「大尉殿。横になっていらっしゃらなくて大丈夫でしょうか?」
 部屋から出て、付近を何か捜すように歩くユリアをオットーが見つけた。ミュラーの部下で、少し堅苦しいが信頼できる人間だ。
「オットーか。ミハエル殿から、少しなら歩いても大丈夫というお墨付きを頂いたからな。訓練だ」
「さようでございますか。……何か、お探しですか?」
「自分の短剣だ。あの騒ぎでなくしてしまった。あるとすればこの辺りなのだが」
「短剣、ですか」
「確か、ここは爆発が起こったのだったか。その際失われてしまったかもしれぬ。だが、どうしてもあきらめきれなくて」
 息を吐き、床を見回すユリア。御典医であるミハエルからようやく歩いても構わないと許しが出た。近く帰国もできるとミハエルからオリビエに進言してくれるとのことだ。そうなると、あのとき失った短剣のことが思い浮かぶ。
「確か、少佐殿を狙った賊に」
「ああ。どれほどの爆発が起こったかは知らぬが、壁や柱にそれほど被害が出ていない以上、残っていないかと」
「大事な、物なのですか?」
「……形見だ」
 呟き、目を閉じる。それほど歩いた記憶はないが体が痛む。
「大尉殿。とりあえずお部屋へ」
「ああ。すまんな。情けないことだ」
 オットーに見守られながら部屋へ戻る。ユリアが部屋に入ったのを見届け、オットーは兵舎へ向かった。
「短剣?」
「ああ。お前、あの辺り片付けた時いただろう? みてないか?」
 同僚に声をかけるが、それらしきものは見ていないとのこと。見ていたとしても、バラバラになった人形の方が印象深く、忘れている可能性もある。
「あんまりあの時のこと思い出したくないんだよな」
 人形とはいえ、いや、人形だからこそ、思い出したくない。人をかたどった人ならざるものの破片が散らばっているのは、不気味さを越えて異様な気配を持ち始める。
「そうか。すまないな」
 オットーが考え込んでいるとホルストが声をかけた。
「何してんだ。悩みか? 女か?」
「……」
 目だけを動かし友人を見る。
「なんだよその態度。せっかく俺が相談に乗ってやろうってーのに」
「……そうだ、お前もあの時、あそこにいたよな」
 確か衛生兵を呼んできたのは彼だ。
「あそこ? あの時?」
「大尉殿が負傷した時だ」
「ああ……」
「そのとき、短剣を見なかったか?」
「知らんぞ。落としたのか?」
「大尉殿が無くされたらしい」
「……」
 腕組みをする。頭をあちこち動かす。ホルストはこうやって考え事をするのだ。初めて見たときは落ち着きのない人間だと思っていたが、今はすっかり慣れてしまった。
「覚えはねーなぁ。それにその後あの辺りなんか爆発しただろ?見つからないんじゃないのか?」
「かもなぁ」
「一応、見に行ってみるか」
「何?お前行軍訓練どうするんだ」
「後で追いつく。ごまかしといてくれ」
「無理だバカ」
「だろーな。ま、探し物してるとでも」
 言いたいことだけを言って兵舎から出て行ってしまった。残されたオットーは、絶対にごまかしてやるものかと頭を振った。

「ふんふんふーん。短剣ちゃん、いたらお返事しておくれ」
 調子はずれの鼻歌を歌いながら辺りを見る。通る給仕が妙な目を彼にむけるが、本人は気にしていない。
「うーん。やっぱりこっちにはないみたいだな。庭、飛んだか?」
 広い中庭を見る。一瞬絶望しかけたが思い直した。壁などにはほとんど傷は入らない程度の爆発だったのだ。広範囲に飛んだとは考えにくい。
「ま、やってみるかな」
 手入れのされた潅木の下を覗き込んみ、潅木を振る。庭師が見たら激怒しそうなことを繰り返すが、それらしいものは見当たらない。
「……やっぱ三週間くらいたってるもんなぁ。俺無茶やってるかも」
「そう思うならさっさとやめて訓練に参加しないか」
「げっ!」
 慌てて振り向くとミュラーが立っていた。
「貴様、訓練に参加せずこんなところで何をしている!」
「はっ。じ、自分は大尉殿が無くされたという短剣を探していました!」
「短剣だと?」
「オットーから聞きました。形見の品だとかで……」
「ああもういい。貴様はさっさと訓練に行かんか。これ以上ここでグダグダ抜かすと、訓練量をふやすぞ」
「はっ!」
 さすがにこれ以上きつくなるのは敵わない。ただでさえ日々の訓練もきついのだ。駆け出そうとした視界の端に黒い塊が目に入る。
「……?」
 手を伸ばそうとしたら後ろから怒鳴られたので、結局なにか確認できないまま走ることになった。
「全く。あの人がいると兵どもが浮かれて訓練にならん……」
 そういうミュラー自身も浮かれているところがある。自覚してからは、自戒を込めてあまりユリアの部屋は訪れないようにしていた。
「しかし、あいつは一体何を見つけたんだ」
 ホルストが手を伸ばそうとしていたあたりを見ると、黒っぽいなにか。手にとると焦げた剣のようだ。
「……」
 手に持ち、オリビエのところへ行く。
「オリビエ」
「なんだいミュラー。珍しいじゃないか」
「これを、ユリア殿のところにもっていってみてくれ」
「自分で行ってくればいいじゃないか。ボクはこう見えても忙しいんだ」
「俺はこの後行軍訓練がある。どうせ貴様は俺より暇だろうから、頼んだぞ」
「はいはい。まったく、どこの世界に皇子をこき使う少佐がいるっていうんだ」
「そう思うなら皇子らしい言動をしろ」
「むー」
 渡された剣をみる。
「これは何だね」
「知らん。ただ、あの襲撃の折短剣をなくしたらしい。もしかしたらそれかもしれん」
「ふうん。どこにでも売っていそうな代物だけど」
「部屋にユリア殿以外がいたら、俺からとは言うなよ」
「心得てますって、んもう、照れ屋さんなんだからミュラー君は」
「なんとでも言え」
 適当にあしらって部屋を出て行く。それ以上のわけのわからない言動に振り回されたのだ。それくらいでは動じない。逆に残されたオリビエの方が不満げだ。
「うー。彼は恋人ができてから性格が変わった気がする」
 一人で納得し、部屋を出た。ちょうどミハエルから帰国の話がきていたところだ。
 現皇帝が療養と称して公の場に姿をあらわさなくなってかなりになる。その間、総てのことは宰相に回っていっている。が、皇帝がどういう状態に置かれているのかはわからないが、玉璽だけは秘密裏にオリビエのところへ届けられていた。
「まーったく。父上も、厄介なものを渡してくれたものだ」
 ボクはまだ、器じゃない。甘くて結構。この広大な領地と多様な民を治めるのにはまだ時間が欲しい。
「でも、やるって言った以上仕方がないんだ……」
 珍しく心細そうな表情で呟く。
「こんな弱音を吐いていると、クローゼ君に笑われるな」
 同じように国を背負い立つ決心をした少女。いつか、国を背負うものとして話をしてみたいと思う。
「ユリア君、いいかな」
 応えがあった。戸を開くと彼女一人のようだ。杖を突き、部屋の中をゆっくりと歩いている。
「どうかされましたか?」
「いや、ミュラーがこれを見つけたらしい」
「?」
 差し出されたそれを手にとる。
「……これは自分の」
「そうか。よかったよかった。だが、何故それを? 失礼だが、ボクにはなんの変哲もない短剣にしか見えない」
「父の、形見です」
 抱きしめるように短剣を持つユリア。
「お父上の?」
「ええ。戦役で逝った父が使っていたものです。だから、リベール兵の基本装備ですね」
「……すまない、ユリア君」
「オリビエ殿?」
「自分には、あの争いを止める力がなかったよ。いや、今でもないだろう」
「お気になさらず。争いは止めようと思っても止められるものではない。それが戦争ならなおさら。自分達はその中で生きるべく、奮闘するのみ」
「……」
「自分が仕えた君主のために」
「アリシア女王や、クローゼ君がうらやましい。キミのような人に仕えてもらえるのは」
 先ほどまで考えていたこととあいまって、オリビエにしては非常に珍しく、自身のことで弱音を吐いていた。それに気が付いたが、言ってしまった言葉は取り消せない。
「何を仰いますか。この城には良き兵たちが多い。自分達も負けないようにしなければ。見習いたいくらいです」
「そうかな」
「そうですとも。ご自身の周りを、見てみればよくわかります。貴方の周りには良き方が大勢いらっしゃる。……これは殿下にも申し上げたことなのですが」
 少し考えてから口を開く。
「一人ですべてはまかなえない。そのために、周りの人間がいる。……頼っていいのですよ」
 それに、あまりそのようなことを言うと、ミュラー殿が怒ります。散々振り回されながらつかず離れずの友が。
「そうだね。確かにそうだ。彼は怒るだろうな。『自分になにも相談しない』と」
「おそらくは……。あの方の性格は、貴方が一番よくおわかりのはずですが」
「いやいや、最近はユリア君だって」
 いつもの笑い顔になって茶化す。ユリアは頬を僅かに染めた。
「そうそう、ミハエル先生から帰国できるほどにまでなったと聞いた。おめでとう。で、帰国時期はいつにする? まあ、その様子だともう少し療養は要るだろうけれど」
「そうですね……」
 考えつつ、ユリアは目の前の男を見やった。そのうち正式に帝位につくであろう。権力者には孤独が付きまとう。だが、それを支えている親友がいること。オリビエに忘れて欲しくないと、願った。

「ミュラー」
「なんだ」
「ユリア君の短剣。父親の形見だそうだ」
「……」
 人気のない尖塔の一つ。夜風が気持ちよい。まとめていないオリビエの髪が揺れた。
「例の戦役で」
「そうか」
「……あの人は、戦役にいろいろなものを奪われたのに、ボクたちを憎んではいない。中には帝国人だというだけで嫌悪を露にする人もまだ多いのに」
 眼下に広がる帝都の明かり。ぼんやりと眺めながらオリビエは呟く。
「それに、怒られてしまったよ。一人ですべてできなくてあたりまえだと」
「……そうか。想像を絶する修羅を見た人間は強い。あの人は、そんな人なのだろう」
「というわけでボク、ミュラー君に頼っちゃうもんね。ねぇ〜ん」
「馬鹿がっ! 寄るな!」
 突如態度を豹変させたオリビエに拳を一つ入れ、長い長いため息を吐く。
「貴様には緊張感というものがないのか」
「あるさ。あるけど、今は必要ない」
 キミ相手に、何を緊張すればいいのだ。
「俺としては少しでもいいから緊張してくれたほうがいい。だから! ニヤニヤしながら擦り寄ってくるな! 気持ち悪い!」
 怒鳴りながらようやくオリビエから逃げ出す。
「つれないなぁ。代わりにユリア君に慰めてもらおうっと……すいません、ボクが悪かったです」
 一瞬、強烈な殺気が辺りに漂う。冗談に本気で返されてしまった。
「それにしても、ユリア君は逸材だな。やっぱりクローゼ君に、こちらに来てもらえないか交渉したいところだ」
「無理だろう。この間の、クローディア殿の様子を見ていたらな」
「まあね。……キミも、やきもちかい? クローゼ君に」
「ユリアが帝国にきたら、兵は訓練にならんし、給仕たちも仕事にならん。今の様子を見ると」
「かも。……ところでミュラー。今、呼び捨てにしただろう?」
「む」
 意地の悪い笑顔になって親友を覗き込むオリビエ。仏頂面で追い払おうとするミュラー。己の失言に気が付くがもう遅い。
「なんだなんだ。名前で呼び合うそんな関係になったのかい? 一体いつの間に」
「喧しい。ユリア殿は俺を名だけでは呼ばん」
「今更とってつけたみたいに「殿」なんてつけなくて構わないから、どこまでいったんだね」
「煩い。俺は明日早い。もう寝る!」
 真っ赤になりながら階段を下りていってしまった。残されたオリビエは肩を震わせて笑い、またしばらく帝都の夜を眺めつづけるのだった。

 いざ帰国日。血に濡れ、紅に染まったユリアの服は、給仕たちの手によりほとんど完全に元通りになっていた。聞けば、仕事が終わった後に直していたとか。いずれ礼を贈ろうと考えながら空港まで行くと、見慣れた機体が停泊していた。
「あ、アルセイユ?」
 ユリアの驚きに呼応するかのように、部下数名が集まってくる。
「大尉! お迎えに上がりました!」
「あ、ああ……。しかし、なぜこの船が」
「ボクが、クローゼ君に頼んでおいたんだ。この船には医療施設もあるし、ブリッジでキミが指揮をしても、抜群の安定性を誇っているから、傷に支障はないだろう」
「オリビエ殿」
 部下に囲まれていると後ろから声がした。手に持っていた書簡を渡す。
「これはミハエル先生から。必ず、グランセルの医者に見せて、絶対に絶対に絶対に無理はしないこと。……ボクは伝えたよ?」
 ミハエルに頭が上がらないのか、少し怯えたような声で付け加えた。ユリアが頷くと満足そうに笑う。
「では、また会おう。いずれ、技術指導の件と、襲撃の件でそちらに書面を送るか使者を出す。それにしても申し訳ない。ボクとクローゼ君の企みのせいで、キミは負傷したようなものだからね」
「いえ、それは構いません。では、帰国させていただきます」
 ユリアがそう告げた瞬間、搭乗口に給仕や兵たちが大挙してなだれ込んできた。
「ユリア様、いっちゃいやーっ!!」
「せめて一目、もう一度!」
 大混乱である。もみくちゃにされ、帽子が飛ぶ。手を伸ばすが届かない。
「こら、離れてくれ。傷に支障がでる!」
 どさくさに紛れて自分の部下やオリビエまでこの騒ぎに加わっているような気がする。手を握られるくらいなら構わないが抱きつかれるのはうれしくない。しかも女性が主に抱きつこうとしてきている。牽制しながら腹部を守るように人波を掻き分けた。
 ようやく甲板にたどり着き、ほっと息を吐く。そこへ、帽子が投げ渡された。そちらを見ると、兵たちの一番後ろにミュラーが立っていた。兵たちに紛れやってきたのだろう。彼は屈託なく笑っていた。だからユリアも最高の笑顔を送った。
 部下たちが入り口を開けて待っている。見送りに敬礼をし、船内へ。久しぶりの船で、何故か気恥ずかしい。
「……久しく乗っていないと、こんな気分になるのだな」
 自分の席へ。掃除が行き届き、綺麗なものである。そっと座り、辺りを見回す。
「よし。通常手続きで浮上準備開始だ。帰ろう、リベールへ」

 舞い上がるアルセイユを見送る集団。その輪から離れ、少し遠くから見送るミュラー。
「いいのかい?」
「俺は兵どもが喧しいから仕方なく訓練を中止してきただけだ」
「ボクなんかドサクサで抱きついちゃったもんね」
「見ていた」
「……そんな感情のない声で言わないでくれるとうれしい」
「ほかにホルストもしっかり手を握っていたな」
「やきもちはみっともないよ、ミュラー」
 空を見上げたままのミュラーの肩に手を置く。が、恋人としては見送ることはできない。互いの、軍の要人という身分が枷になる。今だに微妙な国際関係。下手をしたら三国のバランスが崩れかねない。それを知っているオリビエはそれ以上何も言わなかった。
「……行ってしまった。空を」
「だねぇ。相変わらずいい船だ。ラッセル博士がまたメンテナンスしてるんだろうねぇ」
「『あなたが空を行くなら、私は翼になりたい』……」
「お。珍しい。確か歌だったかな」
「俺はここしか知らんが。……あの人にはもう翼はある。なら、俺は何になれるだろう」
 現に、翼を広げて自国へ帰ってしまった。
「なんだ、そんなことを考えていたのか。顔に似合わずロマンチストなんだから」
「貴様は一言多い」
「悩むことはないさ。彼女が望むものになればいい。ま、考える必要はないだろうけれど」
「どういうことだ」
「キミは、もう今の状態で、彼女が望むものだと思うよ」
「だと、いいがな」
 柔和な表情で息を吐く。
「さて、俺は兵どもを郊外の訓練場へ連れて行く。貴様はきちんと城に戻れよ」
「ほいほい。任せて」
「……自信満々であればあるほど不安にさせるからやめてくれ」
「失敬な」
 憤慨したように胸を反り返らせるオリビエにこれ以上話をしても無駄と思い、名残惜しそうな兵たちを叱咤する。自身の名残を消すように。
 いつかまた、王国へ行こう。行って、先ほどの疑問をぶつけてみよう。そのときユリアはどう返すだろうか。想像することが切なくも楽しい。しぶしぶ走り出した兵たちの後から、自分も走った。

Ende


 はいはい、続いてみました。大怪我しちゃいましたが本国へ帰投です。多分しばらく続きます。いつ終わるだろこれ(苦笑)。なんか、本当に久しぶりに燃焼中なのがよくわかる。生活に萌えを、部屋に砂を!
 ホルスト。完全にユリアさんに惚れた、でも、ユリアさんとミュラーさんの関係には全く気が付いていない、お約束的な彼。愛らしくも切ないのです。こんなヤツ好きさ。
 「あなたが空を行くなら」の歌詞は、ラストエグザイルED曲『Over The Sky』です。聞いていて、きっとここに似合いそうだと。ただ、この「あなた」というのは、主人公のクラウス君を指しているかと。女声だしね。

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