「……遅い」
 抑揚のない声。
「遅いですわ」
 もう一度繰り返される。
「何とかいいなさいよユリア」
「……私が何を言えるというのだ」
「貴女は時間にきっちりしているというのに、相手はルーズでも構わないのかしら?」
「いや……これは……」
 ミュラーは時間に厳しい。それがここまで遅れている。理由は一つだけ思い当たるが、それをカノーネに説明するにはちょっとした時間がかかってしまう。段々不機嫌になってきた元同僚を見ながら、今説明してもきっと無駄だろうなとため息をこぼす。
「待ち合わせ相手を待たさないというのは最低限じゃない。もう……この時点でかなりマイナスですわ」
「マイナスって……」
 憤慨して腕組みをしなおすカノーネに乾いた笑いを向けた。と、カノーネがにこりと微笑み返してきた。その表情に何がしかの悪寒に襲われたが、とりあえず気にしないようにしようと大通りに目を向けた。
「……あ」
「ん? どうかしたの?」
「い、いらっしゃった」
 カノーネが視線を向ける気配がする。妙に緊張してそちらを確認することが出来ない。
「すまない、遅くなった。相当に待たせてしまった」
「あ、いえ、私は別に構いません」
「わたくしは構いますわ」
 久しぶりに会ったミュラーにこっそりと心躍らせていると、隣から少し棘のある声。
「申し訳ない、ええと……」
 カノーネ・アマルティア、とユリアが助け舟を出す。
「アマルティア殿、本当に申し訳ない」
「……」
 意外そうにカノーネがミュラーをみやった。リシャールよりも背が高い男で、あまり見上げていると首が痛くなる。
「いいえ、ヴァンダール殿。そうやって謝っていただけるなら、わたくしはこの件は問わないことにいたします」
「かたじけない」
 頭を下げる男に一本指を突き出す。
「けれど。なんですか、そのお召し物は!」
 いわれて自分の姿をみるミュラー。普段どおりの軍装。
「いや、自分は……」
「カノーネ、無理を言うな。仕事中のはずなのだから」
 ユリアがたしなめるも聞いていない。
「わたくしは嫌ですわ。こんな正気を疑うようなカラーの軍服を着た方と歩くだなんて!」
「正気を疑うって……」
 頭に手をやり盛大にため息をつくユリアと、思うところがあるのか、袖口を眺めるミュラーが対照的だ。
「ユリアにだって私服を着てくるように言ったのに! ユリア、貴女一体どうお伝えしたの!?」
「いや……お前が会いたいと言うことを伝えたが……」
「……」
 その答えを聞いてカノーネは大仰に空を仰ぐ。
「もう……どうして貴女がそうなのに……そのお相手までそうなのかしら……互いに補い合うものではないの……?」
 ぶつぶつと呟いた後、にこりとミュラーに笑いかけた。
「お召し物の着替えをお願いします」
「……しかし、仕事中なんだが……」
「ここにいらっしゃっている時点で既にお仕事など放り出してきている証拠ではありませんこと?」
 指摘されて開いた口を閉じた。
「お着替えを要求いたします」
「……だが」
「お着替えを。要求。いたします」
 笑顔をたたえたままミュラーに強く言い切る。しばらくにらみ合っていたが、結局男の方が根負けをしてしまい、もう一度大使館まで帰る羽目になった。
「わたくしたちは教会裏のコーヒーハウスにいますから、そちらまでいらっしゃってくださいね」
「おいカノーネ、ここで待つんだろう?」
「そろそろ喉が渇きましたの」
 悪びれず言い返してきた友に肩を竦め、傍らに視線を送る。おそらく鏡があれば自分と同じ表情だろうな、という風にミュラーも肩を竦めていた。

 コーヒーハウスで紅茶を頼むのもどうかと思うので、仕方なくコーヒーで口の中を湿らせてはいるものの、少しも美味しく感じない。もとより紅茶の方が好きだというのもあるだろうが、今はそれだけではなかった。
「マスター、お代わりいただけませんこと?」
「ま、まだ飲むのかい? お姉さん」
「ええ。ここのコーヒーは相変わらず濃いけど、美味しいですわね」
 カノーネの一言に機嫌がよくなったマスターは、にこにことしながらテーブルに新しいサーバーを持ってきた。その真っ黒い液体をみているとげっそりしてくる。ミルクでごまかすにも限界があった。
「まだ来ないのだろうか」
 それほど時間が経ったわけではないが、目の前の黒い液体から逃れられるのならと視線をあたりに走らせる。が、結局は手元のカップに戻ってきてしまうのだ。
「……落ち着きませんわね。そんなに気になるのかしら?」
「な、何?」
「そんなに落ち着きのない貴女なんて、滅多にお目にかかれないから……ふぅん、そんなに気になるのね」
 一人満足したと頷く。
「ちょ、ちょっとまてカノーネ、何か勘違いしているだろう?」
「ふふふ、そんなに慌てなくてもよくってよ。あなた達、見ていて面白いもの」
「カノーネ……あまりあの方を困らせるようなことをしないでくれ。自分の用事で振り回してしまっているようで、見ていて辛い……」
「でも今日は貴女の用事じゃなくてわたくしの用事ですもの。少し疎そうだけど、なかなかどうして素敵な方ではなくて?」
「そうか?」
 振り回して申し訳ないと思えど、昔からの友にそう言ってもらえるのは嬉しい。自然と声の調子が弾んでくる。
「そうなのだ。あの方は、自分などにはとても過ぎた方だと思う。何故自分を選んでくれたか、今もって判らずじまいだ。名門出で、陛下や殿下の覚えもよくて、自分などより格段に剣の達人で、かといって人柄に欠点があるわけでもなく……」
「でも、ユリアを選んでくださったのでしょう?」
「……ああ」
 カノーネの合いの手に顔が熱くなった。ちらりと様子を見ると、暑いのか手で仰ぐ真似をしている。
「そのあたり、聞いてみればいいのに」
 コーヒーを一気にカップ三分の一ほど飲んでしまう。多少の羨望をもってその様子を眺めていると。
「……こちらで構わないのだろうか。申し訳ない、場所がわからなくて少し迷った」
 直上の真後ろから声が降って来た。不意だったので手にもっていたカップを少し揺らしてしまった。幸い零れることはなかったので平静を装う。
「確かに、王都育ちでないとここはわかりにくいですわね。だからこそ選んだのですけれど」
 もう一軒、いいコーヒーを淹れてくれるところは知っているが、リベール通信社のすぐ近くだ。流石にそこはまずすぎる。それはカノーネもわかっていたようで、住宅街の、下手をしたら気が付かないほどこじんまりとした店を選んでいた。
「今度は早くてよかったわねユリア」
「何故私にふる」
 カノーネが椅子を引き、礼を言いながらミュラーが座った。走ってきたのか、肩が大きく上下していた。
「これをもらっても構わないか?」
 近くにあった水の入ったコップを掴み女二人が返事をする前にそれを呷る。飲み干してコップを置いたミュラーが見たのは若干あきれた表情のカノーネと、顔を赤くして頬に手をやり、うつむくユリア。
「……ええと、まずかったのか?」
「わたくしは別にまずくはないですけれど……そちらに聞いてくださいませ」
 あきれた表情ではあるが声音は柔らかい。むしろ声だけ聞けば面白がっているな、とユリアは思う。
「……貴女のだろう?」
「ああ、ええまあ……」
「ならそれほど構うことではあるまい。俺はまた、アマルティア殿の水を飲んでしまったのかと思った」
「私のなら構わないのですか……?」
 恐る恐る聞いてみる。こういうとき何を言っても言い負かされるのは経験則。
「何を今更。……そうだろう?」
「知りません!」
 わざとだ。覗き込んでくるのでそっぽを向いた。
「……それより先に許可の回答くらい待っていればいいのに……」
 咳払いをしてカノーネがコーヒーを飲み干した。熱かったのか、少し舌を出す様がおかしい。
「帝国の方で、それも軍人とは存じ上げていましたけれど、なかなか冗談のお好きな方のようね」
「……かもしれない」
 心外だと呟くミュラーを置いてカノーネに頷く。
「まあ、ユリアは相当固いから、ちょうどいいのではなくて?」
 ほほほ、と笑うカノーネ。
「では、ヴァンダール殿? お聞きしますわね」
「何を聞かれることやら」
「単刀直入に。何故、ユリアですの?」
「!」
 手で包んでいたカップがまた揺れる。少しずつ飲んでいたお陰か、先程より大きく揺れたがこぼれなかった。
「かかか、カノーネ……それは、私の居ないところでやってくれ……」
 とっさに席を立とうとすればミュラーに腕をつかまれていた。行かさない、と目で訴えてくる。つかまれた腕は段々力が入ってきており、結局座りなおすだけにとどまった。
「耳をふさいでいるから小声でお願いします」
 二人に背を向けてテーブルに突っ伏する。
「……では聞かせていただきますわ」
「そうだな……」
 以降、ユリアの頭上を何がしかの会話が飛び交いはじめた。小声で、とお願いをしたのに店中に響くのではないかと感じてしまう。たまに目を上げて、カノーネと目が合う。穏やかに微笑まれて嫌な予感がし、また頭を抱えてテーブルに伏せる。それを幾度か繰り返した頃、背中をミュラーに叩かれた。
「ユリア殿、もう終わったぞ」
「……本当ですか?」
 警戒しながら頭を上げる。聞こえてくるのは外からの雑踏だ。一体何を言われたのやら。カノーネは先程よりもより楽しそうに笑っていた。
「ふふふ、たっぷりと聞かせてもらいましたわよ。貴女もなかなかやるわね。少し見直したわ」
「一体何の話だ……」
 頭を振って同じように笑っているミュラーに向き直る。その笑顔に負けそうになった。
「一体何を仰ったのですか!」
 ようやく音に出来た言葉を聞いて虚を突かれた表情に変わる。
「聞いていればよかったではないか」
「そんな拷問は嫌です!」
「拷問とは聞き捨てならないな、アマルティア殿?」
「本当に」
 首を傾げる女。
「たいしたことを言ったわけではない。俺がどんなに貴女に酔わされているかを話しただけだ。もっとも……少し脚色したかもしれないが」
「……その口調からすると相当に誇張されましたね……カノーネ、頼むから話半分に聞いておいてくれ」
「あら、そんなこと言っていていいの? 寂しそうよ」
「は?」
 言われて見たミュラーの表情が先程とは一転、確かに寂しそうだ。
「えっ、えっ?」
「俺がこんなに想っている事をアマルティア殿に伝えようと、一生懸命だったのにな。貴女はそう思うのか……」
「そ、そんなことはありません……」
「だが、話半分程度なのだろう?」
「……」
 ああ寂しいとわざとらしくため息をついている。
「大体、何故自分なんだろうと言っていたのは貴女ではなくて、ユリア?」
「……」
 カップに半分ほど残っているコーヒーを眺める。少なめに入れられたミルクのおかげで真っ黒ということはないが、手にとればもう冷えてしまってより美味しく無さそうな様子だ。それを一気に呷った。
 突然の行動に目を丸くする二人の前で少し咽こむ。涙を目に薄らと貯めて息を整えるとミュラーに向き直った。歯を食いしばって息を大きく吸い込んで。
「わ、私は! 貴方が思うよりもずっと貴方のことを想っているし、先程の会話がどのようなものかはよくわかりませんが、きっとその内容以上に想っています!」
「……ユリア殿。本当か?」
「嘘などついてどうするのですか……」
「む、確かに……」
 緊張で固まっているユリアの肩に優しく手を置く。
「俺は、貴女がただ一人の貴女だから選んだ。理由と言われればはっきりはしないが、他にはっきりした理由が思いつかない」
 申し訳無さそうに呟くミュラー。
「あ……」
「俺の方こそ何故貴女に選んでもらえたかが不思議だ。どこかの小娘の言葉を借りれば軍人バカだからな」
 一旦言葉をそこで切る。そんなことを思う必要はない、と返そうとしたユリアだが、男が自分の口の前で指を立てる真似をした。ふと見るとカノーネが笑いながらもかなりあきれた様子で見ている。繁忙時を過ぎているため、他に客が居なかったのが幸いだ。
「よかったわ。わたくしのことを思い出してくれて」
 肩を回しながら立ち上がる。
「何処へ?」
「そろそろお夕飯の支度をしたいから。お二人はゆっくりしてらして。あ、ユリア、ちょっと」
 会計をしながらユリアを呼ぶ。何事かと近寄ると耳を引っ張られた。
「痛い」
「何よ。十分認め合って通じ合ってるじゃないの。まったく……不安そうな貴女の表情をまともにとったわたくしが馬鹿だったわ。……よかったわね」
「……ありがとう」
 この借りはいつか返すわよ、にこりと特上の笑顔を残してカノーネは店から出て行った。見送り、テーブルに戻ればいつのまにか紅茶が頼まれている。
「……あ」
「貴女はこちらの方が好きだっただろう? コーヒーハウスではあるが、紅茶もいい味を出している」
「ありがとうございます……」
 若い香りが漂い、お茶の味が口の中一杯に広がる。心底からほっとした。
「さて……これからどうする?」
「先程四時半の鐘が鳴っていたような……!」
「……どうした?」
「非番時間が終わります……」
「何時までだ?」
「五時まで……」
 互いに黙り、聞こえてくるのはカウンターの向こうでマスターが食器の手入れをする音。
「俺としては……先程の話の続きをしたいところだが」
「ええと……」
「困った表情の貴女を見るのは楽しいが、本当に困らせるのは本意ではない。飲み干したら行くか」
 俺も放り出してきたしな。薄く笑う。それで遅れてきた理由に確信が持てた。
「ああ、やはり遅れたのは」
「皆まで言うな。あまりにうるさいから大使館裏の樹にくくり付けてきた」
「あー……」
 多少なりともオリビエを知るので気持ちはわからないでもない。が、同意していいものかどうか。そうやって一口ずつ飲んでいると当然紅茶はなくなる。また日常の続きか、と伸びをした。
 外に出ると黄昏の夕日が辺りを照らしていた。もうすぐ日が暮れるのだろうとゆっくり歩き出す。半歩下がってミュラーがついて来ている。
「……また、時間を空けます。先程の話の続きは、そのときでいいですか?」
「歓迎する」
 そして帰路につく人たちに紛れ、朱の路地をそっと歩いた。

 その後しばらくたってカノーネが紙切れを置いていった。なんだろうと読むと、大きく74点と記されている。
「……?」
 添えられたメッセージに目を走らせて脱力した。

『朴訥過ぎ。でも貴女を思う心音に免じて及第。今後は貴女がちゃんと教育するように』


Ende.


<<クロウ3へ。落ちるなら俺の見えないところで頼む>>

 AC_Zeroの無線を借りるときっとユリアさんはこんな心境。44444キリ番リクエストの「カノーネさんと少佐の初顔あわせ、のフリで盛大なる惚気」でした。段々書いてて各キャラが壊れてきた気がする。いやまあ、等身大おやかんスーツとか着て満足な少佐とか、割烹着来て幸せな少佐とかそんな方面で壊れてるサイトの主が言うことじゃない気がするが。
 カノーネさんのおめがねにはなんとか敵ったようでなによりです。ちなみに採点は辛い方なので、74点はいいほうとかw
 それではリクエスト、ありがとうございましたv

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