃から目をかけてくれていた。
「ありがとう近衛長。迷惑をかけないようにする。……ところで」
 ペーパーナイフを貸してくれ、と本来の目的を告げる。
「なんだ、そんな用事か。お安い御用だ。俺はまた、招かれざる訪問者の身元を掴んだから、近衛率いて決戦に行こうとでも言い出すのかと思った」
「そうだな、それは機会があれば頼もう」
 一呼吸置いて同時に豪快に笑う。
「あんたもだいぶん殿下に感化されてきたな。ほれ、もっていけ」
 笑いながら引出しを探り、自分のペーパーナイフを差し出す。
「これは、皇城内で基本的に使われているものとは違うな」
「ん? ああ、もらい物だ」
 意味深な笑いを浮かべてミュラーの肩を押す。
「あんたも心底惚れきった女からもらったものなら大事にするとおもうぞ」
 耳元でそんなことを囁かれ、そういえばカルバートとの国境紛争時に死に別れた妻がいたことを思い出す。
「すまんな。余計なことを思い出させたか」
「なぁに、それを見るたび思い出してるから構わん」
 また豪快に笑う。
「すぐ返しにくる。ありがとう」
 自室に戻り、借りてきたナイフを眺める。
「皆が皆、争いで傷ついている。それを隠して生きている」
 そんな状態で何年も何年も、この国は時を無駄にしてきた。けれども、自分やオリビエが動くことでまた傷つく人間が出るだろう。それを必要な犠牲だと割り切るには抵抗があった。が、オリビエは割り切っている部分が見え隠れする。
「この道を行くと決めたのは奴だ。それまでに俺などよりももっとずっと葛藤したことだろう」
 そんな奴に付いていくと決めてしまったのだからな。
 深い思索に落ちそうだったところを現実に引き戻し、兄から送られてきた手紙の封を切る。ざっと流し読みをしたところ、たまには顔を出せということだった。
「なにかあったか?」
 便りのないのは元気な証拠、とばかりにお互いほとんど連絡は取らない。それだけに、簡単な一言が不安だ。
 不安になった心を落ち着かせる為に息を吐く。椅子に座って大戸から見える中庭を眺めた。不意に、先ほど近衛長から言われたことが頭に浮かんだ。
「心底から惚れた女、か」
 きっと、この手紙の山は捨てられないだろう。もちろん送られてきた本も。自然と口が笑みの形に曲がる。
「さてと。返しに行くか」
 一瞬は不安になったがすぐに立ち直った自分の単純さを笑う。いつか、近衛長くらいにはユリアのことを言ってみたいと思いながら、借り物を返す為に部屋をでた。


Ende


 なんかもう帝国のゴタゴタ片付けないとこの話終わらない気がしてきた。そんな技量ないって。ただ私は少佐とユリアさんが現状に葛藤しながらいちゃついてるのを書きたいだけなんだが(腐)。
 ちなみになんだかんだでナンバリングが10まできてます(『約束』は『der Mondschein』と連続で書いたので連番扱い)。よくやるよと自分にツッコミ。そして少佐の天敵はお手紙で確定(笑)。

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