ユリアは困った顔。父親の部屋に入り片づけをしようとしたときそれに気がついた。
「……どうしよう……」
 掌におさまる小さな機械。だがそれは、中央工房でも生産できないであろう。
「今日ならまだ王城にいらっしゃるはず。明日戻られるはず……」
 暫し考え、身支度を整える。すでに夜になっており王城を訪れるのは気が引ける。しかし、ここに置いておくわけにもいかないと、溜め息とともに部屋を出た。まだ出入りは出来る時間だ。
 門番が何事かと問うがあいまいに返し、疑問符が飛び交う表情を向けられるのを感じながら城内へ。しばらくみていないので不思議と新鮮だ。
「大尉、どうされましたか?」
「いや、思い出したことがあってな。殿下は?」
「女王宮ですが」
「わかった、ありがとう」
 ちょうど詰め所から出てきた部下にクローゼの所在をとりあえず聞く。聞きたいことはそれではないが、音にしたら全然別のことになってしまった。いつかは何も思うところなく口にしてみたいと痛切に願う。
 二階へ上がり来賓用の部屋を抜ける。帝国からの来賓以外にも数人泊まっているはずで、そのせいなのか時折部屋からにぎやかな声がしてきた。この部屋のどこかにいる。別れてから数刻もたっていないのにもう何年も会っていないような錯覚。そこに弦楽器の音が聞こえてきた。もしかして、と賓客用のバーへ顔を出す。
「……おや?」
 他にだれもいないバーでカウンターに座り、機嫌よくリュートを爪弾いていたオリビエが顔を上げた。
「ユリア君ではないか。まだ休暇だと聞いていたが」
「あ……ちょうどよかった」
 首をかしげるオリビエに歩み寄る。
「これを、お渡し願えませんか? 忘れていらっしゃったので……」
「ええと……えっ、これを?」
 手渡された紙袋の中身を確認して眉を顰める。
「まったく。彼はアーティファクトをいったいなんだと思っているんだ」
「あの……私が気がつかなかったのがいけないのです。あの方を責めないでください……申し訳ないです」
「ユリア君が謝ることはないよ。まいったなぁ、そんな表情をされると、ボクはミュラーとライバルにならなくてはいけなくなる」
 茶化して言うのにつられて笑う。
「おお、それはそれで魅力的だ。もしかして」
 ユリアを手招きする。軽く体を寄せると耳元で囁かれた。
「四日も一緒にいて全く手を出されなかったから、物足りなかったろ? 彼は意外に奥手だったんだねぇ」
「えっ!」
「それで、ボクならと思ってくれたんだね」
「オリビエ殿っ!」
 真っ赤になってオリビエから距離をとる。一瞬目を丸くしたがそのうちに肩を震わせて笑い始めた。
「冗談だよ、冗談。やだなぁユリア君ったら」
「お、お、お戯れが過ぎます!」
 息を整え自分の頬を軽く叩く。
「では、お願いします。それでは良い夜を」
「あ、少し待って。せっかくだから会っていけばどうかな? どうせ部屋で横になっているだろうし。案内するよ」
「いいえ、お気遣い無用です。あまり城に長居すると、溜まっている仕事をしないといけない気分になるので」
 断り、バーから出て行こうとするユリアに手に小さな機械を押し付けた。
「えっ?」
「キミから持ってきてもらった分は確かにミュラーに渡しておくよ。でも、これはボクの。使い方はわかるよね?」
「え、ええ、なんとかは……」
「なら良し。事情は話しておくよ。今度、帝国に来たら返してくれるね? それまで預けておくよ」
「しかし」
「せめて声だけでも。……やっぱりミュラーはボクの親友だから、幸せでいて欲しいのだよ。ユリア君と話しているととても幸せそうだからさ」
「はあ……しかし、これはやはり私には過ぎたものです。お返しいたしますね」
 オリビエの手にアーティファクトを返す。
「それにオリビエ殿、一つ勘違いなさっていますよ。ミュラー殿は口には出されませんが、貴方とともに歩むことが幸せかと。そこに私などが入り込む余地などない」
 むしろ、私がオリビエ殿をライバル視してしまうくらいです。
 どんなに願ってもお互いその生き方を変えられない。互いに互いの主に対して嫉妬している。
「これに頼ってしまうとせっかくお願いした手紙がまたこないかもしれない。それは、少し寂しいので」
「手紙って……今まで一度も?」
 問い掛けてくるオリビエに頷き、
「ええ、一度も」
 と笑う。
「呆れた話だ。あれだけ口をすっぱくして返礼をするようにってボクはいったんだけど」
 渋面で、帰国したら今度こそ、などと呟いている。ユリアがその場を辞そうとしたとき、警備兵がユリアの姿を認めた。
「隊長、こちらにいらっしゃいましたか。殿下のところへ向かわれたのでは?」
「あ、ああ、もう大丈夫だ」
「休暇中大変申し訳ないのですが、問題が……」
 オリビエを気にしながら声を小さくする。
「……わかった、詰め所で聞こう。オリビエ殿、良い夜を」
「大変だねぇ、休暇なのに。ユリア君も良い夜を」
 手をふる男に敬礼し、兵とともに階下への道をたどる。
「問題?」
「実は、エア=レッテン方面で不審な人物が確認されたとか」
「何っ!」
 まだ来賓用の部屋がならぶ廊下だが思わず声が大きくなり、口を押さえる。幸い気にして顔を出すといったことはなかった。
「どういうことだ?」
 音量を落として聞く。
「実は、ブラックリスト入りの人物を見かけたとの報告が」
「……そうか」
 階段を駆け下りながらあらましを聞く。詰め所に入ると自分の机の上に山のような書類。
「あ……見てしまった」
 こうなったら先ほどの報告も含め、この書類を片付けなければ帰れないだろう。ユリアは覚悟を決めた。

 オリビエはミュラーにあてがわれている部屋のドアを叩きつづけていた。リズムに乗って叩く。このリズムで一曲できそうだと考えているところに、不機嫌極まりない顔でミュラーがドアを開ける。
「貴様は俺になにか恨みでもあるのか?」
「あるよ、たっぷりと。例えば、武術大会の時強制的にボクからリベールの宮廷晩餐会を奪っていったりとか、せっかくならんで買ってきたアイスだったのにお説教なんかしてくれるから溶けちゃったりとか」
「……貴様の脳には食べ物のことしかないのか?」
 半眼で問う。本気で疑問なようだ。
「あ、食べ物の恨みは海より深い、っていう名言知らない?」
「そんなものは知らん」
 言い捨てながら戸を閉めようとする。それでは意味がないとばかりに部屋に滑り込んだ。
「何の用事だ!」
「忘れ物。届けてくれたよ」
 紙袋のアーティファクト。
「これは……」
「家に忘れてることに気がついたからわざわざもってきてくれた。そのおかげで部下に捕まって、今は休暇どころじゃないみたいだったね」
 ああ、なんとかわいそうなユリア君、と酔った口調でまくし立てる。ミュラーは黙ってアーティファクトをみていた。
「てなわけで陣中見舞いに行こう、陣中見舞い」
「一人で行け」
「えー? 一緒に行こうってば」
「気味の悪い声を出すな!」
 行かないといったら行かないのだ、と早口に呟きオリビエは追い出される。廊下でしばらく待ってみたが出てくる気配はなさそうだ。
「ちぇっ、つまんないの」
 自分の部屋に戻ろうとしたが引き返してまたドアの前に立つ。先ほどと同じようにリズムに乗ってノックを繰り返す。
「おーい出てこーい。責任をとれー」
 だの、
「人一人を不幸にしてキミは平気なのかー」
 だの、
「卑怯者ー」
 だのと言いたい放題わめく。通りかかる給仕が何事かと目をやるが、誰が言っているのかを確認すると苦笑いを浮かべて己の仕事をしに行った。
 十分ほどそれが続き、勢いよくドアが開いた。ちょうどオリビエの顔面にドアがあたり、痛みにその場へうずくまった。そこへ上から怒声が降りかかる。
「人聞きの悪いことを言うな!」
 うずくまるオリビエの首根っこを掴み部屋へ引きずり込む。
「何か? 貴様は借金取りか? 皇城ならともかくこんなところで! いいかげんにしてくれ」
「イタタ……だって、逢いたいだろ?」
 鼻を押さえながら放った言葉に黙り込む。
「本当は捕まえて、帝国につれて帰りたいんだろう? そこまで思ってるのに無理するのは良くないと思うんだな、ボクは」
「……貴様、酔っているだろう?」
「失敬な。高々カクテル10杯程度で酔うわけがない。ボクはシェラ君の猛攻すら耐えたのだから」
「……耐えたとは言えんだろうが……だいたい貴様、俺の立場を忘れているだろう。のん気に顔など出してみろ。ろくなことにならん」
「大丈夫だよ、ボクのおもりってことでさ。いない間いろんなことしたからキミがついていてもおかしくない」
「自分が言っている意味をわかってるのかそれは……」
 何を言っても無駄だろうと溜め息をつき、オリビエに近くに寄るよう合図する。なんだろうと好奇心丸出しで近寄るとタイを捕まれた。
「酔い覚ましをしてやる。どちらの方法がいいか選べ。庭園からヴァレリア湖に放り込むか、ここの窓から簀巻きで吊り下げるか」
「ど、どっちも、嫌だ!」
「その回答は無効だ。質問に答えろ」
 ミュラーが本気の目をしている。これ以上この件を突付くとヴァレリアのヌシのえさになりかねない。
「ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ! ボクが悪かった!」
「もう二度といいません、か? 聞き飽きた」
「今日はこの件はもう言わないから! ヌシのエサは嫌だよぅ!」
 半泣きで訴える。その様子をみて手を離す。
「『今日は』が気になるが貴様にわめかれ続けるのは煩くてかなわん。……酔い覚ましは出来ただろう?」
 肩で息をしているところにそう言われ、確かに一気に酔いは覚めてしまったなと妙に納得した。次いで一本取られたと気がつき、苦笑が浮かぶ。
「覚めたなら出て行け。というか貴様も寝ろ。明日は午前一番の定期船で帰るはずだったろう?」
「そうだったね。はぁー、帝国にもリベールみたいにたくさん美女がいればよかったのに」
 さも残念だというように呟き、ドアに向かう。
「あ、ミュラー。別に明日、一人同行者が増えてても文句は全くないからね」
「いいかげんにしろっ!」
 後ろ手に閉めたドアに何かがあたる音を聞きながら、そっとオリビエは舌を出すのだった。


 書類から顔を上げ時計を見ると夜半過ぎ。深夜はよほどのことがない限り出入り制限される為、どうあがいても家に戻ることは出来ない。
「結局こうなるか……だから来たくはなかったのだが」
 口に出ないように呟き肩を回す。長時間書類仕事をしていたので体がこわばってしまっている。
「少し気分転換をするか……」
 立ち上がって備蓄庫へ降りていく。詰め所と隣接する形で作られている備蓄庫は暗く、ひんやりしている。料理長に見られるとあまりいい顔はされないのだが、気分転換はしたいが庭園まで行く余裕がないときに隊士たちは降りていっていた。ユリアも例外ではない。更に下に降りる為の階段に座って頭を手すりに預けた。
 どの部屋かわからないが、でもどこかにいるミュラーを思う。まだ休暇は十日近く残っている。幸か不幸か、今日までに溜まった書類は朝には片付くだろう。ルーアンで誘われた帝国観光も悪くないのでは、と思っている自分が怖い。
「まだ先の旅の余韻が残っているか。こんなことでは中隊長なぞ勤められんな」
 ミュラーは、ぬくもりを忘れないうちにと言った。この機会を逃すと、今度まとめて休暇を取れるのはいつかわからない。
 頭のどこかで、行ってくればいいというユリアがいる。その反対側では、もう少し冷静に自分の職責を考えろと警告するユリアがいる。どちらに従っても、選ばなかった道に後悔するだろう。
「後悔をするならいっそ自分のために休暇を使ってみるか……?」
 明日、帝国行きの便にそっと乗り込めばそれは叶う。ただそれだけのことだ。けれども女王やクローゼの笑顔も同時に浮かぶ。自分の不用意な行動で主たちが苦境に陥ることだけは避けなければならない。
 かごから転がり落ちていたキャベツを手にとり元に戻す。見つけ、手にとり、戻す間に心は決まった。
「まあ、不審者の報告も思ったより多いしな……」
 休暇は取りやめ。明日からまた任務に戻ろう。
「手紙が五通来たら」
 今までが今までだ。五通くるまでにどれだけ時間がかかるか。だが時間があけばまた休暇日数も多く取れるようになる。ぬくもりは忘れてしまう時間が開くかもしれないが、それはまた取り戻せるだろう。
「私も本を送る以外に手紙をたくさん書こう」
 頻度が高ければ返事も多くなるかもしれない。オリビエにもっと言ってもらおうか。そんなことを思い、自然に笑みが零れてくる。
「私は、幸せだ」
 呟き、詰め所へ戻る。一人二人が報告書と格闘しているのか、それとも眠気と格闘しているのか。そんな隊士たちの邪魔にならぬよう席へつく。上手く動いているように見えて細かな不満が多い王国軍内部。親衛隊の中でもそれは変わらない。
「どれだけ改善できるかわからぬが、これに手をつけなければならないのも上の勤めか」
 ミュラーもこんな書類に埋もれて悲鳴をあげることがあるだろうかと思う。
「あの方はそ知らぬ顔で何でも出来そうだ。今度聞いてみよう」
 また逢えるときに。いろいろなことを話そう。口元に僅かな微笑をたたえたまま陳情書に目を通す。そうやって、ユリアの日常は戻ってきたのだった。


Ende


 そういやユリアさんちでアーティファクトをサイドボードにおいて、それ以来触ってないやと思ったら一本できました。ただ今どっちも葛藤中。本当はオマケ程度だったのにそれなりの長さになりました。やっぱ私この二人溺愛してる。ちなみにオリビエはほろ酔いどころかかなり本格的な酔っ払いです(笑)。恋のキューピッドを演じようとして余計なお世話だ、な。
 王都と帝都で物理的な距離はある。けれど、同じことを思い、同じことを願うなら、それほど遠く離れてはいないのです。

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