『……その勢いはまさに猛烈の一言。初めのうちは原因も何もわからず、ただ運が良いか悪いかだけが生き延びるか否かを決めていた。いや、それは現在でも変わっていない。見えない悪魔たちに対する方策は未だ確立されていないのだから。どんな魔物でも、どんな魔王でも力を付け知恵を出し、生き物が持てるすべての力を使えば勝利を収めることが出来た。だが今回だけは為すすべが全く見つからない。見えぬ相手、人知れず生き物に忍びより体力を奪い、そしてそのまま衰弱死。生者よりも墓の方が多くなり、滅びていった国も数知れずあったと言う。
 かれこれ百年ほどは悩まされたであろうか。このままでは世界が世界として成り立たなくなる。人も動物も植物も無関係に襲う悪魔たち。宗教にかぶれた者の中には神なる存在の与えたもうた罰であるとうそぶく者がおり、それに同調した人間たちの作る宗教的な集まりのおかげで支配の体系も変わりだした。それまで隆盛を誇っていた王や貴族たちは消えていき(注釈:もっとも、この段階で過半数のそういった者たちは死んでいたと思われる)教会やそれに仕える者たちが台頭した。それもまた短い期間でしかないだろうと、当時の識者は語ったという。
 だがそういった意見とは裏腹に宗教人たちの支配は続く。一般人はもちろんなにがしかの力を持った超人たちも取り込み、やがて彼らを中心にしてついに見いだしたのだ。悪魔たちを呼び寄せる方法を。
 残念ながらこの方法は現在伝わっていない(注釈:秘伝として残っている可能性もあるが、関係者に確認したところ失伝してしまったと考えられる。確認した関係者に関しては中枢の人間であるということを記しておく)。だがそのおかげで悪魔たちは一カ所に集められ、封印を施され、別の空間へ放逐されたという。もちろん「なぜ滅ぼしてしまわないのか」という意見はあった。しかし時の最高権力者が、
「滅ぼしてしまえば安心だがそうなれば必ず次の悪魔が現れる。これ以上の犠牲を出す悪魔が」
 と述べ、封印することに落ち着いた。もちろん、悪魔たちを研究し手懐け、最後の兵器として使うのではないかという意見も出たがこれらは人知れず消えていった。
 そして現在。幸いにして悪魔たちの封印が破られることはなかったようだ。というのも、彼らを閉じこめた空間はどこかに消えてしまい、もはや足跡をたどることは出来ない。数百年噂を聞かないという、その一点のみにおいて、封印は無事であるということが推測できるのだ』

「……」
 トゥベントから借りた本……『病気』に関する本。どこかの空間から持ってきたというが古い本で、そこから推測すると『病気』がはやったのはざっと千年近く昔の話になるのかもしれない、とせんせーは思う。だがもうそれ以上読むことは出来なかった。
 ここのところ行く先々で『病気』のことを聞いた。なんなのだろうと思っていたが、かなりやっかいなものであるということ、的確な治療法が少なく手遅れになりやすいこと、そういった点からかなり危険視されている。
 せんせーとしては気になるところだった。檻に落ちてきた本には不思議と『病気』に関わる記述がなかった。最初はただの好奇心。知らない知識を知りたいという、彼本来の特性で『病気』に関して調べ始めただけだった。だがどこにも本も知っている人もいない。中途半端に聞きかじる知識はせんせーの不安をあおる。
 それに何かが引っかかる。何の不安なんだろう。『病気』に対する不安? いや、不思議とそれは全くない。そんな部分よりもっと根本的なところでの不安感。知りたくない、知りたくないと叫んでいる。だが知らなければ。不安に押しつぶされそうになっているのをレイスアールが知れば心配するに違いない。
「トゥベントさんなら何か知っているだろうか」
 性格はかなり難があれど知識人であることは確かだ。
「ビョーキ? ……ああ、『病気』ですね。はいはい知ってますよ。昔々はやったらしいです」
「らしい、とは?」
「さすがにわたしでも生きてませんからね、そこまでは知りませんよ。ただ……」
 と、本棚をガサガサと探る。ああでもないこうでもない、積み上げられている未整理の本の山にまで回って探していたのは。
「これですこれ。これにその『病気』のことが書かれてました。最近はやってるみたいですしね、知識を得るのはいいことだと思いますよ」
 渡された本を食い入るように、むさぼるように読んだ。そして、もうそれ以上読めなくなった。
「レイスを先に帰したのは、何かの予感があったからなのかな……?」
 自分はずっとあの檻の中にいた。気づいたときには、もうずっとずっと。だが本当にそうか? 遠い記憶の扉の向こうには、どこかの街がないか? どこかの山村がないか?
「……長い間疑問だった自分のことが、こんな形でわかるとは……」
「何か言いました?」
 先ほど出した本を改めて整理していたトゥベントが聞く。
「いや……別に。本ありがとうございました……」
 礼を言って力なくトゥベントの家を出て行く。レイスアールの家に帰るつもりだったがその気がなくなってしまった。
「オレは、どこへ行ったらいいのかな……」
 帰るべきはあの檻の中。そしてそこでもう一度封印してもらって、二度と外を夢見てはいけない。
「……そんなことは、わかってるんだ。けれど」
 もうそれは無理だ。せんせーは外を「知って」しまった。コルトも、ほかの仲間たちも。外に出て自由に過ごすことを「知った」のだ。もはや檻の中には戻れない。戻ったとしても封印はごめんだ。
 当てもなくさまよったとしてもここはたいして広くもない空間の狭間。いっそつながった先からどこか遠くへ行ってしまおうか。
「あれ? せんせーじゃないか。こんなところで珍しいな」
「……ん?」
 声のする方へ向けばラズベリーが街灯の下で手を振っている。
「ラズベリー」
「うん? なんか顔についてるかい?」
 怪訝そうな顔をするラズベリーに頭を振って見せる。
「君こそこんなところで」
「うーん。ちょっとお嬢……いや、考え事」
 苦笑いで何か言い掛かったのをごまかす。気づいたが深く追求するのはやめた。そんな気力もない。
「なーんか、いつにも増して無気力モードになってないか、せんせー」
 立ったまま目を開けて寝れるんじゃないの、と笑う。つられて笑うがすぐ表情が元に戻ったのがわかる。
「うーん、こりゃ重症だな。あたし程度じゃどうにもならないや」
「……ん」
「なあせんせー、レイスに相談してみたか?」
「えっ」
「相談って言うか、聞いてもらうだけなんだけど。そうすると不思議と落ち着くんだよ。相談できそうなことだったら聞いてもらうのがいいと思う」
 天使は先天的に魅了のスキル持ってるからなー、そのせいかなー。なにやら考え込むラズベリーにせんせーが突っ込みを入れる。
「……そうだね。君もね」
「あはは、そりゃそうだ。まああたしの方はそのうちね。急がないしさ。それよりせんせーがそんな顔してたら、間違いなくあっちから食いついてくると思うぞ」
 笑いが抑えられない、といった様相で続ける。
「なんたってせんせーがいなきゃ一日が始まらないって感じだもんな」
 その指摘に納得するせんせー。それにレイスアールはこの件にかんして、無関係ではない。知らなかったとはいえかつて世界に『病気』をまき散らした病魔たちを解き放ったのだから。
「ちょっと行ってくる」
「あーい、行ってらっしゃい」
 ラズベリーに見送られて家へ。レイスアールがシブキと何事かを話しながら料理をしているところに帰り着いた。
「おおせんせーか。レイスアールの料理は美味だぞ」
 仕方なく差し出してくるおにぎりを丁重に断る。そうか? といいながらも顔は喜んで、すぐさまおにぎりを食べてしまった。食べたいなら別に渡そうとしなくていいのにと思うがこれがシブキの矜持なのだそうだ。
「ねえレイス、少しいいかな?」
「うん」
「おお、でえとというやつか。ゆっくり行くといい。留守は守っていよう」
「うん、シブキ、ありがとう」
 何か勘違いしたシブキに見送られて畑のある方のはずれへ。誰が作っているのかはわからないがきれいに畝になっている。
「せんせー、どうしたの?」
 緑色の瞳をきらめかせて少し不安そうな顔をしている。せんせーは覚悟を決めた。この表情をさせるくらいならさっさと話してしまった方がいい。
「オレ……病魔だったみたい」
「……びょうま」
 彼の言葉をそのまま繰り返すレイスアール。言葉の意味をかみしめるように。
「まあ病魔ってのは前から知ってたけど……。最近、聞いたことない? あちこちで……『病気』の人が増えてきたって。あれは……多分、オレたちが外に、檻の外に出たから。そういうことなんだと思う」
「……」
 そこまで言って言葉が詰まる。言いたくない。けれど告げなければ。
「もしかしたら……レイス、君は罰せられるのかもしれない」
「……」
「オレたちを外に出した、その罪で……」
 そして自分とレイスアールは共にいることが出来なくなる。そもそもが天使と病魔。相容れない。それに大好きなレイスアールを『病気』にしてしまうかもしれない。そんなのは嫌だ。
「誰が、誰が私を罰するの?」
 せんせーの思考を破ったのはレイスアールの素朴な疑問。知らず外れていた視線を彼女に戻せば、いつもと同じように笑みをたたえている。
「誰って……ヒトとか、神様とか……」
 言いながら自分でも、誰がレイスアールを罰するのだろうと思った。
「神様は罰なんか与えないよ。それにね……」
 ベンチから立ち上がってせんせーの前で一回転。
「知ってたもの」
「……知ってたって、何を」
「せんせーのこと」
「ええっ!?」
「なんであんなところにいたのかは知らなかったけど。せんせーが何者で、コルトたちがかつて何してたのか。知ってる。天使はね、そういうこと知ってるの。そういう風に作ってくれたんだって」
「……」
 驚きで開いた口がなかなかふさがらない。釣り上げられた魚のようにぱくぱくするばかりだ。対照的にレイスアールはにこにこと笑っている。
「じゃ、じゃあ……知ってて、檻、壊しちゃったの?」
 やっと思考が戻ってきた。
「……あのね、せんせー。神様が昔言ってたんだ。この世に生きてる者は、それがなんであれ自由を奪われる理由はないんだ……って。それで、あの檻見たときすごく変で、嫌な気持ちになった。せんせーたちはちゃんと生きてるのに、どうしてあんなところにいなきゃいけないのかなって」
 いつも大事に持っている緑色の剣、メティスを取り出す。
「メティスはね、刃がないでしょ?」
「う、うん」
 急に話題が変わって面食らうがなんとかついて行く。
「これも神様が言ってたんだけど、メティスは使い手そのものを写すから、刃がいらないと思えばないんだ。だけどあのときは……天界から来て、初めてお話ちゃんとしてくれたせんせーと離れたくないのと、その嫌な気持ちが一緒になって切っちゃった」
「……ははは、それは……いいのかな」
「本当にダメなことだったらメティスが教えてくれる。だから、メティスで不当に生き物を切ることはできないの。切れたんだから、きっとダメじゃないんだよ」
「で、でも……オレは、オレと一緒にいたら、君を『病気』にしてしまうかもしれない」
「治療法はないわけじゃないんだよ。せんせー、治してくれるじゃない」
「……」
 そういえばそうだった。なぜか自分は何者も覚えていないはずの『病気』を治すことが出来る。今ならわかる。己自身が病魔で、『病気』のことを知り尽くしているから治せるのだ。
「それにどこかでそんなお薬が出来たって話を聞いたことがある」
 レイスアールはせんせーの顔をのぞき込んだ。
「あのね、せんせー。生きてるものはみんな、目の前のことをクリアしようと一生懸命なの。昔々とは、きっと違うよ」
 普段のレイスアールからはあまり考えつかないがそういう風に諭されると天使であるのだな、と実感する。
「だからね、一緒にいようね」
 手を取られ、満面の笑顔を向けられた。ああ、自分はレイスアールのこの笑顔が大好きなのだ。自分のことを知った上でまだこの笑顔を向けてくれることがたまらなくうれしい。
「うん。いよう」
 ずっと。自分が消滅するときがくるまで。レイスアールの傍にいよう。自分を信じ、解き放ってくれた彼女を守ろう。そっと、誓った。

「くくくく、おのれにっくきレイスアール! あたちのせんせーの手をかってに取って! なんてことでちか!」
「はいはい、あっちで話し聞きましょうね」
 コルトがたまたま手を取り合っているところを見つけ、憤慨している後ろからヴェネディットが取り押さえる。
「まあ、まあ、せんせーとレイスが!」
「はいはい、そっちも興奮してないでこっちこっち」
 ヴェネディットと一緒に散歩をしていたグリンも興奮して顔が紅潮してしまっている。そんな様子にヴェネディットは頭を抱えつつ、せめてドレイクの店ぐらいにまで引っ張っていけたらいいな、とそっと思うのだった。


END


 某ブログからの輸入版(謎)。白状すると冒頭のエセ伝記書くのがすんげー楽しかったw やっぱ根っこはこっちなんだろうなーとしみじみしました。そもそもは、あのイベントの後のせんせーの様子と、レイスはなぜ檻を切れたのかという疑問から。
 2012.2.29(初出:2012.2.7)

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