その川は彼岸と此岸を分けるもの、そう伝わっていた。島自体が一時期伝説のような扱いになり、渡れば狂気に身を沈めると幾度も聞いた。
 誘われるように島へ帰り、想いが現実になる力を目の当たりにした。かつて自分が住んでいた街を歩き、両親や一族が葬られた墓地を歩いた。もう十分、ここでの役割を果たしたはず。
「……ヒマリ?」
 隣に立っていたルドルフが首をかしげている。
「どうしたの?」
「ん? ん。なんでもない。これからどうしようか、考えていただけ」
「そうだね。ここを渡って、ぼくは大陸を回ってみようかな、って思ってる」
「大陸はここより面白いかも。つらいことも多いけど」
 いいながら静かに流れる川面を見つめる。もう一度流行り病へ行って父母の墓の前に立ちたい。そんなことをふと思ってしまう。前に立ち寄ったときには彼がいて、ただただ泣き崩れることが出来なかった。それをしにあの場へ行ったのに。失ってなけなかったあの頃、時がたってやっと泣けるようになった今。
「うん、私はちょっと流行り病へ行ってくる」
「えっ? 流行り病? 大丈夫? ぼくも行こうか?」
 心配そうに青色の瞳をひらめかせるルドルフ。真剣な表情にはっとなった。戦ってるとき以外でもこんな表情、できるんだね。知らなかったよ。
 が、表面は大丈夫だと手を軽く振って笑いかけた。
「じゃあここまでで。楽しかった。ありがとうルー君」
「……」
 いまだ心配は消えていないが軽く男も頭を振った。そしてややあってヒマリ、と声をかけてきた。
「何?」
「……また会える?」
「……うん、また会えるよルー君。生きてたら必ず、ね」
 ヒマリには家と呼べる場所は今は無い。大陸中でおきている混乱のさなか、身を寄せていた家族はばらばらになり当然居候のヒマリの居場所も無くなった。ルドルフはルドルフで物心ついた頃にはこの島にいて、今初めて瀬を渡ろうとしている。一度離れてしまえばもう二度と会えない可能性のほうが高い。
 なおも不安な顔のルドルフをみて困ったように笑う。
「もう、しかたないな。約束しよう。また生きて会おうってさ」
 言ってルドルフに手を差し出した。
「約束のしるし。ね?」
「約束」
 少しヒマリの手を見ていたがその手をとった。堅く握手を交わし。
「!」
 ヒマリの視界がゆれる。何が起こったのかいまいちよくわからないが、気づけばルドルフと口づけを交わしていた。手から来る感触から、どうやら握手をしたとき強く彼のほうへ引き寄せられたのだな、と頭のどこかで見ている。
「……る、ルー君……」
「もう一回いい?」
「えっ」
 じっとヒマリを見ていた。なんと答えていいかわからない。
「だめ?」
「え……と……」
「きみにはもう、恋人がいるの?」
 ルドルフの腕に収められ耳元で囁かれる。
「こ、恋人!? い、いない、けど」
 思っていたより大きな胸にどうしようと困りかけていたところの質問だった。いると言えば離してくれたかもしれないが思わず本当が飛び出してしまう。その答えを聞いた男の手に力がこもった。
「ねえヒマリ。ぼくも行くよ、流行り病」
「え、でも、ひと、一人でだいじょうぶ!」
「ううん、ぼくがそうしたいからついていくんだ。ヒマリ、それならいいよね?」
「な、なんか、すごく無茶言われてる気がするよルー君……」
 何でこんなことを言っているのだろう。まさか、このおとなしい青年にここまで動揺させられるとは思ってもみなかった。
「そんなこと、ないと思う」
「……」
 これは負けた気がする。
「ふーっ……ルー君、黙ってるけど結構頑固だもんね」
「そうなの? ほかの人あんまり知らないからよくわからない」
「そりゃ私も知ってる方じゃないけど、君は頑固な部類にはいると思う。……ところで離してくれる?」
「どうして? こうやってると気持ちがいいよ」
「あああもう、どこでそんな言葉覚えるの!」
 だいたい先の「恋人」だってこの島しかしらないのによく知っていたものだ。
「レーラリラさんが教えてくれた」
「……」
 あの人は、本当に……! よくわからない……。
 ヒマリが頭を抱えるのをよそにルドルフは彼女の髪をなでる。
「あの、さ。ルー君。私は……流行り病に戦いに行くんじゃないんだよ? だからさ、たぶんさ、大丈夫だと思うんだ。ちゃんと逃げるから」
「ヒマリは、ぼくといるのは、嫌だった?」
「そんなことない。すごく楽しかった。楽しかったから……今までいて貰ったんだ」
 彼は彼の思いに決着をつけた。瀬はおそらくとっくに小川となっていたに違いない。瀬は心を反映する。今のヒマリには葬頭河にも等しい。決して渡ってはならない、人の身では渡れない河に。それが轟音を立てて流れている。
「いつだって別れられた。それができなかったのは私のせい……」
「それは違うよ」
 音に耳をふさぎたい。そんなことを思っていると強い言葉が聞こえた。思わず顔を上げる。
「ぼくが、君といっしょに居たかった。だからついて行ったんだ」
「ルー君……」
「うん。そんな風にぼくを呼んでくれるのもなんだか嬉しかったんだよ」
 名を持てど一人の期間が長く、「名を呼ばれる」行為に何の感慨ももてなかった。ネグラに来て誰かと暮らすまでは。そしてヒマリがやってくるまでは、彼はルドルフでありそれ以上でもそれ以下でもなかった。
「あ、えと、ごめんね。私は勝手にめちゃくちゃなあだ名付けすぎるって言われてたんだけど……」
「いいんだ。ぼくは嬉しかったから」
「……」
「ところで……とりあえず、ここから離れる?」
「どうして……」
「ヒマリ、つらそう」
「ん……」
 正直な話、轟音に耳が張り裂けそうではあった。
「いこう、とりあえずネグラに」
 おとなしく手を引かれてついて行く。それなりに人の居たネグラは、今はアーロンアーロンが地下で過ごしている程度で、すっかり閑散としてしまっている。
 引かれるまま彼女の部屋へ。草を編んだ敷物の上に何となく二人並んで座った。
「大丈夫?」
「うん、ここなら大丈夫。ありがとう……」
「どうしたしまして」
 にこりと笑うと少年のようだ。滅多に表情を動かさない彼の笑顔。ほだされてしまいそうになりながらあわてて頭を振った。
「あなた、絶対何もかもわかってるでしょう……」
「?」
 きょとんとして首を傾げるルドルフ。それもまたヒマリを刺激する。
「あああああ」
 突然頭をバリバリと掻きだしたヒマリに驚くルドルフ。そんな彼をよそに一通りかきむしったヒマリは大きく息を吐いた。
「うん、こうなったら言っちゃった方がいいね」
「ん?」
「ルー君は、この島のことどれだけ知ってる?」
「どれだけって言われても……来たときにはもうほとんど人は居なかったってことくらい。残ってる本を読んだら、昔に疫病が流行ってこの島に元々すんでた人は島を捨てたってことはわかった」
「うん。その島を捨てた人の一人が私」
「えっ?」
 ついぞ見たことのない表情で驚くルドルフ。ヒマリを指さしてぱくぱくと口を開いたり閉じたりしている。
「もしかしたらそうなのかな、とは思ってたけど……大陸の人ではないかなって」
「といっても、私はこの島をほとんど覚えてない。覚えているのは暑さと砂。ずっとずっと小さい頃にでたから。でも……」
 ためらい、部屋の中を見回し、またルドルフに視線を戻す。
「父さんと母さんは、この島にいる。だから会いに来た。それが、私の本来の目的だった」
「この島にって……ぼくが来たときにはもう誰も……」
「誰も『生きて』この島にいるとは言ってないよ、ルー君」
 さすがにここまで言えばわかったのだろう、理解が青年の顔に浮かぶ。
「あ、じゃあ流行り病って……」
 黙って頷くヒマリ。
 誰が言ったのか『流行り病』。数多くの島民があそこに葬られた。ヒマリが生まれる前に住んでいたが、もはや生者より墓の数が多くなり捨てた。結局、現在は廃都と呼ばれるそこに移り住んでも病の勢いは追いかけてきた。次々に移動していき、最終的に島自体を捨てることになった。と、ヒマリは育ててくれた親戚から聞いている。
「それで、私の両親が死んだことをきっかけに、親戚が私を引き取って島をでた。でもね、すごく大変だった」
 なぜか行く先々で『島』の出だということを言うと蛇蝎のごとく嫌われた。親戚も出身地を秘密にして辺境に住んだ。
「なぜ?」
「ある程度年齢が上がった時、島で起きた病について調べてみたんだ。だからわかった。
 もともとその名の通り流行り病。その内容は伝わってないけど……正直、私もあまりつつきたくない気がして。それで時の為政者は思ったの。「閉じこめてしまえば大陸に影響はない」って。幸か不幸か島は大陸から離れてる。隔離するには絶好で、密かに経過を見て特効薬も作れるかもしれない」
「……」
「それから島からでるものは厳しい規制を受けた。人はもちろん動物や魔物も、よほどのことがない限り」
「動物や、魔物も?」
 頷いて一息入れた。そしてまた口を開く。
「かつて、大陸でも同じ病気が流行ったことがあったみたい。そのとき、病気を運んだのがネズミだったって」
「ネズミ……」
「今この島にいるネズミが病気を持ってるかどうかは知らないけれど、もう一つ要因があったみたい。ともかくこうして人が出入りできるようになってるってことは持ってないんだと思うけど。この島にネズミが多い理由はそれなの」
 泣き笑いのような顔をするヒマリ。ルドルフはそんな彼女をもう一回抱きしめたい衝動に駆られたが、結局やめた。
「なんか話それちゃったけど、とにかく私は父母に会いに来た。顔も知らない、姿絵もない、名も曖昧だけど。ただ衝動的に会いたくなって、気づいたらこの島に居た」
「そうなんだ……話してくれて、ありがとう」
「うん……というかこんな話してごめんね」
 大きくヒマリは伸びをして笑う。
「こんなの私のキャラじゃないや。この話はおしまい。ヤメヤメ」
「そうだね。ヒマリは、笑ってるのがいい」
「……この天然ジゴロ……」
「?」
 何でもない何でもないと赤く熱くなった頬を悟られないようにするのに少し手間取ってしまった。
「というわけでお墓参りだから一人で行ってくるよ……ってちょっとルー君……?」
「へへへ」
 ヒマリの両手をしっかり握り、宝物を見つけた少年のような笑顔のルドルフが目の前にいた。


「あああ……何これ何これ。どういうこと」
 昼のはずが鬱蒼とした森が地上までの光を遮る場所。基本的にこの島のどこもかしこも明るいので、ここに来るとその暗さがより強く浮き彫りになる、そんな場。
 そこで手近な岩に伏しなぜこんなことになったのかを考える。考えているうちにその岩だと思ったものが古い墓だったのであわてて離れた。
 結局、彼の笑顔の押しに押し切られて二人で流行り病にいる。実は押しが強かったルドルフは少しばかりの不安を顔に宿しあたりの様子を見ていた。
「やっぱり、ここは寂しいところ」
 以前に来たときも思ったこと。ヒククモがヒマリに何かを行っていたように思う。
「ヒマリ、お墓はどの辺?」
「あっ? え、えと……」
 全く別のことに気を取られていたヒマリはルドルフの問いかけに目を白黒させてしまった。落ち着け、落ち着けヒマリ。何を動揺してるの。前と同じ、前と同じ、前と同じ……。
「前と同じ?」
 眉間にしわを寄せてヒマリの顔をのぞき込むルドルフ。
「わーっ!」
「!」
 突然の大声にあわててルドルフは顔を離した。
「何? どうしたの?」
「だって、顔、顔近い……!」
「……大丈夫? 顔って……ヒマリの方が顔赤いよ」
 半分心配、半分呆れている青年に申し訳なさそうに頭を垂れるヒマリ。すっかり調子が狂ってしまっている。
「そんななのに一人でここまで来るって、きっと無謀」
「……」
 そもそもルー君が世の瀬であんなことしなかったらきっと普通にこれてたんだよ。
 そんな文句の一つも言いたくなるが、動揺しきってしまっているのはもうどうしようもない。
「ええと、ごめんルー君。だいぶ落ち着いたから」
 結局口からでたのは謝罪だった。
「それでなんだっけ」
「お墓の場所、どこかなって」
「ああ……」
 言いながら考える。親戚は……母の妹は、「姉は水辺が好きだったから、そこにご主人と一緒に眠ってるはず。あれから誰もさわってないだろうから」と言ったと思う。ならこの共同墓地にはいない。
「じゃあ滝のあたりかな。前に来たときには気がつかなかったけど」
「そうだね。私も……余裕がなかった」
 何か、自分ではない何かに突き動かされていた。あれは何だったのだろう。そう思うがそれこそが島の魔力だったのだろう。
「薬もちゃんとある。いこうか、ヒマリ」
 答えを待たずに手を取られた。さりとてスタスタ歩くわけでもなく、ヒマリのペースを考えて歩いている。
 ……前に来たときは、私が先導してる形だったのに。こうやって後ろ姿見てるのも、悪くない……かも?
 また思考がずれてきているのに気づきあわてて修正。ここはそんなに単純な場ではないことを思い出す。
「だめだ私。本当に調子狂ってる」
 周りに気を配りながらも心の端でどうしても考えてしまう。いつからそういう風に彼は自分を見ていたのだろう。
「ヒマリっ!!」
 視界が揺れ、昼なお暗き空と緑の葉がいっぱいに広がる。何が起こったかすぐに把握できない。だが身体の上に重みがある。視線を動かせば柔らかそうな青い髪が目に入った。そして、その背後に巨大な生き物。
「ルー君!」
「大丈夫……! 爪、かすっただけ!」
 言えどヒマリの上から動くので精一杯。ヒマリは鞄から薬を取り出して渡し、それを使うのを目の端で見ながら得物を構える。
「よりによってこいつが!」
 前にも嫌な目にあった、熊のような、熊ではない生き物に。一撃があまりにも重く意識を失いそうになったこともしばしば。そして、本当に嫌なのはこいつではない。
「どこだどこだ……見つけた!」
 懸命に視線を動かし「それ」を見つけた。「それ」は二人をあざ笑うように、手の届くほんの少し外側を悠々と飛んでいる。
 小さな小さな虫。なんのことはない、普通にしていれば見逃してしまいそうな虫。だがこいつが普通では聞こえない音を放ち、ありとあらゆる生き物を凶暴化させる。
 鞄の中を探った。投げられそうなものを手当たり次第に投げるがうまく当たらない。
 熊のような生き物はとりあえず動いているヒマリの方に意識を集中しているようで、ルドルフを気にとめていないようだ。
 それでいい。自分の不注意だ、せめて傷薬を使う間だけでも。
 足下にうねっている樹の根に滑りそうになるがなんとか保って熊に向き直った。こうなれば虫を相手にするのは後だ。
「たしか、動きはそんなに早くないはず……」
 前に戦ったときの記憶を引きずり出し軽やかにステップを踏む。熊はそれについてこようとするが女の動きについてこれない。忌々しげに一声吼えた。
「ルー君!」
 吼えた後に熊の視線が動く。その先にはルドルフ。けれど今なら彼は。
「うん!」
 光に包まれた斧が熊の眼前に浮かび上がる。
 突然の強い光に一瞬目標物を失う魔物。
 一気に振り下ろされる斧。
 次いで背に、全力で剣を振り下ろすヒマリ。
「まだだよ!」
 こいつはタフなのだ。声をかけながら女の手には炎が生まれる。それをそのまま剣にまとわりつかせて横一線。
 消せない炎は肉を焼き魔物の身体を崩していく。断末魔すらあげずに。
 ここで戦うときはいつもこれだ。本当はここに徘徊している魔物すら、生きていないのではないかと思わせるような。これが嫌でヒマリはここで戦うときには炎を使うことはしなかったのだが、今回はかなりせっぱ詰まっていたのだなと自分で反省をした。
「虫も一緒に巻き込まれたみたい」
「ルー君、大丈夫? ごめんね……本当に、ぼーっとしてたみたい」
「ヒマリは、大丈夫? けがは?」
「え……ないよ。うん平気」
「良かった」
 まるで何も気にしていない。大事な人が無事で良かった。それだけを全身で表現している。前から思っていたが彼は根本的にお人好しだ。確信した。
「……ま、いいか」
 聞こえないようにつぶやく。何かねらわれているような気がしないでもないが、今こうやって彼は自分に対して好意を持ってくれている。応じる応じないはまた決めるが、今は受け入れておこう。
「次は気をつける。いこう、ルー君」
 手を出せば満面の笑顔。
 ほだされても、いいかな?
 誰も答えない問いをそっとヒマリは発するのだった。

 瀬で聞いた轟音とは違う、優しい水の音。大きな音なのに心が安らぐような気がする。人は母の胎内で水に包まれていた。その記憶が水辺を好ませるのかもしれない。
「見つけた……」
「でも、何も刻まれてない」
「ううん、刻まれてる」
 ヒマリが指さしたその先には、言われてみれば何か刻まれていたよう跡。水際で長年放置されてきた墓石は自然に還る寸前になでなってしまっている。だがこれがそうなのだろう。もっと以前に、還った墓石がないのであれば。
「ぼくは周り見てる」
「気をつけてね」
 片手をあげて青年は背を向けた。そこには先ほど受けた傷が残っている。
「……ありがとう、ルー君」
 後でちゃんと直接言わなきゃ。そう思いながら座り墓に向き直る。
 顔も声も覚えていない父と母。いったいいつ、この二人と私は別れたのだろう。それすらもわからない昔にこの島を出た。気がついたときには大陸の辺境で親戚と肩を寄せ合うように暮らしていた。
 かすかに覚えているのは砂と暑さ。砂の岩場近くに古い住居があったのを思い出す。今やサソリの住処だがもしかしたらあそこのどこかが自分の家だったのかもしれない。
 そして懐かしい気配。世の瀬でルドルフに抱きしめられたとき、動揺はもちろんしたが、まさにあの場でかつて同じように誰かに抱きしめられたのを思いだしていた。育ててくれた親戚ではない誰か。そもそも親戚はヒマリのことを少々厄介者扱いしていた節がある。だから離散するとき一人を選んだ。
「あれは、お母さんかお父さんだったのかな?」
 答えはもちろんないが誰かが心の中で笑った気がする。
「そうだね、お父さんもお母さんも、ちゃんと私の中に生きてる。だから私はここにいる」
 今後どうなるかわからない。大陸はかつての英雄が暴君と化して混乱の極みのただ中にあり、生きる道は酷く曖昧になっている。かといって辺境へいっても今後どうなるかはわからない。
 そしてルドルフ。ああやって気持ちを示してくれたのだから、ヒマリはそれに対して答えを出さなければいけない。中途半端は性分ではないから。
「それにしても、泣きたいな、って思ったけどぜんぜんそんなこともないんだね。さすがに時間たちすぎてるし顔も名前もよくわからないからかな」
 むしろ泣きそうになったのは先ほどの戦いの時だ。自分の上から動けないルドルフに心を捕まれたような恐怖を感じた。
 今までにも何度も似たようなことはあったけれど今日ほどの思いを感じたことはない。
「なんなんだろうね、お母さん」
 目を閉じて心で会話をする。答えは聞こえない。けれど目を開けたとき、ヒマリは何かすっきりした気分になっていることに気づいた。
「ふう」
 立ち上がって伸びをする。
「あれ? もういいの?」
 何時間も座っていたような気がしたが本当はそれほど時間がたっていなかったようで、遠くからルドルフがあわてて走ってきた。
「走らなくていいよー」
「いや、でも……」
「走らなくてもいいのに。別に君をおいて行ってしまうつもりなんかないから」
「うん」
 やはりそれを少し心配していたのだろう、目に見えて表情が明るくなる。それを気にしながらも走らなければ追いつかないようなところまで見張りに行ってくれている、そのことに思いいたりヒマリもにっこり笑った。
「あ、すごくいい顔」
「んー。なんかすっきりしちゃった」
「良かった」
「うん、良かった」
 今度こそ渡れる。きっと。

「すこしきいてみたいんだけど……」
 帰り道、何となく思った疑問をぶつけてみることにした。
「なんで私?」
「何が?」
 真っ向から打ち返されて口ごもる。
「あー、ええと、たとえばレーラレラとか、ナナさんでも良かったんじゃない……かなーって」
 それでもやはり何をいわれているのかよく分かっていない様子。とはいえヒマリもこれ以上つつくのも恥ずかしいので説明はしなかった。
 しばらくたわいない話をしたあと。
「あっ」
 先を歩いていたルドルフが、合点が行ったと振り返った。
「あのね、ヒマリだったからだよ」
「はい?」
 よくわからない返事をされて思わずつまづきそうになった。
「レーラリラさんは近寄りがたかったんだ。ナナさんは……すごく優しい人だと思った」
「なら……」
 確かにナナは優しい人だった。性別や年齢関係なく、ネグラの人間全員に対して。それに、不思議とルドルフとまとう空気が同じで、密かにお似合いじゃないかと思ったこともある。
「うん。でもね、ナナさんは……何かが決定的に違う気がする。よくわからないけど。会ってすぐにそれを思った」
「ふうん……よくわからないけど、そうなんだね」
 じゃあ消去法で私なのか? それはそれでへこむ。それはただ、ネグラの中だけという小さなコミュニティのなかで回っているだけじゃない。
「ヒマリは……とっても格好良かったんだ」
「へっ?」
 格好良い。あまり女に対していう言葉でないことは、彼は気づいているのだろうか。
「あの雪山で初めて助けてもらって。ぼくはあのころ何もできなくて、気ばっかりあせってて」
「……」
 饒舌ではない彼がこんなに一生懸命話してくれている。なにかすごく心が温かい。
「今でもだけど、あの時は本当に足手まといだったと思う。だけど嫌な顔ぜんぜんしなかった。全部終わった後、良かったね、ってヒマリは笑ってくれた。それが、とっても嬉しかったんだ」
「……ルー君……」
「だからヒマリなんだ。その後一緒に旅をしてみて、ヒマリがヒマリであるから、あんなに笑えるんだなって思った」
 手がいつの間にかつながれている。ヒマリは振り払わなかった。
「……なんだか、変な気分。自分の心をこんなに人に伝えたのは、初めてかも」
「私も……聞くの、初めてかも」
 顔を見合わせる。そして、笑った。
「はい。じゃあ提案」
 突然のヒマリの言葉に、何をいうのかな、と好奇心を隠さないルドルフ。
「ルー君は大陸回ってみたいって言ってたよね? それは賛成。君は、もっともっといろんなことをみた方がいいと思う。そんで、そのときに変な先入観はない方がいい。だからちゃんと一人で回ってきて。私は私でまた道を見つけなきゃいけない」
「……うん」
「そんな顔しないの。瀬を渡って……大陸につくまで、いっぱい島を渡っていかなきゃいけない。ルー君は知らないだろうけどこの「島」は大陸から遠く遠く離れてる。だから……ね?」
「……うん!」
「それで……お互い回ってきたら落ち合う場所を決めておこう? そうしたら、きっと会える」
「約束だね」
「って、これでまた私、瀬を渡れなかったら笑っちゃうところだよ」
「大丈夫、ぼくが引っ張っていく」
「お願いするわ。あ、あと大事なこと」
 たぶん。とても大事。
「さっきもだけど、かばってくれてありがとう。今までとても助かったし……嬉しかったよ」
「なんだかくすぐったい気分」
 言いながら、ルドルフの笑顔はとても晴れていた。
「そうだ、ぼくからも一つ」
「なあに?」
 たいていのことは今なら許せる。そんな気持ちで彼の方をみると。
「もう一回……いい?」
「……!」
 一気に顔が赤くなる。目を強く閉じて落ち着け、落ち着けと心で念じている隙に。
 唇に一瞬、当たる。はっと目を開けば、妙に機嫌の良い様子でニコニコしているルドルフがいる。
「あーっ!」
「あはは、ぼくの勝ち!」
「調子に乗らないの!」
 手を振り上げて怒るまねをするが一足先に逃げてしまっている。
「あー……もう……ルー君が一番危険な気がしてきた……」
 大陸までの同行を申し出たのは尚早だったか。この間になんだか、大陸も一緒に回る羽目になりそうな気がしてならない。
「だめだめだめ。それは彼のためにならないから」
 自分自身の目で見て回って彼自身の確固たる個性を作り上げた方がいいに決まっている。つらいことも多いだろう。人の悪意に触れることも多いだろう。心のどこかで、彼は今の彼のままでいてほしいという気持ちもある。
「後ろからそっとついて行くのは……ってそれ、親が子を見守る立場じゃないの……やめやめ」
 だんだん変な方に思考が走り出したのでとりあえず中断。当面は考えないことにしよう。
 今は、少し離れたところで楽しそうに笑っている彼を捕まえて怒るなりなんなりしなくては。
「待ちなさい!」
「どうして怒ってるの。ぼく、怒られるようなことしてないよ」
「した!」
「してない!」
 言い合いながら森の道を駆ける。もはや魔物たちすら相手にできないと避けたので何事もなく二人は走っていった。

 世の瀬は心の瀬。ひとつの思いを成し遂げ、次にいくそのときにわたっていく。実はこのとき二人は渡っていったのだがそれに気づくことはなかった。そして瀬はこの島に限らずどこにでもあるものだとヒマリが気づくのは、ルドルフが理解するのは、もう少しだけ、後。


END


  _, ._
(;゚ Д゚) <ナニコレ
 すんげー誰得的まももルドヒマなお話。てーかほんとにナニコレだw 自分でもこんな風になるとは思わなかったです。まあ、それはそういうもんだという風に読んでいただければ幸い、って読む人いるのこれw
 途中の病の話は、いろいろ設定とか見つつ私にとっての落としどころですので、これもまたそういうもんだと思っていただければ、と。凶暴化する病だったのか、普通の病菌が妙なところに取り付いて英雄は凶暴化したのか……どっちだろう。
 2012.1.22

戻る