いつか、どこかのものがたり。

 とあるお城に、お姫様や女王様にお仕えする兵士がおりました。ユリアという名前の女性の兵士は、腕っぷしは男性兵士顔負けで、軍艦の艦長さんまで勤めていました。
 高い背と短い髪で、遠くから見ると男の人ですが、とても綺麗なお姉さんです。少し融通が利かないこともあるけれど、お姫様はこのユリアをとても気に入り、女王様も満足そうに二人を眺めるのでした。
 城下にでれば、油断をしているとすぐ人に囲まれてしまいます。男の人ではなく、女の人がユリアの周りを取り囲みます。いつもそれには悩まされていましたが、彼女は兵士。民を手荒に扱うことは許されません。仕方なく、困った笑顔がいつも張り付いていました。

 さて、お城で舞踏会が開かれることになりました。お隣の国からも貴族の人たちがたくさんやってくるということで、城内は大騒ぎです。飾りつけはどうするのか。出す料理はどうするのか。当日演奏する曲目の選定、カーテンの色、照明用の燭台の数。果ては主催の女王様が初めに立つ位置まで、ありとあらゆる細かいことが決められ始めました。そんな中、ユリアは警備の計画で大変忙しい日々を送っています。女王様に仕える兵士の中でも一番の役割を持つ彼女は、普段の警備のことも考えなくてはならず、できるならこういう催しは控えて欲しいとそっと溜息をつく毎日。副官や部下たちに任せている仕事も多いけれど、彼女自身がしなくてはならないことも多く、一日が終わっても彼女の仕事は終わらないこともありました。
 準備もそろそろ佳境、というころにお姫様がユリアを呼び止めました。
「ユリアさん、お願いがあります」
 お姫様はまだ若く、社交界にお披露目をしていません。今度のパーティーは彼女のお披露目。姫としての第一歩を踏み出す日で、ユリアは準備が大変だと思いながらもとても嬉しい舞踏会です。
「どういったものでしょうか?」
 優しく問い返せば不安そうな目が返って来ました。服の裾を力いっぱい掴み、綺麗なドレスがぐしゃぐしゃです。その手をそっとほぐしていると言葉の続き。
「……一緒に、パーティーに出てください」
「えっ?」
 お姫様の意外な言葉に目が丸くなってしまったユリア。それもそのはず、一介の兵士でしかない彼女が、何ゆえお披露目の舞踏会に参加などできましょう。警備は自分もするつもりでしたが、参加する気はまるでなかったのです。
「だめ……ですか?」
 今にも泣きそうな表情のお姫様。多少は社交の技術を身に付けています、けれども自分が参加したら何か大きな失敗をしそうだと断ろうとしたのですが、小さなレディの不安が彼女にのしかかります。肩を震わせてユリアにしがみ付く様を見て、一旦女王様に相談してみようと思いました。

 女王様はいつも穏やかに微笑んでいますが、ユリアの口からお姫様の様子が伝えられると少し寂しそうな顔になりました。
「そうですか……あの子がそんなことを」
 どうしたものかと首を傾げます。
「貴女にも仕事がありますものね。クローディアの言うことを通していれば、警備に支障が出るかもしれませんが……」
 それでもお姫様は女王様の大切な孫で、その晴れやかな日が少しでもいい思い出で残ってくれればと願っています。
「警備の方は何とかなると思いますが、自分がそんな晴れやかな場所にいることは考えられなくて……。何より、着ていくものが……」
 偶に自分自身が小さなパーティーに呼ばれて出かけることはありましたが最近はそんなことはほとんどありません。もっている服はいつのまにか流行遅れになっていましたし、今流行りのドレスがどんなものなのかさっぱりわかりません。
 そして、そういう格好をしているのが自分だと理解されるのがすごく苦手でした。
「それくらいなら何とかさせますよ」
「あ……」
 女王様は優しく笑います。
「けれど、出るのか出ないのかは、ユリアさんが決めてくださいね。貴女の仕事に関わることです」
「はい……」
 女王様は微笑を残して退出されました。

 結局どうしたかといえば、あまりお姫様の傍には居られないかもしれないと断りを入れ、ちょっとだけ参加することにしました。本当はその日、兵士の会議があるのであまり会場に長居はできません。パーティーが長引かなければ問題はないのですがきっと長引くだろうなと思います。過去、何度か行われたパーティーは必ず日付が変わるまで続けられたのですから。中座することも付け加えると、お姫様は少し不満そうな顔をしていましたが、最終的に頷きました。
 今の流行は抑えながらもあまり派手ではない方がいい、ということで選ばれたドレスはとてもシンプル。色合いも程よく、大して目立たないだろうと思うものでした。それでも自分とわかるのは嫌なので、頼み込んでウィッグを借りることにしました。今はとても短くしている髪ですが、長髪のウィッグを借りればより自分とはわからないだろうと思ったのです。
「……確かに、ぱっと見では誰かわかりませんね」
 女官長がその姿を見て頷きます。
「でも、別の意味で目立ちそうですが。本当に会議には出るおつもりなのですか?」
「ええ……そのつもりです」
 きっと無理ですよと女官長に肩を叩かれ、そうかもしれないと肩を落とすのでした。

 そして、既にユリアは疲れていました。慣れないヒールがその最もな原因でしたが、警備をしている方がよほどましだと頭を抱えたい気分。そんなことができるはずもなく、給仕からグラスを受け取って大窓のカーテンの傍に立ちました。ここはユリアの着るドレスと似た色のカーテンがかかっていて、それほど自分が目立たないと思ったからです。
 そう。ヒールの次の原因が、なぜか声をかけてくる男性たちでした。今は兵として警備をしているわけではないのであしらえません。自分が帯剣していれば絶対に声をかけてこないだろうと思うのに。
 そろそろ出てもいいかもしれない。お姫様に一言告げてこようと思うのですが、広い会場でどこに居るのか判りません。歩きつかれた足はヒールを拒絶し始めています。
「仕方がない、少し休むか……」
 近くに設置されていたソファに緩やかに座れば、足がようやく落ち着いてきました。行儀が悪いとは思えど、スカートの下でヒールを脱ぎ、指を広げてみればたまらない開放感。こんなところでこんなまねをしている自分がお姫様や女王様に知られたら怒られるかと思いながら、小さな幸せを噛み締めていました。

「お隣、構いませんか?」
 突然声をかけられてびっくりしたユリア。辺りを見回すと一人の男性が立っていました。他のソファは定員がいっぱいで、彼女のところがもう一人だけ座れる状態。
「あ、どうぞ……」
 端に寄ると、スカートから片方、脱いでいたヒールがちらり。慌てて引き寄せましたが、隣に座る男性の目を見ると笑っています。
「……見られましたか?」
「……ばっちりと」
「……」
 顔が熱くなりました。きちんと顔が見られません。どうしよう、立ち去ろうか、それも変な話だし、なにより足はまだ悲鳴をあげそうです。仕方がないので黙っておくことにしました。
 しばらくそんな風にどちらも口を利きませんでした。そろそろいいかなと思いましたが、相変わらず隣に男性が居るのでこっそり履きなおすことができません。ちらりと視線を向けると、じっと男性がこちらを見ていました。
「足が上手く動きそうにないみたいですね」
 クックっとユリアの足元を指し示しました。
「……忘れてください」
 どう答えていいのか、しばし悩んで、気にしてもらわないようにしようと思いました。けれど、男性は人懐っこく笑い、こんな提案をしてきます。
「実はいい薬をもっているのですが、どうしますか? 慣れない靴で擦ったのだと見受けますが」
 優しい提案に頷きそうになりましたが、本当に時間が差し迫ってきています。いい薬という言葉には惹かれましたが丁重に断りました。
「自分も慣れない靴でよくやるのです。本当にすごくよく効きますよ?」
 それでもユリアは、そっとヒールを履きなおし立ちあがります。
「ではこれにて。よい夜を」
「……ええ、貴殿も」
 言った男性の顔が少し寂しそうだったのは、ユリアの気のせいだったのでしょうか。

 なんとかお姫様を見つけ、中座することを伝えると更衣場所へ向かいます。が、一歩足を踏み出せば痛くて仕方がありません。普段の服に着替え会議に出たときも、足はじわりと痛みを忘れさせてくれないまま。結局ほとんど頭に入ってこず、将軍からたるんでいると怒られてしまいました。
 会議の間中ずっと痛みをこらえ、終わった時にはそれだけで疲れ果てました。舞踏会に参加するより会議の方がまだいいと思っていたのに、これではまるで逆です。溜息をついて窓から見える舞踏会会場を眺めました。
「まだまだ終わりそうにない」
 既に中座してから三時間ほどは経っていますが、全く終わる気配がない舞踏会。もしかしたら、今行けばまだいい薬をもらうことができるのではないかと、もう一度会場へ向かいました。
 大扉から中にそっと入り込みます。先程とは違って警備兵の服装なので、普段どおり余計な気配を出さず無機物と同等の気を纏わせ。いかにも警備をしていますという様相で、その実はいい薬をくれるといった男性を探しました。
「……無理か」
 おりしも楽の音まで少し悲しいメロディを奏でています。無駄足だったかと悲しくなりながら、また大扉から会場の外へ出て行きました。
 そろそろ足が限界です。ここに来れば薬をくれるかもしれないと、甘い考えをもっていた自分を怒りたい、そう思いながら壁に背中を預け、そのままズリズリとしゃがみこみました。本当に足はもうだめです。慣れた靴にすら反発していました。もう歩けない。
「おとなしく部屋にいればよかったな。馬鹿なことだ」
 格好は悪いですが、部下が通りかかれば詰所まで連れて行ってもらおうと、辺りを見回しても静かな廊下です。くぐもった程度に何かの曲が響くだけ。本当なら大扉の前には衛兵がいるはずなのに、その姿は全く見えませんでした。
 不意に大扉が開きました。音楽と話し声が一気に広い廊下を満たします。使用人たちはここではなく、併設されているキッチンから出入りするように言われていました。本来ならユリアもこちらではなくキッチンから行くべきだったのですが、会議室からは遠回りになってしまうのです。
 誰かお客様が出てきたのでしょう。慌てて立ち上がろうとしましたが、痛みが体中を走りぬけるような錯覚にたまらなくなり、顔をしかめました。
「ほらやはり。薬、今でも要りますか?」
「……あ」
 出てきたのはあの男性。手に小さな瓶を持ち軽く振っています。
「……」
「どうしましょうか? あ、ここでは邪魔になるかもしれませんね。……大丈夫ですか? 歩けますか?」
 申し訳なくなりながらも肩を借りて、テラスに上がる為の階段まで来ました。瓶を貸してもらい、靴を脱いで足の様子を見ます。
「うわぁ……こいつは酷い。よくこんなになるまで我慢できたものだ」
「自分でも驚きました……応急用の包帯が足りるかどうか……」
「自分も持っています。使ってください」
「……すいません」
 差し出された包帯を受け取り、自分が持ち歩いている消毒薬を足につけました。痛いのは痛いですが、よくなるためだと我慢をして一通り消毒。そして、蓋を開けて中の薬を指先に取りました。何のにおいなのかは判りませんが、とてもすっきりするにおいです。少しずつ塗っていけば、確かにそこから痛みが和らいでいきました。
「すごいですね、この薬」
「自分の家に伝わる、怪我治しの妙薬なんです。怪我が多いので、お守り代わりにいつももっています」
 そこで初めてユリアは男性を見ました。心配そうにユリアの足を見ている様子が、とても貴族には見えません。
「本当にありがとうございます……あの、お名前を」
「……本当はあそこにいてはいけない人間なので、申し訳ないですが名乗れません。代わりに貴殿のことも問いません」
「……」
 いてはいけない。そんなことがあるのでしょうか。招待したお客様ではないということでしょうか。ユリアにはさっぱり判りませんでした。

 しばらくしていると痛みが引きました。本当によく効くとにっこりしていると、釣られたのか男性もにこりと笑いました。
「よかった。お役に立てたようだ」
「心より感謝をいたします。この後も警備が待っているのです」
「あの会場にいたのもその一環ですか? ……おっと、さっき問わないと言ったばかりだ」
「構いませんよ。似たようなものです。あの姿と今の姿を見比べれば、誰だってその結論にたどり着きましょう」
 包帯をした足を軽く伸ばしてみます。もうほとんど痛みはありません。丁度そのときに外から大きな音。窓から見える空には火の華。
「そろそろ終わりが近いようですね」
「ええ」
 いつも花火が終演の合図。お城の庭では今ごろ、お抱えの花火師たちが一世一代の腕を競い合っているはずです。
「本当にありがとうございました。やはりお礼がしたいのですが」
「……なら、踊りましょう、自分と」
「え……?」
「そんなに激しいステップは踏まなくていいですし、自分も裸足になります。だから、この音と一緒に踊りましょう」
 男性の言う音とはきっと花火の音。そんなものが音楽の代わりになるのだろうかと一瞬だけ考えましたが、それも面白いかもしれないと微笑みながら頷きました。

 柔らかい絨毯の感触が足の裏を心地よく撫でます。互いに名乗りもしない二人は、外から轟いてくる大きな音を頼りにゆっくりと廻る。
 踊りの名前は? そんなものはない。
 ステップの定石は? そんなものは必要ない。
 空に花が咲き、広がり、散る間。
 ただ、自分の足が赴くままに。ただ、自分の心が導くままに。こんな舞踏会ならまた参加したい。そんなことを思いながらユリアは踊りました。

 一際大きい花火が上がる頃、何も言わずに二人は別れました。どこの人だったのだろうと思い、優しかった孔雀色の瞳が浮かび、まあいいか。もう二度と逢うこともないと、あの夜は一夜限りの夢だったのだろうと思うようになった頃。お隣の国の有力貴族が女王様に謁見を申し出に来ました。
 謁見室の警備に立つユリアは、一行の中にあの男性の顔を見、驚きで声も出ません。向こうもユリアに気がつき、そっと胸元からあの小瓶を取り出して振ります。彼はユリアと同じく、警護として同行しているようでした。
 当事者だけで話をするということになり、ユリアは謁見室の外へ。お客様の警護たちも外へ。なんとなく扉の近くで待っているとあの男性。
「また会えましたね」
「……本当に」
「あの時の足は大丈夫ですか?」
「はい。傷も残っていません」
 問い掛けに淡々と答えながら顔を上げれば、あの時と変わらない孔雀の瞳が楽しそうに揺らめいています。ユリアもなんだか楽しくなってきて微笑み、そしてこう、問い掛けるのでした。
「今度はお名前、教えていただけますか?」


Ende.


 果て無き踊りのワン・ナイト・ドリーム。なんでだろうね、やっぱり私のユリアさんは踊りと切り離せない。
 いや、固有名詞ほとんど出さないのって好きなんです。誰が誰かはすぐわかると思いますが。前にヴィオお話で人魚姫は使っているのでこっちはチェネルで。サンドリヨンでもなくシンデレラでもなくチェネレントラ。なんかこのイタリア語の響きが好き。

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