今日でアカデミーは卒業。通いなれた道が新鮮に感じる。
 少し古びた建物、何人もの学生が行き交う廊下、結局彼女には縁のなかった寮、怒られながら実験を繰り返した教室群。これらのものもいつもと違う輝きを持っているように感じた。
 これからエルフィールは自分の行く道を、自分で決めなければならない。マイスターランクに進むことも出来る成績だが、彼女の心は決まっていた。イングリドの部屋に呼び出された際、それははっきりと伝えていた。
「エリーっ!」
 廊下を歩いているとアイゼルが遠くから声をかけてきた。走ってくる彼女の後ろにはノルディスもいる。
「アイゼル。ノルディスも」
「あなた、これからどうするの?」
 綺麗な碧の瞳がエルフィールを見た。
「僕達はマイスターランクに進むことにしたんだ。…エリーは?」
「私?……私は」
 ノルディス。最初から私を気に掛けてくれて、陰ながら手助けしてくれたこともある。いきなり一人で生活しなければならなかったエルフィールを最初から心配してくれた。その優しさは、時としてくじけそうになる彼女を、思考の底から救い上げてくれたのだ。
 アイゼル。はじめはなぜかエルフィールを毛嫌いしていた。きつい物言いで彼女を困らせたこともよくあった。けれど生活するうち、またアイゼルの気持ちを聞いてからは、彼女の言葉の底にある温かさをありがたく感じた。妖精たちが工房で大騒ぎしたとき、苦笑しながらも泊めてくれた事は忘れない。

「やーっと終わったよ」
「本当。最後までありがとうね」
「ちゃんとお金もらってるしね」
 エルフィールも腰ほどもない妖精たちが数人、すっかり綺麗になった工房のなかでころころと転がっていた。
「こんなに工房が綺麗なの、僕達はじめてみたよ」
「ほんとほんと。こんな工房だったんだね」
「言うわね、あなた達も」
 苦笑しながら工房の主はねぎらいの紅茶を妖精たちに入れてやった。
「おいしい。でも…」
「?」
 ティーカップを持ったまま妖精の一人が声を落とした。
「お姉さん、本当に行っちゃうの?」
「……」
 黙ってエルフィールは首を縦に振った。
「そっか」
「…」
 ここにいる妖精たちは、まだほとんど自分で何も出来なかった頃エルフィールに雇われ、彼女とともに成長してきた。今や大抵のことは何でもこなせるほどだ。そこまで育て上げてくれた恩は生半可なものではない。
「じゃあさ、また用事ができたら森にきて。そしたら、お姉さんならどんな用事があっても付いていく」
 にっこりと笑ったその顔は子どものようだ。けれど、彼らは人とは違う存在。子どものようななりでも、ザールブルグが出来た頃から生きているかもしれないのだ。
「ありがとう」
「もちろん、お値段据え置きでね」
「はははっ。ほんとに、……本当に、長い間ありがとう…」
 ほんのひと時のにぎやかさも夜には静かになった。工房の扉を開け、去っていく妖精たちを見送る。妖精たちも名残惜しそうに幾度も振り返ったが、やがて夜の闇に溶けていった。
 しばらくそこに立っていたが、ふと思い至って看板をはずした。エルフィールがここで工房をかまえている証拠で、ミスティカの葉の装飾があしらわれている。
「これは、持っていこうかな」
 そう思って綺麗に拭き、荷物入れに入れる。もしかしたら、落ち着いた先でまた工房を開くかもしれない。それも一つの選択肢だ。
「……ふふふ」
 小さな小さな荷物入れをみて笑った。
「私の荷物って、こんなに少なかったんだね」
 いらないと思えるものは全て売り払い、旅の資金に変わっている。参考書、実験道具はアカデミーに寄贈してきた。なければ買えばいい。それも出来なければ、他のもので代用する知恵は持っている。旅には不要なものだ。
 空っぽの戸棚を見て少し寂しかった。かつて、そこには所狭しと材料や薬剤が並んでいたなど、知らない人間が見るとわからないだろう。
「……」
 頭を振った。感傷に浸っている場合ではない。これからもっと大変な道を進むのだから。
「…そうだ、お手紙書かなきゃ」
 親しくしていた人にはほぼ全員旅立ちを告げた。けれど、たった一人だけ伝えられていない人がいる。言えば必ず引き止められるから。自分の決意が鈍ってしまうから。その居心地のよさそうな胸に飛び込んでしまうから。それだけは避けたかった。
 そして彼女は、工房での最後の仕事に取り掛かった。

 ものすごい音がして飛翔亭のドアが開いた。来客を知らせるベルが外れそうなぐらいに揺れ、けたたましい音を立て続けている。
「あら、ダグちゃん……」
「なんだお前か。戸、壊すなよ」
 カウンターにロマージュが座っており、ディオが渋面で来訪者を見ている。というより、扉の方を心配しているようだ。
「なんでロマージュがこんなとこにいるんだよ。あんた、5か0の日しか踊ってねぇだろ?」
「ああ、マスターに泣き付かれてね。しばらく専属で行くことにしたよ。フレアさんが戻ってくるまで……」
「…ロマージュ…」
 傍らで話を聞いていたクーゲルが困った顔をする。
「あっ、ごめんなさぁい」
 フレアが家を出てしまったことは相当ディオにとって痛手だった。なんでもない風を装ってはいるものの、店に立つのも億劫なときもあるとクーゲルにもらしていたほどだ。
「そうか…。じゃなくって!」
「何よぉ。落ち着きなさいって」
 つややかな声にたしなめられても落ち着くことなど出来ない。もともと落ち着いて物事を考えるのは苦手なのだ。
「エルフィールは?あいつ、工房閉めてどこ行きやがった?しらねぇか!?」
「ああ。あんたのところに行く手間、省けたわ。はいこれ」
 ロマージュが億劫気に立ち上がり、手元にあった封筒をダグラスに渡した。一瞬何かわからなかったが、すぐにそれを見る。
『長いようで短かった四年間』
 そうやって手紙は始まっていた。

長いようで短かった四年間。
その間、変化って名前の風はそれぞれに吹き続けた。
つまり、生きるべき道、進むべき道はそれぞれに存在してるってことだよね。
本当は、残ってマイスターランクにもいけたけど…。
私に風が……なんとなく、風が吹いたんだ。
それを感じてしまったから、もうそのままじゃいられない。
きっと、誰もが同じことを望んでも、叶わない。
心が馳せるの。
もっと先へ、って。
それに、ここは…もう私の場所じゃないような…。
もちろんその直感は間違ってるかもしれない。
だけど。
それに甘んじてずっとこのままっていうのは耐えられないんじゃないかなって…。
みんなそれぞれ、明日を生きていこうとしているのに私だけもやもやしてる。
嫌だなって、思った。だから……。

『私は旅立ちます』
 しっかりとした綺麗な筆跡でそう書かれていた。食い入るように手紙を見つめていた聖騎士は次第に顔が赤くなり、飛翔亭を飛び出していってしまった。
「タコさんみたいに真赤になって行っちゃった」
 またもガラガラと激しくベルがなり、飛翔亭の扉はまた一歩崩壊への道を辿る。
「相変わらず周りの見えてない、落ち着かない奴だ。…扉が壊れたら絶対に弁償させてやる」
「あら、お得意様だからいいじゃない。お昼間も良く来てるしね」
 くっくっと笑う踊り子。黙ってその様子を見ていたクーゲルが、カウンターの下に声をかけた。
「もう大丈夫だろう。あいつは行ってしまったよ」
 そこには旅装束のエルフィール。
「ごめんなさいディオさん、クーゲルさん。こんなところにいさせてもらって」
「なぁに、お安い御用だ。あの単細胞と顔合わしたら、絶対に連れ戻されるのは分かってるからな」
「でもさ、きっとダグちゃんは城門に行ったと思うんだけど。城門ではたしか出入りが全部記録されるでしょう?」
「大丈夫です。エンデルク様とブレドルフ様が、王室の緊急避難通路を使わせてくれるって、約束してくれたから…」
「なるほど。…でも、あの子も一応王宮護衛の騎士の一員だから、その通路のことしってるかもよ?」
「ならば、わしが城門まで様子を見に行ってやろう」
 普段表情の変化の少ないクーゲルが微笑んでいた。
「ありがとうございます!」
 エルフィールも満面の笑顔でそれに応える。満足そうに頷いてクーゲルは酒場を出て行った。
「ところでさ。ダグちゃんあのお手紙見てものすごく真赤になっちゃってたんだけど、何かいたの?」
「えっ?」
 ロマージュの質問に今度はエルフィールのほうが赤くなった。
「んんー?こっちも赤くなっちゃったよ?さ、一体何を書いたのかな?お姉さんにだけ、教えてちょうだい」
 からかうように詰め寄られて、エルフィールはそっと踊り子の耳に囁いた。ロマージュの表情がとても優しいものに変わる。
「案の定城門にいたよ、エリー」
 クーゲルが戻ってきたので、こじんまりとした荷物を抱えてお辞儀をした。
「じゃ、今まで本当にありがとう」
「こちらこそ。いつでも戻っておいで。わしはここで酒場を開いているから」
「あたしも踊ってるかもね。あなたも気をつけて」
「楽しかったよ、お嬢さん」
 三人に別れを告げ錬金術師は出て行った。
「…ロマージュ、結局エリーはダグラス宛に何を書いたんだ?」
「……四年間も護衛してくれてありがとう。いえなかったけど、大好きだったよ、ってさ。ついでに、お仕事サボっちゃダメだとも書いたって」
「やれやれ。あの子らしい。…もっと早くに言ってればな」
「それが出来ない子なんだよ、兄さん」
 三人は閉まった扉をじっと見つめていた。彼らの思いは一つ、寂しくなるな、と。それだけ彼らにとって、エルフィールの存在は当たり前だったのだ。けれど、子どもが巣立ちをするようなそんな気分もあった。

 どんな人間にも等しく風は吹く。
 思い出が色あせそうになったときにはまた戻ってくればいい。
 珠玉の輝きを保つなら、それを糧に新しい出会いを探そう。
 今、再びエルフィールの旅立ちなのだ。

ENDE


アトリエがらみの話はドイツ語で終わらせてみようと

なぜかENDがENDEに(笑)

 

旅立ちは誰にでも訪れます

その際のきっかけが何であれ…

それにしてもダグラス、このあとどうするんでしょうかね

街出たところでエリーとっ捕まえてそう(笑)

でもきっと、旅立ちは許してあげるでしょうね、最後には

Silliaにとって彼は、口が悪くて単純でも

一番エリーのことを考えている、という感じがあります

タイトルとお話のイメージはゴスペラーズの同タイトルの曲から

漫画にしてみようかと思ってはいますがいつになることやら……

 

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