その兆候ははっきりと現れていた。
 いつかはくる。いつかは大いなる悲劇が彼を襲う。予感ではない。必然なのだ。だからそれが実際に起こったとき、思っていたほどは衝撃を受けなかった。けれども、その場に佇むしかできなかった。

 上からの軋み音。頑丈に作られている建物のはずなのだが、臨界は突破している可能性が高い。そして今日も荷物が運ばれていくのを見た。
「……」
 ヨーゼフは渋面だ。ただでさえ最近果物を入れてある棚がよく壊れているのに、これ以上どこか壊れるのはごめんだ。いいかげんに文句の言い時であろう。
 ちょうど客足も途切れた。今なら少々留守にしても大丈夫だろう。この街に泥棒は…いるかもしれないがまあ信頼しよう。
 と、外にでてもう一つのドアの方に回ろうとした時だ。恐ろしい音を立てて建物が沈んでいった。
「………」
 ドアに手をかける形のままで止まったヨーゼフ。通行人も何事かと集まってくる。もうもうと沸き起こる埃に、見回りの騎士隊も駆けつけた。
「げほっ…げほっ…もー、なんなのよ!」
「そりゃこっちが聞きたいぐらいだ」
 瓦礫の下からリリーとヴェルナーが這い出してきた。ヨーゼフに気がつくとヴェルナーは申し訳なさそうな顔をする。
「…すみません、ヨーゼフさん」
「ヴェルナー…君のところの荷物は、一体…」
 まだ手がノブにかかる形のままだ。
「いい加減限界だったみたいですね…」
「わかっているなら…」
 ふるふると肩をふるわせる。リリーは次に来る怒声に備えてそっと耳を塞いだ。
「別のところに置けーっ!!」
 日用雑貨屋ヨーゼフ=カロッサ50歳ちょっと前。その温厚なる人生において初めての絶叫であった。

「大体あの店、代々受け継いできたっていう大事なものだったんでしょう?それなのにどうしてそういう粗末な使い方するかな」
「うるせえなぁ。受け継いできたのは来たが、今は俺のもんなんだ。俺がどう使おうと勝手だろ」
「そりゃそうだけど…」
「あのね…。一応ここ往来なんだけど」
 言い合う二人を呆れた眼で見ながらカリンが突っ込む。
 大破した雑貨屋二軒の跡地では、せっせと人足が瓦礫を運び出していた。ヴェルナーはそれにまぎれて、まだ使えそうな商売品を探しており、リリーは武器屋の帰りだった。
「どうするのよこれ」
「ヴェルナーが悪いんだから、ヨーゼフさんちも合わせて直すんでしょ?」
「でもすごいお金にならない?」
「アカデミー建てようとするよりましじゃない?」
「そりゃそうかもしれないわね」
 女二人は言いたい放題。それを聞きながらヴェルナーは頭痛を感じた。
「俺、いくらなんでもそんな金もってねぇよ…」
 しかし時間はない。お金が溜まるまで待っていたら商売にならない。なにより、ヨーゼフにこれ以上迷惑をかけることになってしまう。
「だからって、旦那もそんなに持ってるわけないし」
 苦虫を240匹ぐらい一気に噛み潰したような顔で考える。あまりに考え込んでいて、瓦礫の運び出しに邪魔だと、人足に広場まで移動させられたことにも気がつかない。
「うーん…」


「で、今から話し合い。職人通りにヨーゼフ雑貨屋あり、といわれるぐらいヨーゼフさんちは重要なのよ」
 リリーの工房に麦亭から借りてきた巨大な円卓を置き、カリンが口火を切った。
「うんうん、オレも世話になってるもん」
「ヨーゼフの旦那のところは日常の食べ物とかも売ってくれるから、ないと困るんだよなぁ」
 テオとゲルハルトがカリンに同意した。
「そう、そこがポイント。ヴェルナーがお金貯めるの待ってたら、私たちの生活が困るの」
「でもカリン、ヨーゼフさん、私のキャラバンの隣りを貸してくれるかって言ってたから、多分露店を出すんじゃない?」
「それはそうよね。店がないからって商売できないわけじゃないから。ということは…」
「でも俺んとこからだと広場まで行くのは少し面倒だ」
「あら、ゲルハルトはよく武器の配達に出てるから、そのついでに買ってこれるでしょ?私なんか配達しないから、私のほうが困るのよ」
 頬を掻きながらカリンが文句を言った。それをイルマがまあまあと抑える。その様子を階段からぼんやりとリリーが見ていた。
「ねえ先生」
 イングリドがそっと耳打ちをする。
「なんで工房で大騒ぎしてるんですか?」
「…麦亭でやってたのよ。最初は」
 が、だんだんヒートアップしてきてとてもじゃないが他の客によくない。だから、円卓ごと追い出されたに近い。
「うちなら少々大騒ぎしても大丈夫だし、人数も入れるからって…」
「それって…普段私たちがどう見られてるかがよくわかりますね…」
「…」
 ふーっとため息。その間にも話し合いは進む。
「旦那のところは品物がいいし、何より安い。他の店で買う気にはならないんだよなー」
「同感。通りに住んでる人間はみんなそう思ってる」
「住んでなくてもそう思うよ」
 イルマが茶々を入れた。
「じゃあ、満場一致でヨーゼフさんちは重要だってことね」
「異議無し」
「異議なーし」
「おうっ」
 満足そうに見回し、続ける。
「で、ここからが本題。いま人足が瓦礫運び出してるよね。それが終ったらまた建ててもらうんだけど、私たちでお金出し合わない?ヨーゼフさんは安く物を売ってくれるけど、そのせいであまり裕福っていえないのね。父さんが前に言ってたけど…。だからさ、普段お世話になってる分、お返ししなきゃ」
「なるほどねー。うん、そうしよう」
 イルマがにこりと笑い、テオとゲルハルトも頷いた。
「オレ、あんまり貯めてないけどさ、少しぐらい役に立ちたい」
「いいねぇ。その心意気。私も一口乗るわ」
 いつのまにか紛れ込んでいたシスカが口を開いた。
「瓦礫運びや資材運びなど、力仕事なら我々も協力しよう。人足を雇えばお金がかかる」
 ずっと黙っていたウルリッヒも協力を申し出た。
「困っている人を助けるのも、教会の役目です。私も少しばかりの貯えではありますが、ご協力させていただきます」
 同じく黙っていたクルトも頷く。
「そんな、クルトさん。教会はとっても大変だっていうのに、そこまで迷惑かけられませんよ」
 慌ててカリンは申し出を辞そうと思ったが、神父はにこりと笑うばかり。
「…どうもありがとうございます」
「いえいえ。ヨーゼフさんのお店には、私どももお世話になっております。なくなってしまうのは困りますから」
 クルトが微笑むのをなんとなく見ながらリリーは呟く。
「ヨーゼフさん、みんなにとっても愛されてるのよね…それに引き換え」
 視線を、釜の向こうに座っている男に向ける。
「同じ雑貨屋でも、こう差があるとは、なんかかわいそうな気がしてきた」
 頭を抱えて悩んでいるヴェルナーの後ろ姿を見て、とてつもない悲しさを感じているリリー。ここまでずっと雑貨屋再建築の話をしているのに、ヴェルナーのことはだれも口に出さないのだ。自分のやり方が間違っていたのかと、考えれば考えるほど暗くなる。
「よし、決定ね。少しでもいいから、ヨーゼフさんのためにお金出し合いましょう!」
 満場一致で解決策が出たらしい。ようやく仕事に取り掛かれるとリリーが立ち上がる。
「ごめんねリリー、場所使わせてもらって」
「いいのよ。私も一口乗るから」
「アカデミーのこともあるのに、ごめんねー」
 手を合わせて拝むまねをするカリンに笑いかける。
「では私は今から手の空いているものを連れて現場に行こう」
「あ、オレも行きます」
 ウルリッヒとテオが工房を出て行き、ゲルハルトも後を追う。
「…頼もしいわー、ほんと」
「うん。ウル様が援助してくれるってのもすごいよね」
「それに比べてこっちは暗いわねー」
 未だ座ったままのヴェルナーに視線を向ける女性達。ふと思いついてカリンが声をかけた。
「ヴェルナー、今いってたのはヨーゼフさんちのことだけだから」
「…んだよ、ンなこといちいち言わなくても分かってる」
 不機嫌極まりない声で返してきた。
「だから、お金はヨーゼフさんのお店を立て直せるだけしか募らないから。そこんとこよろしく」
「…ってことは何か、俺んちは俺が金出さないとダメってことか?」
「わかってるんじゃん」
「…俺んちだってずっと代々あそこで雑貨屋やってたんだぞ!?」
「なら基礎が出来上がる前にどうにかしなさいよ。基礎ができちゃったら、二階建てにはもう出来ないわ」
 シスカがこともなげに告げ、ヴェルナーはまた落ち込むのだった。


 数日後、井戸水を汲みにいくとウルリッヒが汗を拭きながら資材を担いでいるところに出くわした。
「ウルリッヒ様…」
「リリーか。今日はどうしたのだ?」
「あ、いや、井戸水を汲みに」
 蒼い鎧は今は着ていない。
「そうか。手伝えることはあるか?」
「とんでもない。これぐらいは大丈夫です。錬金術って結構力いりますから…ウルリッヒ様こそ大丈夫ですか?」
「街のためにいるのが我ら聖騎士。なにも、王城や城壁を守るばかりではない。こうやって人の助けになってこそ、我らがいる価値もあるというものだ」
 そう言いながら、少し日焼けした顔が微笑む。周りをよく見れば、同じように聖騎士と見られる男たちがあちこちで瓦礫や資材を運んでいた。
「ヨーゼフさんち、早くできるといいなぁ」
「棟梁に会ったよ。まあしばらくは不便だが、できるだけ早く作り上げると約束してくれた」
 もちろん頑丈にな、と片目を瞑りながら囁く様子がおかしく、彼女はくすりと笑った。
「あ、姉さん!」
「テオ。あなたも手伝いに?」
「ああ。入ってた護衛の仕事も終って、カリン姉さんところにお金持っていこうと思ってるし」
「そう」
「ゲル兄貴も後から来るって言ってた」
「…へぇ」
 不思議かもしれない。ふとそんなことを思う。
「他人事なのに、こんなふうにみんな助け合ってる」
 それが、ザールブルグという街なのだろう。聖騎士副隊長ウルリッヒとしがない冒険者テオが並んで資材を運ぶ姿など、こんなことでもないと見られないとも思いつつ。
「私もいいもの作ってお金入ったら、カリンのところに持っていかなきゃ」
 がんばるぞ、と井戸水を抱えて工房に戻るのだった。
「り…りぃぃぃ……」
「きゃーっ!」
 勢いよく歩いていたところ、物陰から陰気な声がかけられ、にゅっと誰かが現れた。そのせいでせっかく汲んだ水は台無し。
「あーっ…一日一回しかくめないのにぃ…」
「リリぃー、もうお前しか頼れねぇんだよ…」
「なんっ…ヴェルナぁ?」
 ここのところ姿を見ないなと思ってはいたのだが、どうも金策に走り回っていたらしい。
「お前さ…アカデミー建てるって、金貯めてるだろ?」
「だ、だめよあれは。私の管理じゃないもん。ドルニエ先生が…」
「そこを何とか!そうしないと俺の店がぁっ」
 大仰に天を仰いで叫ぶ。
「ちょっと、やめてよ。そんな暇あるんだったら、残ってる売り物売ればいいじゃない?」
「そんな場所どこにもねぇよ!広場は旦那が店出してるから行きにくいし…」
 この男でも申し訳ないと思うんだと、妙な感心をしてしまった。
「自業自得でしょう?」
「くそーっ!!なあ、頼むってば。そしたら品物タダでくれてやるから!」
「それは心惹かれるけど、さっきも言ったようにアカデミー用のお金はドルニエ先生に管理してもらってるの。だから、先生の方に言ってね」
 それだけ言って、もういちど汲みに行くためきびすを返した。

 それからしばらく。リリーは寝不足だった。調合がどうのこうのという以前に、ことあるごとにヴェルナーが金を貸してくれと付きまとうのだ。
「リリー…お願いだー…」
「んっきゃーっ!」
 勉強をしていたら窓の外に張り付き、買い物をしに出かければ付いてくる。そんな状態が三日続き、ノイローゼのようになってしまったリリーを見かねて、ドルニエが貯めてあった銀貨を持ってきた。
「先生、いいんですか…?」
 涙を流しながらリリーが問う。
「ああ、リリーがそんな姿になってしまうのは、私も辛いからね。なに、私たちが力をあわせれば、今ぐらいのお金すぐ貯まるだろう」
「…ありがとうございますっ!」
 ようやくまともな生活が出来ると喜びながら、ヴェルナーを捕まえて銀貨を突きつけた。
「さあっ!これでいいでしょ!」
「すまん、恩にきる!」
 感謝の言葉もそこそこに、棟梁の所に走っていってしまった。

 ドルニエが提供してくれたお金のおかげで無事元のように雑貨屋が作られることになった。それどころか、街の有志からの心遣いで専用の倉庫も近くに建てられることとなった。また臨界を突破してヨーゼフの店まで被害が及んではたまらないというのが本音だ。
「きもちも分からないでもないけど…また凄まじい倹約生活しなきゃ…」
 実際のところ、彼女達が提供したお金だけで二軒分の店が建ちそうなところだったのだ。
「アカデミーが遠くなる…」
 ため息をついていると上機嫌のヴェルナーが何かをもってやってきた。
「リリーっ、ありがとな。こいつは俺のちょっとばかりの心ってもんだ」
 袋いっぱいにどうやら彼の店の品物のようだ。
「それはありがとう…」
 ヴェルナーの店のものは高いが、錬金術にはなかなかどうして役に立つ。
「じゃ、俺はこれで」
「あれ、もういくの?」
「ああ。じゃな」
 心なしか慌てているような気がしたが、すぐ目の前に置かれた袋のほうに意識が向く。
「これだけあそこの品物があれば、しばらく材料にことかかな……い?」
 中から出てきたものをじっと見つめて固まる。
 割れてなんだかよく分からなくなった、恐らく竜の化石。
 折れるわ千切れるわで見るも無残なアードラの羽らしきもの。
 つぶれて大変なことになっている多分ランドー。
 その他、確かに彼の店で売っていたと思われるものが詰まっていた。
「……そういや確か」
 瓦礫の山でなにか探してたような…。
「…」
 固まったまま動かないリリーを、恐る恐る弟子たちが覗く。
「先生?」
「…大丈夫ですか?」
「…」
 のろのろと弟子の顔をみる。
「…」
「…」
 二人は慌ててリリーから離れた。経験上、この後には凄まじい怒りがほとばしるのを理解しているからだ。
「こん…こんな…」
 ふるふると肩を震わせる。いっせいに耳を塞ぐイングリドとヘルミーナ。二階から降りてこようとしたドルニエは慌てて戻っていく。
「こんなものが使えるかーっ!!」
 錬金術師リリー四度目のザールブルグ春。アカデミーには、まだ遠い。

ENDE


これはお世話になった攻略サイト様に出していたものですが

サーバの方がデータが飛んだとかで消えてしまいまして(苦笑)

なのでこちらに出してみました

ヴェル兄とリリーがシリアandカルスになっているような気がするのは

気のせいです(きっぱり)

人がいっぱい出てきて、ごちゃごちゃしながら話が進むタイプが

一番すきで、一番書きやすいタイプなのでしょうね

もちろんらぶらぶなのも好きですけど(笑)

そんなわけで雑貨屋さんは壊れたのでした(違)

 

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