振り下ろされた剣の下に居るはずだった悪魔はひらりと飛び上がりこちらをあざ笑う。一瞬ひるんだレイラに冷たい氷の帯がまっすぐ襲いかかる。
 だがそのときには建て直していたレイラ、髪とマントの一部を凍らせつつも直撃は避けた。凍った髪から強い冷気が漂う。
 今度はこちらから、とばかりに氷を吐き終わった悪魔に向かってとびかかる。這い回っている木の根を踏み切りにして跳ね上がり剣を斜めから振り上げた。思わぬ方向からおそってきた刃に悪魔の翼の一部が切り裂かれた。
 声にすらなっていない悲鳴を耳に入れないように間髪入れずもう一度剣を降ろす。思った通り悲鳴はそのまま力ある言葉として働いたようで、一瞬前までレイラのいた場所に刃のような氷が生まれた。これだけは決して人にはまねができない。悲鳴は悲鳴であり、絶対に力ある言葉にはならない。
 そこにいたのが魔法の使い手なら感傷に浸ったのかもしれない。だがそこにいたのはレイラ。速く。もっと速く手を動かせ。鋭い切っ先をとぎれなく突き出す。切り裂いた翼に。顔や急所を庇う手に。次第に蹴る力を失う脚に。
「……ふーっ」
 ようやく動かなくなった悪魔。悪魔と呼んでいるのは便宜的なものであり、昔母親に無理矢理教会の礼拝に連れて行かれたとき、神父の説教の中にあった悪魔の描写とこの魔物が一致したからである。
「終わったか」
 剣に着いた諸々を近くの沢で洗い落とす。
「お疲れレイラ」
 沢ではフォディニーが岩に座って何かの木の実をつぶしていた。
「とりあえず今のところ何にも気配はない。しばらくは何も会わなくてすむと思う」
 いいながら剣と自分の手を見比べる。つい最近まではここまで手間取ることはなかった。確かに魔法を使ってくる相手は苦手だ。ただここは森の中。空を飛ぶ相手には枝が邪魔になり不利に働く。その隙をつけたはずなのに。
 黙って考え込むレイラを、こちらも黙ってちらりとみては木の実をつぶす。時折、拾ってきた別の種類の実や葉を混ぜてつぶし、かなりの量の薬ができた。
「うん、できたできた。しばらくはこれで大丈夫」
「今日は何の薬だ? 昨日は発熱だっけか」
「今日のは切り傷。一つ一つ効く葉が違うから、ちゃんと別々に作っておかないとね。いついるかわからないし」
「そうか」
 レイラにはよくわからないのだがとりあえずそれぞれがそれぞれのことにしか効かないのはなんとなくわかった。
「確か……この位置からだと……」
 位置をはかる道具を取り出してのぞく。何度か繰り返して顔を上げた。
「前に通ったところからたぶん東に半日ぐらいずれてる。だからあと二日歩けば集落があるはずだ」
「わかった。とりあえずそこで一息入れられるかな」
 彼らはベラヌールを出て、以前レイラが世界樹の葉を取りに行った道を歩んでいる。さすがにもう一度結界を通るのは嫌だったレイラが、地図と当時調べた位置情報を思い出しながら通った場所を割り出し、船で大陸にわたっていった。
 世界樹を僕もみてみたい。フォディニーのその希望に沿うために。
「前に通ったときはそれどころじゃなかったからよくわからないが、たぶんそんなに大きくない」
「それでもいいよ。ほんの少し食料を分けてもらえたらそれでいいし、軒を貸してもらえたら眠れる。だよね?」
「そうだな。そうだ、さっきの戦いの前に二羽ほどしとめたんだ。こいつを保存肉にしておけば、もしかしたら交換もしてくれるかもしれない」
 少し取りに行ってくる、とまた沢から離れて森に入っていった。気配が遠ざかると男は悲しそうな顔になる。
「……やっぱり、気にしてるんだろうな」
 自分は何者になれるのか。二人旅を初めて幾度ともなく聞いたレイラのつぶやき。そればかりはフォディニーがどうこうするわけにもいかない、彼女の心の問題。
「僕は君のおかげでここにたどり着けた。それは忘れないで」
 つぶやきは茂みを割って戻ってきたレイラ自身に消された。

「……レイラは、大人になったら何になるつもりだった? 僕はね、魔法の研究家になりたかったんだけど」
「魔法の研究? なら医者じゃなくてもよかったんじゃないか?」
「うーん。なんていうか、医者の修行をしてる間に、昔のことを思い出したんだ。で、魔法の研究なら医者の仕事の傍らできるからこれからちょっとやってみてもいいかな、っておもってる」
「へぇ。それはいいかもな」
 うん、いいことだ、と頷く女。
「レイラは?」
「私……は……父さんが好きだったから、父さんが呼ばれたように勇者ってやつになりたかったよ。なーんにも知らなかったからさ」
「ぴったりだ。というか十分に勇者だと思うけど」
 そんなことないない。男に片手を振ってみせる。
「んー……なんていうかさ、勇者だとか英雄だとか、そんなのは乱世じゃないと存在しちゃいけないってことに思い至って」
「……」
 苦笑いを浮かべながらレイラは続け、フォディニーは真剣に耳を傾ける。
「だってそうだろう? 一つの力を打ち倒した力は、次の時代には確実に脅威になる。そしてまた討ち果たされる。おまえが医者の修行をしてる間や、そもそもアリアハンを出てからこっちも少し勉強はしたんだ。そうしたら、そういうもんだった。悲しい話だとは思った。けど、当然だとも思った」
 男には何もいえない。彼女の語ったことは事実だったから。一族の歴史にもある。一つの戦いが終わったら一つの王がたち、王が英雄でないとき英雄は必ず消えた。伝説だけを残して。
「そもそも勇者とか英雄とかは自分で名乗るもんじゃない。それも……思ってな」
 煙のにおいがした。どこかで火を使っている。
「集落が近いかな?」
「いや……これは違う。……血のにおいがする」
 いうなりレイラが走り出す。遅れてフォディニーも駆けるが足下の半分腐りかけた落ち葉に脚をとられてうまく走れない。
 レイラに追いついた時、そこには広がってほしくない光景があった。
「けが人頼む! 私は周囲見てくる!」
 フォディニーの返事を待たずレイラは森に分け入った。気にはなるがうめくけが人たちも気になる。
「これは……大きな獣だ」
 背や腕に残された傷口をみて顔をしかめる。そして森に入ったレイラのことが気になって仕方ない。彼にしては少々手元が怪しくなりつつ、なんとか治療を施していたらレイラが戻ってきた。
「大丈夫? 大きな獣みたいだ」
「のようだな。ずいぶん奥の方まで踏み荒らした痕跡があった。確かにこの辺にはでっかい猿の集落があったと思うんだ。けどもっともっと奥の方で見かけて、そっと逃げてきたからよくはわからない」
「その……猿たち、です。ここのところ、天候が悪く、あまり、森に……食べ物が……」
 フォディニーの治療を受けた男が咽せ込みながら説明をした。
「無理しないで。どこか近くに休めるところはありますか?」
 黙って男は指を指す。その方向に小屋らしき屋根があった。
「レイラ、お願い」
「わかってる」
 レイラが男を背負い、フォディニーはほかの人間の治療へ。中にはギリギリの状態だったものもいたらしく、背負って歩けないので小屋からシーツを持ってきてそれに包んで運び込んだ。
「あとはおまえだ。私は外を見回ってるから」
「うん。気をつけて」
 扉が閉まった後にはけが人たちのうめき声ばかりが満たされる。修行中にもまれに街の近くで隊商が襲われそのまま治療に入ったこともある。そんなことを思い出した。
「ありがとよ、兄さん……楽になってきた」
 最初に声をかけてきた男がそんなことを言った。
「いえいえ、僕の仕事ですから」
「あんた……お医者かい?」
「まだ駆け出しですけどね」
 肩をすくめながらも治療の手は止めない。男も、仲間が縫合されているのを見て黙った。
 緊迫の時間が過ぎた。フォディニーが壁により掛かりふーっと息を吐く。もうたぶん大丈夫。手持ちの薬も何もかも使い切ってしまったが消える命はもうない。
「ありがとよ、お医者の兄さん」
「いえいえ」
「今の時期は確かにエサが少ない時期ではあるんだが、今年は特にひどかった。もう少しすぎれば実りの時期が来るからこんなことにはならないだろうが……」
 猟師たちで徒党を組んで山を見回っていたところに猿の集団と遭遇したらしい。最初は威嚇だけで、手に持ったたいまつをこれ見よがしに振るようなまねをする猟師はいなかった。だが猿の方はそういうわけにもいかなかったようで、火をみて興奮し、こちらに襲いかかってきたそうだ。
「ふつうなら引くんだがな……」
「……」
「あいつらもよっぽど食うに困ってるんだろうなって。俺たちも今年は少なくなりそうだから、山のものをとるのは控えてたんだが……」
「あ、火を起こしたいんですが……」
 男の会話がとぎれた瞬間を見計らってフォディニーが提案した。夜は冷える。いくら容態は安定しているとはいえ冷えていいはずがない。
「外に薪がある」
「わかりました」
「けど火種が……」
「火種の心配はいりません」
 外から薪を持ってきて暖炉に並べる。これくらいかな、と指先に小さな炎を生み出し小さな枝に移した。
「へえ……あんた魔法も使えるのかい」
「少し……ですがね」
 あまり多くは語るまい。余計なことは必要ない。
「ふーっ。とりあえず周辺にでかい生き物の気配はないみたいだ。そっちはどうだ?」
 レイラがそっと扉を開けて戻ってきた。フォディニーの前に袋をいくつか置きながら聞く。
「大丈夫。今暖炉に火を入れたところだから。……ところでこれは?」
「足りなきゃ困るだろうからとってきた。これだったよな?」
 中を見ると薬草のたぐい。
「……よくわかったね、これ……すごくありがたい」
「うろ覚えだったがよかった。ちょっと休ませてくれ。そしたらまた見回りいってくる」
「あんた……」
 猟師がレイラを見て目を細めていた。
「女なのか」
「……ああ」
「あ、いやすまない。なかなかそんな人はいないから……」
 そういいながらもレイラをじろじろと眺める。あまりいい気持ちはしないがなれていないわけではない。なので極力気にしないよう、視線からはずれるような位置を選んで休息をとった。
 猟師とフォディニーが時折思い出したようにしゃべり、レイラは一時間に一度程度、外に出て見回りをしてくる。そうやってして朝がきた。
「街はここから近いですか?」
 けが人の大半も起きあがれるようになりとにかく落ち着いて治療をするために街へ帰ることになった。幸いにしてかなり近くにあるようでフォディニーは内心ほっとした。
「俺が先に行ってみんなに知らせてくる。応援も来るだろう」
「そうしてくれると助かります。まだ動かせない人も何人かいますし」
 猟師が脚を引きずりつつも山を下っていく。レイラがけが人たちに声をかけ、フォディニーはレイラが見回りのたびにとってきた薬草をすりつぶしてすぐに使えるようにした。
 半日ほどかけて全員を街に返した。自宅に帰れるものは自宅、まだ無理な人間は病人やけが人を住まわせる家に。
「何とかなりそうですかの」
「そうですね。こちらにいる方は七日ほどは猟に出ない方がいいですが……」
「備蓄はあります。それに動ける人間もほかにいる。大丈夫ですじゃろ」
 長老が髭をなでながらフォディニーに礼をいった。大したことはしていない、とフォディニーは手を挙げた。
「こちらの薬が切り傷、こちらが打ち身。それが熱が出たとき飲ますものになります。それぞれ調合法も書いてますので、応急処置として使ってください。この辺にお医者様は……」
 長老は悲しそうな顔をして顔を横に振った。このあたりは神父すら巡回でやってくる程度で、医者などとても望めないとのこと。
「あなた様が来てくださったのが天の巡り合わせと思うのです。どうか、こちらにとどまってくださいませんか?」
「……」
 言われたフォディニーは、奥の方で包帯を洗っているレイラをそっと眺める。
「……少し考えさせてください。少なくとも、こちらの方々が動けるようになるまでは滞在しますので」
「おおっ!」
 長老は喜ぶがフォディニーはなんとなく、本当に何となく、嫌な予感がした。

 怪我の経過は順調。最初に見立てた期間より早くに完治していく猟師たち。なんだかんだで昼は忙殺され夜は疲れて早く眠ってしまう。おかげで最近レイラとまともに話していない。彼女も猟師と話して何かやっているようなのだが。
「ふー……実地になるとやっぱいろいろ勝手が違うなぁ。先生のところは手伝いの手も多かったしね……」
 つい二月前の修業時代を思い出す。
「フォディニー先生!」
「え……あ、僕のことか」
 ここにいる間ずっと先生と呼ばれているがどうにも気持ち悪くて仕方がない。
「どうしました、長老様」
「あのう……こちらにずっといてくれるという話は……」
「……」
 そうだった。その話をレイラとしなければならないのだ。
「いやそれですが……」
「滞在していただけるというのならば……こちらに!」
 長老の後ろに控えていた若い娘が、たじろぎつつも頬を染めながらうつむき加減にでてきた。
「孫娘ですじゃ」
「ちょ、ちょっとまっ、待ってください!」
 何を言われるのかわかった。聞いてしまうとろくなことにならないのであわてて止める。
「ぼ、僕にはちゃんといますから!」
「そうでしょうそうでしょう、先生のような方ならいくらでも。その末席に、孫娘を加えてくださいませんでしょうか?」
「無理です!」
「何騒いでるんだ?」
 裏の戸がひらいてレイラが顔を出した。
「レイラ!」
「用心棒の……」
「……」
 三者三様の反応を示す。それを一別したレイラは深いため息をついた。
「あー。用心棒っちゃあ用心棒なんですが……」
 長老が何かを言おうとしたがレイラが先に制す。
「これでも一応家族なんですよ」
「一応って何! 僕にはしっかりと家族だからね!」
「はいはい」
 声をあらげるフォディニーもなだめる。それはそうだろうな、と孫娘の方は納得したように頷いた。だが。
「しかし……少々レイラさんはお年を取られすぎてるのでは? それならば孫の方が……」
「おじいさま!」
「……」
「……」
 孫娘があわてて祖父を制したが放たれてしまった言葉はレイラを抉る。二人は黙っているがフォディニーは怒っていた。
「長老。そのお年になられても、言っていいことと悪いことがあるのをご理解なされていないようですね」

 その怒気は室内にいた人間を凍らせる。
「そこまで。そこまで言われて。自分がここにとどまるとお思いか!?」
「ひっ」
 びくりと老人の小さいからだが震えた。
「フォン、いいよ。ちょっと頭冷やしに外でよう」
「でもレイラ!」
「いいから」
 袖口をひっぱり外にでる。建物から離れて手頃な石にレイラは座った。男も脇に座る。
「……はあー。そりゃ他人からみたらそう見えるだろうなぁ」
「レイラ……。怒ってない……の?」
 珍しい。こういうときは今までは確実に怒り狂っていたはずだ。
「私が世間一般からみたら薹がたってるのは確かだもんな。セニアスも二人目が出来てるし」
 親友とはなかなか会うことは出来ないものの、手紙でのやりとりは続けている。その中で、先日二人目を生んだことを知らせてきていた。
「……そうだったね」
「事実は事実だ。本気で一般的に結婚するなら、旅なんか出るべきじゃなかったわけだから。アリアハンでは十七、十八ぐらいでみんな結婚してる」
「うーん……」
 なんと声をかけていいのかわからない男に苦笑いをするレイラ。そしてまた視線をフォディニーからはずして正面を見る。
「……ごめんなフォン。私は……ちょっと、今、ほんとにどうしたらいいのか……わからないんだ」
「……レイラ」
 涙声。
「お前が私のことを思ってくれてるのはちゃんと知ってるし、逆に私はお前のこと思ってるのも理解してる。その上でじっと待っててくれるのも……」
 こらえきれず涙が一筋。それを拭こうともしない。平気なようで、本当はかなり我慢の限界だったのを男は理解した。
「何が出来るのかわからない。待っててくれてるのに甘んじて動かない。……ほんっと、勇者とかいわれる奴は、平時には役に立たないよなぁ」
「……」
 何もいわずにフォディニーは、レイラの頭に手を置いて優しくなでる。その手が動く度、女の目から涙がぼろぼろと落ちた。泣けるのなら泣いた方がいい。
 もしかしたら。レイラは、この数日の間に誰かに何かをいわれたのかもしれない。たとえばあの長老。あの老人なら彼女に何をいってもおかしくない。
 そこまで思ってまたあの台詞にイライラする。レイラにとっても、孫娘にとっても失礼なあの台詞。よくも吐けたものだ。
「ん、お前また怒ってるだろ」
「えっ?」
「なでる手が痛い」
「ごめん」
 あわてて頭から手を離す。
「まったく。私がいいって言ってるんだからいいんだよ。そういう意見が大多数なのはこちとらよーく承知してるんだから」
 涙の後はあるが少しすっきりした顔をしていた。
「ええとねレイラ。さっき君は僕に謝ってくれたけど……僕の方が謝りたいよ」
「なんだ? カジノで使い込んだとか?」
「違うって。カジノには最近行ってないからさ」
 冗談が出る程度には落ち着いたらしい。
「僕が医者になりたいって言ったとき。君は僕を待っててくれるといった。わかる? 最初に待たせたのは僕。君の優しさに甘んじてるのも僕。だから、レイラが謝る必要は一つもないんだ」
「そうか? でもそれはそういうもんじゃないか?」
「そこらへんからなんか変なんだよ。僕の立場も君の立場も変わらないんだ。まとめて言っちゃうと、お互い様ってやつ」
「まとめすぎな気がするが」
「そんなことない。家族なんだから、お互い様でいいんだよ」
「……そうかな」
「そうなんだよ」
 もう一度レイラの頭に手を置いて撫でる。
「しかしレイラが怒らなかったかー。大人になったねぇ」
 妙にしみじみとした口調でいうのがレイラとしては気にくわない。が、過去の所行は自分でも理解していて、フォディニーがそういうのも仕方ない、とも思う。
「あっ、こちらにおられましたか!」
「ん? あ、長老の……」
「リイエともうします。先ほどはおじいさまが本当に失礼いたしました。だいたい何度もいったんですよ、ふつうに考えて、男の方と女の方が一緒に旅をしているなら、絶対ご夫婦だって」
 口をとがらせるリイエ。
「なのにおじいさまは人の話を聞かないんだから……だいたい長老とか言われてるのも、一番歳を取ってるからだけなんだから」
「あはは……ま、私は事実なんでね、特に気にしないようにしてる」
 レイラの言葉に娘は眉をひそめた。
「あ……。もしかして、ほかのみんなにも何か言われたりしました?」
「大したことじゃないよ。多かれ少なかれ、小さい集落に行くと言われてたことだし」
「もう……本当に、ごめんなさい!」
 レイラに向かって頭を下げた。あわてて上げさせる。
「いや気にしてないから。そうされる方が気になるよ」
 そういいながら、ふと思いついたように手をたたいた。
「ええと、リイエさんだっけ?」
 頷くのを確認して懐から紙を取り出した。
「この辺ちょっと回ってみて思ったけど、外敵から身を守る為にどうにかできそうなところがあるんだ。それを書き留めといた。どうしたらいいかも。それと、花のつぼみがかなり大きくなってる。もうしばらくだけ我慢すればたぶん、エサの少ない時期ってのは終わると思うんだ」
 レイラから渡された紙と、レイラ自身を見比べ、驚きから満面の感謝へ。
「もちろんどうするかはそちらで話し合ってくれ。所詮余所者の見解だからね」
「いいえ、いいえ! こういう戦術というんですか? そういった視野の人間はぜんぜんいないので、助かります!」
「へへ、くすぐったいな」
「そんなことやってたんだ。何かやってるなーとは思ってたけど」
「やってたんだ。いつまでもここにいるわけじゃないだろうな、って思って」
 居たくなかったんだろうな、と男は思うが口に出さない。
「あ、リイエさん。それ……フォンから、って言っといてくれ」
「え? でも」
「言っちゃ悪いけどこういう保守的な集落だと私みたいなのが差し出たことをすると意見として取り上げてもくれないからね」
「それでいいのかい……?」
 男の言葉に頷くレイラ。それでいいと目が笑っている。
「少なくともリイエさんとお前は知っててくれてるじゃないか。そんなもんで十分だよ」
 見るものすべてを暖かくする笑顔。
「じゃあ、そろそろ今日の見回りに行ってくるよ。フォン、無茶すんなよ」
「レイラの方こそ」
 わかってるよと手を振って森に向かっていく。それを見送ったフォディニーとリイエは、お互いに目を合わせると肩をすくめて笑った。
「お強い方なのですね、レイラさんという方は」
「うん。誰よりも強い人だ。そして優しい」
「そんなお二人なのに、全くおじいさまは何を見ているんだか」
「まあまあ、レイラはもう気にしていないって言ってたし、あんまり責めずにおいた方がいいと思う。年を取ると頑固になるからね」
 だいたいにおいて年寄りは意固地で頑固だ。もっとも、それを差し引いてもフォディニーの怒りはくすぶっているのだが、当事者が内心はどうであれ気にしていないというのだから仕方がない。
「いいえ。きっちりしかっておきます。それに、街を出るときは気にせず出てくださいね。どこかにいくご用があったからこそ、こんな辺境にいるんでしょうし」
「ああー。世界樹に行きたいんだ。この世界の世界樹に会いに」
「世界樹……ああ!」
 リイエがぽんと手を打った。
「知ってます。ここから南に行くとペルポイ湾に出るんですが、そこから東にずっと船で行けばあるらしい、と」
「そうなんだ。言ってみるもんだね。ありがとうリイエさん」
「どういたしまして。でも、世界樹に必ずあえるとは限らないらしいですよ。どうしても、っていう強い願いがあってこそだそうです」
 そしてふと思いついたというように手をたたく。
「レイラさん、私たちの間ではすごく人気なんですよ」
「え?」
 聞けば、リイエのような若い女性の間ではレイラはかなり気に入られていて、彼女のようになりたいとさえ思う人間もでているそうな。反面、年を取った女や男性全般には受けが悪いとか。
「もちろん私たちはレイラさんじゃないからレイラさんにはなれません。けど、あこがれちゃいますね、あんな人」
「本人が聞いたら照れくさくて逆に怒りそうだね。秘密にしておいてあげて」
「わかりました!」
 にっこりと笑ってきた道を戻っていく。一人残ったフォディニーは、彼女が周りに与える影響力の強さをしみじみと思った。
「嫌われるっていうのも多少なりとも影響を与えてることだからね。僕を一目で恋に落としたレイラの力は健在か」
 そして今でも彼女に恋をしたままだ。
「そういう人は商売なんか始めると、詳しい人やいい部下たちが周りに集まってくるものなんだけど……」
 鋭い観察眼。長い間魔物と戦ってきた故に培われた魔物に対しての深い知識。同じく長い旅の間でえた様々な知識。このあたりをうまく使えば、先ほどのように魔物に苦しめられる人々を、フォディニーとは別の意味で救えるのではないか。魔物たちと必要以上に戦うことなく。
 自分に降りかかる火の粉は払い落とすがそれ以上はしたくない。たとえ狩り尽くすことができても必ずまた別の魔物は現れる。そういった無限の戦いに陥らない為には適度な距離感が必要だ。それを彼女は経験的に知っている。
「提案してみようかな。それともレイラ、もう気づいてるかな」
 たぶん、そこに彼女の出来ることがあるんだろう。どうか早く気づきますように。願わずには居られなかった。

 それから二日後にはまた旅の空。結局最後まで長老は謝らなかった。リイエはかなり憤慨していたがレイラは気にしないよう諭しており、「あのレイラが諭す側に!」と大仰にフォディニーが驚いてみせたため事態がよりいっそう混迷しそうになったが、なんとか収束した。
 結局リイエはレイラの示した魔物との共存方法を、レイラからと言ってみんなに示したらしい。もちろん何人かは反発したがその内容は彼らが欲して止まない内容。自分たちの誰もが思いつかなかったこともあり、彼らなりに消化しながら利用することにしたそうだ。
「あ、見えたよレイラ! あれがそうだよね?」
「落ち着けフォン。世界樹は逃げないよ」
 近在の漁港で小さな船を借り東へ。
「うわー。感激だなぁ。僕は二本目だよ、世界樹」
「そういやそうだったな」
 たわいないことで時間が過ぎる。だがこの二人は知っている。そんな時間こそ、この上もなく愛しい時間であることを。
 二人を、優しい海風が包んでいた。


END


 誰得的後日譚DQ3。あんまり間をおかずに続編的な感じで。『HIS ROAD』と対になってる感じです。自分探しの旅(違)途中のレイラさん。彼女には戦いの中で培われた知識があるから、最終的にはそこに帰結するかなーと。商売やってるイメージはないし。……うーん、男の子数人のオカンやってそうなイメージはあるww
 2012.2.9

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