酔っぱらいに難癖をつけられるのは多々あることだが姉とリーディアとミリヤに、今回は外に出された。アルターは酔いつぶれていて何の役にも立たないのにどうなんだろうと思うが、姉はともかくリーディアとミリヤがいるのならどうにかなるかな、と思ってしまう。
「そろそろ窯の火落としたかったんだけどなー」
 そして明日に備えて掃除をし、また明日のために料理の準備をするのだ。近々晩餐会が開かれるからそちらのメニューも考えなければならない。
「店主追い出すってどうなのよ」
 道の中央にある噴水の縁に座って腕組みをする。ただ、しばらく店から出ていなかったので気持ちよくはある。夜ともなればいくら城前の道とはいえ静かだ。もう少し城に寄れば巡回の兵士と会うこともあるが、この辺はそんなに巡回兵は来ない。
「大門しまっちゃってると人通りほんと少ないから静かだよね」
 噴水も今の時間は止められている。
「ちょっと探検してみよう」
 あたりを歩く。と。
「あれ?」
 マーカス商店のランプがまだついたままだ。よく見ると店の前に誰かがいる。
「……シーラ?」
「あ、フレット。こんばんは」
「ああ……ってどうしたんだ?」
「なんか店追い出されたから散歩してる。そっちは?」
「今片づけだ。今日は搬入が遅かったし多かったしで今まで整理に時間がかかったんだ」
「あらー」
 それで店の前に出している商品を今やっと片づけているのだとか。
「手伝おうか?」
「いや、もう重いものしか残ってないから大丈夫だ。てか、店追い出されたって……誰に乗っ取られたんだ」
「乗っ取られたワケじゃないのよ。ただおねえちゃんに、酔っぱらい対策だからって外に出されちゃって」
「……そうか」
 フレットは複雑な顔をするがそれ以上何もいわなかった。
「んじゃあ私はもうちょっと散歩してくる」
「危ないぞ。最近ガラ良くないのも増えてるからな」
「大丈夫だよ。じゃあお休み」
「……待てよシーラ」
 ん、と思う間もなく手を捕まれた。そのままランプの明かりの届かない暗がりに引き込まれる。
「!」
 あっという間に抱きすくめられて口づけを受ける。抵抗しようと振り上げられた手は結局何もできないままフレットの体に添えられた。
 ややあって顔が離される。
「……こういうことをするような輩が増えてるんだぞ」
「た、確かに……ここにいる」
 しばし考えて頬を膨らませるシーラ。
「ちょ、ちょっと何てことすんのよ! 何のつもりよ!」
 フレットはそれに答えずただ笑っている。
「ちょっと、帰る! 帰るから離して!」
「やだ」
「や……って」
 単純に却下されて一瞬呆気にとられる。その隙をついてまた口づけ。
「ちょ、フレット、な、もう、何」
「何言ってるんだかよくわからないよシーラ」
「だ、誰の、せいっ!」
「悪い輩のせいだろきっと」
 絶対に楽しんでいる。涙が眦に浮かぶ。気づき、さすがに困った顔でそれをそっと拭く男。
「……なんなのよ……は、初めてなのに」
 こんな不意打ちでキスされるのは不本意だ、そんな気持ちがわき上がってくる。
「オレとしては光栄だな。ありがとう」
「はあっ!?」
「声大きいよ。親が出てくるじゃないか」
「むしろ呼びたいわっ……んー!」
 三度目のキスをうけ、挙げ句いつの間にか背を壁に押し当てられていて身動きがとれない。背からは秋口の冷たさ、唇からは強烈な熱さ。シーラはどうしていいかわからずフレットは口づけを与え続ける。
 やっと唇が離れたときには足に力が入らなくなっていたが、最期の自尊心で立っていた。
「はっ、はっ……」
「……なあシーラ。実はさ、オレも初めてだ」
「は……な、にが……!」
「これ」
 四度目。すぐに離される。
「お前には悪いけど、オレ、すごく今シーラにキスしたくなったんだ。夜にお前みるの久々で……」
 彼女の頭を抱えて胸に押しつけた。
「すごくドキドキしてるんだ」
 確かに早鐘のような音を聞いた。けれどそれはそれとしてなぜ自分なのだ。抗議をしようと頭を上げた、が、できずに抱え込まれる。
「……好きなんだ。シーラ」
「!」
 びくりと体がふるえる。
「順番逆でごめんな。オレらしくないな」
「……そ、そうだよ。普通逆だよ……」
「うん。謝る」
「素直なあんたは……あんたじゃないよ……」
 やっと顔を上げさせてくれた。視線が真剣な瞳とぶつかる。
「……フレット……」
 整った顔立ち。ランプの明かりに照らされてですら輝くきれいな金髪。両親もかなりかっこいいなと、幼い頃思ったのを思い出す。
 そういえば同年代の子たちにも人気だったよな……。
 そんなことを思いながら口を開く。
「私は……きっと、フレットには、似合わ……」
 全部言えずに五回目の口づけを、少し激しく受けた。
「そんなこと言うな。オレは聞きたくない」
「けど」
「そんな風にお前に言われたら、断り続けたオレの立場がないからさ」
「断る……?」
 黙って頷く男。
 考えてみれば自分より一つ上のフレット。この街でそれなりに有名なマーカス商店の跡取りが、二十二も三にもなって独り身なのはおかしい。それを言うならシーラ自身も同じではあるが、ここ数年シュペック亭を立て直すことに必死でそんなことまで気が回らなかった。
 姉にはいい人ができてシュペック亭がやっていけるようになった段階で結婚している。だがシーラには全くそんな話はない。むしろもうあきらめている。街から出た友達は知らないがまだ街にいる友達のほとんどは結婚してしまった。彼女には全く縁談の話はない。
 フレットがぽつりと語った。何度も結婚の話は持ち上がったそうだ。だが彼自身が断っていたのだという。
「……なんで?」
「オレはシーラが良かったから。もしもお前の店がうまく回らなくなったら、オレのところに来てくれって言うつもりだった。まあそれも必要ないかなと思ってもいたけど」
「そんなに、前から?」
「つーか初恋」
「……何で。自分で言うのもなんだけど……私そんなに良くないと思うよ。がさつだし、女っぽくないし……」
「ほんとにそうだな」
 少しは否定してくれるかと思ったが即肯定されて頬を膨らませる。
「怒るなよ。自分で言ったんだろ? ……行動力があって、思いやりもあって、頭もちゃんと回るし、飯だって旨い。いいじゃないか」
「……そんな風に言ってくれたの……今までいろいろあったけど初めて……」
「お前しかないって決めたのはそれ受け取ってくれたときだ。お前に断られたら親が何を言おうと一人でいるつもりだった」
 胸元にある飾りに触れシーラの頭を優しく撫で、目を閉じた隙に六回目。
「城に呼ばれるってとき兵士案内したけど……城にはオレよりもっともっといい男がいて、シーラがそいつに持って行かれたら、ってずっと思ってた。けど幸運にもそっちからもそんな話ないみたいだし、杞憂だった」
「幸運って! ……すっごく悩んでたんだよ。私……そんな意味では誰も必要としてないんじゃないかって……」
「悩んでるの知ってた。それで、オレのことに気づいてくれるかって思ってたけど……ぜんぜん気づかないのな」
「……」
 気づいてなかったわけではない。文句を言いながらも何かと気にかけてくれて、アルターやリーディアにからかわれて、もしかしたらと思ったこともある。そのたびに自分の体型を眺めてため息をついた。
「……ミルクいっぱい飲んでも、ダメだったよ」
「何の話だ? っておい、泣かないでくれよ……」
 あわててポケットからハンカチを出して今やボロボロ泣いているシーラの涙を拭く。
「今日も、今日も、お客さんに言われて、悲しくて、それでお姉ちゃんに外にいけって……」
 姉と比べて妹は胸がない。酔った男たちのバカな話は昔からだ。ただ今日は無性に堪えた。見かねたカメリナが、裏口から外にいけと出してくれたのだ。
「オレは気にしないよシーラ。そんなことどうでもいいじゃないか。オレは、お前がお前だからずっと好きだったんだ」
 髪をなでながらシーラを諭す。女はフレットにかきついて泣いた。しばらくして落ち着いたがしゃくりあげる様を見て店の中に連れて行く。木箱の上に布を乗せて簡単にイスを作った。
「ここ座っといてくれ。今さっさと片づけちまうからさ」
「……」
 目を腫らしながら頷くシーラを見て笑い、残りの商品を手早く店内に入れていく。そうこうするうちに。
「ちょっとフレット、まだ片付かないのかい?」
「ああ、もう少しだよ」
「って、あれまあシーラちゃんじゃないかい」
 店の奥から女将が顔を出した。最近は店のことは全部フレットに任せて、夫と一緒に仕入れ旅行にでていることも多い。
「あ、え、おばさんこんばんは……」
「久しぶりだねえ。またあんたの料理食べさせてもらいに行くからね。有名になっても良心的価格ってのがいいのよねぇ……って、どうしたんだい?」
 シーラの様子がいつもと違うことに気づいた女将。
「泣いたのかい? 誰かにいじめられたの? うちのバカかい?」
「バカって誰のことだよ」
 フレットがすかさずつっこむが母親は聞いていない。心配そうにシーラの頭を撫でる。
「あ、大丈夫です……ちょっと、嫌なことがあっただけで……客商売してると、いろいろありますしね」
「そうだねぇ。特にあんたのトコは酔っぱらい相手もしないといけないしね。辛かったらいつでもおばちゃんトコ来なさい。なんもないけど話は聞けるから」
 父母が死んでからマーカス夫妻が父母代わりのようなものだった。それをふと思い出す。
「ありがとうございます……」
「母さん、もう片づけ終わったよ。オレ、シーラ送ってくから。ついでになんかあっちで食わせてもらうよ」
「ふーん……いいけど。ふうん」
 なにやら納得したようににやにや笑い頷いている。フレットとしては何か文句が言いたかったが言っても母親には負ける。なのでさっさとシーラの手を引いて出た。
 街灯の明かりのもっと奥、星空が輝いている。
「……もうちょっと散歩しないか?」
「……」
「あ、早く帰りたいっていうなら帰るけど……」
「い、いいよ……」
 返事の代わりにより強く手を握る。
「魔法学校の方とかいってみるか」
「うん……」
 シーラとしてはどこでも良かった。なんだか嘘みたいな展開で、どう対応するべきかの時間がほしかった。
 フレットもどこでも良かった。こちらは久々にあったシーラともっと一緒にいたいだけだったが。
「やっぱ七天使亭がなくなるとこの辺は静かだな」
 未だ買い手のつかない巨大な元料理店。少し不気味な気もする。魔法学校も今はあまり明かりはついていない。生徒たちのいる寮は学校の裏手らしいのでやはり人気はない。
「……どうしたよ。なんかおとなしいと調子狂うな」
「わ、私だって。あんたが妙に優しいから狂うわ」
「悪かったな。たまには素直になるさ」
 それっきり黙って歩く二人。お互いに何をどう言えばいいのかわからない。
 やがて、少し開けた広場にやってくる。
「……ここが昔、お城があったところだってさ」
「えっ? そうなんだ……」
 今の城の位置が昔と違うというのは以前にフレットから聞いていたが、シーラは実際の位置はよくわかっていなかった。そういうことに興味はあまりないし考える時間もない。
「らしい。酔っぱらった親父が言ってたくらいだから。ただ嘘言ったって仕方ないしな」
 青年は辺りを見回す。
「……ここに城があるままだったら、一連の騒動も起こらなかったんだろうな……」
 言われて気づいた。もしも、ここに城があるなら。七天使亭の場所が一等地と言われても良かっただろう。近くに魔法学校もあり人通りも多かったに違いない。そうすればグスタフにシュペック亭が目を付けられることもなかっただろう。
「まあ言っても仕方ないこった」
「……そうだね。今、なんとかやってるから、それでいいよ……」
「本当か?」
 疑問と共に手を強く握る。
「最近さ……あんまり仕入れの話とかもしにこないし、たまに城にいくのを見かけてもすごく疲れた顔してるときがあるぞ。大丈夫か? ……ちゃんとみんなに頼ってるか?」
「……多分。私でないとできないことも多いからね。時々店はほかのみんなに任せてる。レシピ置いてあるから……」
「そうか。……オレにも頼ってくれていいんだぞ?」
 シーラの胸が熱くなる。何かわからない。それでも熱く、彼女の体を支配する。
「で、でもさ。あんたには……フレットには、ここまでくるまでにすごく助けてもらった。フレットがいなかったら私は今ここにいないと思うんだ。だから、むしろそれを返していかないと、って思ってる」
「そんなのいらねーよ」
「でも」
「いらない」
「……」
 黙るシーラを見つめてから、やや照れを含んだ声で付け加えた。
「どうしてもってんなら、オレと結婚してくれ」
「……やっぱそこに戻るの?」
 街灯の光も届きにくい薄暗いところなのにシーラの顔が真っ赤に染まっているのがわかる。
「……というか、好きとか言う話からいきなり結婚? すっごく展開早いんだけど」
「そうか? 歳も歳だしいいんじゃねーか? オレはそのつもりだけど」
 さも当たり前のことというようにさらりと流してからシーラに笑いかける。
「まあお前もいきなり言われてハイそうですかって言えるような立場じゃないしな。返事は保留ってことでいいぜ」
「……」
「さてそろそろ帰るか。なんか食わせてくれ」
「……いいけど」
 それは良かった、と極上の笑顔を向けられ、シーラはどうすればいいのかまたわからなくなってしまった。

「ただいま……」
「おかえりシーラちゃん。窯の火はまだ落としてないけど……そろそろお店しめようか?」
「あ、うん」
「こんばんは、カメリナさん」
 シーラの背後からそっと顔を出す。
「あらフレット君じゃない。どうしたの?」
「なんか食わせてもらおうって思って、外歩いてたシーラ捕まえたらまだ火は落としてないっていうからきました」
「今までお仕事だったの? 大変ねぇ」
「いやいや、こっちの方が毎日遅くまで大変じゃないですか」
 リーディアが席の一つに案内してくれる。シーラはそそくさと厨房に入ってしまった。
「聞いたけど、酔っぱらいがなんかしてたんですか?」
「うーん。まあいつものこと。丁重にお帰りいただいたから」
「……はあ」
 何がどう丁重なのかは知らないがカメリナとリーディア、ミリヤのトリオには逆らわない方がいいと、以前にアルターにそっと教えられている。
「え、ええと。じゃあサーモンのムニエルで」
「はいよー。シーラ、ムニエル!」
「はーい」
 影になって見えないが返事は明るい。フレットは少し、ほっとした。

 一通り食事も終わり、ようやく窯の火を落としてきたシーラを捕まえて差し向かいで飲んでいる。店自体はもう閉めており、彼らのいるテーブル以外は掃除も済みほかのメンツは全員二階に引き上げてしまっていた。
 テーブルの真ん中に置かれている小さなランプが二人を照らす。
「お前と飲むのも久々だな」
「そう、だね。前は……」
「お前の誕生日だったよ。三ヶ月くらい前」
 そうだっけ、と頭を掻くシーラに少し不安を覚える。
「なあシーラ。お前は、オレじゃ嫌か?」
「な、なに!?」
「言葉通りだ」
「……」
「結婚云々は置いといて、一応オレはちゃんと好きだって言ったわけだが、お前からは何とも帰ってこないからな。なんか不安だよ」
「…………じゃない…………」
 まっすぐ見つめられ背中に熱いものが走る。
「ん……」
 うまい酒だな、と少しグラスを傾ける男。酒が回ったせいか軽く頬が染まっていてたまらなく色っぽく見えるのが悔しい。
「で、どうだ?」
「は、え、と……さっき言ったよ」
「聞こえなかったぞ」
「うそ」
「もう一回教えてくれ。それとも教えられないようなことだったのか。それはそれで辛いところだ」
「ち、違うよ! キライ……じゃない……って……なに笑うのよ!」
 頬を染め小さく、けれど耳に届くようにつぶやくシーラをみて見る見るうちに笑顔になるフレット。
「いや、悪い悪い。うれしくてさぁ」
「あんた……酒入ると人格変わるのね」
「そうか? かわんねーけど」
 上機嫌で残った酒を飲み干して伸びをした。
「んーっ! 今日は忙しかったー!」
「はは、お互いお疲れさんだね」
「んで明日のために眠りにつく、と。悪かったな遅くまで」
「いいよ。お得意さんだし」
 お得意だけじゃなくて恋人って言ってくれるとうれしいぜ。立ち上がりがてら耳元で囁かれて顔が燃え上がる。
「そうそれ。その反応。昔から変わんないよなあ。それがいいんだ」
「……さっさと帰れ!」
「言われなくても帰るさ。明日もまた荷物山ほど来る。おまえんところに直でつっこみたい気分だ」
「うっ……それは、それでごめん」
「店が遠く離れてるワケでもなし、お得意さんに変なもんつっこむわけにもいかねーし、ま、いいってことだ」
 出入り口まで見送るシーラに笑いかけた。その表情がすっと引き締まる。
「シーラ」
「ん?」
 扉に手をかけている女をそっと抱き寄せる。シーラは先ほどよりは抵抗しない。軽く頭をなで、髪を梳き。
 その日、七度目の口づけをかわす。酒の味が残る、ほんの少し苦いキス。
「おやすみ、シーラ」
「……フレットも。おやすみなさい……」
 名残惜しいがお互い離れる。シーラは唇を押さえながら幼なじみの背を見送る。その頬が赤いのは、もちろん酒のせいだけではなかった。


END


 二月ぐらいに書きあがってましたが、ずいぶん長い間上げるのためらってたのは、いいのかこれ、とゆー理性の一点につきますw 外堀埋められた挙句に男が本気になったらこうなったぞ、と。
 2012.7.3

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