半分居眠りしていると、ものすごい音がした。びくっとして周りを見渡したが、家の中の音ではない。どうやら雷のようだ。
「……雨、か」
 ヴェルナーの店には窓がない。もともとあったのだが、所狭しと置かれている雑多なもののせいでふさがって久しい。だから、雷鳴でもならない限り外が天気なのか雨なのかさっぱり分からないのだ。店を閉めて家路に着くときに初めて雨が降っていることに気がつくことも多々あり、いい加減片付けなければならないかと本気で考えていることもある。
 屋根を打ち付けてくるような豪雨のようだ。肩をすくめて傍らの地球儀を回した。カウンターの上に置かれた地球儀のある場所は、昨日までリリーが作った天球儀が置かれていた。売ろうかと思って譲り受けてきて、なんとなく売りそびれているうちに自分が気に入ってしまい、引き取ることにした。
 ぼんやりと取り留めのないことを考えているとドアの開く音がした。
「……濡れてないわよね…」
 階段の下で声がする。雨宿りにでも入ってきたのだろうか。だがこの声は。
 一階に入り口があるのに売り場は二階なので、この店は曲がった階段が入り口から続いている。だから入ってきた人間が誰なのかすぐにはわからないし、彼も確かめに行く事はしない。見る奴は見ろ、買う奴は買え、そうやってずっとカウンターに居座っているのだ。
「リリーか?」
 二年程前に坂の下にあるとんがり屋根の家に引っ越してきた、錬金術なんて妖しげな学問を広めに来た女だ。
「あー、参ったわ」
 階段を上がってきたのはまさにそのリリーだ。
「よお」
「相変わらず暇そうな店ね。メイドさんまでいないじゃない」
「今日は休みだ。暇そうで悪かったな」
 びしょぬれになってしずくがぽたぽたと落ちている。
「そんなに外はひどいのか?」
「もう大変。工房に戻るよりこっち来たほうが近かったから走ってきたけどね。これ濡らさないようにするのが大変だった」
 いいながら綺麗な布をヴェルナーに差し出した。
「はい。国宝布三枚ね」
「まだ期限までにはあるだろ?」
「他に依頼が立て込んでてね。でも中和剤とか基本的なのがなくて。それが出来る間に他のものはとりあえずさっさと片付けようって思って。今もう工房の中大変よ。みんな総出で調合調合。妖精さん誰か踏みそうなぐらい」
「ふーん」
 彼が注文していた品だ。見た目も手触りも最高で、思わず感嘆の口笛を吹いた。
「こいつは…すげぇな。言い値じゃ悪い。こいつもつけてやる」
 カウンターの下にもぐり、金庫から言い値と、幾らかのお金を足して取り出して渡した。
「ありがと」
 顔に流れてくる水滴を、しこたま水を吸い込んでしまった外套で拭いているがあまり効果はない。
「まいったなー。早くやんでくれないかな」
 雨の音はまだ屋根を叩いている。それを聞きながらリリーは嘆息した。
「うわ。髪の毛まで濡れてるし」
 いつも髪をまとめている飾り布の下からも水が零れてきた。
「もう…ま、仕方ないか。ここまで濡れてりゃ工房に戻るまでに濡れても同じよね」
 そう思ってヴェルナーに挨拶しようとそちらを向いたところ、頭の上から布をかぶせられた。
「さっさと拭け。俺の店を水びたしにする気か」
「ぶっ!…ちょっと、これさっき私がもってきた奴じゃない」
「いいんだよ。俺が買ったんだ。俺が好きなようにしていいだろ?」
「…そりゃまあ」
「なら貸してやるからさっさと拭け」
 いつものように人を馬鹿にしたような言い方だったが、リリーには正直うれしかった。頭の水分だけでもふき取れるのはありがたい。
「じゃ、お言葉に甘えて…」
 飾り布を取り、普段上にあげている髪を下ろす。腰まである長い髪を抑えているリリーを、ほんのわずかに頬を染めてみている自分に驚いた。そして、なぜか見てはならない物を見たというように地球儀を回す。
「あれ、元に戻ってる」
 その音にこちらを向く彼女。
「ああ。暇つぶしにまわしてるうちになんとなく気に入ってな。俺の寝室に置くことに決めたんだ」
「それじゃ売れなかった、ってことじゃない」
 あきれた、とでもいうように口を尖らせる。その様子を見て心の中で笑った。
「ばーか。考えが浅はかなんだよ」
 大分湿気の取れた髪を見、またすぐに視線をはずす。どうも少し心拍数が上がっているようだ。
 こいつ、こんなに髪長かったんだな。
 いつも前で二つ束にしている髪から考えてかなり長いとは思っていたが、こうして目の前で見ると意外な感じがする。
「ちゃんと売れたじゃねぇか」
「誰に?」
「ヴェルナー=グレーテンタールって野郎にだよ」
「…あぇ?」
 少し照れくさそうにいうヴェルナーを見る視線は、驚きを隠さない。
「野郎、かなりあれ気に入ったみたいで、銀貨1000枚で買うってよ」
「銀貨せん…って、あんた、あれはどんな値段で売れても銀貨500枚だって言ってたじゃない」
「いいからもっとけ!」
 またも金庫から引っ張り出した銀貨1000枚を強引に押し付け、そっぽを向く。無理矢理持たされた銀貨入りの袋を困ったように見ていたが、やがてふとあることに気がついて頬を染めた。
「…ヴェルナー……」
 相変わらず店主はそっぽを向いたまま。薄暗い店なのではっきりとは分からないものの、わずかに赤くなっているような気がした。
「ありがと」
「ふん」
「なによ、せっかく人が素直に礼を言ってるってのに」
「うるせーよ」
 悪態もなぜか気にならない。それどころか、このやり取りこそがリリーとヴェルナーのつながりのようなものだ。以前はめちゃくちゃな人だと思っていたが、最近はこうでなけりゃヴェルナーじゃないと思い始め、そんな心の変化にちょっとだけ戸惑っている自分がいる。
「でもなんか楽しい」
 けれど戸惑いを楽しんでみよう。そんな気持ちも生まれてきた。

 それ以後、二人とも何も言わなかった。大雨の中客がくるでもなく、リリーは雨が落ち着くまで店の中を見て回っていた。濡れた国宝布はカウンター前にヴェルナーが渡したロープにつるされ、品物を見て回る若き女錬金術師の姿は彼の位置からは見えない。あえてそうしたといってもいい。
「……早くやめよ…」
 口の中で呟く。どうにも手持ちぶさただ。
「髪を下ろしたリリーなんか見てたらなんかどーも調子狂っちまう」
「なんか言ったぁ?」
 知らず、口に出してしまったのだろう。幸い内容までは聞かれていないらしい。
「何でもねーよ」
 布の影からぶっきらぼうに返事が来た。
「そう?」
「ああそうだ」
 その言葉の裏になんとなく微妙なニュアンスがあるのを感じ、カウンターに近付く。目が合い、どきっとした。
「……」
「……」
「………あ、雨緩やかになったみたい」
「そだな」
 屋根を叩く音はもうほとんどしない。気配でまだ降っているとはわかるが、走って工房に帰ればさっきみたいなびしょぬれになることもないだろう。凍りつきそうになった視線を、慌ててお互いに離した。
「長居してごめんね」
「構わねぇよ。どーせ客なんて来やしない」
「だめだよ。こんなにお金使ったんだから、ちゃんと儲けないと」
 金の入った袋を持ち上げて笑って見せた。
「……それも、そうか」
 鼻で笑って、しかしすぐに真剣な表情になった。それに気がついたリリーも身を固くする。
「何よ」
 何も言わず、カウンターの上に置かれていたリリーの手を思いっきり引く。前のめりに倒れそうになるその瞬間。僅かの刻。互いの唇が触れ合った。
「ななな、何っ!?」
 カウンターを挟んで男に肩に頭を乗せることになってしまったリリー。動揺しながら体裁を繕う。つかまれた手を振り払いながら真赤になる。
「言っておく」
「だから何!」
「そんな姿、俺以外の野郎の前でするな」
「…はぃ?」
 ついさっき起こったことも忘れ、言われたことが飲み込めなくて素っ頓狂な声を出してしまった。が、店主は背中を向けてしまい、問いただそうにもその背中の気配がそうさせてくれない。
「?」
 首をかしげ、髪が揺れて初めて意味が分かった。しょうがないな、という風にまた髪を手早く纏め上げた。
「偏屈店主さん、これでいいんでしょ?」
「……」
 ちらりとこちらを見て、またすぐに背を向けてしまった。
「じゃ忙しいからそゆことで」
「……」
 返事はなかったがあまり気にならずに階段を駆け下り、小降りになった雨の中を駆けていった。
 店に残されたヴェルナーは顔を赤くしながら、傍らの地球儀をひたすら回し続けるのだった。結局地球儀は壊れてしまい、泣く泣く自分で直す羽目になったことは彼の名誉のために秘密である。また、工房に戻ったリリーはなにやら百面相を繰り返し、ヘルミーナ、イングリド以下妖精さんたちを気味悪くさせたというのも、とりあえず秘密らしい。

ENDE

このお話は錬金術の館様に投稿したものの改訂版です


語学マニア本領発揮的なドイツ語タイトル(笑)

しかも間違えてる可能性極大(あかんやん中世ドイツ史専攻)

後使っていないのは…アラビア語とギリシア語か

そのうち出てきそうでいやだな(笑)

それはともかく私はヴェルナー大好きです

素直すぎる人よりちょっとひねくれているのが好みなのかも…

あと雨降りネタも大好き

自分が雨に濡れながら帰るのが好きだからでしょうね

ああいう時って世界がちょっと変わって見えます

雨の音にまぎれて他の音がしない…

そういう異な空間が出来上がる

だから好きなのかもしれません

 

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