1.共鳴共振出会いは不意打ち

 

 

 

 そこは光があふれすぎている街。高層ビル群は全てのフロアが煌々と輝き、道路はもちろんそれらをつなぐ路地にも街灯が絶え間なく続いている。道路にはどこかの詩人が「醜怪な塊」と評した車の群れが我が物顔で走っていた。歩くものを押しのけヘッドライトで輝く河を作り上げ脇目も振らずに前へ前へ。
 どこまで彼らは走るのだろう。眼下の光の河を見下ろしながらユリアは思った。自分もあの光の一員となってどこまでも走りたい。ここのところ愛車にちっとも乗っていないではないか。この仕事が終われば絶対に休暇をとって寝袋だけを持って出かけてやる。そんなことを決めて遊んでいると、隣に見知らぬ人間が座った。
「……」
 視線だけ軽くそちらにやれば、ついて来いというように頷きすぐさま立ち上がる。ユリアも続いて立った。
「マスター、いい酒だったよ。また来る」
 カウンターの向こうに声をかけて多目に金を置く。薄暗がりから手が伸びてきて全て持っていくころにはユリアもその連れもバーから姿が消えていた。


 そこは闇の色濃い場所。けれど深遠の闇ではない場所。闇に引き寄せられつつも闇に溶けきれない輩が数多く集まっていた。だがある意味ではまともな人間たちなのだろう。人は光ばかりでも闇ばかりでも生きることは難しいのだから。
「光のみ、もしくは闇のみで生きるものは人の身とはいいがたい」
 実際そういったものたち相手と戦って知った教訓のようなものだった。
「入れ」
 先導をしていた人間が初めて口を利いた。低い声には覚えが無い。開け放たれている扉にためらいもせず入った。
 背後で扉が閉まる音がして、小さく鍵がかかる音もした。けれどユリアは恐れることなく通路を進み、ひとつの部屋の前で立ち止まった。この中からたくさんの人間の気配がする。
「よくもまあ、こんな狭そうな部屋に集まったものだ」
「黙っていろ」
 口の中でつぶやいたつもりだったが外にもれ出たらしい。軽く肩をすくめて部屋の扉が開かれるのを待つことにした。
「入れ」
 ややあってから声をかけられ、扉が開く。中には外から感じたのと同じ位の人数はいるようだ。
「ようこそ六課長。そしてその地位にあるまじき軽率さに乾杯」
 同時に笑い声がした。渦が治まると今度はじわりじわりとユリアとの距離をつめてくる。ユリアはじっとその様子を伺っていたがもはや限界だった。
「あーはっはっはっは!」
 突然肩を震わせ大声で笑い出したユリアを見て周囲はたじろぐ。その隙を見逃さずに動き、一番近い男に拳を叩き込んだ。
「な、なにがおかしい!」
「おい、こいつ女だ!」
「女!?」
「なんでこんなところに……六課長じゃなかったのか!」
「馬鹿が。こんなところに課長が来るはず無かろう」
 笑いをこらえながらユリアが指摘をした。
「あれだけ罠を張ったのに……」
「五課長からの情報と見せかけたのが貴様らの敗因だ」
 意味が分からずうろたえる男たち。ユリアは先ほど倒した男が持っていた得物を蹴り上げて自分の手に収めた。流れるような動作で構えに入り残弾がゼロになるまで撃つ。ただむやみに撃つのではなく正確に拳銃を持つ手だけを撃ち抜いた。
 弾がなくなった拳銃に未練は無い。もとより他人のものとばかりに勢いよく投げつけた。何かを狙ったつもりではないが二挺の拳銃を構えていた男の顔面に命中。その場めがけて走りこみ取り落とした二挺を拾う。一方を背のベルトに挟み、重心を低くしたままもう一方を構えた。
「へぇ。二挺同時に撃てそうだけどな」
 突然真後ろから声が聞こえた。ききおぼえのない男の声。構える直前に自分の背には誰もいなかったはずだ。驚くが、それよりも現状をどうにかするという、それまで培ってきた条件反射のほうが先に反応した。
 応戦しているうちに背後からも銃弾の音がし始めた。もちろん気にならないわけではないが、音の間隔とリロード時間を計ると対処できそうだ。とりあえず目の前の、複数人で攻撃を仕掛けてくる男たちをどうにかするほうが優先された。

 最後の一人の肩を打ち抜くと同時に体を翻らせ、背後の存在に銃口を向けた。
「何者だ」
 静かに低く問う。大声を出さずとも声は届く距離。それに大声を出さなければならないほど動揺もしていない。
「……早いな」
 こちらに顔を向けかかっている男は感嘆を隠さずつぶやいた。それを聞き流しユリアはもう一度問いかける。
「何者だ」
 銃口で相手の持つ銃を指す。男は得物を下に落として両手を挙げた。
 年のころはユリアとそうかわらない。短く切った髪、高い背、鍛えられていそうな体躯。黒いコートに身を包んだ男の顔に覚えはまったく無かった。
「アンタ……」
 碧の瞳を丸くしてユリアを眺めている。何を言うのかと警戒をしていると。
「個性的な顔してるなぁ」
「何?」
 突拍子の無いことを言われ一瞬だけあっけに取られる。それでも銃は相手に向いたままだったのはさすがといおうか。
「気が強そうなとこ。良い目してる」
「……」
 黙って引き金に指をかけたところへ公安の車が到着したようだった。独特の警報を鳴らしあたりを囲んでいる。
「やれやれ、無粋な音だ。そうは思わないか?」
 馴れ馴れしく話しかけてこられるがユリアは無言。男はそれほど気になっていないようで機嫌よく話しかけ続ける。
「お互い公安に捕まるわけにはいかない身だろう? だから今度またいろいろ教えてもらうことにする」
「……!?」
「あ、そうそう。次にあったときどう呼べばいいのか分からないから、名前だけ教えてくれないか?」
 名前だと? もはや声に出して聞き返す気力はない。いくら無力化しているとはいえ周囲には今までやりあった者たちが転がっている。逃げ出してほかの仲間に自分の名を伝えるのは厄介だが、公安の取調べで自分の名が出てくるとなお厄介だ。だからといってとっさに気の利いた偽名が出てくるわけでもない。
 なので男を睨み付けたまま少しずつ扉に向かって下がった。公安が突入してくるタイミングはまだ少しばかり先。
「名前だけでいいから」
 何かをいいながらユリアについてくる。もうその声は声と認識されず雑音となった。扉を開けて廊下に出る。薄暗い電球が寂しくひとつ吊られているだけなので、奥まったところに何があるかは分からない。そこにためらわず足を進める。
 しばらく行くと壁に当たった。手探りでスイッチを探り当てそっと押すと静かに壁の一部が開いた。
「へぇ、さすがに静かに開くんだな。大きな音立てたらここにいるって丸分かりだしな」
「……」
 若干緊張感を削ぐ口調が後ろからやってきた。言いたいことはないわけではない。けれどもそれより公安に見つからないようにしなければならない。深く息を吸い込んでゆっくり吐く。落ち着いたところで隙間をくぐった。

「なあ、名前を……」
 裏路地を足早に歩くユリアを追ってくる男。さっさと振り払いたいが下手に走ると周囲の人間に不信感を持たれてしまう。それを分かってか余裕のある声音は相変わらずだ。おかけでユリアのいらいらは頂点に達しそうだった。そして追い討ちをかけるように進行方向から公安らしき人間が来ているようだった。
「……」
「こういうときに回避できる良い案があるんだがどうだ?」
 立ち止まったユリアに猫なで声でよってきた上、両肩に手を乗せてくる。振り払う気力も無い。
「……」
 抵抗しないユリアに気を良くしたのか男は手に力を入れてきた。痛いというほどではないが振り払うには少し面倒だなと思い始めたころ、前方からやはり公安官が来た。同時に男に向き直らされる。
「ほら、もう少し寄るといい」
「……」
 黙ったままのユリアになんの疑問持っていないのだろう、抱き寄せようとしてくる。
 やはりか。なんとなくそうだろうと思っていたが本気でこんなに定番な方法をとるとは。なんと言っていいのかもうさっぱり分からない。
「こっちに誰かいるぞ」
 公安官の声。
「もっと寄り添ったほうがらしく見えないか?」
 男の戯言。
「もう」
「?」
「いい加減にしろ!」
 突然の大声に男が目を丸くした。そこへ平手打ちをお見舞いしさっと体を翻す。
「こんなところにつれてきていったいどうする気だ!」
「え? おい何を……」
 目を潤ませ男をにらむユリアを公安官は見た。それは十二分に状況を理解させる瞬間であり、それを女の計略と見抜けるのはそうめったにいないだろう。「もう付きまとうな!」
 言い捨てて駆け出した。公安官の集団を突っ切るように。捕まえようと試みた公安官がいたがそれをすり抜けて路地を走り抜けた。角を曲がれば大通り。人ごみに紛れてしまえばもう捕まりはしない。そしてその人ごみの先には休暇がある。街の外に広がる荒4野を愛車で走り、乾期の星空を屋根に眠るのだ!




 けれど決意の熱さはそのまま落胆の深さになった。休暇は取れず待機になったのがその最たる原因だ。以前持ち帰った資料には上司シードが必要としたものはなかった。それを伝える書類は手元にきていたのはきていたのだが、受け取る前に出かけてしまっていたのだという。
「あのバーでの決意を返してくれ……」
 誰に噛み付くことも出来ない思いをハンドルに託す。少し荒くなった運転だが時間帯がよかったのか周りにほとんど車がいない。何車線もあるうちの一つ、制限速度無しのレーンに入りアクセルを踏み込んだ。街中のハイウェイで無制限レーンに入ってもほとんど面白みはないのだが。
 そのまま街の外に出て行きたいところを抑え目的地付近のランプで降りる。それまでの速度に慣れすぎて少々感覚が掴みにくいが、幸か不幸か一般道に下りた途端渋滞に巻き込まれた。
「……最悪だ」
 事故が道の先であったらしく遅々として車の列は動かない。ナビゲーションシステムを導入しておけばよかったと思うのはこんな時だ。けれどユリアはあのシステムが嫌いで、車に改造とチューンナップを繰り返しているも関わらずナビシステムはついていない。今後もきっとつけないだろうなと思いながらハンドルに寄りかかった。
「こんな日は早く行って飲みたかったんだが」
 こればかりは仕方がない。ゆるゆると進みだした車の列に気を取り直して前を見据えた。逆側の車線はほとんど車が走っていない。帰宅のラッシュに巻き込まれたのだろうなとゆっくり進む。
 と、前方から大きな音が聞こえてきた。対向車線を結構なスピードで走る車が見える。急ぎで中心街に何の用事だろうとなんとなく眺めていると。
 一瞬。ほんの一瞬だけすれ違った時。運転手になんとなく見覚えがあるような、そんな気がした。
「……いや、気のせいだ。あんな男のことは忘れることにしたんだから。だから気のせい気のせい……例えそうだとしてもその一瞬でわかるもんか」
 言い聞かせ流れに任せる。遠く背後で急ターンをしたような音がしたが記憶の片隅から追い出した。

 事故はそれほど酷いものではないらしく公安員が一人二人立つ程度で渋滞が解消された。やっと流れ出した車たちの後に続き、行きつけのバーへ。陽気なマスターが迎えるこのバーは他に宣伝はほとんどしておらず地味なところである。けれどマスター独特のイントネーションと、彼自身を含めたバーテンダーたちが美味いカクテルを作る。ひっそりした雰囲気は、初めて着た頃からほとんど変わらずそのままだった。一度マスターがいるタイミングで聞いてみたところ、
「そやな、皆この雰囲気好いてくれてるんちゃう? オレもそんなんが好きやし」
 とのことだった。
 カウンターの端に座り馴染みのバーテンダーに軽く頷く。物の数分もしないうちにユリアの舌に合わせて作られているカクテルが出てきた。常連への秘密のサービスでいつのまにかユリアにそっと出してくれるようになった一品だ。後は互いに無干渉。
 二杯目を頼もうかどうしようかと考え込んでいると新しい客が入ってきたようだった。カウンターと扉は少し離れているので誰が入ってきたのかははっきりよくわからない。ユリアとしても誰がこようとどうでもいいのでもう一杯頼むことにした。

 改めて出てきたカクテルを口につける瞬間を狙っていたとしか思えない。そんなタイミングで声を掛けられた。
「酔った時の介抱ならいくらでもする」
 その声に覚えがある。昨日の今日で、忘れようとしても忘れられない声だ。もう少しで酒を噴出すところだったが辛うじてそれは阻止することに成功した。
「車も俺が運転していくから問題なしだな」
「……」
「一応この街の規則では、飲酒したら車の運転は駄目なのは覚えてるだろ?」
「人をそこまで馬鹿扱いするな!」
 運転手だけ呼んで運転してもらうつもりでいた。そこまで口に出して言う気力もない。
「おっとすまない」
 昨夜の男はユリアの隣に遠慮なく座りノンアルコールのカクテルを頼んだ。本気でユリアを送っていくつもりらしい。
「ところで聞きたいことがあるんだ」
「……」
 無視。
「アンタの名前と、昨日気になった台詞の意味をね。「五課長からの情報と見せかけたのが貴様らの敗因だ」って一体なんだ?」
 これは無視できない。男が全部言い切る前にわざと音を立てて立ち上がり金をカウンターに置き、男の方を見ないようにして外に出た。出たところで車に乗れるわけはないので店の裏手に行くだけなのだが遅れて出てきた男は不安そうにユリアを探した。
「一体全体どういうつもりなんだ。五課長の……って、公共の場で堂々と言うな!」
「あー、確かにそうだ、すまない。アンタに会えて浮かれすぎてた。植え込みの一本二本、センターライン乗り越えたから駄目にしたと思う」
「……」
 この男と話していると何度絶句させられることだろう。とても、あの場にいることを許された人間とは思えない。けれど。
「この男はかなりの腕を持っている」
 あの銃撃戦の中で見知らぬ正体不明の男と出会ったが、唯一はっきりとわかったのはそれだった。下手な対応をするとこちらが文字通り命取りになりそうだと思う。
「ところで質問には答えてくれないのか?」
 後ろ手に連絡用端末をいじっていると笑顔のまま問い掛けてきた。この笑顔がどうにも胡散臭い。
「……五課長と、六課長は仲が悪い。犬猿というレベルでは測れないほど。天地がこの世に現れた時から彼らは相容れぬ存在だと思わせるほどに」
 名を知られるのは得策ではないと、前半の質問を無視して後半だけ答えた。大げさだが間違ってはいない。
「はははっ! それで五課長からの情報には絶対に乗らないのか! なるほどなるほど」
 ひとしきり笑っている。先ほどから操作していた端末は了解の意を鳴動で伝えてきた。これでもう少し時間稼ぎをすれば迎えが来る。だが、何かの音が男の胸元から聞こえてきた。ユリアが使っているような端末を引っ張り出し、小さなディスプレイに映る何かを眺めている。
「……ついてないな。せっかくアンタにまたあえたのに仕事だ。今度はお互い会い易いようにしないか?」
「断固、断る」
 即答した。
「そうか。そういわれるとなんとしてもまた次にあうことに決めた。何より、アンタの車目立つからすぐわかりそうだし」
「……教えてくれてどうも。もうこの車にはこの街で乗らないことにしよう」
「あ」
 しまったとまともに表情が顔に出ている。本当にこの男はユリアの世界に関われるような男なのか、また不安になってきた。
「こちらにお呼びいただいたのですが……」
 ユリアの不安が移ったのか、手配した代理運転手がおずおずと声をかけてきた。気を取り直して軽く頷き自分の車に案内する。男は突然無視されて少し躊躇していたが、ユリアが助手席に乗り込んだのを見て慌てて駈け寄ってくる。
「おいおい、もう一つの質問に答えてくれてないぞ。アンタの名前は?」
 いいんですか、と運転手が心配して声をかけてくるが容赦なく頷いてエンジンを掛けさせた。
「おーい、聞こえてるか?」
 それでも窓を叩くので仕方なくあける。近い位置に顔があり、意味もなくどきりとした。
「人に名を訪ねる時は……まず自分が名乗るものだ!」
 そのまま一気に走り去った。


 残された男は車の後姿を見送った。プレートの番号は覚えたのでその気になればいくらでも名など知ることができる。けれどそれをする気はまったくなかった。
「ぜひとも、アンタの口から名を教えてもらいたい」
 これ以上ないという笑みを浮かべて自分も夜の街へ去っていった。


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