多分それは、何気の無い一言。言ったクローゼはただ心配なだけで、それ以上他意はないことはわかる。それでも一旦気になってしまえばしこりになって残るものだ。
「最近、怪我が多いですねユリアさん」
 紙一重で避けられた攻撃も避けられないほどに相手が強いのか。いや、とユリアは頭を振る。
「自分の修行不足だ」
 つぶやきつつ、付近にいる面子を眺めた。滝の音が心地よい泉の前には数人集まっている。
 A級遊撃士がぞろぞろと。うち、エステルは師匠カシウスの娘で、武術の才もある。その相棒ヨシュアは元身喰らう蛇の一員で、たぐいまれな体術と技を持っている。
 小さい体で機械を操る少女や、それよりももっと幼いのに博士号を持つ天才。翻り、自分は何なのだろうと水面を眺める。
 輝きを持った水が流れ落ちていく。こっそりと心の中で「輝ける滝」と呼んでいるのだがクローゼの前で使ってしまい、それが一気にメンバーに広まった。クローゼが命名したように言われているが、実はユリアであることは本人とクローゼしか知らない。
 波紋を眺め、相当にぼんやりとしていたのだろう。後ろの気配に気がつくのが一瞬遅れた。
「!」
 バランスを崩し、目の前の水に飛び込んでしまう。何とか身を返して起き上がればちょうど滝の真下。しばらくそのままでいたがせめて滝に打たれないように、と横にずれる。
「……」
 それまでユリアが立っていたところにニコニコしているレンと、あわを食ってるティータがいた。
「うふふふ」
 悪戯っぽく笑うとレンも水の中に飛び込んできた。いまだあっけに取られたままのユリアに、水をすくってかけてきた。
「お姉さん、ぼんやりしすぎよ。こういうときは水でスッキリするのが一番なんだから。ほら、ティータも来なさいよ」
「え、で、でも」
「んもう」
 立ち上がってティータの手を引っ張る。必然的に少女も水に落ちてきた。
「レンちゃんひどいよ……」
「あら、でも気持ちいいわ。きれいだし」
「……」
 少女たちが目の前でやり取りするのを眺めていたが、そのなんともほほえましい光景に頬が緩む。
「まったく……この悪戯娘たちが……」
 エステルは泉を覗き込んだ時、輝きながら戯れるレンとティータ、それに満面の笑顔で応じているユリアを見た。
 

「いやもうほんと、信じらんない」
「ほんとね。レンがあんなに楽しそうだったなんて」
「それもそうだけど、まさかユリアさんがあんなことしてると思わなかった」
 円形の書架にロープ代わりの鞭を張り、三人の着衣が揺れる。あまりやりたくは無いけど、と言うシェラザードに頼み込み、ついでに書架から離れたところに小さな熱源を作った。ティータが簡単な発熱装置を作ったのだ。火は使わないが、不安だというユリアの指摘で離れたところに置かれている。
「楽しかったわ。またやりましょう、お姉さん」
「今度は一声かけてくれると嬉しい」
 現在三人はぬれた体を拭くために使った布に包まっている。温度変化の無い庭園だが、流石に頭から水をかぶれば体は冷え、発熱装置に近づいて温まっていた。
 話を聞きつけたオリビエが、ぜひとも介抱を、というのを、黙って一連の話を聞いていたミュラーとリシャールが押さえつける。後から聞けば、簀巻きにされて大樹の向こうにぽつんとある椅子の上に放り出されていたとか。
「そうだ、この近くに服を持ってくれば、もっと早く乾くんじゃないかな」
 思いついたティータが自分の服を持ってきた。いい案ね、とレンも同様にする。
「ユリア大尉さんは?」
「私は……しばらくこのままでいる。少し、疲れていたようだ……」
「そうね、あんなかたっくるしい服なんか着てるから疲れるのよ。あっちのお姉さんみたいにもっと開放的になれば?」
 シェラザードを指しながらレンが笑う。
「そう言ってくれるな。あれは私の制服だ」
「でもでも、レンちゃんの言うとおりだと思います。ほとんど最初からここに来てて、ずーっとぴりぴりしてるみたいです」
「そんなことは……」
 言いかかってやめた。そのまま考え込む。
「ほらあ、それ。すぐ一人暗くなるんだから。もっとレンみたいに楽しくしなきゃ」
 服を体に当てて立ち上がり、そのままくるくると回り始める。慌ててエステルがそれをとめた。
「なんでとめるのよ、エステル」
「いやちょっと……いろいろ」
 エステルとレンのやり取りをなんとなく視界の端で捕らえ、思考は別のところへ。
「とりあえずあたしたちはしばらくここにいるわ。不埒なのが来るかも知れないし」
「でもシェラ姉、一番来そうなのはもう捕まってるけど」
「それもそうね」
 からからと二人が笑う。ユリアも、悪いとは思いつつ口元で微笑んだ。

「いっ!」
「ちょ、ちょっとちょっとユリアさん!」
「……ん? どうかしたのか?」
「どうかしたのかじゃないわよ! こっちこっち!」
 レンとティータは先に服が乾き、既に書架からは出て行っている。ユリアはずっと本を手にとって読んでいたが、少し体を動かそうと階段を上がったところだった。そこをシェラザードとジョゼットに見咎められる。
「体を動かしに……」
「だからーっ! そんな格好でフラフラしないでっ! こっちが恥ずかしいから!」
「勘弁してよもう……」
 二人にすごい剣幕で怒られ、書架の方へと押し返される。言われてみれば今だ衣類はほとんど身につけていない。誰も見やしないだろうし、見られても別に気にしていないのだ。
「いや、私は気にしない」
「こっちが気になるんだよ!」
 真っ赤になったジョゼットがユリアの言葉をさえぎり、その後ろで頬を染めているシェラザードがうんうんと頷く。
「異性ならともかく……同性同士だろう? そんなものなのか? 時折部下の前でも着替えるぞ」
「だめだ……分かってない……てか、部下の方がかわいそうだ……」
 ジョゼットがつぶやく。
「あのね……あたしちょっと噂にきいたけどさ、王都でのユリアさんの女性ファン、増えつづけてるでしょ?」
「……その辺りは知らんが」
「ああもう……増えつづけてるのよ! ちょっと想像してみて。その人たちの中に今のカッコのままのユリアさんを放り込んだら!」
 静寂が続く。ややあってユリアが口を開いた。
「私が浅はかだった」
「わかってくれてよかったよ……本当に」
 二人が胸をなでおろした。そんな様子を見て初めて、自分がいかに頓着していなかったことに思い至るのだった。
 流石に今度はズボンと、普段の軍装の下に着ている白のノースリーブは身につけた。いまだ青い軍装は鞭のロープにかかったまま。ほとんど乾いているので着ることはできる。だが、なんとなくそれに手が伸びない。
「……かたっくるしい、か」
 レンの言葉を聞いてから考えた。他の面々の行動も思い出した。危機は危機として受け止めているが、自分のストレス解消を必ずどこかでしているではないか。そして、最近怪我が多くなってきた自分。張り詰めすぎているのではないか。
 得物もオーブメントも持たず書架から離れる。まだそこにいたシェラザードが、その格好なら、と送り出してくれた。
 まだほんのりとぬれている髪が束となり邪魔だ。これで長かったらもっと邪魔だろうなと考えながら石碑の前にくれば、ジンが一人で構えを取っていた。動かず、ただまぶたの裏にいる敵と相対するその姿を見て、彼の二つ名を思い出した。
「……不動のジン、か……」
「お」
 呟きを聞きつけジンが構えを解く。
「いよお大尉さん。災難だったな。チビどももなに考えてるんだか」
「気にしていないさ。レンの言うとおりだ。水はすっきりする。だが、あそこは飲み水にも使っているから、あまりするべきではないだろうが」
「第六の湖のほとりくらいがいいんじゃないか?」
「そうかもしれん。あそこはいいところだ。……現実ならな」
 確かにな、と渋面になる男。
「それにしても、普段の姿じゃないあんたは、あんたじゃないみたいだぜ」
「……」
「しかも丸腰か。どうしたんだ? 疲れたか?」
「ふふ、そうかもしれない」
 見抜かれ、素直に認める。嘘などついてどうなるものでもない。
「そりゃそうだろうな。大尉さん、他の奴らがほとんどいない時期からこんなところに放り込まれてたんだろ? 息抜きぐらいしたってバチはあたらんぜ」
「そうだな……」
 ユリアの呟きを聞き、ジンは再び構えを取った。女はそれを石碑に寄りかかって眺める。引いた左足の踵を軽く浮かせ、それでも重心は左によっている。どうやら紙一枚入る隙間が右足と地面にあいているようだ。しばらく眺めていても微動だにしない。不躾なユリアの視線を感じているはずだろうに。
 一応はユリアも体術の訓練はしている。けれど巨漢の構えには、年季と鍛練の違いがはっきりと見て取れた。キリカもそうだったのだが、武術一筋にきている筋金入りの武闘家と、戦うことは一通りするが基本的に一つを極める事のない自分との違いだ。
「何を極めることもできず、このまま時が過ぎるのかもしれない」
 他の面々は自分に誇るものを持っている。遊撃士たちは言うまでもなく、一番幼いレンですら自己に誇りを持っている。また、同じ軍人でもミュラーは自分と格が違う。シード、モルガン、リシャール、フィリップ、そしてカシウス。他にもたくさんの先達たち。
「……そうだなカノーネ、何故、自分なのだろうな」
 クローゼを守るという執念だけはある。もしかしたら、その執念、いや妄執でここにいるだけなのかもしれない。
「困ったな……こんな気持ちのままでは、もう一度軍装に手を通すことができない」
 ジンから視線を外して頭を振る。
「あんたは、あんたが自分で思ってるほど弱くはないぞ」
「……え?」
 ジンがユリアのほうを眺めて笑っている。
「なんなら、試してみるかい?」


 伸びをしながらケビンが泉の方から歩いてくると、石碑のある辺りがざわついていた。
「何やのん?」
 手近にいたアネラスに声をかける。
「ジンさんが、ユリアさんと手合わせだって」
「へ?」
 ジンさんが、は分かるが後が分からない。
「ユリアさん?」
「うん。なんだかよくわからないけど。というか、私もここに来たばっかりなんだ。ヨシュア君に言われてね。こんな面白いことないじゃない?」
「まあ、確かにおもろいことやな……」
 待機メンバーが全員集まっている。なんや、みんなヒマやなぁと思いつつ、自分もよく見えるところに移動した。
「こりゃまた全員集合か。大会じみてきたな」
 ジンがあきれたように言うが、その表情はまんざらでもない。
「確かに」
 ユリアは肩を竦めただけ。
「じゃ、ギャラリーは放っといて、さっさと始めるか。手加減はなし。手加減なんかしてられる相手じゃないしな。というか、あんたに手加減したら失礼だ」
「そんなことはない」
「あんたはそう思っていても、周りはそうは思わんさ。それはあんたが強いからだ」
「……」
「と、口で言ってもきっと実感はしないだろうから、一丁始めよう」
「把握した」
 そして、二人は思い思いの構えを取る。
「ジンさんと丸腰でやりあう気には、アガットでもならないんじゃないかしら」
「そうなんですか?」
 シェラザードの呟きにティータが顔を上げる。
「ほんの時々、あたしも相手してもらってるけどねー。武器があって、ようやく対等になれるかもしれない、ってくらいだもの」
「同感だ。旦那の得物は拳だから、常に得物を携えてるってこったし」
 聞きつけたアガットが頷く。
「ユリアさん、何も持ってない……」
「だからだよ。みたとこオーブメントも持ってねぇみたいだし」
 ジンは動かない。滅多に自分からうって出る事はしない。ユリアも待つ。相手の呼吸が読めるまで。我慢比べが続く。
 不意に、ジンに隙ができた。
「誘われている」
 乗るか、反るか。心臓が一拍、鼓動を打ち終わる前に決めた。
「はっ!」
 短く息を吐き出してジンに向かう。ダメだ、誘いだ、という誰かの声が漏れた。そんなことは分かっている。分かっていても飛び込みたかった。肉弾戦を得意とする相手に挑もうというのだ。いっそすがすがしいくらいに打ち倒されたかった。
 誘いの隙に一撃を叩き込むが返された。それは予想していたことで、返す反動で後ろに伸び上がる。逆立ちをするように足でジンに蹴りを試みるがこれも返される。その勢いのまま後ろへ宙返り。再び間合いが離れた。
 立ち上がったユリアは両肩を軽く回す。ジンも首を回して体を和らげる。
「まだ準備運動にもなってないぞ」
「わかっているさ」
 ジンが笑う。打ってこいと。なら打ち込もう。
 もう一度ジンに向かって走る。先程、体は全く動かなかった男だが、今度は上半身を捻ってユリアの一撃をやり過ごす。はっとなった女の胴に下から一撃。打たれた方向に体が飛んだ。間一髪で致命傷にならないよう避けたが風圧を感じる。地面に叩きつけられる衝撃を少しでも抑えようとバランスをとった。
 地面に足が着いた刹那に三度行動。あれですぐ動けるか、と感心したジンの側面に回り、顔に一撃。
「軽い!」
 頬に拳を入れることはできたものの、すぐに振り払われて、尚且つ手首を捕まれた。万力で締め上げられるような鈍い痛みが手首から伝わってくる。
「……っ!」
 捕まれば終わり。ジンの戦い方だ。あえて相手の得意な戦いに持ち込んだ自分が悪かったのか。
 だがユリアは行動する。締め上げられているということは固定されていること。そこを支点に体を回しジンの頭に回し蹴り。その時点で彼女ができる最高の力を込めて。一回転し、相手の手を逆手にして無理やり外す。
「そうか、使えるんだな。踵落し」
「変則だが。ジン殿は背が高いから、自分の腕では回し蹴りにしかならんがな」
「自分の頭の高さにまで足を上げられること自体、それ相応の技がないと無理だぞ」
「ふっ!」
 微笑み、連続で打ち込み。その全てをジンは返す。ユリアは諦めず、ジンは返しつづける。
「不動の名は流石だ。一歩も動いていない」
 リシャールが感心する。確かにユリアが攻撃を始めてから、上半身は動かすが下半身は僅かにも動いていない。
「私には、わからない……何故、こんなことを……」
 リースが目を伏せた。
「ボクにもよくわからないよ。きっと、武人には武人の理っていうのが、あるんじゃないかな」
 打ち合いから目を離せないままオリビエが言う。
「そう……なのでしょうか」
 もう一度リースが目を開ける。練武をする二人が美しい軌跡を描いているように見えた。
「……」
「ジンさんの動きが鈍くなってきた。ユリアさんの手数に押されてきてる」
「ほんと。ユリアさんも結構息が上がってるけど、ジンさんもだなんて……」
 目の前の光景をどう表現すればいいのか迷うリースの横で、エステルとヨシュアが驚く。その時、ジンが一歩後ろに引いた。
「あっ!」
 思わずエステルが叫んだ。
 「不動」が動く。動いたならそれはただではすまない。それまで基本的に受けに回っていたジンが攻撃に転じた。大きな体から繰り出される重い一撃は、ともすれば鉄板も打ち抜くという。先程とは逆転、ユリアが受け手に回った。一撃目は流すが二撃目をまともに受ける。耐え切れず、後方まで弾き飛ばされた。
「ユリアさん!」
 飛び出そうとするクローゼの肩をジョゼットが掴む。ダメだと頭を振りながら。
「でも!」
「今とめたらダメだよ。だって……」
「とっても楽しそうだもん、お姉さん」
 レンに言われ、よく見れば確かにユリアの顔には笑みがあった。
「受けてどうする。あんたには受けきれないぞ」
「分かっている。だが、受けてみたかったのだ」
 地面をこするように飛ばされ腕に擦り傷ができた。けれどもそれで感覚がはっきりした気がする。
「大尉さんのすばしっこさはいいな。ヨシュアに匹敵する。俺もそれくらい動ければいいんだが」
 そういいながらもジンが巧みな足捌きを始めた。今までとは比にならない一撃が来る。直感したユリアはすぐに立ち上がらず気の流れを読もうとした。が、その時間をジンは許さない。
「……これは礼儀だ」
 ただただ練武を眺めつづけていたミュラー。ジンなりの、ユリアに対する礼儀だ。
 最大限に貯められた気を惜しみなく放出する。ギャラリーはその気迫に絡み取られ、固唾を飲むことすらできない。
 鋭く、気を纏い、重い、全く無駄のない動線。そして、すばやい一撃。轟音がして埃が舞い上がる。妙な手ごたえを感じた。
 鉄槌が下されたそこにはユリアはいない。地面が僅かにひび割れている。ではユリアは。
 ハラリとジンの髪が解けた。ユリアの左拳がジンの右頬を掠め、巻き起こった風で束ねていた紐が切れたのだ。ただ、女の右腕はだらりと垂れ下がっている。ジンの拳は腕に当たったようだ。
「くっ……しばらく利き手が使い物にならなさそうだ」
「さっき、ヨシュアに匹敵するって言ったが、訂正だ。アレをギリギリで外せる度胸と判断力、行動力はヨシュア以上だ」
「そう、思います」
 近くにきていたヨシュアが頷く。実際、彼も幾度かジンと手合わせしているが、あの至近距離まで待つことはできない。打ち込んだ直後に攻撃を仕掛ければジンを落とせるのは分かっている。けれど打ってくる前にその場から離れてしまうと、攻撃に転じる前に立て直されてしまう。ぎりぎりまでその場に居て、そらすことができない距離で動けば、直後の隙を抑えられる。
「……ありがとう」
 歯を見せて笑うジンに微笑みかけ、そのまま体から力が抜けていった。
「……っと、ようやく気が抜けたか」
 寄りかかるユリアを抱える。その顔が少し赤らむ。
「ジンさん……相変わらずですね」
「いい女は財産だぞヨシュア。強けりゃ文句なし。お前も歳を取ったら分かるさ」
 そのとおり! と後ろからオリビエが同意。
「でも利き手、使えないんじゃ? ジンさんの渾身の一撃だもんね」
「何ならオレが治療しとくけど? この手の治療もできんことはないし」
 ジョセットとケビンの指摘にジンは女の手を取る。
「ふむ……見たところ、骨が折れていたりとか、神経がどうかなったとか、そういうことは無さそうだ。さすがにまともに受けたなんてことはないだろう。俺の手にほとんど触らなかったからな」
「へぇ、あんな瞬間に外したんか。オレやったらようせんわ。ジンさんの一撃で木っ端微塵や」
「話半分に聞いておくぜ、神父さんよ」
 ケビンにそう返して辺りを見回す。できていた人垣はもうなく、皆思い思いのところへすでに散っている。
「お、やっぱりいたいた」
 少し離れたところにある石碑に寄りかかっていたミュラーを手招き。
「少佐さんなら任せられる。ほれ」
「なっ」
 疲れ、眠りに落ちているユリアを渡す。
「俺とアガットがこれから探索だ。いくらなんでもあの皇子さんに渡すわけにはいかんからな。他の面々が注意しててくれるだろうが。あっちの本棚あたりにでもつれていってやればいい。女性陣に大尉さんの体格はちょっとキツイだろ」
「リシャール殿でもいいではないか」
「けどあんたが近くにいたから」
「……」
 異形の地へ足を踏み入れる前の精神鍛練の最中だった。期せずして本気の拳を振るうことになったがすがすがしい。
「任せたぞ」
 どん、っとミュラーの背中を叩き、アガット、ケビン、リースと合流した。

 光の円陣に消えていくのを見守り、視線を落として寝顔を見る。が、すぐに顔を上げた。
「……仕方ない、か。ヨシュア君、姫殿下をお呼びしてくれ。腕は治療が必要そうだ」
「分かりました」
「先に書架に行くとお伝えしてくれ」
 頷いて大樹の方へ走り出す。ユリアを抱えて歩き出すと後ろからジョゼットがついてきた。
「どうした?」
「……意外……紳士的なとこあるんじゃん」
「……お前は俺をどう見ているんだ」
「軍人バカ」
「……ふった俺が悪かった……」
 書架に下りてくるとユリアの軍装がかかったまま。椅子の一つに無造作に細剣とオーブメントが放り出されており、少し離れたところに布の塊。
「あちゃ……そのまま置きっぱなしだったんだ」
「?」
 怪訝そうなミュラーの脇を抜けて布の塊を手に取る。
「ちょうどいい、その布をかけておこう。……疲れたのだろう」
「ハイハイ」
 割に面倒見のよいジョゼットはミュラーの言うとおり、横たわらされているユリアに布をかけた。穏やかな寝息を立てるのを確認して離れる。
「この人だけがずーっと息抜きしてなかったもん。そりゃ疲れもするよ。おんなじ軍人の癖に、あんたは結構いいかげんだよね」
「そうか?」
「あんなスチャラカな人と芸みたいなやり取りするじゃん」
「……」
「ボクはあんたは嫌いだけど、この人は結構好きだよ。だからちゃんと休めてよかったって思う」
「見ているものなんだな」
「失礼な。大ボケなエステルや粗忽な野郎どもと一緒にしないでよ」
 得意げなジョゼットに肩を竦める男。
「腕はすぐ動くようになるのだろうか」
「なるって、ジンさん言ってたよ。あの一撃を紙一重でかわしたんだってさ。手ごたえなかったって」
「それはなによりだ。大尉と前線にいるときが、他の誰といる時より戦いやすい。だから俺が出る時は、神父に無理を言って常に連れて行ってもらっているほどだ」
 だから無理強いさせていたのかもしれない、と少し反省もする。
「そんなこと言ってると泣いちゃうよ」
「誰が?」
「後ろ」
 くすくす笑いながら指すジョゼットを不審に思いつつ、けれどなんとなく予感しながら振り返ると階段から身を乗り出しているオリビエ。それを引き剥がそうとするヨシュアとクローゼもいる。
「ユリア君が気絶して、ボクに任せてくれればそれはもう丁寧に介抱するというのに、なにもこんな朴念仁君に渡すことはないじゃないかジンさん、とか思ってさー」
「……言っていることがわからん、というか朴念仁とは誰のことだ」
「こんな素敵な健康的レディに軍人バカと言われるような人間よりもこのボクの方が介抱役にはうってつけだというのに……」
 よよよ、と泣き真似。
「心配でもうたまらなくなって駆けつけてみたらボクよりユリア君の方とが戦いやすいだなんてなんてことっ!」
 いつもならこのタイミングで何かアクションがあるのだろう、一気に言い放ったオリビエは身構える。けれどミュラーは黙ったまま。
「アレ? どったの、ミュラーさん?」
 その顔が引きつる。とっさに階段を数段駆け上れば、それまでオリビエが張り付いていたところにミュラーが飛び上がってきた。奇妙な沈黙が辺りを支配。じりじりと体勢を変える二人。ややあって、追い詰められたシャイニングポムもかくや、とばかりにオリビエが飛ぶように逃げる。応じてミュラーも疾風のごとく駆けだした。
「……ぜったい芸人だよあの人たち」
 ジョゼットの呟きに、同意したいが立場的に同意できないクローゼと、もう何もいえないというヨシュアが疲れた笑いを返す。と、書架の上からミュラーが顔を出した。
「小娘! さっきの言葉は言うなよ!」
「へっ!?」
 いきなり言われて何のことか分からない。が、ミュラーの手が眠るユリアを指している。
「やーなこった!」
 思いっきり舌をだしてやるが、その時にはもういなかった。
「あーあ、せっかく静かなとこなのに、うるさいなぁ」
「オリビエさんも日ごろの鬱憤が溜まっているのでしょう。大変そうです」
 クローゼがユリアの腕を看る。ジンの初見どおりすぐに良くなりそうだ。擦り傷もすぐに治るだろう。

「はっ!」
 一気に起き上がる。見渡せば書架、周りには誰もいない。
「……」
 ジンと手合わせをしたような気がするがはっきり覚えていない。
「まだ寝ぼけているか?」
 目の前には自分の軍装がいまだに吊られている。触るともう湿気もない。一体どれだけの間眠っていたのだ、と慌てて身に付ける。身支度を整えているうちに段々とジンとの手合わせを思い出してきた。最後の瞬間、ジンは確かにその拳に乗せて言ってくれた。資格は十分だ、と。
「あのジン殿が言うのだ。多少は己を信じてもいいだろう」
 ベルトを締め、帯剣した。あれほど袖が通せないと思ったのに、すんなりと着てしまう自分に笑う。
「結局、ただ何も考えずに身一つで勝負してみたかっただけなのかもしれない」
 それを見抜いてくれたジンには感謝をしてもしたりない。剣舞の本といい、世話になってばかりだ。
 そういえば、以前にも同じようなことがあったと思う。
「あの時ミュラー殿には完敗したが、今ならどうだろうかな」
 ジンの時と同じように丸腰で挑んでみたい気がする。受けて立ってくれるだろうか。
「結局は自分も武術バカだ。だが……」
 それでいい。思い悩む時は体を動かすのが一番だ。そう思い、仕える相手の元へと階段を上がり始めた。



Ende


 見よ、東方は赤く燃えt(殴)。

 えー、ども、何書いてるんだかさっぱりです。とにかく少大以外だと何気にジンさんが好き高位に来ますので、今回は彼描写が多くなりました。ユリアさんと拳で語るなら、やっぱりジンさんくらいの風格が欲しい。書いてる間ずっと某バカ弟子とお下げ師匠が頭にあったのは言うまでもない。後は戦闘シーンの練習というか。……いや、言い訳すまい。ただ私が思いついただけだ(笑)。
 私的に少大チェインが異常に使い勝手いがいいので、その理由を捏造、の意味はあります。要するに少佐のほうが戦いやすいんだと思う。おんなじ軍人だし。おんなじ剣使いだし。斬と突の違いはあるが。リシャールさんは居合で、ちと系列が違う気がしてます。

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