風が吹いてきた。星の明かりが次第に届き始める。リリーは日時計の草原で一番高い石柱に寄りかかった。
「霧が、晴れるね」
 内陸では珍しい霧の夜だった。ここは近くに水源もないのでまさかと思ったが、どうやらザールブルグ近辺全域に霧が出ているらしい。小高いこの草原からその様子が少しだけわかる。少し寒く、寝付けなかったので天幕から這い出した。少し離れたところで見張りをしてくれているシスカが目に入った。声をかけようかと思ったがやめ、今ここに立っている。
「たまにはお出かけしなきゃ」
 いつもいつも工房に篭っていては若さが腐れるぞ。ハインツにそう言われて、だからというわけでもないが、いつもは妖精に任せている採取をすることにした。
 ざわざわと耳元で風のうねる音。飾り布を飛ばされぬよう抑える。風に大分飛ばされてしまってはいたが、霧がかった蒼はまだ広がっていた。黙ってザールブルグの方を見た。六角形に張り巡らされた外壁の上にかがり火が炊かれている。
 それを見て、ハインツから嫌な噂を聞いたことを思い出す。隣国との戦争がはじまるかもしれないのだ。
「……争うことで人は先に行くことは否定できないけど」
 競争心があるからこそ、人は進化をしていく。人よりいい物を、人より出来るように。これが原点。否定は出来ない。ただ、それだけとは思いたくない。
「無為な争いは…嫌い」
 戦争になったら、ザールブルグはどうするのだろう。篭城するにも食糧が絶対的に足りなくなるはず。畑がないのだから。
 大体、都市という形態になるのは、他に産業がないからだ。農耕を主とする人々は決して都市という集落形態はとらない。村にはなっても、外壁で囲んでしまうようなまねはしないのだ。
 彼女は、もしかしたら起こるかもしれない不幸のことを考えるのはやめた。ただでさえ寝付けなかったのに、余計なことまで考えたくない。
「月…大きい…」
 いつのまにか霧は晴れ、中空には巨大な月。多分、日時計の頂点にかかっているせいだろう。他に比較できるものがあると、月は大きく感じる。
「……あの人も、見てるのかなぁ…」
 無意識につむがれる言葉。
「あの人って、だぁれリリー」
 イルマとシスカが後ろに立っていた。
「二人とも、聞いてたの!?」
「だって…霧が晴れたら丘の方に誰かいるのが見えたんだもの。リリーの天幕には誰もいないし」
 シスカがいたずらが上手くいった子どものように笑う。
「あの人って、だあれ?」
 イルマが近寄ってくる。
「えっ…それは…」
 一瞬口ごもり、戸惑う。
「そう、イングリドとヘルミーナよ!」
「そうかなぁ?」
 イルマとシスカは信じていない。リリーも、多分信じてくれないと思いつつ言った。
「まあ、そういうことにしておいてあげましょ」
「ダメですよシスカさん!親友の一大事ですよ?」
「一大事って…」
 イルマは占いを生業としているだけあってか、色恋の話には目がない。リリーが預かっている二人の少女の恋愛相談もしていたこともあるらしい。
「でもイルマ、こういうことってあんまり突っ込んじゃリリーが真っ赤になっちゃうもの。真赤になったリリーはかわいいけど、ここじゃあんまりよく見えないわ」
「シスカさんって……」
 気のいい女戦士は、聞きようによってはとんでもないことをさらりと言ってのけた。言われたリリーはそれだけで真赤になる。
「うー、欲求不満!…リリーちゃん」
「…な、なにイルマ」
 擦り寄ってくる親友に多少の恐怖。
「私にだけ、そっと教えてくれない?タダで占ってあげるから、相性」
「いやあの…だからその…」
「イルマ、それはひどいんじゃない?私だって興味あるもの。一体リリーはどんな人が好みなのかなって」
 シスカが腰に手を当ててあきれる。
「で、どうなの?」
 イルマに向かっていた矛先がこちらに向いた。びくりとして彼女は後ずさりする。
「だーめ、逃がさない」
 妖艶に微笑む。月明かりの下、その笑みはどんな鈍い男でも落としてしまえるほど魅力的だった。
「ししし、シスカさん?」
「この際白状しちゃいなさいよ。そうしないと…」
「…そうしないと?」
「こうだからね!」
 イルマは手をわさわさと動かし、リリーの腋をくすぐる。
「くすぐりの刑!」
「きゃーっきゃーっ!くすぐ…あははははっ!!」
 ひとしきりくすぐられて立ち上がる気力もうせてしまった。
「というわけで白状白状。そしたら楽になるよ」
「まるで犯罪者の尋問ね」
 たしなめているシスカもなぜか楽しそうだ。
「シスカさん〜。その動いてる指は一体なんなんですかぁ?」
「あらこれ?気にしなくていいのよ?」
「気にしますよ〜」
 情けない声で返すしか出来ない。その時、月とは反対方向の空に何かが輝いた。
「…え?」
 そちらを凝視。また輝く。
「どうしたの?」
 二人の護衛もそちらを向いて、そしてその光景に見入った。
 流れゆく星。
 一つではない。幾千、幾万の塵。月の輝きさえなければ、全天に見えたであろう大きな大きな流星雨。
 他に音がしないため、風の音に乗って落ちてくるようにすら思える。
「すごい…ね」
 リリーの言葉に二人は無言で頷く。
 自然に対する純粋な感動。あまりの奇蹟に涙が浮かぶ。
 錬金術は自然からもっとも対極にある学問だ。普段、それに浸かっているリリーは、久しくこんな自然があることを忘れてしまっていた。そして、錬金術こそが唯一絶対だと、歪んだ認識すら頭の端に上るようになっていたのだ。
「でも…こんな奇蹟は…錬金術では生み出せない…生み出してはいけない」
 自分で作り出せることが出来るのは幸せなことだ。いつでも触れることができ、見ることが出来る。けれども、奇蹟は自分で生み出すことが出来ないからこそ、奇蹟足りえるのだ。
「ああ、忘れていたね。とっても大事なこと」
 絶対なものは存在しない。対極になるものが補い合ってこそ、全ては存在していくのだ。
「ハインツさん、ありがとう…」
 あの陽気なマスターは、リリーにこのことを気がつかせるために外に出ろといってくれたのかもしれない。
「思い上がってたかも、しれないね…」
 自分は何でもできる。そう思っていたのかもしれない。それに気がつくことが出来て、本当によかったと思った。
「えっ、ハインツさん!?」
 イルマの驚愕。
「リリー、もしかして貴女のあの人、っていうのは…」
「え…?」
 リリーの呟きを、そこだけ聞いたのだろう。顔が笑みの形に引きつる。
「うっそぉ!リリーっておじさん趣味だったの?」
「なんでそうなるのよ…」
 一人熱くなっている流浪の民の娘に、苦笑いを向ける。
「でもマスターはいい人よ。とっても。人望もあるし。下手な男よりよっぽどいい男だと、私は思うなぁ」
「そんなもんですかぁ?でも…なんか違う気もするんですよぉ〜」
「そうよねー。でも、リリーを取り巻いている男性陣って、みぃんな癖ある人ばっかりだもの」
「うんうん。それはいえてる。ほらあの、なんていったっけ、偽錬金術師って名乗ってた…」
「…もしかしてゲマイナーさん?」
 リリーが渋面で呟く。
「そう、そのゲマイナーさんは論外として!」
 内心ほっとした。いくらなんでも、あの人を恋人だなんて思われた日にはたまったものではない。
「けどイルマ。それだったら他の人もほぼ論外じゃない。テオは青すぎるし、ゲルハルトは武器マニア。ウル様はウル様で女心には疎そうだし…。それに、とどめ。ヴェルナーに至ってはわけわかんない」
「じゃあ…クルトさんは?」
「あの人は奥さんいるってば…」
 頭を抑えながら訂正した。
「そうなんだ。じゃ、クルトさんも論外と…」
 楽しそうに指を折り数えるイルマ。
「…なんでそんなに楽しそうなの…」
「楽しいんだもん。ねーっ、シスカさん」
「ええ。女の子ってのは、こういう話に目がないものよ」
 いつのまにか二人の間に共同戦線が張られてしまったようだ。
「…」
 だめだこりゃと頭を振るしかない。ふと気がついたらまた霧がかかり始めていた。
「…また霧」
「本当ね。ほんのつかの間晴れてただけなんだ。その間に流星雨見えたなんて、すごくラッキーだったんじゃない?」
「シスカさんもそう思います?私もずっとそのことを考えていたんです」
 さきほど思ったことを話した。自分にうぬぼれが生まれ始めていたこと。それに気がついたであろうハインツの勧めで外に出てきたこと。そして、この奇蹟に出会えたこと。話してしまうとすっきりした。
「やっぱりマスターはいい人よね。人のことをよく見てる」
 まるで自分のことのようにシスカは笑った。
「やっぱりリリーの好きな人は、ハインツさんなのかなぁ…」
「イルマってば…」
 肩をすくめて街のほうを見た。もはや霧は完全に街を覆ってしまい、かがり火がぼやけて見える。霧の蒼と混じり、優しい明るさを灯していた。
「あの霧の下に」
 声に出さずに呟く。
「あの人が生きてる」
 あの人は流星雨を見ただろうか。もう眠ってしまっているのだろうか。いつかは、いつかは二人でまた奇蹟を見つけることが出来るのだろうか。
 いつかは。
「あっ、リリーが乙女モード入ってる!」
 ザールブルグをみつめながら立っている彼女にイルマが飛びつく。
「さあ、さっきの続き!白状しなさい〜!」
「くすぐりの刑は勘弁してぇ〜」
 イルマの体を引き離してリリーは逃げ出す。その後を追うイルマとシスカ。どこまでも、どこまでも続く蒼の霧に三人の声は吸い込まれていった。

ENDE


今回、リリーの恋人役は限定してません

なので、お好きな方をイメージしつつ読んでいただければ幸いです

そしてまたハインツさんが出張ってるし(笑)

 

天体観測とゆーかなんというか

その手のことは好きなのでよく出かけるのは出かけますけど

まだ一回もまともに流星群っていうのを見たことがないんです

もう何度も「流れる」と聞いた日には出かけてるんですけどねぇ

晴れ女なのに…一緒に行ってる人がまずいのか?

うんそうだ、そういうことにしよう(責任転嫁)

ちなみに都市云々は私のゼミの先生がおっしゃってました

けど、ちょっと考えたらわかりますよね

都市は…他から物が入ってこない限り都市として機能できません

自給自足が出来ないから他から仕入れて、売り買いをおこなうのが都市ってところです

いかん、専門が中世ドイツなだけに妙に思い入れが…

それにしてもシスカさんにわけわかんないと断言されるヴェルナーって一体……

 

戻る